【ゆ】天上遊戯



<オープニング>


 ランドアース大陸は広い。
 未だ知られぬ人々が村が――そして秘湯の数々が、今日も世界の何処かで冒険者達の訪れを待っている。

 山岳地帯の村・オレアレスの山頂近くには、『木犀庵』と言う名の小さな湯宿がある。年老いた夫婦が二人で切り盛りするその宿は、茅葺き屋根のひっそりとした庵の佇まいも素朴で、決して賑やかではないが家庭的な暖かい情緒があると聞く。
 山頂付近と言う立地条件から訪れる客こそ少ないが、山巓にある天然の湯殿は広々としている。湯船は金木犀と銀木犀に彩られて鮮やかに芳しく、頂から望む月夜星空もずっと身近に感じられるだろう。山の夜は冷え込むが、月灯の元に甘い花の香と色に満ちた熱めの湯船に浸かれば、直に身体も温まる。殊にこの季節は花々が一層咲き誇り、年一番の花色と芳香が楽しめる筈だ。尚、男女の隔ては檜の仕切り一枚で、言葉を交わす程度は容易い模様だ。
 そして湯宿近辺を流れる清らな小川には鮎や岩魚、桜鱒と言った川魚が数々泳いでいる。老夫・グランズは漁に、老妻・マキノは調理に其々の腕を揮い、様々な川魚料理を主菜に据えた暖かな夕餉を振舞ってくれるそうだ。

「さてその『木犀庵』で少々困った出来事が起きた様です」
 祈らない霊査士・エリソン(a90312)は抹茶羊羹を置いて語る。曰く、庵から山頂の湯殿に向かう道を彩る木犀樹の一本が変異を来し、危険な存在に変貌を遂げたのだと。
 敵たるあやかしの木犀樹は凡そ4m程の高さで、金木犀・銀木犀両方の花を咲かせているのが特徴だ。花弁は仄かな燐光を帯びて輝き、金銀二種の花嵐となって襲い掛かる。
「金花の嵐は火球を成し、前衛に立つ者複数に対して痛烈な一打を浴びせます。銀花の嵐は幾筋もの光線を成し、10m範囲の者全てに降り注ぐでしょう」
 また、敵は耐久力に優れる反面素早くはないが、一応動く事が出来るらしい。
「流石に『棒立ちの所を総攻撃』……とはいかないのね」
 ヨハナ・ユディト(a90346)は頷く霊査士から地図を受け取った。

 旅客の少ない湯宿である事が幸いして、未だ犠牲者は出ていない。だが、老夫婦が山頂を仰ぐ度に、異形の花樹が茫と輝いて蠢く様は嫌でも目に入る。美しくも凶兆に満ちた花弁が、いつかはこの庵まで降り来るのではないかと、彼らは今も不安に過ごしている。
 早く助けて上げないとね。ユディトは咥えた結紐で涅色の髪を後ろ手に結び直し、己の肩を数度撫でて立ち上がる。行きましょうと促せば、冒険者達も腰を上げた。
「それでは、変異植物の討伐を宜しくお願いします」
 仕事の後は、川魚料理と空に近い湯殿をお楽しみ頂けますから。そう言って霊査士は頭を下げた。

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参加者
自然と昼寝愛好家・ファンバス(a01913)
猪突妄進・スズ(a02822)
いつも笑っていたい・ツェリ(a41885)
エルフの武道家・チアキ(a49279)
ノソ・リン(a50852)
朱夏の牙星・アルモニア(a52408)
煌めく眼鏡は知性の証・キャニ(a53410)
武娘・リュナス(a55182)
NPC:ヨハナ・ユディト(a90346)



