逃げ水たゆたう藍更紗



<オープニング>


 夏はまだ先だというのに、照りつける日差しに大地は目が痛くなるほど輝いていた。乾いた砂は黄金よりなお深く濃い黄色に染まり、幾重もの地層を晒した断崖は、朽ちる間際の薔薇の如く赤く、そして暗い。強烈な色彩の荒野には水も木も見あたらず、ゆえに生き物の影も皆無であった。
 否――、生き物はいた。水も、あった。しかしそれは偽りの生命であり、幻の水であった。不毛な山野を往く隊商が見たのは、陽炎を泳ぐ見目鮮やかな大きな青い金魚。押し迫る断崖絶壁の狭間を、まるでそこが水の底であるかのように、それは長尾鰭を優雅に揺らし、泳いでいた。

「なぜそのような姿になったかはわからないけれど、それは人と同程度の大きさの金魚の姿をしているモンスター。可笑しな話……と笑い飛ばせればいいけれど、残念ながら甘い相手ではないみたい」
 燻った種実を思わす芳ばしい香りが、女の紅色の言葉に絡んで薄闇に溶けていく。女の名は、暗夜の霊査士・ジナイーダ(a90388)。霊査の術で見えた光景を、冒険者に伝える役目を負った女。
「岩の隙間に隠れる金魚のように、谷底を気ままに泳いでいる。崖と崖の幅は狭く、広いところでも五メートルちょっとかしら。谷底を伝っていけば遭遇することは簡単でしょうけれど、場所によっては前に立てる人数が著しく制限される恐れがあるわ」
 長距離まで届く攻撃の術を敵は持っており、被害者が出なかったことは奇跡だった、と女は言い添えた。金魚は水を生み、おびただしい出血をもたらす矢を射る。さらには、自身を癒す力まで用いるという。前者は矢とあって、だいぶ離れたところに立つ者すら射抜く力を秘めているようだ。
「それって……飛んでいるの? 上から狙い撃ちとかされたりしない?」
 小柄な身体には不釣合いな大弓を抱えた少女――猟兵・ニノ(a90390)が、疑問を口にした。不安げに弓の表面に指を這わせているさまを見るに、この依頼に加わるつもりらしい。
「平気よ。飛んでいるようだけど、正確に言えば『浮いている』状態ね。一、二メートル程度しか浮けないようだから、頭上を取られる心配はない。もっとも、そのせいで相手の後ろをとったり、包囲することも難しいのだけれど……そこは、皆の作戦次第ね」
 完遂を期待してる……女はそう締めくくると、指に挟んだ葉巻を再び口唇へと運んだ。


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参加者
氷月廻・コーリア(a00497)
泰秋・ポーラリス(a11761)
鈴花雪・ソア(a32648)
白き金剛石のヒト・ミヤクサ(a33619)
落陽を纏う朱剣・レイラン(a34780)
暁の音律・オルガ(a41868)
花酔い・ラシェット(a53996)
賢鷲侯・セラシオン(a62546)
NPC:猟兵・ニノ(a90390)



