ランガルンカ・エッセンス 花咲くオレンジの木陰



<オープニング>


●ランガルンカ・エッセンス
 深い青に透きとおる宝石は元来貴重なものであったという。
 だが、ワイルドサイクル平原のとある場所で冒険者達が見出した、彼方に水平線を望む遥かなる湖ランガルンカは、広大なその地自身がまるで青く鮮やかな宝石であるかのようだった。
 かの地を抱く澄み切った空は鮮麗なサファイアブルーに染まり、彼方へと広がる湖の水面は空の色を映しとり更に水の煌きを加えている。透きとおる水の底には水面のように揺らめく光を放つ様々な色の宝珠を抱いて、ランガルンカの湖面は穏やかに凪いでいた。
 岩山に囲まれているという、未だ涯ての見出せないかの地に湛えられた、青き宝玉。
 ワイルドファイア大陸、ワイルドサイクル平原の片隅に落とされた――鮮やかな空のしずく。

 透きとおるランガルンカの水の中で、真珠色の鱗を持つ魚達が遊ぶ。
 ランガルンカの岸辺『きらきら虫の浜』の原住民達に『白の姫』と呼ばれているこの不思議な魚に導かれ、冒険者達はランガルンカ沖の水中に小さな宮殿ほどもある巨大な真珠色の珊瑚を見出した。
 ヒトの霊査士・キャロット(a90211)の霊査によれば、この真珠珊瑚は「ランガルンカを知るために突破しなければならない壁」なのだという。冒険者達はある月の夜にオレンジの舟で真珠珊瑚の上に集い、やはり原住民達に伝わる『白の姫に捧げる歌』を空と湖へ響かせて、その旋律で柔らかに輝く真珠珊瑚を細かく煌く雪へと変えた。
 小さなかけらとなり、雪の如く湖底へと降り積もっていく真珠色の珊瑚。
 何処か月光にも似た大きな珊瑚の下には、湖底にぽっかりと開いた穴が隠されていた。
 深い水底に開いた穴は辺りの水を吸い込んで、暫しの間を置いてから勢いよく噴き上げる。
 緩やかに、そして規則正しく繰り返される水の流れは、まるで湖が呼吸をしているかのよう。

「しているかのよう……じゃなくて、まさしくあれはランガルンカの呼吸なんだね」
 噴き上げられた水と共に降って来たという白い花に触れながら、キャロットは冒険者達を見回した。
 湖に揺蕩う水も緩やかに対流している。
 あの穴に水が吸い込まれ、そして噴き上げられるのも、その対流の一環だというのだ。
「つまり、あの穴はランガルンカの奥……別の場所に繋がってるんだ。湖の中に入って水と一緒に穴に吸い込まれれば、別の場所の穴から出ることが出来る。穴の中の水流はすっごく速いから、ちょっと息を止めてるだけであっという間にランガルンカの奥へと移動できるってわけ」
 今回はそこへ行って欲しいんだよ、とキャロットは手にしていた花を両手で冒険者達に差し出した。
 甘い芳香を放つ白の花は、ひとの顔ほどもある大きなもの。
「そこにはこの――浮遊オレンジの花が咲いてるんだ」

●花咲くオレンジの木陰
 浮遊オレンジとは、ランガルンカの湖面にぷかぷかと浮きながら『きらきら虫の浜』へ流れてくる、巨大なオレンジの名前である。真珠珊瑚に隠されていた穴を抜けた先には島があり、その島には浮遊オレンジの巨木が聳えているのだとキャロットは語った。
「ワイルドファイアサイズだからね、とにかく樹も大きいんだ。優にお城くらいはあるんじゃないかな。高さもかなりあるけど、枝もかなり広がってるから……こんもりした感じ?」
 こんもり、と手の動きで示してから、キャロットは再び甘い香りを漂わせる花を手に取った。
「樹にはつやつやした濃緑の葉がいっぱいに茂ってて、その中にこの花が咲いてるんだけど……どうやら普段よりもこの花が少ないみたいなんだよ。少し樹に元気がなくなっちゃってるんだね。で、それが樹にたくさん付いちゃった貝殻虫怪獣のせいらしいんだ」
 浮遊オレンジの樹がある島にも原住民が住んでおり、無論オレンジを好んで食べている。彼らのためにもこの虫怪獣を退治してきて欲しいんだよ、とキャロットはオレンジの花を振りつつ力説した。
「夕暮れの空みたいな茜色をした虫怪獣だから、原住民さん達は『茜虫』って呼んでるんだ。色が色だから見つけるのは簡単だと思うけど……この茜虫、貝殻虫らしくカラを作って樹にへばりついてるから、そのまま攻撃すると樹を傷つけちゃうかもしれない」
 ならどうすれば、と冒険者が訊けば、キャロットは何処となく嬉しそうな笑みを浮かべた。
「えーとね、また……歌ってきてくれるかな?」
 ランガルンカで歌う歌と言えば決まっている。
 月を思わせる旋律を紡いだ――『白の姫に捧げる歌』だ。
「ランガルンカにはあの歌の旋律に呼応するものが幾つもあるみたいでね、浮遊オレンジの樹もそのひとつ。浮遊オレンジの樹の下で歌えば、樹は歌に呼応して細かく震え――自分で茜虫達を振るい落とすことができる。そこを皆で一気に叩き潰しちゃって欲しいんだよ!」
 簡単に覚えられる曲だから、初めてのひとでも大丈夫。
 キャロットはそう言って、ひらひらと白いオレンジの花を振った。

