やや子恋しと声かぎり



<オープニング>


 真円の月が宵の空に昇る。したたり落ちる血玉のような、赤く錆びたその色彩。枯れた薄紫の空に温かみはなく、ただただ黒くたなびく浮雲だけが、過ぎゆく時の流れを報せている。
 女がいた。真紅の長襦袢を羽織り、腕に赤子を抱いた女。荒れたススキの原に、それは独り佇み子守歌を口ずさんでいた。そう、独りであった。腕に抱いたものはひび割れた赤子の人形であった。
 こんな人気のない宵の原に如何したものか――、と心配し、女に声かけた心優しい旅人は、自身の心の臓が赤く長い腕に摘み取られていることに、ふと気がついた。そして、いま目の前にいる女の顔が泣き濡れていることに、抱いた赤ん坊が人形で、にも関わらず笑っていることに、気がついた。

「早急に赴き、討伐して欲しい敵がいる……誰か、手を貸してくれる?」
 冒険者の酒場の片隅、灯り乏しい卓についた霊査士は、葉巻をロウソクの火にかざしながらそう言った。霊査士の名は、暗夜の霊査士・ジナイーダ(a90388)。霊査の術で見えた光景を、冒険者に伝える役目を負った女。卓に人が集うまでの間を埋めるように、芳しい紫煙が暗がりに溶けていく。
「それは女の姿をしたモンスター。ぼろになった朱衣を羽織り、くるぶしまで届く乱れた黒髪を流した女。日が沈み月が昇る頃、それはススキに覆われた荒れ野に現れる。ただし、人目に触れるのを嫌うのか、それとも警戒心が強いのか、それは人が多ければ姿を見せることはない」
 目をつむった霊査士は、脳裏に焼きついたままの光景を瞼の裏で反芻すると、再度目を開いた。
「ススキは背が高く、敵を探すには骨が折れそう。視覚だけではなく、五感を研ぎ澄まし索敵せねば、思わぬ奇襲を受けることになりかねない。それに先にも言ったとおり、相手は多人数の相手を警戒するから、そのことも考慮しなければならないでしょう。そして……」
 霊査士は言葉を区切ると、集った冒険者たちの顔を見回した。表情に憂いはなく、楽観もない。ただ淡々と、言うべき言葉を続けた。
「それは歌う。腕に抱いた赤子をあやすように。歌声は周囲にいる者すべてを眠りへと誘い、落ちた者から手に掛けていく。裾に隠された手は鋭く長く、防ぐことは適わない……狙われれば、自身の体力以外に頼るものはないでしょう、ね」
 我が子を抱く腕にしては、あまりに過ぎた力だわ。皮肉めいた微笑を浮かべると、霊査士は指間の葉巻を口唇へと寄せた。もう、それ以上伝えるべきことはないのだろう。
「決して侮らないで。一つのミスが致命的な敗因となる。それだけの力を秘めた相手であることを、心に留めておいて。完遂を期待してる」


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参加者
聖砂の銀獅子・オーエン(a00660)
風声鶴唳・ゼアミ(a21108)
静謐なる黒焔・シエロ(a34675)
黎旦の背徳者・ディオ(a35238)
花柩・セラト(a37358)
書庫の月暈・アーズ(a42310)
湖月・レイ(a47568)
悪滅大聖エビルベイン・ショウ(a66635)


<リプレイ>


 風に揺れるススキの波間に赤い影を見る。書庫の月暈・アーズ(a42310)は抗いがたい睡魔に意識を奪われながら、女の泣き濡れた顔に悲哀を想った。けたたましく鳴った音は、はたして何の音だったか。掲げていたランタンが地に落ちたことに気づくことなく、聖砂の銀獅子・オーエン(a00660)もまた暗転する世界に身を委ねていく。
 彼が掲げていた灯りは女を呼び寄せ、そして視界を得るために踏みしめていたススキの音は、こちらの所在を明確に報せていた。その状況で先手を打つなど困難を極める。囮を買ってでた三名は敵に気づかぬまま、奇襲を受けたのだった。役目を考えれば、それは功を奏したと言えなくもない。しかし、湖月・レイ(a47568)は放った蜘蛛の糸が宙を絡めて消えたのを見て、全身が総毛立った。
「……耳障りな歌」
 呟いた言葉は血を含む。仲間を庇うべく前に出た彼女の腹は、紅色の腕に貫かれていた。

