【フリーベル・ハウスの秘密】秋月夜の過ごし方



<オープニング>


●フリーベル・ハウスの秘密
 深い濃藍の陶器で作られたかのような、滑らかで艶やかな秋の夜空に月が昇る。
 熟れた杏から滴る雫を一粒溶かしたみたいな、何処か甘やかな黄金色の月。
 儚く透きとおる金の月光に照らされて、緩やかな起伏が連なる丘陵地は静かな静かな眠りに沈む。
 ひときわ大きな丘の上には少しばかり古めかしい館が建っていた。
 月光に艶めく薔薇色は広大な館の敷地を囲むラズベリーの垣根に実る果実たち。正面に厳めしい門はなく、代わりに優美なアーチを成す薔薇はアプリコットオレンジの花を咲かせ、月夜の丘にひときわ深い香りを漂わせている。館へと続くアプローチには可愛らしい鳥の形に刈り込まれたトピアリーが並び、季節の花々で溢れる庭を見遣れば、硝子の石で造られた川のほとりに遅咲きの月見草が咲き乱れている様が見えた。
 再び正面に視線を戻せば、そこには明るいクリーム色の石で造られた大きな館。
 余暇を心から寛ぎ楽しみながら過ごせるホテルとして開業する日を待つ、フリーベル・ハウスが秋の月明かりと暖かみを帯びた終夜灯にほんのり照り映えている。
 遠く丘の麓から聴こえてくる狼の遠吠えが――穏やかなこの風景には酷く不釣合いだった。

「近頃……フリーベル・ハウス周辺の丘陵地を、大きな狼が徘徊するようになったのだとか」
 藍深き霊査士・テフィン(a90155)は木のカップに満たした柿ミルクをかき混ぜながら冒険者たちに語り始めた。無論ただの狼ではなく、自然の理から外れた能力を得てしまった狼だ。
「枯草色の体毛と大理石のような牙を持つこの狼、激しい出血を齎す砂礫を広範囲に巻き上げる能力と、噛みついた相手の体を大理石のように固めてしまう能力を持っていますの。常に丘陵地にいるわけではないようですけれど……」
「何時現れるか判らない、っていうなら『何時でもいる』のとあんまり変わんないですもんね」
 勧められた柿ミルクのカップを両手でしっかり抱えたハニーハンター・ボギー(a90182)が神妙な顔つきで頷いた。フリーベル・ハウスで館の手入れに勤しんでいるフリーベル夫人や、付近の丘で羊を放牧している住民たちはさぞ不安な日々を過ごしていることだろう。
「と言う訳で……今回の依頼は、狼退治。数日後の夜、フリーベル・ハウスが建つ丘の麓に狼が現れる様が『視え』ましたので……皆様には、そこで狼を退治して頂くよう、お願い致しますの」
 夜空に月は出ているが、昼間と同じようには行かない。
 適切な明かりを用意しなければ此方が不利になるだろうと霊査士は告げる。
 そして――
「狼退治ついでに、フリーベル夫人に最後の『秘密』の鍵を届けて差し上げて下さいまし」
 瞳を細めた霊査士がそう付け加えれば、ボギーがぱたりと尾を揺らした。