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参加者
気ままな銀の風の術士・ユーリア(a00185)
昏き理・ルニア(a18122)
決して軽薄な男じゃありません・ジン(a32218)
花魁・ハナ(a46014)
白い珍獣・メルルゥ(a51958)
アプカルルの狂信者・ググリム(a61023)
柳閃・チキチキータ(a64276)
樹霊・シフィル(a64372)
夢蛍・ミィナ(a64499)



<リプレイ>

●真珠珊瑚の彼方
 遥か彼方まで広がる空は鮮やかな宝石の青に染まり、澄んだ水を湛えた湖も空の色を映し青く深く透きとおる。空と湖の合間に満ちる大気も鮮烈な陽射しを孕み、流れる風自身が光輝いているかのよう。風に撫でられさざめく湖面も負けじと煌けば、真珠色の鱗を持つ魚が水上に跳ねて水晶のかけらの如き水飛沫を辺りに振りまいた。ランガルンカは今日も眩い光に満ちている。
「いざランガルンカ! 進め進め進め進めなぁ〜ん!!」
 冒険者達を先導するかのように行く真珠の魚達が目指す方向を確認し、白い珍獣・メルルゥ(a51958)がすっかり手に馴染んだ木の櫂を握る。魚達に続いて青の湖面を滑る鮮やかな橙色をした三日月の舟は、白く煌く波飛沫と甘い香りを辺りへと振りまいた。
 ランガルンカで冒険者達が使う舟と言えば、この――小さな家程もある浮遊オレンジを櫛形に切り、果肉を除いて皮だけにした――オレンジの舟である。強いと陽射しと眩い水の煌きの合間を夏の香りを漂わせる舟に揺られて暫く進めば、紺碧の色に揺れる湖面が大きく渦を巻く様が見えてきた。
 渦が湖底に吸い込まれるようにして消えれば、辺りの水が緩やかに震え出す。
「来るですよ!」
 微かな興奮とともに気ままな銀の風の術士・ユーリア(a00185)がオレンジの縁から身を乗り出した瞬間、湖面から巨大な水柱が噴き上げた。
「んにゃぁー、やっぱワイルドファイアは何度来ても最高にゃっ!」
 興奮を隠し切れない様子の笑顔の商人紅蓮の風・チキチキータ(a64276)が猫尻尾をぴんと立てているのに小さく笑みを零しながら、ユーリアは噴き上がった水柱から降って来る冷たい湖水へと手を伸ばす。水と一緒にかつてこの湖底に宮殿の如く座していた真珠珊瑚のかけらが降り、そして湖底の穴を通ってランガルンカの奥から運ばれてきた白い花が降る。甘い香りを漂わせる花は人の顔位あったけれど、巨大な浮遊オレンジの花としては案外小さい。やっぱりランガルンカは不思議なのですとくすくす笑っていると、リュックを背負った昏き理・ルニア(a18122)が早速湖の中へ入っていくのが見えた。
 そう、此方に水が噴き上がったからには、次は向こうへ行く流れが生まれるはずだ。
「対流する水に流される様は、まるで母親の胎内から産まれてくる赤子ですね」
 心地好い水の感触に瞳を細めつつ呟けば、真珠色の魚達がまるで同意を示すようにルニアの傍でくるりと回った。『白の姫』と呼ばれるこの魚達は、親である虹色魚の口の中で卵から孵る。親の口から外界へ出る際に同じ感覚を味わったのかもしれない。
「いやぁ……マジででっけぇな……」
 何処を見渡しても水平線しか見えない湖に、巨大なオレンジの舟、そして見上げる程に巨大な水柱。その何もかもに感嘆の声を洩らした決して軽薄な男じゃありません・ジン(a32218)は、今から入る水中を覗いて絶句する。
 深い。湖自体が物凄く深い上に、更に湖底の穴から水流に流されなければならないと来た。
 ちゃんと息が続くだろうかと不安になったらしい彼に、樹霊・シフィル(a64372)が「大丈夫ですわよ」と悪戯っぽく微笑みかける。華奢な身体に水着を纏っている彼女はこの道程自体も確り楽しむ気満々だ。耐水性に優れたバックパックを手にしたシフィルは、柔らかに笑んだまま皆を振り返る。
「ささ、濡れて困る物はお預かりしますわ」
「……あっ」
 彼女の申し出に思い出したように瞳を瞬かせる者が複数。彼らは何故か揃って歴史書を持ってきていた。預かった歴史書をバックパックに仕舞いこみながら、シフィルはジンの背後を見て小首を傾げる。彼の後ろにはここまでどうやって運んできたのかもナゾなほど巨大なチョコレートが立てかけられているのだが……この先にあのチョコレートを持っていくのはどう考えても無理ではなかろうか。
 結局チョコレートはオレンジの舟に置いていくことにして、全員が水の中に入った。
 青く透きとおる湖水に浸かれば、水を透かして見る己の身体も澄んだ青味を帯びて見える。
 間近に見る水面は薄藍で、湖底へ行けば行くほどその色合いは深みを増していく。
 薄藍から紺碧へ、紺碧から瑠璃へ。
 そして深い紺青に染まる湖の底にぽっかりと口を開けた濃藍の穴の奥から――澄んだ湖水が大きな渦を描き始めた。真珠色に輝く白の姫達は嬉しげに身体を撓らせ、率先して渦に身を躍らせる。期待に心が高揚していくのを感じながら、アプカルルの狂信者・ググリム(a61023)は厳かにこう告げた。
「参りましょう。ランガルンカの更なる奥地へ」
 渦を成す水の流れは、不思議な不思議な湖の呼吸。
 ランガルンカの大いなる呼吸は、白の姫と冒険者達を呑み込んで、深い湖底の穴に消えた。