「灯りが消えた」
 寄せられていた眉根をさらに狭め、静謐なる黒焔・シエロ(a34675)が端的に仲間に告げる。奥底に眠る黒蛇の従者と黒炎を纏えば、それに呼応し潜伏していた冒険者は即座に行動に移った。
 囮役の後方に待機していた本隊、その数五名。悪滅大聖エビルベイン・ショウ(a66635)が黄金の召喚獣に鉄塊の如き身を跨らせながら、勇ましく吼える。
「子をあやす母親を騙る卑劣な奴め! 確実にブチのめしてやる!」
 ショウが剛であれば、葬翼・ゼアミ(a21108)は柔であろうか。召喚獣に同乗した彼は、胡弓の調弦をしつつ仲間に笑顔を向ける。先に行って参ります、そう穏やかに言い添えた彼の声音は常と変わらないが、淡雪色の羽毛は渦巻く危険に逆立っている。
 去りゆく二人に片手を上げ、花柩・セラト(a37358)はふと手にした弓に目を止めた。真紅に染まるそれを思えば、血にまみれているのは何も敵だけではないことを知る。ならば、この邂逅はなんたる皮肉か。薄い笑みをたたえたまま彼は後を追い、黎旦の背徳者・ディオ(a35238)がそれに続く。
 見上げれば空に赤月。ランタンの細い灯りよりなお煌々と月は照り、人間たちを見下ろしている。心惑わす月にディオは感謝した。照らしてくれ。血を血と見せぬ赤い光で、覆い尽くしてくれ。それがこの狂った夜に、なにより相応しいのだから。


 銀糸に伝う血雫は、眼前の女を裂いたものか、それともレイ自身が流したものか、すでにわからなくなっていた。流しすぎた血に目がかすみ、笑い出した膝を抑えることができない。迫る蹄の音に気づき、女は一瞬だけ気をそらした。その隙をレイは見逃さず、倒れたままの仲間の元へ下がった。
「……すまん、許せ」
 彼女がオーエンを蹴り飛ばし無理矢理叩き起こしたのと、ゼアミが召喚獣から飛び降りたのはほぼ同時のことであった。弦に弓をあて震わせば、潤んだ音色が仲間を苛む苦痛を取り除いていく。オーエンに続き、頭を振りつつアーズがよろよろと起き上がるのが見えた。
 多勢を警戒するという性質は、相当なものらしい。真紅のぼろをなびかせ女は後退ると、迫り来る冒険者に向け深淵めいた口を開く。そこへ、ぼやけていた意識を取り戻したオーエンがすかさず地を蹴り踏み込んだ。突き出された刃は、気取られることもなく真一文字に女の腹を刺し抜いた。
 しかしそこまでだった。気を沈めるには至らない。赤子がけらけらと嗤う。女がさめざめと泣く。不穏な子守歌が耳より侵入し、脳髄を包んでいく。
「そんなに人を寝かしたいなら……て、めぇ……が」
 大剣の間合いに敵を収めんと突撃してきたショウは、重厚な甲冑を鳴らしながら勢いよく地に突っ伏す。等しく、オーエンとレイも手折られたかのように眠りへと落ちていった。
 射程へと到達したセラトが手に掴んだ矢は、狙い外すことなき追の矢だ。本来なら頭を垂れつつも視界を阻む忌々しいススキを焼き尽くしたいところだが、仲間を巻き込みかねない手法は使えない。
 放たれた一矢は女の胸に真紅の花を咲かせ、そしてそのわずか上、憐れみを覚えるほどか細い白い喉笛に、次の瞬間には獰猛な獣の牙が突き立てられていた。まどろみより帰ってきたアーズが使役した銀狼は、愛らしいひよこの栞が頁の狭間に隠れるのを合図に、女を荒れ野に引き倒した。
 絶好の機会、しかし楽観できる状況とは言いがたい。胸の奥より湧き上がる黒い愉悦を抑えながら、ディオは仲間を守るべく純白の天使を降臨せしめる。つかず離れず浮遊するそれはなんとも頼りないが、いかなる守りも意味を成さない凶手には心強い装甲となるだろう。
 遅れて駆けつけたシエロが手中に抱くは魔獣の焔。手を覆う銀の蛇に黒き蛇が青藍の息吹を添え、焔は夜を焼き災禍をもたらす。そのままゼアミの傍らを抜けると、彼の前へと身を滑らせた。
 女は動けない。はだけた胸元に子を抱き、はらはらと涙をこぼす。後の憂いを断つために、半包囲の円陣を組みたいところだが、前に立つはずのショウとオーエンは昏倒したままでそれは叶わない。
 射線を確保すべくセラトが草の間を縫っていく。触れ合う耳飾の立てる澄んだ音色が、今宵はやけに耳につく気がした。彼は女の死角を捉え、棘持つ矢を射た。溢れ出す血は矢が消えると同時に、流れを止める。
 ふと首を上げた女の顔はこぼれ落ちる長髪に隠れて見えないが、瞳は深い絶望と怒りを孕んでいた。襦袢の袖より振るわれた腕は目に止まらず、全てを貫く。眠りに落ちていたままのショウの背と腹に、大きな穴が穿たれた。
 彼の尋常ならざる出血に、アーズは血の気が引いていくのを感じた。砲撃を担当する手筈であったが、仲間の負傷はひどく、彼女は後方へ下がりながら書を手繰り、門外である療術をほどこしていく。これで、あと一度の攻撃くらいは凌げるはずだ。シエロは礼を告げる代わりに目礼すると、ゆらりと両の腕を前に突き出す。月灯りに落とされた腕の影が意志を持ったかのように地を這い、女が懐に隠した凶手同様、防御あたわぬ一撃を加える。
「生憎、その手は君の専売特許じゃない」
 辺りに響いた悲痛な声のためか、レイは失っていた意識を自ら取り戻した。女が髪を振り乱し泣いているのを見止めると、彼女は現状を把握するより先に、握りしめた手の内に蜘蛛の糸を生む。月灯りにも光を照らさないそれは、とうとう女の自由を奪うことに成功した。
 いま、眠りに落ちている者はいない。決して優勢ではないが、ゼアミは胸を撫で下ろした。女からやや距離を取ったまま、彼は絶対の信頼を寄せる仲間を支えるために、凱歌を高々と奏であげる。
 かろうじて動けるだけの力を残していたショウが、大剣を振り上げ、無造作にして豪快な一刀を見舞った。悪を断ずる刃は女の肩口を爆砕せしめ、彼の甲冑に血の飛沫を残す。
 宵に散る、薔薇よりなお深けき真紅に、ディオは知らず知らずに口元を歪めていた。女が夢へと誘う歌い手ならば、自身は死を告げる天使であろうか……そんな夢想に想い馳せながら、ディオはそっと蔦薔薇へ口づけた。そして身を剥ぐ影が、夜を走った。