●秋月夜の過ごし方
「事の起こりは、談話室のハープシコードの調律を頼んだことだったのですって」
 淡く甘やかな柿色に染まったミルクを飲みつつ、霊査士は話の続きを語る。
 フリーベル・ハウスの談話室に置かれていた大型鍵盤楽器。流麗な小花模様が描かれた美しい化粧張りのハープシコードの調律を夫人が職人に依頼したところ、調律に訪れ実際にハープシコードを見た職人が「このハープシコードの蓋は後から取り替えられた物で、本来の蓋ではないようだ」と言い出したらしい。
 美しい小花模様が咲くハープシコードの蓋を開けばその裏にも小花模様が描かれていたが、職人が言うには「中の様子からすると、本来の蓋の裏には模様ではなく絵画が描かれていたはず」なのだとか。彼の言うことを信じて夫人が館を探し回ったところ――
「代々の館の主の肖像画を飾った『肖像画の間』に、フリーベル・ハウスを含めた丘陵地全体を壁一面に描いた巨大な風景画があるのですけれど……その一部にハープシコードの蓋が嵌め込まれていたのですって」
「蓋の裏には風景画が描かれていて、それが丘陵地の絵の一部になってたわけですねっ?」
 ぱたぱたと尾を揺らしながらボギーが言えば、そのとおりですのと霊査士が微笑んだ。
「で、風景画からハープシコードの蓋を取り外してみれば……やっぱり隠し扉が出てきたのだとか」
 談話室の暖炉に厨房へ繋がる隠し通路があったり、応接間に飾られた葡萄畑の絵画の裏に秘密のワインバーへ続く隠し扉があったりと、フリーベル・ハウスにはあちこちに秘密の仕掛けが隠されている。ここにもそのひとつがあったと言う訳だ。
 隠し扉に付けられた小さな小さな鍵穴に合う鍵に心当たりはなく、一晩考えて漸く夫人が思い立ったのが、少女の時分、館の前の主だった叔父に贈られた銀の耳飾りだった。
「今その耳飾りをお持ちなのは、街で暮らしている夫人のお孫さん。勿論、手紙で事情を知ったお孫さんはすぐ耳飾りを返そうとされたのですけれど……丁度その頃、狼が出るようになったらしくて」
「なーるほど、それでまだ耳飾りが届いてないのですね」
 霊査士の言葉にボギーが得心したように瞬きをした。
 つまり今回の依頼人は、フリーベル夫人ではなく夫人の孫だ。
 だが夜に狼退治を終えて鍵を届けたなら、夫人は快く冒険者たちを迎え入れ、是非泊まっていって欲しいと言ってくれることだろう。何しろ夫人は客の世話をすることが大好きで、フリーベル・ハウスはホテルとしての体裁をほぼ完璧に整えているのだから。

 隠れ家めいた秘密のワインバーで静かに時を過ごすのも良い。琥珀の硝子燈に照らされたダリアのガーデンカフェで読書や花々を楽しむのも良いだろうし、談話室で仲間や夫人との会話を楽しみながらハープシコードの音色に耳を傾けるのも味わい深いひとときになるだろう。
 無論、回廊の柱の中にある隠し階段などまだ見ぬ小さな仕掛けを探してみるのも楽しいはずだ。

 けれど、その前に。
「きっと夫人は、今回見つかった新しい隠し扉を皆様と一緒に開けてみたがると思いますの」
 存在すら知らなかったのだから、扉の向こうに何があるのかは夫人だって知りはしない。
 だからこそ、是非ともそれを見たいと願うだろう。
 扉の向こうに隠された秘密を知りたいという望みは、館に関わる者なら抱いて当然のもののはず。
 館のどの客室よりも豪華な調度に彩られた貴賓室があるのかもしれない。
 金銀大理石と美しい鏡で飾られたダンスホールがあったとしても不思議ではない。
 それとも――花に満ちた庭の何処かにひっそり佇む、瀟洒なあずまやへの隠し通路があるのかも。
 如何なる秘密が隠されているのかは、扉を開けてみなければ判らない。

 夫人の孫から預かったという銀の耳飾りを冒険者たちに手渡して、霊査士は楽しげな笑みを浮かべて席を立った。
「では……フリーベル・ハウスの秘密を探しに、行ってらっしゃいませ」


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参加者
柳緑花紅・セイガ(a01345)
浄火の紋章術師・グレイ(a04597)
空言の紅・ヨル(a31238)
風任せの術士・ローシュン(a58607)
わたゆきのはね・フィリシア(a71294)
砂塵の騎獅・エルヴィン(a74826)
獣哭の弦音・シバ(a74900)
人生を愉しむ・オーサム(a76630)
NPC:ハニーハンター・ボギー(a90182)