<リプレイ>


 限りなく深く、限りなく透いた空は、純然たる藍一色に染め抜かれ、それは青と称するのがはばかられるほど、濃密な色をたたえていた。反面、地に目をやれば、清涼さを微塵も感じさせぬ荒れ果てた大地は橙黄と赤に覆われ、それはさながら灼けた沙の海原のようであった。
「水さえあればこの谷もいろんな生き物が住めるようになるのでしょうね」
 断崖絶壁の狭間を縫う風が、びょうびょうと唸り声に似た音を立て、鈴花雪・ソア(a32648)の長髪を宙へと流す。狭い谷底から遥かな高みを見やれば、そこにあるのは曲がりくねった細い空。乾いた大地からしてみれば皮肉なことに、空は溢れんばかりの水の筋に見えた。
「ええ……もしかしたら、そのような地を護るために生きていた方だったのかもしれません」
 かつてはこの谷底にも水が流れていた時代があったのだろう。規則正しい縞模様が刻まれた断崖を指でなぞりながら、芽吹き咲かせる・ミヤクサ(a33619)は昔日に思いを馳せる。だが彼女の思考は、黒白月・コーリア(a00497)の自嘲気味な言葉と共に中断させられた。
「でも、それもかつてのこと。生と誇りを忘れた者は……現世に在ってはいけないのでしょう」
 半ば諦念めいた色を持つ微笑みは優しく、細められた紫苑の瞳は柔らかい。視線だけを彼女にむけ、なればこそ、と冬鐙・ポーラリス(a11761)が静かに同意する。
「なればこそ、民の脅威となり得る前に、打ち砕かねばならないな」
 バンテージが巻かれた両の拳を握りこむと、彼は照りつける陽光をその手で遮った。谷底は複雑な曲線を描きながらどこまでも続いていく。岩に身を隠しながら、仮初の帳・ラシェット(a53996)は死角になった行く手を慎重に窺うと、意味ありげに口元へ手をあてがった。
「滑稽ね」
 揺らめく陽炎の中を、青い金魚が我が物顔で泳いでいる。その奇異な光景を、彼女はせせら笑った。彼女に立ち代り覗いてみた猟兵・ニノ(a90390)は、息を殺しその姿に見入っていたが、しばらくして感嘆の吐息を漏らした。
「まあ、一見涼やかで潤い溢れてますけど、陽炎というのは案外目にも暑いものですよ?」
 陽炎は幻にすぎず、潤すものなど何ひとつありはしないのだ。顔を赤らめたニノの肩に手をおきながら、落陽を纏う朱剣・レイラン(a34780)は守護聖霊の加護を祈る。
「言い得て妙ではあるな。しょせんは偽りの水、か」
 戦を前にし、互いの立位置を定めていく冒険者たち。言葉短く呟いた賢鷲侯・セラシオン(a62546)もまた、愛用の槍斧を手に馴染ませて開戦に備える。
「何れ誰かを傷つけるなら、放っておくわけにはいかないね」
 暁の音律・オルガ(a41868)が吐き出した呼気とともに放った言葉は、紛れもない真意にして、曲げられない信念だ。それを貫き通すべく、彼女は静かに弦に指をかけた。


 赤の矢と水の矢が、断崖の狭間に飛び交う。激情を引き起こす一矢は砂煙と共に霧散し、水で練られた一矢は射手を庇ったレイランの肩をえぐった。彼女は激痛に眉をひそめるが、懸念していた出血はすぐに収まる。藍更紗と称された敵は、怒気をもたらされなかったらしく、いまだ平然としている。
 まだ、一合だ。まだいける。冒険者たちは守りを固め、受けた怪我を癒しながら、二の矢、三の矢と交わされる射戦をじっと堪えながら見守った。しかし……。
「ダメだ」
 下唇を噛みながら、オルガは矢が尽きたことを仲間に報せた。彼女の狙いは外れてはいないのだが、狩人と同等の能力をもつ敵は、同じく弓手の攻撃の防ぎ方を本能的に心得ているらしく、命中せねば功を奏さない一矢を、ことごとくかわしてみせたのだった。
「致し方あるまい、直接乗り込んで討とう」
 敵を怒らせ、適した戦地へ誘導する作戦は破綻したが、まだ撤退する局面でもない。セラシオンが事もなげに言えば、一同は気を取り直し頷く。そして前に立つ者が壁となり、足に絡む砂を蹴りながら駆け出した。距離は遠く、どれだけ急いでも一手は敵に譲ることになる。放たれた水弾の狙いは正確で、太ももを貫かれたラシェットはたまらず前につんのめり、舌打ちをした。
 ミヤクサが岩陰にラシェットを引っ張り込み、怪我の具合を診ると、矢はすでに水に戻り消え失せていた。傷口からは止めどなく血が溢れ、乾いた大地に染みを作っていく。だがミヤクサが傷口に手をかざし祈りを捧ぐと、聖女の慈愛に満ちる口づけがもたらされ、瞬く間にその傷口を払拭した。
 感謝の言葉に混じり、離れところから怒号が響いた。敵へと喰らいついたポーラリスが、裂帛の気合と共に鉄をも砕く蹴撃を見舞ったのだ。彼女らが岩陰から顔を出すと、驚くほど高い位置から振り下ろされた蹴りが金魚の体躯を打ち、剥げた鱗が宙に舞っているのが見えた。
 戦場は狭い。三名以上が前に立つことを冒険者たちは想定していたが、岩がちなそこは二名立つのがやっとであった。ソアは軽やかに跳躍すると岩壁を蹴り、なだらかな流線をもつ弧刃を空中より突き下ろした。刃は真っ直ぐに鱗を穿ち、敵の背を深々とえぐる。
「伏せて!」
 前衛に達していた二人の武道家は、その声にすかさず身をひるがえらせた。直後、目も眩む雷光が谷底を裂き、空を泳ぐ金魚を焼き焦がした。差し向けた剣を構えなおすと、レイランは柔和にして冷酷な微笑を浮かべて見せる。
 攻勢に転じたものの、それまでに受けた被害も軽くはない。砂地には、多量の血痕が残されている。元より初手は仲間の援護にあたる心算だったコーリアは、今は攻より守と判じ、肩に沿い流れる雪髪をなびかせ、力強い歌唱を響かせた。
 傷ついた身体が完治したことを知ると、ラシェットは花弁を思わす流麗な曲刀を切り上げ、先の返礼とばかりに疾風の刃を金魚に見舞った。谷底を這う風刃は目につかぬはずだが、金魚はその技を見破ったのか、身を返し真空波を逸らしてしまう。
 灰緑の獣を駈り、セラシオンは獲物を狙う一羽の鷲となって戦場を駆ける。手にした槍に宿るのは、慈悲であり罪業だ。この戦が哀れな敵の弔いになるのであれば、彼にとってそれ以上望むことも憂いることもない。狙い済ました一撃で以って、彼は雷光に彩られた残酷な挨拶を交わす。
 苛烈な冒険者たちの攻撃を前にしては、いかにモンスターといえど無事ではすまない。鱗は剥げ、肉は露出し、長尾鰭もぼろのようだ。だが空を舞う薄絹の鰭を流し、金魚は大量の水を周囲に生み出していく。先までとは明らかに違うその様相に、オルガが叫んだ。
「止めるよ、ニノ!」
 残響が岩に吸い込まれるより先に、二人の牙狩人は棘生やす矢を射た。矢は風切り空を裂くが、金魚の横腹に突き立つより早く、生み出された水に敵の怪我は洗われてしまう。新たに矢傷を負わせたものの、金魚がぶるりと身体を震わせると、喰らいついていた矢は脆くも抜け落ちてしまった。