<リプレイ>

●木犀庵
 乾風は山河に冴え、高地を流れ渡る水も凍り始める晩秋。踏み往く山路を仰げば、青丹もやがて花の色に変わる。

「温泉旅行には良い時期になったよねぇ……」
 山間の風は昼を過ぎ尚冷たい。武娘・リュナス(a55182)は、冷えた手で『木犀庵』の門扉をきしりと開く。
「今回は魚が食べれるなぁん?」
 いつも笑っていたい・ツェリ(a41885)の黒尾が、期待にぴこぴこと揺れた。仕事の後にねと、ヨハナ・ユディト(a90346)が諭す。少女は頷き、湯宿を満喫する為にも敵は早々に倒そうと気概を見せた。二人の遣り取りに、仕事後の楽しみへと心を傾けていたリュナスも我に戻る。
(「しっかり気を引き締めて行こう、うん」)
「今回の温泉は中々渋いっぽいね」
 エルフの武道家・チアキ(a49279)が小庵を見渡して呟く。赤墨の萱葺きもひっそりとした佇まいから、老夫妻が頭を下げて姿を現した。白耳を両掌で暖めていた、煌めく眼鏡は知性の証・キャニ(a53410)も辞儀をする。初見の礼を終え、銀花小花・リン(a50852)とチアキは、周囲の樹木を傷付けぬ場所で戦いたいと老夫婦に問う。グランズが山頂の手前付近を示し、あの辺りに少しばかり見晴らしが良い平地があると説いた。朱夏の牙星・アルモニア(a52408)と、ひまわり猫・スズ(a02822)が遠眼鏡を覗く。
「其処からは少しばかり遠いが、ほれ……あすこにぼんやし光る木があろ?」
 老翁の指先を追えば、確かに敵と思しき燐光が覗えた。
「あの樹はちゃんと倒すから安心してね! 大丈夫だよ!」
 温泉の将来の為にも頑張って来るからと言う、チアキの言に老夫妻は何度も礼をする。その頭を、自然と昼寝愛好家・ファンバス(a01913)が上げさせた。山並を彩り寒空に薫る花々を見上げ、アルモニアは赤茶けた髪と同じ色の瞳を細める。
「よし、行くぞ!」
 スズが掌をぱんと鳴らした。

 庵から山道を登れば、程なく広地に至る。ユディトがアルモニアの身を覆う緩やかなローブに守護の力を注ぐと、ファンバスも護りの天使達で彼女の身を堅固に包む。
「気を付けて……頑張って」
 青年の短な言葉に無言で頷き、敵の誘引に向かう少女の後姿。
「……早よ行きたいけど、ここは我慢せな、なぁん」
 ツェリは拳をわきわきとさせ、広場からその背を見送った。

●銀の凶光
 妖樹に向かう道中には、消炭と化した数本の倒木が覗えた。アルモニアは眉根に複雑な表情を浮かべる。
 併しながら『樹木相手の挑発』なる行為は、改めて考えると案外悩ましい。
(「……難しい……」)
 木々の合間から放たれる光線を一つ躱し、アルモニアは無表情の侭指先で下瞼を軽く捲って舌を出してみる。
「……こう?」
 突如ざわりと燐光が大きく揺れた。速さは一般人よりは勝る程度――だろうか。然程のものではないが、確かに追い来る様だ。
「釣られるもの……ですね」
 我が事ながら冒険者の力は何と言うか偉大だと、彼女は感心する。兎角敵が怒りに囚われれば、背を光撃で襲われる懸念もない。アルモニアは踵を返し、広地を目指した。

 木立の彼方から、小柄な少女が走り来る。背肩を数度枝葉に切り刻まれているが、仲間達の手堅い守りもあれば大事には至らない。
 護りの天使達で全員を守護し、ファンバスは中央に立つ。戻り来たアルモニアを含む七者が、半円に広がり妖樹を取り囲んだ。疾風の如くスズが駆ける。光の弧を描く爪先に、リンとキャニが続いて間合いを詰めた。蓮花を成す二対の斧は妖幹を正面から強く打ち据え、小さくも力強い拳は二連撃となる。意を示す器官を持たぬ敵から表情は伺えぬが、やはり未だ怒りの最中にあるらしい。幾百の枝が撓り、アルモニアを包み込む様に鋭い枝先を降り注がせた。
「――っ」
 頭上を漂う羽毛の守護が消失する。身を裂く痛みに無言で耐え、アルモニアは一足飛びに後方へ退いた。傷付いた身を力強い歌で癒し奮わせれば、同じく後方で身を低く構えたチアキは、己を守る革鎧に更なる強固さを齎す。
 一撃で大打撃を与える事は適わぬかも知れないが、敵の防御を崩せば援護になるだろう。リュナスは飾り気のない鋼剣を振り上げた。
「お前おったら迷惑なんやなぁん!」
 難しい事は判らないが、それだけは確かだ。後方のユディトから注がれた鎧聖の金属鎧。その重量感じさせぬしなやかな躍動で、ツェリは飛び出でる。巨重な処刑剣と蒼白の刃が連なり、甲殻を思わせる鈍重な樹皮の塊が爆ぜて砕けた。分厚い『装甲』の下からは透明の管を成す器官が千切れて露になり、煮えた金属の質感を伴って樹液がとろり地上に流れ出す。
 爆風と共に戦場を満たす、病的に濃い花薫。夕べに向かい始める、乾いた寒風。
 銀花が舞い、螺旋を描き始めた。