<リプレイ>

●月夜の丘と枯草の狼
 深まりゆく秋の気配に満ちた世界を包むかのように、夜の空は紺瑠璃の天鵞絨めいた気配を纏う。
 杏の雫を落とした卵黄みたいな月が天へとかかり、淡やかな光で大地を静かに照らし出した。
 薄紗よりも儚く透ける月光に浮かび上がるのは、緩やかな起伏を連ねた丘陵地。
 澄んだ夜気と乾いた秋草の香を帯びた風が吹く頃合には、ひときわ大きな丘の麓に冒険者たちの姿が見出せた。
「さて、仕上げの最初は狼退治……っと」
「有終の美を共に出来る事、光栄に思いますよ」
 丘の上に建つ大きな館を見上げ、微かな感慨を滲ませた笑みを刷く柳緑花紅・セイガ(a01345)の様子に、浄火の紋章術師・グレイ(a04597)も小さく口元を綻ばせた。不粋は早々に片付けるとしましょうと聖なる光の輪を生み出して、辺りから獣に利を成す闇を払う。
 楽しい秘密を抱く館が新たな門出を迎えるのも、きっともうすぐのこと。
 最後の一仕事だなと笑んで周囲の音に耳を澄ませる風任せの術士・ローシュン(a58607)に頷きを返し、獣哭の弦音・シバ(a74900)は丘の稜線辺りを見極めるように遠眼鏡を向けた。途端、レンズの彼方で紅の花咲くセージの茂みが大きく揺れる様を捉え、彼は鋭く声を上げる。
「皆、西の斜面を!」
 だが全員で攻撃を向けるには届かぬ距離、丘の稜線を霞ませるかの如く生い茂る草の中から飛び出した獣が前肢で大地を打ち据えて、辺り一帯に激しい砂礫の嵐を巻き起こした。
「この力はやはり油断ならぬの! ボギー殿!」
「いえっさー、やってみますのです!」
 砂塵の騎獅・エルヴィン(a74826)に応えハニーハンター・ボギー(a90182)が弓を引くが、捩くれた矢は素早く地を蹴った獣の薄皮一枚貫き霧散する。エルヴィンの術で防具の護りが強められるのを心強く感じつつ、わたゆきのはね・フィリシア(a71294)は少しでも早く皆の傷が癒えるようと癒しを秘めた歌声を紡ぎ出した。
 彼の言うとおり、弓の射程と出血の効果を持つこの範囲攻撃は厄介だ。
 召喚獣を持たぬ己には強敵だと端から解ってはいたが、だからこそ経験や力の不足を知略で補う愉しみもあるのだと人生を愉しむ・オーサム(a76630)は瞳を細めて己が鎧を強化する。夜風に散った血の匂いに猛るかのように吼え、枯草色の毛並みを艶めかせた狼は獲物を見定めるように視線を走らせ跳躍した。
 だが彼我の距離が縮まるなら此方にとっても好機、獣を射程に捉えた刹那に紅の軌跡を引く繊手が中空に翻り、純白の術手袋に包まれた空言の紅・ヨル(a31238)の指先が紋章陣を描き出す。縛めの力を帯びた木の葉の群れが獣の体躯を大地へ縫い止めると同時、グランスティードの勢いと滾る血の衝動を重ねたセイガの刃が獣へと叩きつけられた。
 聖なる光と黒き炎に増幅された魔力は紋章の輝きを得て力を増す。理の威を剣に凝らせたグレイが刃を揮えば、その深い衝撃に彼より一回り以上も大きな獣の体躯が大地に跳ねた。しかし――
「来るぞ、砂礫だ!」
 咄嗟に盾を構えたローシュンの声が響き渡った瞬間、木の葉の縛めを払い除けた狼の前肢が地を抉る。砂礫と血飛沫が爆ぜるように舞い上がる中、エルヴィンは身に喰いこむ礫の痛みにゴーグルと仮面の下で瞳を眇め魔矢を撃ち出した。素のままでは当て難いと見たボギーも同質の矢を放つ。光の弧を引く二条の矢が砂礫の合間を縫って狼の二肢を射抜いた。
 砂礫の嵐にも途切れることなく、透きとおる蜜にも似た煌らかなフィリシアの凱歌が降りそそぐ。
 槍身に陽の紋渡る槍で鮮やかに砂礫を薙いだシバに癒しは必要なかったが、それでも後背の仲間が戦線を支えんとしてくれているという事実は彼の背を押した。連携をと上げた声にすぐさま応じたのは、盾を翳し身を低くして砂礫を凌いでいたオーサムだ。宙を翔けた彼の得物が獣の前肢を裂いた隙を突き、追尾の力を帯びた穂先が枯草の原にも似た狼の胸元を斬り払う。
 怒気を孕んだ唸りを洩らした獣が冷たく光る牙を剥いたが、
「させない!」
 流れる魔力の輝きで紡がれたヨルの紋章陣から即座に緑の奔流が噴出した。
 縛めの理を顕現する木の葉が獣の四肢を押さえ込む様に呼気ひとつつき、グレイは刃に秘めた強大な魔力を枯草の狼へと確実に叩き込む。艶やかな牙を覗かせた口から迸る絶叫に獣の終焉が近いことを確信し、セイガは蒼き桜の刃に鮮烈なまでの闘気を凝らせた。
 行くぜと自身を鼓舞するように吼え、枯草色と血に染まる狼へと刃を打ち下ろす。
 凝縮された闘気の爆発が収まってみれば――獣はその体躯を力なく大地へと横たえていた。
「牙が揮われていたらもう少し長引いていたかもしれんな」
 命潰えても変わらず冷たく艶光る大理石の牙を見遣り、ローシュンが張りつめていた意識を解すように息をつく。誰かに牙の力が及んだ時のため何時でも祈りを紡げるよう魔力を集中していたが、皆の動きがそれを使わせる暇を敵に与えなかったというならそれが何よりだ。
 野晒しにしてはおけないというシバの言葉に反対する者はなく、冒険者たちは暫しの時間を今宵まみえた獣の埋葬に費やした。
 同じ大地に生まれ、同じ大地に生きた命の終焉を――尊ぶために。

