天へ至る梯子



<オープニング>


●天へ至る梯子
 空には灰と鉛の色をした雲が厚く垂れ込めて、薄鈍や消炭の濃淡が織り成す陰影が重厚な深みを生み出している。空の下に広がる深緑の森と彼方に蒼く連なる山々は、淡い霧に包まれ薄紗を透かした様な天鵞絨や淡藤の色に霞んでいた。そこに、淡く金を溶かした光が射し込める。
 重い色合いで空を飾る雲の合間から下ろされた、柔らかに輝く光のカーテン。
 雲間から射し込める陽射しは、金糸を帯びた薄紗のカーテンが波打つかの如く、優しく慈しむ様に世界を包み込んでいた。嵐の終わり、雨の去り際に天から贈られる――光の祝福。
 あるいは、輝ける歓びに満ちた天へと至るための――光の梯子。
 最上級の画布に最高級の絵具で描かれたその風景には、嵐の重厚な力強さと陽光の優しい慈愛が対立することなく調和して、穏やかに溶け合う様に存在していた。嵐の色を孕んだ雲を描く筆致は熱い思いと命そのものを削り叩きつけたかの如く荒々しく、柔らかな光や霧に包まれた森に山々を描く筆致は、溢れる愛情を穏やかに重ねていくかの如く優しく繊細だ。相反する筆致は互いを引き立てて、絵画全体に何処か荘厳な雰囲気を纏わせていた。
 エーデルリード卿というセイレーン貴族お抱えの画家だった青年の筆に依るという風景画を披露し、紺碧の子爵・ロラン(a90363)は涼やかな麗貌で冒険者達を見回しつつ口を開く。
「この絵画に描かれている風景は、エーデルリード卿の領内にある山の頂からの眺望だ。卿の領地にはこの時期大雨が降ることが多いそうでね、激しい夏の風雨が過ぎ去った後には、この様な光の梯子が良く見られるらしい。中でも最も美しいと湛えられているのが、彼の山から望む光の梯子だ」
 夏の盛りでも変わらず白手袋に覆われた子爵の手が、緩く翻る様にして再度絵画を指し示した。
「諸君への依頼は、エーデルリード卿の奥方……レディ・ウィーレリアを彼の山頂へお連れすること。画家シュナイダーがレディのために描いた風景を、彼女に直に見せて差し上げてくれたまえ」

●依頼
 華やかに波打つ豊かな髪は深い紺青に艶めいて、透ける様に白く滑らかな頬を縁取っている。
 天蚕絹のドレスに包まれた肢体は華奢で、けれど衣の上からも判る優美な曲線が妖艶さを醸し出していた。伏せられた紺青の睫が頬に落とす影は神秘的で、珊瑚色の唇から零れる吐息は蠱惑的。
 だが不意に見開かれた瞳は世の穢れを知らぬが如き澄んだ水の色で、明るい水色の瞳に此方の姿を映せば純粋な喜びを溢れさせた無邪気な笑みが花開く。何処か不安定で、其れが故に不思議な魅力を纏うウィーレリア。彼女に出会ったエーデルリード卿は一目で恋に落ち、互いの親族間で縁談が取り纏められるやいなや己の館に彼女を迎えて閉じ込めた。
 美しい許婚を出来るだけ人目に触れさせまいとするが故の行動で、自身もまたエーデルリード卿を深く愛し彼の愛を理解したウィーレリアも、表立って不満を唱えることはなかったのだという。
 無事華燭の典を挙げた二人は、卿の館で蜜月の日々を仲睦まじく過ごした。だが暫くの時を経て、ウィーレリアが塞いだ様子を見せる様になる。実家で過ごしていた頃にはよく山野で遊んでいたのだという彼女のため、エーデルリード卿は自ら見出した風景画を得意とする画家の青年を召抱えた。