●浮遊オレンジの樹
 外から見ていれば緩やかにも思えたが、実際に身を委ねてみた水流の勢いは圧倒的だった。
 全てを押し流していく巨大な水流の勢いは目も開けられぬ程。冷たい奔流に全身を呑み込まれればあっと言う間に目蓋を閉じていても判る程の暗闇の中に引きずり込まれ、そして気付けば再び目蓋に眩い光を感じた。かと思えば今度は水に勢いよく押し上げられて、思い切り湖面の上に放り出される。
「わぁ……!」
 噴き上がる水柱の天辺から空中に飛ばされて、花魁・ハナ(a46014)は思わず瞳を瞠った。
 真っ青な空は吸い込まれそうな程に澄み渡り、真っ青な湖は息を呑む程に透きとおっている。
 どちらが空でどちらが湖なのか判らなくなってしまうような錯覚に陥りながら、ハナはきらきらと輝く水飛沫と共に湖面へと落ちていった。ばしゃんと小さな水柱を上げて潜った水の中は柔らかに揺らめく光に満ちていて、一緒に上から落ちてきたらしい白の姫達が揺らめく光と白く輝く気泡の合間でで楽しげに泳いでいる。その様に口元を綻ばせれば空気が零れ、ハナは慌てて水面に浮上した。
 同じように水面に浮かび上がった子供に見えても大人です・ミィナ(a64499)は、顔を出した途端瞳に映った光景に感嘆の声を上げた。
「うわー、おっきいなぁ〜んね〜……」
 ミィナの視線の先には島があり、そこにはまるで宮殿のような存在感を誇る巨大な樹が聳えている。風にそよぐ濃緑の葉の合間には白い花が見え隠れしていた。あれが浮遊オレンジの樹に違いないと冒険者達は水を切って泳ぎ出す。近づけば近づく程に、樹の巨大さはよく理解できた。
 浮遊オレンジの樹について、霊査士が「優にお城くらいはある」と語っていたのは伊達ではない。
 それ自体が巨大な塔に思える桁外れに大きな幹は天を突くかのように高く聳え、それ一本で家を建てられそうな程大きな枝葉をゆったりと広げている。梢の下、樹の木漏れ日が落ちる場所を木陰と呼ぶのなら、浮遊オレンジの木陰は村一つを抱え込んでしまえそうな程に広大な物だった。
 揺らめく木漏れ日に目元を和ませながら、ルニアは遠眼鏡を樹上へ向ける。然程見回さぬ内に、椀を伏せたような夕暮れ色のカラが幹や枝に幾つも見つかった。あれが茜虫なぁ〜んねと微かに強張った声で呟くミィナに頷きを返し、ルニアは比較的茜虫が少ない枝の下、幹に程近い場所に陣を構えるべく皆へ指示を出す。術士を囲む形で円陣を組み、まずはシフィルとハナが『白の姫に捧げる歌』を歌いだした。
 木漏れ日の中に響く歌は、やはり淡い真珠色の月光を思わせる。
 緩く目蓋を伏せ柔らかな声を紡ぎだしていくシフィルの胸には故郷の森。
 樹々への慕わしさを乗せて歌えば、そこに春の光にも似たハナの声が溶け込んでいく。
 空と大地の全てへの感謝を込めて旋律を織り成せば、掌中で柔らかな水草の種が震えだした。
 溶け合う二人の歌を導くように響くのは、高く澄んだユーリアの笛の音。
 オレンジの樹を励ますように音の息吹を紡げば、懐にある真珠色の鱗と種が震えだす。
 穏やかな旋律が緩やかに広がっていけば――オレンジの樹が、ゆっくりと揺れ始めた。
 梢がざわりと揺れ、夕暮れ色のカラがぼたぼたと落ちてくる。ハナは反射的に逃げ出したが、地面に落ちたカラから転がり出てきた虫は、仰向けになったまま脚をぷるぷる震わせるだけだった。
 カラと同じ夕暮れ色をしたこの虫が茜虫なのだろうが――どうやら麻痺してしまっているらしい。
 試し斬りとばかりにググリムが大鎌を振るえば、ワラジムシに似たその大きな虫はあっけなく両断されてしまう。それ程強い相手ではないらしい。
「なら……麻痺してるうちに潰しておくなぁ〜ん!」