●金の禍火
 敵が怒りから開放され、花嵐が吹き荒れる。銀花の前に前衛後衛の隔てはないが、傷付いた者が後衛に引けば、金花の嵐になべて巻き込まれる危険は確実に避けられた。花撃に絶えず晒されながらもファンバスは前衛に立ち続け、護りの天使達を絶やさない。
「戻れッ!」
 碧髪乱れ凶相を成すのも構わず、平時柔和な褐色の瞳に険しい色を浮かべる。撓る根に薙がれて包囲を崩す者があれば、温和な声も掠れる程に荒げ、守護し得る範囲まで呼び戻した。

 ざ、ざ。
 音を立て散り降る花弁を払う。
「綺麗な花には何とやら、って奴か」
 噎せ返る甘い禍香に、スズは鼻を擦る。天使の加護を失って後方へ下がったリンと共、煤と創に汚れた貌で蒼瞳を交す。二人焼土を蹴って凛と闘気を重ね、野獣の如く渦の如く連ね撃てば、吹き抜ける風に拘束衣の首元が鈴と鳴る。
「まだまだ頑張らないとね!」
 ツェリの腕に焼き付いた火傷を癒し、チアキは彼女の背を軽く叩く。体内の気を整え終えたキャニも、前衛へと戻る。幾度目かの守護を受けた頭上を、巨大な金花の火球が覆った。既に妖樹は主枝の多くを欠いているが、依然攻撃は緩まない。藤色の髪を頬で焦がす火の粉は、首肩の挙動のみで逸らし躱す。炎花の嵐にも負けはしまい。焦げる匂いに軽く咳込んで唾を呑み、確と足を地に着く。低く腰を落として拳を引いた。冴えた色の瞳を見開く。
「あの空まで吹っ飛べなぁ〜〜ん!」
「消えろなぁ〜〜んっ!!」
 爆砕の拳と爆裂の刃が、同時に打ち据えた。突き立つ勢いで降り来る、ささくれ立った太幹をユディトが払う。直後、頭上で爆ぜた金の火球が炎嵐と化して身を焦がした。荒れ狂う熱風に紛れ、妖かしの木犀樹は罅割れた幹で遠ざかり始める。
「させません……」
 併しその逃走は、裂帛の気合でアルモニアが防ぎ、釘付けた。金属製の鎧越しに焼かれた肌はじりじりと痛むが、リュナスは耐える。
 友に鍛えて貰ったこの剣と、皆の力。
(「後、少しだけ自分の力を信じて」)
 控え目な願いをそっと、確かな信頼の礎に寄せる。炎の中で火傷に塗れた拳をひたすら打ち突くキャニ。倒れ来る巨幹を、リュナスの刃が阻んだ。その腕をユディトが支えれば、キャニは背筋で体勢を整える。ファンバスが波打つ刃先の片刃剣を、捲れた樹皮の奥に突き立てた。
「甘く芳しいけど……危険を齎す魔性の香は、掻き消す」
「……悪いがここで散って貰うぜ」
 爆風業火の中一層に香気を増す妖花の一群を、スズの爪先が切り裂いた。アルモニアの切っ先から再び闘気が爆ぜ、リンとリュナスの奏でる癒力の歌は、寂しくも力強い調べとなる。
「皆頑張るなぁん♪」
 そこにツェリが明るい旋律を添えれば、ひりひりと焼け付いた拳にも力が宿る。キャニの涼やかな菫瞳が光を増した。痺れの束縛から逃れた敵は身をゆらり起こし、最期の銀花で螺旋の光を描くが――
「行っけぇーーっ!」
 チアキが溌剌と声を張り上げる。花嵐の中を貫き抜け、二つの爆砕拳が重なって殴り抜けた。
 乾き砕ける音、地を打つ液体質の音。
 緑青の空に、金銀の鏡にも似た樹液と花々の飛沫が散って一際に彩った。