●フリーベル・ハウスの秘密
 秋の豊かさを示すかのように、淡き月光はほのかな甘さを抱いて丘の頂へと至る。
 深緑のアーチを成す蔓薔薇は変わらずアプリコットオレンジの花を咲かせ、夜の帳が齎す闇と暖かな終夜灯の光に彩られたトピアリーのアプローチが訪問客たちを館の表玄関へと導いた。
 来客の気配を感じたのか、扉が開かれフリーベル夫人が顔を覗かせる。
 こんばんはですのと淑やかに礼をしたフィリシアや顔見知りの冒険者たちの姿を認め、あらあらまあまあと夫人はたちまち相好を崩した。礼を尽くしたオーサムが初対面の挨拶をすれば、既知の方に会えるのも初めての方に会えるのもとても嬉しいわと柔らかな微笑みが帰ってくる。
 期待に胸弾ませたヨルが事の次第を語れば、優しげな目尻の皺と共に夫人の笑みが深まった。
「さあどうぞ。お客様を迎えられるなんて、本当に幸せだこと」
 暖かさに満ちたフリーベル・ハウスに招き入れられて、冒険者たちは穏やかな心地で息をついた。
「最後の扉の向こうって何があるんだろな」
「きっととても素敵なものですの」
 落ち着いた臙脂の絨毯を敷いた階段を昇りつつ、セイガとフィリシアが楽しげに笑みを交わす。
 最後の秘密を秘めた『肖像画の間』は館の最上階にあるという。途中で見かけた些か中央部分がすっきりした感のあるシャンデリアについての話を初めての者たちに披露したりもしつつ、皆は歴代当主たちの肖像画が並ぶ部屋へと足を踏み入れた。
 重厚な筆致で描かれた肖像画が並ぶ部屋の最奥に、壁一面を覆うほど大きな風景画が掲げられている。穏やかな陽射しの降る丘陵地が広々と描かれた絵画の一部が切り取られたかのように抜け落ちていて、その奥には小さな鍵穴を持った扉が設えられていた。
「この秘密も、耳飾りの鍵と同じく叔父上から夫人への贈り物だろうから」
 丁寧に包んだ布を開き鍵を夫人に手渡して、叔父上の想いを受け取ってくれとシバは琥珀の瞳を和ませた。幸せそうに笑みを零した夫人が小指の先ほどの鍵で秘密の封印を解き、全員で一緒に扉を開けようと皆が言うのに頷いて、冒険者たちの手に重ねるようにして扉に手をかける。フィリシアが何処か擽ったそうに小さく笑った。
「どんなに小さくても、新しい秘密を見つけて、初めて見たときは本当に嬉しかったから……」
 静かな軋みを響かせ、最後の秘密の扉が開かれる。
 開いた扉の奥では――

