星眠る水底



<オープニング>


●魂呼びの歌
 六月の雨が来る前、よく晴れた日には森の水が鳴る。
 湖底から湧き出す泡が石と化した白樺の間を潜り、どういう訳か水面に高く澄んだ音を響かせるのだ。
 長い年月を経て水晶よりも硬く透明に変質した木々は、いずれ朽ちて湖底に積もり――水底に儚く澄んだ音を響かせる。

 たとえば誰かを呼ぶ、か細い願いのような。
 たとえば誰かを想う、柔らかい祈りのような。
 硝子の竪琴に張られた銀糸を爪弾くような悲しく甘い音色がするその場所を、人々は『魂歌の泉』と呼んだ。

●再び、あの水辺に
 晴れた初夏の空を映し込む、青く澄んだ水の中には朽ちた白樺だけが眠る。
 湖を守る森は青々と葉を茂らせて深く、けれど決して暗くはない。
 水面に白く光る泡。
 湖底に煌く結晶たち。
 森の景色は凍て付いた様に静かに――けれど刻々と確実に変わり行く。
 決して濁らぬ静かの湖にも新たな風が渡る。
 少しずつ世界へと還りながら、木々は今年もまた透き通る音色を奏で始めるのだろう。儚く、か細く、けれど確かに誰かへと響く旋律を。

「――今年もそろそろ、水が鳴り始める頃かな」
 酒場で仕事を片付けていた飛藍の霊査士・リィは、窓の外に広がる晴天を見てふと呟いた。
 もうすぐ静謐に溢れたあの森に、清らかな音色が満ちる頃だ。
 今年も皆を水辺の一日に誘ってみようか。
 あそこは強張った心身を休めるにも、茫洋と物思うにも、誰かとゆっくり語らうにも良い場所だから。
 霊査士は一人小さく頷いて席を立った。


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参加者
NPC:飛藍の霊査士・リィ(a90064)



<リプレイ>

●夏陽
 初夏の陽光が命無き水に少しばかりの温もりと、夏の色を滲ませた光を落とす。
 透明すぎる水はこの世でないどこかを思わせた。イングリドは痺れるほどに冷え、濡れた手で顔を覆う。いつも笑顔でいられる強さは遠く、ならばせめて泣き顔だけは見せないと決めた。
 冷えていく頬の感覚で泣いたつもりになっておこうと目を閉じれば、手から滴った雫がぽたりと膝に落ちる。
 ウィーが穏やかに語るのは、今はもういない可愛らしい少女の話。レオンハルトはその声に耳を傾けながら、不甲斐無い自分を「立派な騎士」と励ましてくれた笑顔を思い出した。目を閉じ浮かぶ面影を思えば改めて誓いが強く刻まれる。
「まだね、ふとした時に、顔を出しそうな気がするんだ」
「……ああ。本当に」
 寂しいな、と痛みを堪えて笑う相棒の抱えたものを、少しでも背負えればと願いながらウィーは響く音に目を閉じた。
 いつか眠る場所は、こんなところだったらいい。
 泡沫の歌は昨年と変わらず凛と響き、けれど記憶に残るどの音とも違う。エスティアは目を細め、美しい景色の奏でる歌に聞き入った。透んだ音の心地良さに、うっかり意識を飛ばしそうになるのをなんとか堪える。
 か細い音を壊さぬよう、チェリートとオリエは小声で話しながら水辺を歩いていた。柔らかく澄んだこの場と音には、遠く離れても忘れえぬものがあるように思えるとオリエが囁けば、少女は繋いだ手に少しだけ力を込める。寂しくも澄んだ声は綺麗だけれど、やっぱり幸せな方がいい。
「歌が、風に溶けてるですね。風はどこにいても届くから、祈りも願いも、きっと届くのですよ」
「……チェリートの心はとっても温かいね」
 笑顔を向けるチェリートの髪を撫でて、オリエも微笑む。愛らしい友人の優しい気持ちが何より嬉しく思えた。
 陽光に青く光る広大な湖では、如何な気配も静寂へと溶け消える。アリアは音に聞き入りながら楽しかった日々を想った。悲しみを忘れたわけではないけれど、温もりに満ちた記憶をこそ多く抱いていたかった。
「……どうか見守っていてくださいね」
 彼方へ去った彼らが護ったこの世界を護っていく――その誓いを胸に、足を撫でる水に意識を傾ける。