「……お前、唯咲きたかった、だけ……?」
 花弁を一つ吸い込んで胸を小さく上下させ、アルモニアは夕映えを仰ぐ。散り逝く花は答えない。彼女は空の彼方に流れ去る彩に、さよならと囁いた。

●慈湯
 桔梗の空を背に小庵に戻り来れば、老夫婦が冒険者達の無事に胸を撫で下ろす。
「汚れものは裏に出しといてや。洗っとくけんよ」
 言葉と共に、浴衣とタオル入りの湯桶が差し出される。リンは革鎧の花煤を叩き、頭を下げて受け取った。湯殿へと向かうチアキとリンに続く、リュナスが軒先を振り返る。
「折角だし、ユディトさんも一緒に入らない?」
 少しだけ宿のお手伝いをしてから行くと答え、灰白の髪を結わえ直した女重騎士は彼女の背を促す。
「先にゆっくりしてて。すぐ行くから」
「どうせまた手伝いだと思ったなぁ〜ん」
 柱の影から、キャニが悪戯に笑む。妖樹の討伐だけで充分だと夫妻は恐縮するが、手伝いをさせて貰いたいのだとファンバスも熱心に説けば、程なく彼らも折れる。
「すまんねえ、有難うねえ」
 孫が帰って来た様だと少しばかり目尻を潤ませ、マキノは水汲みの甕をファンバスに手渡した。
「薪割りは少々骨が折れるだろうから、ちょっとだけ割っておくなぁ〜ん」
「わいも手伝うなぁん」
 ツェリもひょこりと軒先に姿を現し、二人のなぁ〜んに両側から挟まれた女重騎士は、厨の裏へ向かう。
「えっと、もし迷惑にならなければ、俺も一緒に漁に行かせて貰えないかな……?」
 スズは銛と網を腕に首を鳴らすグランズに問い、今晩は色々と世話になるから何かしか彼の手伝いをしたいと告げた。
「グランズの川魚取り、見たい。お手伝いも……邪魔? 運ぶのなら、出来る」
 アルモニアが朴訥とした口振りで不器用ながらの優しさを見せると、老夫は顎を摩る。
「ほんに、冒険者さん言うのはえらい働き者なんなぁ」
 藤黄の夕映えに跳ねる水飛沫の黄金色。小さな拍手と、吐息の様な歓声。
 小さな老婆と並ぶ、甕を負った青年の影が庵に差し掛かる。
 かつん、かつんと小気味良く、薪の割れる音。そして『薪割り完了なぁ〜ん』という声が聞こえて来た。

 薄暮の深支子に染まる湯殿に、そっくりと浸した身体を伸ばす。
「……幸せー」
 慈愛にも似た熱が四肢の端からじわりと伝わって広がり、ファンバスは口元を緩めた。
「良い香りだな……」
 焦香に似た色の前髪に絡む小さな花弁を、スズの指先が摘んで流す。湯煙を吹き流す風が冴え渡れば、山巓の空気は沁みる。深呼吸を一つ、甘やかな花香を肺に満たした。
「金木犀の香がすると、本格的な秋って感じがするよな」
 澄明な空気も心地好いと頷き、目許を緩めたファンバスは山並を眺望する。洗朱に照らされた花樹は最早禍色に滲まず――唯、黄丹と淡香に輝いていた。
「あー……もう俺、一生この侭で良いかも……」
 伸びをして口元を綻ばせたスズが、溜息を吐く。
 晩秋の空は早や夜を目指し、真赭の縁もやがて彼方。暗紅に染まり往く高天に、星灯が愈々と点り始める。