「貴様のような存在は俺達にやられたほうが幸せだ」
 真っ赤な血にまみれ、人であれば到底生きてなどいられない怪我を負い、それでもなお女は抗い続ける。他者を傷つけることしかできぬ化生であれば、死したほうがよほどの幸せだろう。オーエンの呟きが風に乗り女の耳に届くより、彼が無造作に払った黒閃が腕を裂くほうが早かった。
 泣き顔に変わりはないが、動きの精彩さはわずかに落ちた気がした。が、決して状況は芳しくはない。月は昇り、地を這う者を嘲笑いながら、とろけた光で荒れ野を照らす。敵の力を警戒しすぎて、一同はいささか及び腰になっていた。回復の要たるゼアミは前に立つ者をカバーできず、本来攻撃を担う者が回復を担う場面が多々あった。
 セラトは乾いた口唇を舌で湿すと、気味の悪い色に染まった夜空に向けて矢を射る。天より下される裁きの如く、それは女の影を追い、頚椎を射抜いた。響く悲鳴は良くも悪くも聞き慣れたものだが、胸に溜まる陰鬱な気持ちは晴れることもない。耳を塞ぎたくなるが、みなそれを必死で堪える。
 戦闘は長びき、膠着状態にあった。眠りに落ちれば攻められず、目を覚ませたとしても仲間を庇い、治癒に手を回さなければならない。そして、用意した治療術の量も決して多くは無かった。女も手負いではあるが、いつ果てるともしれない体力を削っていくのは、心身ともに負担が大きい。すでに力尽きていたショウに続き、敵の攻撃を一身に受けていたレイが、とうとう地に膝をついた。
「は……ぁっ」
 蘇芳の首巻がひるがえり、次いでススキの上に彼女は伏した。吐き出した血塊が喉に絡み、彼女はたまらずむせぶ。一枚一枚皮をめくるように、剥がれ落ちていく剣士たち。
 これ以上は独り後ろに留まることはできぬと判じ、ゼアミは意を決し前に歩を進めた。アーズに目配せをし意志を伝えると、彼は感情を胸の内に沈めながら、弓をひく。もうこれ以上、誰一人として傷つく姿を見たくはなかった。意志は音色に変わり、戦場を洗っていく。
 彼の意を察し、アーズは魔道書を手繰った。栞の挟まれた頁を飛ばし、目当ての断章を指でなぞれば、巨大な紋章陣が彼女の眼前に浮かび上がった。それは空に浮く月をも焦がす灼熱の業火。もはや敵の動きを止める段階ではなく、どちらの命が先に果てるかという段階に差し掛かっているのだ。
 大地を舐める炎熱に巻かれ、女は喉も裂けんばかりの慟哭をあげる。母の悲鳴に合わせ、赤子が笑う。耳障りな合唱を止めたのは、ディオがかざした虚無を象る黒き腕。鎌を振るい死神が死者の命を刈るのと同様、彼女の振るった腕は赤子の喉をえぐり、女の半顔を砕いた。
 揺らめく身体を不器用に動かし、女は背を向けた。すでに赤子は笑ってはいない。オーエンが咄嗟に後を追おうとしたが、足は動かず手にも力が入らなかった。意識こそあるが、レイ同様一身に攻撃を受けていた彼に戦い抜くだけの体力は残されていなかったのだ。それはショウも同じことだった。
 闇夜に紛れ急速におぼろげになっていく女の背を、セラトの夜目だけが捉えていた。構えた弓は紅、宵に梳ける髪は赤、つがえた矢は緋……着弾した矢は爆音を轟かせ、姿を隠していたススキごと女の体躯を吹き飛ばす。
 ぼろ同然になった女は、地を這いずりながらも逃れんとする。動かなくなった赤子を、あばらの浮いた胸に押しつけて庇いながら、女は歌った。もう誰も、子守歌を望んでなどいないというのに。
「……夜は長いよ」
 シエロの眉間に刻まれた皺は深く、きつい。人の生死を見慣れてきた彼にとって、この光景は何ら思うことなどなかったはずなのに、それでも何か言葉を手向けずにいられなかったのは、なぜなのか。彼は女の心の臓が黒く長い腕で摘み取られていることに、ふと気がついた。そして、いま目の前にいる女の顔が泣き濡れていることに、その腕が自身の影の手だということに、気がついた。