 水面を乱す波紋が収まれば、いつもと変わらぬ「ケイカ」が映った。ただ心の在り方のみで姿を定められる種族である事が、今はなんだか酷く寂しい。
(「成長したい、なんて……ホワイトガーデンに居た頃は、思いもしなかったのですよぅ」)
 最初に会った頃、空のように朗らかな友は未成年で、海のように気侭な友は年下だった。次第に追い抜かれ引き離されて行く事への怖れも、離れて行く寂しさも人には見せられず、この湖底に沈めてしまおうとケイカは一人俯く。
 水面に移る自分の顔を覗きこんでも、見慣れた色が映るばかりだ。シグルドは首を傾げて呟いた。
「疲れているように見えたのかな……?」
 ただ少し、笑い方が分からなくなっただけ。この胸の欠落は誰が悪いわけでもない。強いて言うなら己が弱さの所為だ。澄んだ水が何かを呼ばう音を聞きながら、視界の隅に彼女の姿を追う滑稽さに吐息が漏れる。
 静かな森に満ちる清らかな音は人を落ち着かせるけれど、何処か悲しく切ない色も帯びている。水辺で一人過ごすアゲハがその音色から思い浮かべたのは、大切な銀髪のあの人の事だった。
(「今、あの人は何をしているんでしょうか……」)
 近くにいる事が出来なくても想う事は出来る。一方でそれは痛みをも伴って、アゲハの白い頬に涙が細く煌く線を引いた。
 目を閉じて響く音に耳を傾ければ、様々な過去と今が脳裏に浮かんだ。水に爪先を浸したウィルカナは特に何を言うでもなく、膝の上で寛ぐカーツェットの口元に甘いボンボンを運んだり、気侭に髪を撫でたりしている。そんな彼女の温もりを心地良く思うほどに、二つの別離への恐怖が影となってカーツェットの胸を過ぎった。
「カーツさ、また一緒に来れるべかね?」
 不意に静かな問いが落とされる。愛らしく囀っていたうずら達も暫し沈黙する中、手にした本を読む振りをして表情を隠した男は、無言で――けれど確かに頷いてみせた。

●銀漣
 予想通り、波も無い水辺に求める物は見当たらなかった。ならばとノリスは水着に着替え、湖底に潜る。
 水の冷たさを楽しみつつ、慎重に湖底の欠片を手に取る。質感からして加工に耐えられるかは非常に怪しいが、満足いく大きさの物を手に入れる事は出来た。
 凛と高く歌い上げるような泡の音と違い、水から伝わるのは湖底の木々が唄う甘やかな音だ。微かな波が頬をくすぐる感覚に目を細め、スタインは深く息を吐く。
(「魂はどこに行くのでしょうか?」)
 救えなかったもの。手にかけたもの。それは未だ生きている己を恨むだろうか、あるいは憐れむだろうか。塗り替えられた歴史、混在する現実に戸惑いは隠しきれず、纏まらぬ思考を振り払って湖底へと潜る。
 水面を見上げれば真っ直ぐに突き刺さる強い光も、水底では柔らかい。甘く囁く声を聞きながらアニエスはゆっくりと体の力を抜く。心寂しくも満たされていた日々から多くを失い、次第に裡から空虚に侵されていく身も、この清らかな水に漂っていれば融け消えてしまえるような気がした。
(「……今だけは」)
 心を空っぽにして、ただ揺蕩っていたい。
 風の作る漣が白く光る風景は昨年も目にしたものだ。ナオはレイランの手を引いて木蔭に座り、大好きな彼女に様々な話をする。好物の桃の話、冒険の話、旅団の大切な家族たちの話。
「レイと一緒にここに来られて、すっげ嬉しいっ」
 彼が心底嬉しそうに笑うから、レイランも優しく目元を緩める。
「貴方の第一歩に、思い出の場所に連れてきて下さってありがとう、ナオ」
 離れ離れの昨年を思い出せば涙が浮かびそうになるけれど、今こうして共にある喜びを打ち消すものなど何も無い。