●『家路』
「お先、のびのびさせて貰ってるよ〜♪」
 艶やかな漆黒の髪は、さっぱりと洗い流し上機嫌。尖耳の先も仄か染め、チアキは湯煙の向こうの四姿にひらひらと手を振る。濡れて目深な銀髪の下から子犬の様な瞳で見上げ、リンは洗場へ向かう後姿を『お疲れ様』と小さな声で労った。
 紅鳶の髪先から雫を絞り、リュナスは洗場から湯船に向かう。掛湯をして爪先から肩へゆるり浸せば、湯波から心地好い熱が髄を突き抜けた。寒空の元分厚い鎧を纏って戦った、その後だからこそ格別だ。木犀花の甘い香が鼻先を擽り、赤い瞳を細める。知らず吐息が零れ落ちた。とうに緊張も解けたと思っていた心がほどけて広がる。
 身を清め湯船に降り、自らの肩を揉み解すユディトをツェリが背後から覗く。肩を叩こうかと首を傾げるが、彼女は柔らかに遠慮する。ぱしゃりと少女の掌が伸べられた。
「遠慮せんでええなぁ〜ん」
「良いなぁ〜ん」
 撓わな肢体はタオルで覆えど振舞いは威風堂々、ワイルドファイア魂此処にあり。大らかにくつろいでいたキャニも、すいと湯船を泳ぎ寄って手を添えた。凝りを探る指先と、やがて肩の筋を掌で包み込む温度に、女重騎士は洟を啜る。肩肘を張り背筋を伸ばし、それでもずっと、そんな風に気軽に触れて貰いたかったのかも知れないと零した。白い睫に琥珀珠の瞳を伏せ、少女は屈託のない笑みを浮かべる。
「……ユディがのんびり出来たら、それでええと思うからなぁん」
 『姉やんみたいだし』と付け足せば、擽ったそうな応えが返った。

 湯煙の中、はらはらと散る木犀花は雲にも似ている。湯の熱は身体を、仲間達の暖かな談笑は心をやさしく融かした。
「……空に浮かんでる、気分」
 アルモニアが空を仰げば、紺青の帳にはいつか月の姿が露になっていた。
「……お月様は何処で見ても同じ色」
 月輪を見上げてリンは呟く。何処の大地から見上げても同じ、その色は淡やかな黄だ。楓華では餅を搗く兎が、ワイルドファイアでは踊るノソリンが住んでいると御伽噺を聞いた。
 ――ランドアースの御伽噺では、月には何が住んでいるんだろう。
 掌上の家鴨を月の色に翳し、彼女は秘密の空想にはにかんだ。
「さて……良い気分の侭、料理を楽しみましょうか」
 うっかりのぼせ、一人湯船を漂流してしまった過去は繰り返すまい。ざばりとリュナスは立ち上がる。

 仕切りの向こうに帰路の気配を察し、ファンバスは振り返る。
「こっちもそろそろ行こうか。……」
 安らかな表情の侭、茹ったスズが漂流していた。ファンバスは一瞬狼狽するが、女湯に助けを呼ぶ訳にも行かない。暫し逡巡の末、『魚料理が待っているよ』等と呼び掛けてみる。
「……さかなー………魚っ?!」
「あ」
 目覚めた。
 活力を取り戻した青年は猫尾を楽しげに揺らし、意気揚々と着替えて帰り支度に勤しむ。

「さっかな♪ さっかっな〜♪」
「塩持って来た方が良かったかなぁ〜ん♪」
 スズの鼻歌に、ツェリが連なった。
「すっごく楽しみだな〜」
 チアキは熱った頬に掌を当てて綻び、キャニは藤のケープを羽織る。
「海の魚と違う、匂い……」
 眼下の庵から立ち上る香ばしい煙に、アルモニアは小さな声を上げる。編上靴の紐を結い上げ、リュナスは眼下の庵を見遣った。煙に混じり、微かに鼻腔を擽る馨しさは砂糖と醤油の焦げる香だ。何と誉めるべきか解らぬ様な豪華料理も楽しいが、こんな素朴で懐かしい香は、やはり心が落ち着く。
「老夫婦の肩揉みもして上げなきゃなぁ〜ん」
 キャニが指を鳴らせば、リンの脳裡には祖父母の姿が浮かぶ。
(「故郷のじっちゃとばっちゃは元気かなぁ……」)
 この坂を下れば、年老いた二人が笑顔で迎えてくれるだろう。ファンバスは瞳を伏せて微笑んだ。

 紫黒の空を照らす星々と月灯の下、白い息を吐いて山路を下る。
 小庵の窓辺に揺らめく炎を目指せば、家路にも似た軽やかな安堵が心に満ちた。


マスター:神坂晶 紹介ページ
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作成日:2007/11/19
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