 透きとおるように涼やかな月光の降る、硝子に包まれた小さなホールが彼らを待っていた。

「これは……コンサートホール、でしょうか」
「うむ、そのようじゃの」
 空間の奥、硝子の天井から入る光が集まるよう作られた場所にはステージが設えられていて、舞台を取り囲むように幾つものテーブル席が並んでいる。感嘆を潜ませたグレイの言葉にエルヴィンは満足気に頷いて、長い顎鬚を扱きながらゆるりと辺りを見回した。
 数十人も入ればいっぱいになってしまう小さなホールだが、演奏者たちや楽器の息遣いを間近に感じられそうな気取りのなさが見えて、好ましさと微笑ましさに思わずグレイの頬も微かに緩む。
「なんて素敵……吟遊詩人心が疼きます……!」
 感激に瞳を輝かせたヨルはステージの上で両手を広げくるりと回る。其々のテーブルに色硝子つきのランプを燈せば綺麗だろうなと瞳を細めたローシュンの言葉に「ほんとに……!」と声を弾ませ、月光降る硝子の天井を仰ぎ見た。
「なるほどな、二重にした硝子の間に水を満たしてあるわけか……」
 何時の間にかステージ前のテーブル席で寛いでいたオーサムが、柔らかに揺らめく硝子天井の彼方の月に笑みを零す。澄んだ水は彼の髪と同じように優しい光を孕み、ホールの中に心地好く揺らぐ光を届けていた。日中にはやはり穏やかで優しい陽射しが揺らめき降るのだろう。
 光の揺らぎを目で追ったオーサムは、一段高く作られたステージの側面に装飾めかした楽譜が彫られているのに気がついた。これだから五線譜は常に手放せないと瞳を輝かせ、嬉々とその旋律を書き写す。
 壁面も銀色の支柱で区切られた硝子で覆われていたが、硝子壁のの外側を明るいクリーム色の石壁が覆ってしまっているのが少し残念だった。
「この壁がなければ麓の景色が一望できたんだろうな……」
「惜しい。見晴らし良さそうなのにな」
 硝子壁の外側に石を積み重ねられた壁を見遣ったシバが嘆息し、釣られて息をついたセイガが硝子に手をついた。だが、何やらこれが怪しいの、とエルヴィンが支柱の飾りを捻った途端、唐突に硝子の壁がスライドする。何処からか微かに冷たい夜風が入ってきた。
「まあ、意味なくこんな仕掛けを作るわけもあるまいて」
「……」
「…………」
 意味深に笑うエルヴィンの言葉にシバとセイガが顔を見合わせる。
 ひょいと顔を覗かせたローシュンがスライドした硝子の外にある石壁に手を伸ばせば――
「外れた、な」
 壁を成していた石のひとつがあっさり外れ、そこから館の庭と丘の麓の景色が覗いた。つまり、極々簡単な作業でホールを囲む石壁を取り除けるようになっているわけだ。
 流石に今夜中には無理だろうが、フリーベル・ハウスが開業する頃には、壁と床を透きとおる硝子で覆われたホールから空と景色を楽しむことが出来るようになっているだろう。
「談話室のハープシコード……!」
「ですの!」
 隙間から丘の風景を見遣った吟遊詩人ふたりが楽しげに笑って手を合わせた。
 此処にハープシコードを運びたいとヨルは夫人に願い出て、それは素敵ねとの快諾を得る。
 丘を見下ろせる硝子のホールで、丘を描いた蓋を開けてハープシコードを弾いたなら。
 間違いなく素敵な音色が響くだろう。