 妻が本当に望んでいることは理解していたけれど、其れを叶えることだけは出来なかったから。

 画家の青年・シュナイダーが描く風景画は世界そのものの生命力に満ちていて、館の外へ出られぬウィーレリアの慰めとなった。シュナイダーが新たな風景を描くたびに無邪気に喜ぶウィーレリア、ウィーレリアが咲かせる笑みを励みに益々筆致を冴え渡らせて行くシュナイダー。
 二人の間にある種の情が通い合うのに、然程時間はかからなかった。
「野暮を語るのは本意ではないが……細やかな情愛を通わせる以上のことはなかったようだね」
 子爵の薄い唇に、何処か皮肉めいた笑みが浮かぶ。
 エーデルリード卿の深い愛情にウィーレリアは同じ位深い愛情をもって応え、二人の睦まじさも以前と変わらず――否、以前より睦まじくなったと使用人達が微笑みと共に囁き交わす様になっていた。卿自身も揺るぎない妻の愛情を感じていたが、彼女がシュナイダーへ向ける想いにも気付かずにはいられない。だが卿自身もシュナイダーの描く絵の虜になっていたから、彼を追い出すことも憎むことも出来ずに居た。シュナイダーが山で事故にあったのは、そんなある日のこと。
 新しい絵のため光の梯子を見に行った画家は、足を踏み外して崖から転落した。
 様子を見に行った卿の使用人達に救われたシュナイダーは卿の館で懸命な看護を受けたが、最後に見た美しい風景を画布へと写し取った後に息を引き取った。そして、彼が描いた風景を直に見たいというウィーレリアの懇願に、ついに卿が折れたのだ。

「山頂で光の梯子を見るためには、雨の中に山を登る必要がある。長い間館に篭もっていたレディには辛い道程となるだろう。彼女まで足を滑らせたりなどすれば、目も当てられないことになる。だから経験豊富な冒険者の諸君に護衛を頼みたいというのが卿の依頼でね」
 其れでは、宜しく頼んだよ。そう言い置いて、紺碧の子爵は普段通りに蒼の外套を翻した。

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参加者
紫晶の泪月・ヒヅキ(a00023)
灰色の貴人・ハルト(a00681)
温・ファオ(a05259)
今日も今日とて巨大お野菜・ファナ(a12816)
物語・メロス(a38133)
煤の双眸・クローチェ(a38525)
雪椿・ピムリコ(a48442)
寄る辺無き・アイネ(a49608)
樹霊・シフィル(a64372)