 いかに怪我を負わせども、金魚の無機質な碧玉の瞳はなんの感情も見せようとはしない。彼我が決して相容れる存在ではないことを、その瞳が教えていた。ポーラリスの外套がひるがえり、軸足が砂岩をえぐる。恐るべき蹴撃が二度唸り、硬質な鱗を砕き、肉を叩き潰した。こぼれ落ちる血は赤でも青でもなく、透明。匂いすら持たぬ空虚な内面に、彼はわずかに顔をしかめた。
 敵の操る力はなるほど、厄介なものではある。だが、冒険者たちはどんな状況であっても敵を倒すだけの手だてを用意していた。射抜かれた傷口から溢れる血を止められず、コーリアの白磁の肌が冷めていくが、ミヤクサはすぐにそのさまを見止め、病治める清涼な風を呼び起こした。咲き誇る花の如き赤玉が柔らかな軌跡を描き、それが円を成すころには、流れる血ははたと止まっていた。
 礼も手短に、コーリアは前線へと参じた。自身の身体より、敵の矢面に立ち続けている仲間が気に掛かる。紫電帯び始めた夜色の刃をかざしつつ、彼女は敵を食い止めていたソアの名を叫んだ。
 咄嗟にソアが飛び退り、開かれた空間へコーリアが突撃をする。繰出された閃光に照らされ、青い影が断崖に落ちた。それが苦悶の表情なのか、口を忙しなく動かす金魚に向けて、ソアも間髪いれず海獣の銘を冠する黒刃を投擲した。狙いの鰭を断つには至らないが、刃は浅からぬ怪我を負わすことに成功する。
 叶わぬ夢か妄執か、纏った陽炎も水もただの幻であることを知らしめるために、レイランもまた地を蹴り白刃閃かす。形良い柳眉をかすかに上げ、揺らぐことのない信念を宿した剣を払えば、剣気は大気をも震わす稲妻となり、たゆたう金魚の身を深く貫いた。
 骨をも焦がす一撃に、病的に痙攣をしていた金魚の瞳が、ぎょろりと辺りをねめつけた。視線すら悟らせぬ無味の魚眼が見据えたのは、彼方で弓を構えた者たち。生み出された水滴が矢となり、殺意は今まさに矢を放とうとしていたニノへと突き立った。
 後方であがった悲鳴を聞き流し、ラシェットは身を低く保ったまま走る。僅かな手合わせのうちに、自身の剣技が通りづらいことを察した彼女は、一計を講じていた。敵に肉薄した彼女が、あえて大振りな連撃を見舞うと、金魚は器用に身をくねらせその手をかわしていく。だが……。
「気づいた? でも、もう――手遅れ」
 切っ先に誘導された金魚は、岩の窪みに追いやられ身動きが取れない。それは彼女が張った罠だった。意を解したセラシオンは、その隙を見逃さなかった。素早く間合いをとった彼女とすれ違いざまに微笑を交し合うと、彼は突撃の威もそのままに、構えた槍斧を突きたてた。黒玉に青雷の光が照り、生じた雷は金魚の肉体を爆ぜさせる。
 骨も臓腑も露出した身体は、もう癒しきることはできないだろう。芯まで青に染まった奇妙な生命をオルガは冷ややかに見つめる。少しだけ可愛い、とも思っていた。しかし彼女は何ひとつとして躊躇することはない。露な金魚の背骨にも似た棘の矢が、敵の体内を穿ち、かき回す。こぼれ落ちるあまりにも大量の体液に、不治の効は得られなかったかと彼女は一瞬口元をきつく締めるが、その水は紛れもなく敵が体内に孕んでいた血、そのものであった。
 金魚は狂ったように暴れ回ると、反撃に出るかと思いきや、谷底の彼方へ逃げだした。飛び散る体液が大地に吸い込まれ、染みが広がっていく。手狭のあまり召喚獣に跨ることができないが、ソアの健脚は敵を逃がすことはない。その小柄な身体のどこにそんな力が秘められているのか、彼は自身の倍以上はあろうかという敵を軽々掴みあげると、せり出した岩盤に容赦なく叩きつけた。
「もう、逃がしません」
 水をも断つ、冴え渡る一刀が走る。水面を切る舳先のように刃が滑り、コーリアの抱く色彩同様、白く霞む雷が内より金魚を焼き焦がす。振り抜いた刀身に纏わりついた体液は沸騰し、こぼれ落ちることなく空へと溶けていく。
 なびく尾鰭はそれでも美しく、幻想的な光景にポーラリスは一抹の寂しさを覚えた。さりとて、放たれた拳を止めるすべもなく、止める理由も彼は持ち合わせていない。二指の手だては、死の淵にあってもなお無表情でいる金魚の額を貫いた。捻られた指は瑠璃の頭蓋を砕き、そして歪んだ生命をも砕く。横這いに崩れ落ちた金魚の瞳はただ虚ろに空を見上げ、濃密なまでの藍をその瞳に映したまま、静かに息絶えた。