 最初は少しずつ、次第に深く長く。エッシェは幾度かの挑戦の末、ついに結晶を拾い上げた。振り返れば差し伸べられる手に向かって、懸命に泳ぎ戻る。水中で見守っていたズイメイは、伸ばされた手をしっかり掴んで泳ぎ出した。
(「浄も不浄も包んで受け入れちまえるような……なんてのは都合が良すぎるかね」)
 命ない水が寒々しく思えぬ事の不思議を思いつつ、水から顔を出せば清い空気が胸を満たす。
「有難うね。……清々したよ」
 欠片を手にすっきりした顔で笑うエッシェにズイメイも笑い、頷く。
 呼ばれるのは誰の魂で、呼ぶのは何なのか。ラジシャンは今年も相棒と共に水面を見つめ、考える。昨年は答えを見出せなかった青銀の輝きの中に、溶かすようにして呟く。
「……ちゃんと、この世界に帰ってきたなって。そう、思うんだ」
 呼んでいるのはきっと、この世界そのもの。彼の声と共に響く音は、去年のフィードに美しさと鎮魂歌の厳かさを感じさせたけれど、今年は祝福にも似た優しさを持って届いた。
 小さな我が身さえも認め祝福してくれるような穏やかさと、今年も相棒と過ごせる事の幸福にフィードは密やかに感謝の言葉を紡ぐ。
 時は誰の上にも重なり過ぎて、等しく与え奪い行く。もがくように過ごした一年で得たものは、振り返れば途端にささやかに思えてキクノは苦笑した。
 けれど今、身を任せた水のように心は凪いでいる。去年は嗚咽に紛れていた湖の歌も、今年は耳に心地良く響く。
「またここから出発できるのは嬉しいな……」
 旅立つ前に訪れられて良かったと呟く少女の傍らで、優しく笑うように二つの歌が重なり弾けた。

●穏翠
 木蔭に足を伸ばしたセインは、丁度良くそこでのんびりしていた飛藍の霊査士・リィ(a90064)を発見し声を掛けた。
「大変ご無沙汰しております。その後、お元気でしたか?」
「うん、久し振り。セインも元気そうで良かった!」
 嬉しげに答える霊査士に笑み返しながら視線を走らせるも、幸い翠眩い景色の中に不審な影はなく、水辺を渡る風と音が心地良い。今日は存分に骨休めが出来そうだとセインは目を細める。
 湖を囲う森は相応に深く、知己とすれ違うような事態は湖の入り口以外ではあまり見られない。タケルがセレノを見かけた木陰も、そんな場所だった。
 久し振りに見た顔に声を掛ければ、男は「おや」と手にした本を閉じて軽く手を挙げた。握手を交わし、また会えて嬉しいですよと告げれば、それはとても光栄だと笑みが返される。
「あの音は素敵ですねぇ。木の過ごしてきた長い時間の記憶なのか、どうなのか……」
「ああ、中々に興味深いね。正解はどうあっても確かめられないのがまた愉しい」
 繊細な銀鈴を連ねたような音に揃って目を細めた後、では良い休日を、と挨拶を交わしてタケルは一人散策を再開した。にこやかにその背を見送るセレノを見つけ、待ち合わせていたクローディアが合流する。
 過ごし良い水辺を探しながら世間話をするうち、柔らかな空気に背を押されて懺悔めいた思いを吐露すれば男は黙って首を傾げた。
「……こんな事考えていてごめんなさい」
 彼の人と重ねて思い出した事は確かでも、代わりにとは毛頭考えていなかった。頭を下げれば「罪ではない事は、許す以前に罰しようが無いだろう」と教師めいた調子で笑みが返される。思わず赤面しつつ祝いに結晶を贈りたいと告げれば、それは君がもう少し大人になったらね、とからかい混じりに断られる。

 柔らかな下草が茂る木蔭に二人座って瞼を閉じれば、心地良い沈黙が落ちる。けれど声が聞きたくてアヅマが他愛ない問いを投げ、リュウが寝惚け声で返すやり取りを繰り返すうち、穏やかな眠気が体を覆った。
「俺は、この距離を……泣きたくなる程に……幸福だと思ってるよ」
 殆ど寝入る寸前でアヅマが呟けば、リュウも同じような調子で「じゃあ、涙は……おれが、ふかない、と」と途切れ途切れに答える。やがて静かな寝息が二つ重なって、後に続いた出来事は揺れる水面にのみ記憶される。
「コケんじゃねえぞ?」
「ジンさんが傍で支えててくれるから安心してるの」
 白く細い足に靴を履かせてジンが低く笑えば、リレィシアはくすりと笑ってそう応え、屈み込んで彼の髪を丁寧に結い上げた。無事を祈って預けあった約束の品を互いの身に返せば、改めて無事に戻れた実感に安堵の吐息が零れる。肌に触れる全てが生の幸福に満ちて、二人は寄り添って木に凭れ、リレィシアのブランケットに包まって優しいまどろみに身を浸した。
 岸辺に木漏れ日が降る様を眺めながら、ヴァンアーブルはふと自身の育った樹海を思った。似てはいないが近い空気を漂う景色が懐かしい。今は拗ねて水に潜ってしまった妻をいつか連れて行きたいと考えていると、不意に背後から何かが覆い被さってきた。
「ヴァン、寒い。スープが食べたい」
 抱きついたリアは、少しむくれた調子で夫の背に顔を埋めた。どれほど想われているかも想っているかも、まだ素直に示せない自身の幼さも充分知っている。困り顔で笑うヴァンアーブルに、これくらい我慢しろ、痛かったんだぞと返しながらも抱きつく力は緩めない。
 めまぐるしく変わる世界の中、冒険者の仕事はやはり激務だ。たとえばグリモアガードの仕事、たとえば強大な敵との戦争、挙げれば切りが無い。そんな中でようやく手に入れた憩いの時間を噛み締めつつ、プラチナは膝に寝転がってまどろむユウヤに囁く。
「……大好きじゃよ、我が君殿」
 彼女の照れた声と仕草が愛らしく、ユウヤは手を伸ばして彼女の髪に戯れるように指を絡める。頬を染める彼女を見上げ、彼も幸せそうに「俺もだ」と笑い返した。