<リプレイ>

●朝に降る雨
 振り仰ぐ空は、朝靄に灰の雫を落としたかの如き霞色に濁っている。
 辺りに漂う空気は明け方という頃合に相応しい冷気を抱いていたが、陰鬱さすら感じさせる重たげな水の気配をも纏っていた。空に揺蕩う雲は彼方の曙光を透かし淡い真珠色の光を孕んでいたが、新たに流れ来る雲はひときわ色濃い灰や鉛の色に染まっている。程なく淡い光も見えなくなるのだろう。
 温んだ風は雨の匂いを運び、大気中に飽和した水の気配は不快な湿気として肌に纏わりつく。
 飽和しきっているのに、それが解放されないからこそ、不安定な緊張感が張り詰めたまま。
 軽く嘆息した灰色の貴人・ハルト(a00681)が再度空を仰げば、冷たい雫がぽとりと頬に落ちてきた。
 せせらぎよりも軽い音と共に細い雨が降ってくる。それは絹糸よりも繊細なものだったが、意外に勢いがあった。防水性を持たせた外套の前を合わせ深くフードを被ろうとして、微かな苦さを滲ませた笑みをふと口元に刻む。いっそ、雨に全てを洗い流して貰おうか。
「……ずぶ濡れになってしまえば、意外にすっきりするのかもしれないね」
「そうね。雨、気持ちいいもの」
 思わず零した呟きを言葉どおりに捉えたらしい素直さに、今度は確りと苦笑が洩れた。
 淡い光を反射する細かな雨滴を紺青の髪に飾り、明るい水色の瞳を瞬かせるウィーレリア。長く館に篭もっていた彼女には、雨に濡れることすらも新鮮に感じられるのだろう。愛という名の甘い蜜で包んだエゴに縛られた――この淑女には。
 そう。いっそ包んでしまえばいい。
 剥き身の感情は柔らかな綿で包んで心に押し込め蓋をして。
 見なければいい、気付かなければいい、忘れた振りをすればいい。
 何故触れる者を傷つけずには居れない想いを抱いてしまったのだろう。
 ただ、幸福になって欲しいだけなのに。
「おし。んじゃ、そろそろ行くとすっか」
 防水加工を施したマントを纏い、泥棒牛・クローチェ(a38525)が顔を上げた。気を引き締めるように大きく息を吸えば、雨ばかりではなく緑や土の匂いが肺へと流れ込んでくる。ここからは山道だ。まずは自分達が先行し、少しでもウィーレリアが進みやすいよう足場を整えてやらねばならない。
 ちらりと彼女へ視線をやれば宜しくとでも言うように会釈され、何故か胸の奥がちくりと疼いた。
 妻の情を掬い取られたエーデルリード卿も、自由を奪われ館に閉じ込められたウィーレリアも、大事な女の最愛を得ることが出来なかったシュナイダーも、誰も、何も、互いをも恨んではいないのだ。
 少しだけ、それが不思議な心地だった。
 降り頻る雨に手を差し伸べる。
 掌を天へと向ければ、掌上の浅い窪みに雨が溜まる。
 けれど、澄んだ水が掌の縁や指の合間から零れ落ちるのを、止めることが――出来ない。
 気を緩めれば不意に視界が滲みそうになり、紫晶の泪月・ヒヅキ(a00023)は雨の所為だと言い聞かせる様に緩く頭を振る。灰銀に濁る空が心までも淀ませるのか、重ねてきた後悔ばかりが思い起こされた。間に合わなくて、届かなくて、掌から零れ落ちていったものは、何故こんなにも多いのだろう。
 奪われぬ様、零さぬ様、愛するものを閉じ込めてこの手の中に握りこめるなら――どんなにか。
 けれど望むままに進んでいく皆の姿を愛しく思うからこそ、閉じ込めてしまうことなど出来なくて。
 手を伸ばしても届かないことがあると知っている。だから、この手に届くものだけは。
「天へ至る光の梯子……必ず、見せて差し上げましょうね」
「はい、頑張りますですよぉ〜」
 頷いた今日も今日とて巨大お野菜・ファナ(a12816)が頭上に光を燈す。
 雨の中でも随分足元が見易くなったことに小さく息をつけば、吐息は白く霞んで消えていった。
 気温の上がりきらぬ朝に冷たい雨が降っているのだから、冷えるのも道理だろう。
 こういう平和な依頼もいいですねという言葉は喉奥へと呑み込んだ。
 敵がいる様な依頼ではないが、かといって気を抜いて良いものでもない。それを示す様に皆の間には一種独特の緊張感が漂っていた。
 戦闘とは異なる緊張感に、ファナは唇を引き結んだ。
 先行する三人の背を見送りながら、城壁はじっこ見張り番・アイネ(a49608)は冷たい雨に小さな身体をぶるりと震わせマントを羽織る。山頂に着く頃には必要になるだろう弁当も、濡れてしまわぬ様に確りと包み込んだ。頂に辿り着く頃には雨も止み、きっとお腹も空いている。
 ごく普通の晴れた日に、明るい緑のそよぐ草原へ出向いて。
 柔らかな草の上で弁当を広げて食べるのであれば、どんなに楽しいことだろう。
 街で買い物をしたり、お店でケーキを食べたり、ただ――散歩するだけでもいい。
 好きなひととそんな風に過ごすひとときがどんなに楽しいか、アイネにだってわかるのに。
「このままじゃ、エーデルリードもウィーレリアもかわいそう……」
 ウィーレリアには聴こえぬよう呟いて、アイネはそっと天を仰いで首を傾げた。
 傘は差した方がいいだろうかと悩んでいるらしい彼女の様子に気付き、樹霊・シフィル(a64372)が小さく首を振る。
「山道では傘は邪魔になりましょう。休憩の時に使うのが良いかと」
「そうですね……では、ウィーレリアさんにはこれを」
 温・ファオ(a05259)が予備のマントを羽織らせてやれば、ウィーレリアは彼女の頭上に燈る光に不思議そうに瞳を瞬かせながら「ありがとう」と礼を紡ぐ。
 マントが雨を吸って重くなっても替えがありますわと雪椿・ピムリコ(a48442)が声を掛ければ、行き届いた気遣いにウィーレリアは「御心遣いに、感謝を」と顔を綻ばせた。
 外見だけを見るなら、成年を迎えたばかりの、多分に少女らしさを残したひとだ。
 けれど彼女の心はとても強いのだろうとピムリコは瞳を細めた。
 己の心と戦えるのも、己の感情を御するのも――己自身でしかあり得ないのだから。
 山道へと目を遣れば、次第に雨足が強まっていくのが見て取れた。
 悪天候での登山は慣れた者でも負担が大きいから、背負子かアイネのグランスティードに乗って欲しい。ハルトがそう進言したが、案の定ウィーレリアは首を振った。
「自力で登りたいの。……我儘かしら」
「……そうだね。我儘だ」
「……ハルト」
 神の道化・メロス(a38133)に脇腹を小突かれ、ハルトは無言で肩を竦めてみせる。
 もう、と気取られぬ様に小さく息をつき、メロスは出来るだけ柔らかい声音で言葉を紡いだ。
「力を借りられる人が居るというのも自分の力じゃないかなって。貴女の事を大切に想う人が居るから、私達が此処に居る……それも貴女の力ではないでしょうか?」
 そう言って微笑めば、そんな風に考えたことはなかった、とウィーレリアは瞳を瞬かせる。
 けれど出来るところまで頑張ってみたいのと続けられ、メロスは思わず笑みを深めた。

 ――私もこうだった、かな?