「茜虫さんごめんにゃー……行くにゃっ!」
 闘気を漲らせた竜骨のナタを一気に振るったメルルゥが凄まじい竜巻を呼び、紅の刃を翳したチキチキータが漆黒の針の群れを叩きつける。ミィナが描き出した紋章陣から輝ける光の雨が降れば、辺りに落ちてきた数十の茜虫は全て息絶えた。
 次は別の人で試してみるにゃというチキチキータの案に従い、メルルゥとググリムが歌い始める。
 普段の弾けるような溌剌さを抑えるようにして、メルルゥは樹に優しく語り掛けるように旋律を紡いでいった。真珠色の種に鱗、そして真珠珊瑚のかけらが微かに震えれば、何だか切ないような心地になってしまう。ゆっくりと揺れ始めた巨大な樹の幹に寄り添うように触れ、そのまま歌ってみれば――
 樹の、呼吸が感じられた。
「……なぁ〜ん?」
 思わず頭上を仰げば、艶やかな濃緑の葉の合間に咲く白の花が揺れている。
 揺れる花からはひときわ濃密な甘い香りが流れ出したが――ゆっくりと風に溶けて消えた。
 もっと花がたくさん咲いていれば、香りは更に遠くまで広がっていったのだろうか。
 首を傾げながらも歌い続けるメルルゥの声音に、豊かに響き渡るググリムの歌声が重ねられる。
 懐にある真珠珊瑚のかけらの震えを感じつつ朗々と歌い上げれば、樹が大きく震えだした。
 途端、先程とは比べ物にならない程大量の茜虫が降って来る。
 しかも今回は――茜虫達の半数程が麻痺せず元気に飛び跳ねていた。
「く、この、ちょこまかとっ!」
 やたら敏捷に飛び跳ねる茜虫に向かって、ジンは新たな外装を付け加えたランスを構え突っ込んでいく。夕暮れ色の体を思い切り貫けば一撃で茜虫は動かなくなった――が。
「はっはっは、討ち取ったり……って、ぎゃー!?」
 その途端別の一匹に尻を齧られた。
「今行くにゃっ!」
 すかさずチキチキータが眩い軌跡を描く鋭い蹴りを放ち、ジンに喰らいついた茜虫を鮮やかに裂く。飛び掛ってくる茜虫達を白金に煌く手套で振り払いながら、シフィルが癒しの歌声を響かせた。
「な、中々しつこうございますわね……」
「けれど……負けませんです!」
 ユーリアが織り上げた輝く紋章からは七色に変幻する光の雨が降る。ごめんなさい、と小さく呟きながらハナが手にした純白の霊布が風を孕み、飾られた鈴がりんと鳴れば、漆黒の針の雨が茜虫達に襲い掛かった。揃って盛大な竜巻で茜虫達を一掃するメルルゥやググリムの信頼に応え、ルニアが凱歌で二人を縛る力の反動を拭い去る。仲間の状態を確り把握できてさえいれば、冒険者達が茜虫に負けることはなさそうだ。
 幾度か歌い手と人数を変えて試している内に判ったのは、ユーリア、ハナ、メルルゥ、ググリム、チキチキータが歌った際に茜虫が麻痺する場合があることだった。恐らくルニアが歌っても同じ効果があるだろう。そして、ユーリアとハナが歌えばほぼ確実に全ての茜虫を麻痺させられることが判ってしまえば――もう後は皆で掃討に専念するだけだった。
「今、助けてあげるからなぁ〜ん」
 優しく幹を撫でてやるミィナに頷き、ユーリアもオレンジの幹に触れて歌い始める。
 楽器の方が得意なはずなのに、この旋律は笛よりも声で紡ぐ方がしっくりくるのが不思議だった。
 メルルゥの時と同じように濃密な花の香りが漂い始め、花の香に酔うように、揺蕩うようにして、ハナも柔らかな声音で歌い上げていく。
 緩やかな樹の揺れと共に幾多の茜虫が落ちてきたが、虫達は皆一様に腹部を上にして脚を震わせていた。茜虫達が麻痺している間に、皆で一斉に術を叩き込んで殲滅する。
 濃く甘やかな香りはすぐに消えたけれど、香りの中で紡ぐ歌は――えも言われぬ恍惚感を齎した。