●巡り水
(「あれから一年……か」)
 パナムは絶えぬ波紋から生まれる音を聞きながら、己の裡を覗き込んだ。自身の成長は殊に分かり難く、迷い悔やんでばかりの不甲斐なさに胸は軋むけれど、同時に意地でも俯いてはならないと理解してもいる。何時か来る再会の日、かれらに恥じる事の無いように。
 今は亡き相棒から譲り受けた愛鳥と共に水辺を見つめながら、クレスは先の戦を思い返す。
 あの日「変えたい過去」と対峙していたら、自分はどうしただろうか。もしもを考えれば果てがなく、結局はその時になれば分からないと結論付けて苦笑する。
「それに、うだうだ考えるのは柄じゃないって相棒に……お前の飼い主に笑われるよな?」
 だけど今日はあと少しだけ優しい過去を懐かしもう。小鳥の滑らかな羽を撫で、クレスは澄み渡る空を見上げる。
 空を覆う木々の天蓋は優しく強い日差しを遮り、アイノとジョルディの上に柔らかな木漏れ日だけを落とした。
 愛しい人の腕に抱きついて幸福を噛み締めていたアイノはふと、肩を抱く彼の手が震えている事に気付いて目を見張る。顔を上げれば安心させるようにジョルディは微笑み、嬉しくても涙は止まらないんだなと呟いた。
「幸せがいつまでも君と共にあらんことを……」
 死せる大神の言葉が、一抹の切なさと大きな幸福が胸を締め付けて、二人は静かに身を寄せ合う。
 エルとマルガレーテは木蔭に座り、ウイスキー片手にのんびりと湖畔の風を楽しんでいた。酒の為に少々爽やかさは落ちるが、木蔭から見渡す景色は確かに清らかで心地良い。
「初めて会った時の事思い出すな……確かこうして、で、どーしたっけ?」
 マルガレーテは確かこうした気がする、とエルの頬に手を添えて横に引っ張った。
「……冗談だ。そうでなくて、こう、だったな?」
 そしてゆっくりと吐息が重なり合う音が、密やかに木蔭に響いた。

 湖は次第に傾き始めた陽光を受けて茜色を帯び始めていた。
 去年と同じ場所でそれを眺めながら、ハーシェルは傍らの霊査士に伝え損ねた感謝を告げる。笑う事が好きだと思い出させてくれた事が嬉しかった。他にも色々な事で助けて貰った。
「ありがとです、なぁ〜ん。わたしも何か恩返ししたいですなぁ〜ん」
 握り拳で力強く、頼れる子になるよう頑張ると告げるとリィは笑って少女の髪を撫でた。
「俺はいつでも皆の事、頼りにしてるよ。……ありがとね、ハーシェル」
 水は次第に赤く深く色を変えていく。
 クレイルは暫し感傷的な気分と煌く水面を楽しんでいたが、不意に真剣な顔で隣のキオを見つめた。
「……あのさ、キオ。俺」
 囁くように零された言葉に、キオは一瞬目を見開く。そして暫し慌てた後、満面の笑みで応えた。
「あのねクレイルさ、ううん、クレイル。僕も、ずっと大好きだよ!」
 嬉しげな彼と、その後ろで輝く湖面に綺麗だなと呟いて、少女は少し照れたように笑った。
 やがて湖を渡る風は次第に冷え、光と熱が去れば魂呼ぶ歌は静かに消え行く。そして空に藍色の幕がかかる頃、眠る子に囁く母の様に、恋しい人を抱く女のように最後の歌が響いた。

 ――おやすみなさい。おかえりなさい。
 全てが消えるその日まで、わたしたちは呼び続けるから。


マスター:海月兎砂 紹介ページ
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参加者:42人
作成日:2008/06/21
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