 きめ細やかな黄砂が艶やかに舞う。降り注ぐ砂塵に埋もれ、やがて金魚はこの地に還るのだろう。髪に絡む砂を手櫛で梳きながら、セラシオンはゆっくりと目を閉じた。
「ここが清らかな山河であったなら、どれだけ自由であったろうな」
「仕方ないよ。アイツがいるべき場所は、ここではなかったのだもの。でも……」
 清冽な水辺を思わす蒼穹に、死した魂が泳ぐさまを思って、オルガはかすかに頬を緩める。庇ってくれてありがとう、と言葉を継いだ彼女に片手を上げて応えたレイランは、岩の上に腰を下ろすと、何気なく足元の砂を掬っては、風に流されるままにこぼしていく。
「潤いをもたらしたかったのでしょうか、あの命は」
「そうかもしれません。それができたなら、どんなに良かったでしょう……」
 きらきらと輝く砂を目で追いながら、ソアもまた、幻の水を纏っていた金魚のことを思い返していた。もしこの地に水が溢れていたら。そんな儚い夢に、ミヤクサも心を傾けずにはいられなかった。
「少しだけ、寂しいね……なんだか」
 癒えた傷痕に手を添えつつ、ニノが先まで敵が倒れていた場所を見て呟くと、コーリアは目を伏せ、ややためらいがちに口を開いた。
「……土踏むことも忘れたなら、全てを還し、全てを忘れるしかないのだと思います」
 たとえ力尽くでも、それを与えるのが冒険者の宿命で、剣を取る者の生きる意味なのだ。敵対するものに情をかけるなど、驕りでしかない。
「せめて、次の生が平穏であることを祈るばかりだな……」
 見るものの心を癒す存在に生まれ変われたとしたら、あの敵も浮かばれよう。ポーラリスの言葉は風に流され、空へと消えた。彼の腕を濡らしていた水はすでに乾いており、ラシェットの足元に先まで残されていた水溜りもまた、とうに消え失せていた。
「元は冒険者だった者、か……」
 もし自分がそうなった時、どんな姿を取るのかしら。彼女のこぼした囁きは、風の唸り声にさらわれて誰の耳にも届かない。唇がかたどった淡い微笑みだけが、彼女の心根を表す唯一のものであった。
 砂は荒野を覆い、全てを覆い尽くしていく。清流が全てを流し、持ち去るように、やがて全ては砂の下に埋もれるのだろう。今日の出来事も、人の想いも、残された命の残骸も――全て。


マスター:扇谷きいち 紹介ページ
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参加者:8人
作成日:2008/06/20
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