 女の死骸は、冒険者たちが集ったころには掻き消えていた。逢魔ヶ刻が見せた幻ではないことを、焼け焦げたススキの上に落ちていた長襦袢が教えていた。
「モンスターにでも母性はあるのか……?」
 地面に寝転んだまま、レイは月を見つめ誰に言うでもなく問うた。あって欲しい。あって欲しくない。最期のあの哀れな姿を見たあとでは、考えても判らない問いであったことが、何より幸いだった。彼女が傍に座り込んだオーエンに目をやると、彼は気だるげに片手をあげ、さっきの問いだがな……、と剣を鞘に収めながら口を開いた。
「怪物が子供を愛することができたら、人など殺めるわけがない……そう思わないか」
「そう……かもしれません。ですが、その逆もありえましょう」
 傷の深い者を手当てしていたゼアミが、手を止め呟いた。狂おしいほど我が子を愛するがゆえ、他者に手をかけることもあるだろう、と。しかし仇なす存在であれば冒険者は討たねばならず、どうしようもない因業に、彼はただ溜息をつく。それまで黙していたアーズは小さな声で、しかし確りとした声音で心情を吐露した。それはこの場にいる者全ての総意でもあった。
「どんなことがあっても……他の人の命を奪って良いという道理はないわ」
 憐れむことが生き残った者の傲慢であれば、何かを手向けることもセラトには憚られた。俺は子守歌が必要な歳でもないんだ、と冗談めかして口元を緩めれば、残された長襦袢にただ一言、オヤスミと声を掛ける。
 ディオがそれに続いた。戦のときに感じた高揚は、夜気と共に冷え切っていた。なめらかな天鵞絨めいた銀の尾に指を絡ませながら、彼女はただ月を見上げる。冥福など、祈ってやらない。ただ、深き眠りだけを彼女は祈ってやる。夢の中にこそ、母子の望んだものがあったような気がしたから。
 月は真円。色は変わりなく赤錆ていて、見ているだけで舌に鉄の味を思わせる。明日の夜もきっと、変わらぬ月がススキの海を見下ろすのだろう。


マスター:扇谷きいち 紹介ページ
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参加者:8人
作成日:2008/06/15
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重傷者:聖砂の銀獅子・オーエン(a00660)  湖月・レイ(a47568)  悪滅大聖エビルベイン・ショウ(a66635) 
死亡者:なし
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