 望んだ道を行きたいと願うのが我儘だと知っていて。
 けれど見つけてしまった道を行くのを諦められなくて。
 幾度も危険に身を晒し、大切なひとを心配させて、胸の中に申し訳なさを募らせて。
 でも。
 それでも。

 進みたい道が、あるから。

●天へ至る梯子
 秋は未だ訪れておらぬというのに、山道は深い琥珀や櫨染の色に艶めく落葉に覆われていた。
 頭上を覆う樹々の梢は青々と茂り幾許かの雨を遮っていたが、それでも多量の雨滴が滴るのを止めることはできない。落葉は濡れぼそり、刻一刻と滑り易くなっていく。
 山道の傍を流れる渓流が次第に勢いを増していく。
 梢を打つ雨の音が大きく響く。
「少し渓流側に道が傾いてます! 気をつけて!」
「わかりました……!」
 先行して道を確認していたヒヅキが雨や水の音に負けぬよう声を張り上げた。応えたファオはウィーレリアの様子を一瞥し、彼女が足を滑らせても抱き留められる位置を取る。
 画家が遺した絵画には、彼女へ伝えたい想いがいっぱいに篭められていた。
 きっと、描いた風景そのものにも。
 ならば必ず……彼女にその光景を見せなければ。
「クローチェさぁん、どうでしたかぁ〜!?」
「ダメだ、渓流を渡る様になってんだがちと橋がヤバい! フワリン呼んだ方がいいんじゃねェか?」
 更に先へ進んでいたクローチェが雨の中を駆け戻ってくる。
 ファナが後方へそれを伝え、踵を返した彼にはヒヅキがフワリンを連れて行くかと声を掛けたが、俺なら渓流を跳べるからとクローチェは笑って手を振った。
 頬に当たる風が、冷たい雨が心地好い。
 光を受ければただの雨滴もきらきらと輝きを放つ。
 こんな光の下にいるのが一番綺麗なのだと知っている。晴れた青空の下なら、もっと。
「……大切にしてる物を奪ってソレを補えるほど、相手を幸せにしてやれる自信は持ち合わせちゃいねェんだ」
 胸の内に誰かの面影が浮かべば、自然とそんな言葉が口を突いて出た。
 色恋沙汰とは別次元だけれど、大事な――女。
「お願いします……ここは、乗って下さい」
 召喚されたフワリンを驚きの眼差しで見る彼女に呼びかければ、ファオの声音に滲んだ緊張に気付いたのか、ウィーレリアは無言のまま小さく頷きを返す。ノソリンとは異なる様子には戸惑ったようだが、メロスが手を貸せば彼女は難なくフワリンの背に納まった。洩らされた吐息に深い疲労を感じ取り、シフィルは微かに瞳を細める。アイネもこくりと頷いた。
「この先で少し休憩を取った方が宜しゅうございますね」
「ん、アイネもそう思う」
 程なくして見えてきた崩れかけた橋の脇をフワリンで渡り、冒険者とウィーレリアは渓流を越える。
 フワリンが消える前にとファオは辺りを見渡して、大きなイタヤカエデを見出した。
 大きな葉を重ね合わせる様に茂らせるあの樹の下なら、かなり雨を防ぎ易いはずだ。
 シフィルとアイネが大きな傘を広げ、イタヤカエデの木陰に固定する。
 何枚も用意していた替えのマントの一枚を最も過ごし易そうな場所へ広げ、ピムリコはマントの上に腰を下ろす様ウィーレリアを促した。ありがとう、とへたり込むように座った彼女へドライフルーツを勧めるも「お気持ちだけ」と緩く首を振られる。何かを咀嚼する気力も無くなるほど消耗しているらしい。
 けれど、そこまでしても、見に行きたいのね。
 胸の裡でそう呟いて、ピムリコはそっと彼女から目を逸らした。
 ひとが抱く感情の中で最もずるいものは、愛情なのだと思う。
 たくさんの愛情を受け取ることはできても、同じだけのそれを返せるとは限らない。
「食べることが無理でも……どうか、水分だけは」
 ファオが水袋を手渡せば、優しく立ち上る茶の香りに緊張が解れたのか、ウィーレリアは顔を綻ばせる。ゆっくりと喉を潤した彼女にヒヅキは身体が温まるからと爽やかに柚子が香る酒を差し出して、舐めるだけならどうかとレモンドロップを掌に乗せて見せる。ウィーレリアは柚子酒に口を付け、薄荷色の薄紙に丁寧に包まれたドロップに瞳を瞬かせた。
「……何だか、大切そうな物に見えるのだけど……」
 貰ってもいいのかと此方を見上げてくる彼女に、ヒヅキは確りと微笑んでみせた。
「大丈夫、こういう時の飴なんですもの」
 頑張ったことへの、ご褒美の飴なのだ。
 ありがとう、頂きます、と安堵した様に息を付き、ウィーレリアはドロップを口へ運ぶ。
 柚子酒とレモンドロップで彼女は大分回復したようだった。
 先へ進んでいたクローチェが再び駆け戻ってきて、この先は勾配がきつくなる上に道幅が狭くなっており、フワリンもグランスティードも使えないようだと告げる。
「……今度は任せてくれるかな」
 微かに笑んでハルトが問えば、今度はウィーレリアも背負子に乗ることを承知した。