●花咲くオレンジの木陰
 夕暮れ色の茜虫達を全て退治し終える頃には、ランガルンカの湖面が茜の色に染まり始めていた。
 朱金に輝く木漏れ日を浴びつつ梢を振り仰いだユーリアは樹の大きさに改めて感嘆の息をつき、幹に寄り添うシフィルが紡いだ「どうか、美味しい実を付けて下さいませね」という言葉にメルルゥと小さな笑みを交わす。浮遊オレンジは甘味と酸味のバランスが絶妙な、爽やかな常夏の味がする。
「こうやって花の蜜を吸うといい香りがするにゃよ♪」
 落ちてきたオレンジの花を咥えて蜜を吸うチキチキータに倣って花を手に取りながら、ユーリアは辺りを見回した。拾い上げたのは、橙と茜色が溶け合ったような茜虫のカラのかけら。まさに今の空を映しとったようなその色は、何故だか水色羽蛇の島で戦った暁貝の色を思わせた。

 暁の太陽の色、黄昏の太陽の色。
 どちらも――陽の色だ。

 涯てなき空は薔薇色に染まり、涯てなき湖は茜色を映す。
 風にさざめく水面は金に輝いて、水平線の彼方には朱金に蕩ける夕陽が眠りゆこうとしていた。
「さて、小さな音楽会でも楽しみましょうか」
 何処か楽しげなググリムの眼差しに頷きを返し、チキチキータが幾重にも包んだ袋の中からオカリナを取り出す。そっと唇を寄せて息吹を吹き込めば、優しい音色が光に満ちた湖面へと流れていった。眠りゆく夕陽の輝きに瞳を細めたユーリアが歌を重ね、鎮魂の想いを乗せてハナも歌声を溶かし込んでいく。柔らかに満ちていく旋律に意識を委ね、メルルゥも心のままに月の歌を歌った。
「そう言えば……誰かが『白の姫に捧げる歌』のことを、月の歌と言っていましたよね」
 ふとルニアが天を仰げば、桔梗の色に染まり始めた東の空に真珠色の月が浮かんでいる。
 湖に瞳を移してみれば、水面にも淡い月が輝いていた。
 月夜にこの歌を歌えば、オレンジの樹もランガルンカも喜ぶだろうか。
 彼の求めに応じて皆が再び『白の姫に捧げる歌』――月の歌を歌う。
 優しい光を思わせる旋律に応じるように白の姫達が湖面で跳ね、オレンジの樹が揺れた。
 誰かが樹に触れれば再び濃い花の香りが広がり――消える。
 水面を見渡していたメルルゥが声を上げたのは、その時だった。
「湖の月が二つあるなぁ〜ん?」

 湖面に映る月の隣に、ぼんやりと輝く淡い黄を帯びた真珠色の光。

 不思議な月色の光は濃い花の香りが薄れるのと同時に、夜空を映した瑠璃の水の中へ消えていく。
 光の消えた湖面に見入っていた冒険者達は、オレンジの幹の陰からそっと彼らの様子を窺っていた人影に――気付くことはなかった。


マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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