 樹々の間を抜け、少しずつ傾斜が急になっていく山道を登る。
 確りと足元を踏みしめれば、湿った落葉がざくりと音を立てた。
 梢の合間から落ちてくる雨滴の数が徐々に減っていく。
 頭上に茂る葉を打つ雨の音が――止む。
 道が途切れ、樹々が途切れ、突如として視界が開ける。

 ああ、これが。とクローチェは思った。
 これが、画家が最期に贈った――光の、祝福。

 雨上がり独特の澄んだ空気の中に光が降る。
 仰いだ空は変わらず霞色に灰や鉛の陰影を彩った重たげな雲に覆われていたけれど、その合間に透きとおる様な青が見えた。雲と雲の合間から、淡い金を帯びた光の紗が大地へ落ちる。
 幾条も射し込める光に何かが溢れ出しそうになり、ヒヅキは堪え押し留める様にして瞳を細めた。
 天と地を結ぶ光は、届かぬ彼方にいる人々へも繋がるのだろうか。
 けれど幾ら心が翔けたとて、肉の枷がある内はあの梯子を登れやしないのだ。
 漂う香りに気付いて見遣れば、お茶を差し出されていた。
 押し頂く様に水袋ごと受け取って、そっと顔へと寄せる。
 せめて――嘆き悔やむ心だけでも天へと返せれば、良いのに。
 静かにヒヅキから離れ、ファオはゆるりと視線を巡らせた。
 彼女の、ウィーレリアの想いは……昇華されるのだろうか。
 命は重く尊く、儚くて。
 何時なのかは判らなくとも、必ずその終わりは訪れる。
 終わりの時には、それまでの感謝と慕う気持ちを大切なひとへと遺したいと思う。
 画家がウィーレリアにこの風景を遺したように。
 何かを遺すことで誰かを縛ることが怖くて、けれど想いを伝えたいという願いも強くて。
 でもそれが我儘なのだと己を戒める心の枷が、光に溶けて行く様な心地がした。
 光は綺麗だけれど何だか悲しく見えると呟くファナの傍らで、シフィルは眩しげに笑みを浮かべる。
「シュナイダー様は……あの梯子を登って行かれたのでしょうか」
 言葉に導かれるように天を仰いだピムリコは、光に瞳を射られて目を瞬かせた。
 胸に抱く想いが光の梯子を昇り、天の上へと届けばいいのに。

 解いたスカーフを光に翳せば、荊に咲く蒼の薔薇が柔らかな光を孕んで煌いた。
 天と地を結び世界を祝福する光を目にすれば、当然の如くあの大いなる瞬間に見た光の柱が思い起こされた。皆で彼女を護って此処に辿りついた様に、己もまた、たくさんのひと達の想いと絆に支えられて此処にいるのだと――染み入るように、全身で感じ取る。
 ありがとう。
 言葉に出来ない程の感謝を光に乗せて。
 皆に胸を張れる私であろうとメロスは誓った。

 ああと吐息のような声を洩らしたきり、瞬きもせず光の梯子に見入っていたウィーレリアの手を取り、どうぞ献花をとシフィルがふっくりと丸い花を咲かせた麦藁菊の花束を持たせる。
「……花言葉は『永遠の記憶』でございますわ」
 この風景を永劫忘れる事の無きよう、と囁けば、ウィーレリアは花束を胸に抱いて頷いた。
 山頂から天へと向けて、花を放る。

 幾重にも重ねた花弁に光を抱いて、麦藁菊の花束は天鵞絨色に霞む眼下の森へと消えて行った。


マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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作成日:2007/09/07
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