●秋月夜の過ごし方
 静かに深まりゆく秋の夜は、安らぎと慕わしさに満ちている。
 応接間に飾られた葡萄畑の絵画の後ろに隠された秘密の空間に足を踏み入れれば、グレイは初めて訪れた場所であるにも関わらず、秋の夜にも似た親しみをこの隠れ家めいた空間に感じ取った。
 燈火に照らされる深い飴色の調度にはそこかしこに葡萄の意匠が施され、秘めやかな酒香と何かを燻したような香がほんのりと辺りを満たしている。
「刻みタバコの風味にあうワインが見つかれば良いがの」
「私は……普段あまり呑まないようなワイン、かな」
 口々に好みを述べつつ絵画の扉を潜ってきたエルヴィンとローシュンの様子に笑みを浮かべ、最高のワインを探してみましょうとグレイはテイスティングのための銀盃を手に取った。
 秘密のワイン蔵は、この地下だ。
 先日見つかった葡萄畑の葡萄でワインを造ってみているのよ、と夫人が笑えば、それは素晴らしいと芝居がかった仕草でローシュンが手を打った。未知の何かを見出すことはこんなにも素晴らしい。
 風合いよく艶めいてきたベントパイプを斜めに銜えふかしつつ、エルヴィンは図書室で見出した革装丁の戯曲を繰り始める。登場人物たちの苦悩すら鮮やかに彩られた世界に耽溺し、ふと指先に触れたそれに笑みを洩らした。
 お茶とチーズをダリアの庭で貰いたいんだけど、と顔を出したセイガに、羊皮紙で作られた複製の鍵を投げてやる。
「驚きと共に、訪れる旅人に喜びを齎すこの館に再び訪れる事が出来、わしは実に僥倖じゃよ」
「……だよな」
 悪戯っぽく笑って、鍵を手にしたセイガはダリアの庭へと向かう。
 深い夜闇の中、琥珀の硝子燈が連なる花園へと足を踏み出して、花色も形も大きさも、背丈すらも様々に咲き誇る花々と光の迷路で身も心も澄み渡らせるような夜風を思い切り吸い込んだ。
「わくわくをありがとう、フリーベルハウス」
 こんな夜はこれがお勧めねと夫人が運んできたのは、ショコラの風味を溶かしたクリームチーズ。
 熱い紅茶へ気侭に蒸留酒を落としつつ、花のさざめきに心を委ねた。
 懐かしく心に響くハープシコードの音色が細く幽かに聴こえてくる。
 五線譜に写し取ったばかりの旋律を大らかに歌い上げれば、音の響きを豊かにするよう組まれているらしい硝子たちが優しくオーサムの歌声を膨らませた。皆で運び込んだハープシコードをフィリシアが弾いて、幸せな調和で硝子のホールを満たしていく。
 香辛料を利かせたグリューワインとチーズフォンデュの用意を整えた夫人が顔を覗かせれば、開いた硝子壁から入る夜風を気遣いオーサムが暖かなマントを掛けてやった。
 温かに蕩けるチーズとワインの香りに口元を綻ばせ、華やかな中輪を咲かせた純白のダリアを髪に飾ったヨルは程好く冷えた白ワインで軽く喉を潤した。私にも付き合ってくださいねとフィリシアに微笑んで、ハープシコードに導かれるように歌を紡ぐ。
 淡く澄んだ青空から舞い降りる雪のような。
 透明で儚い、純白の恋歌を。

 ――ねぇ、フリーベル・ハウス。
 いつかあの子を連れて来たなら、あなたの秘密であの子を沢山笑顔にしてくれる?

 眠りから目覚めた秘密の空間で紡がれる仲間の音楽は、緩やかに暖かく心を満たしていく。
 子供のように高揚する心が懐かしくて新鮮で、ずっと此処で語らっていたい気分だとシバが呟いた。あらあらまあまあ、長期滞在も歓迎よと茶目っ気たっぷりに夫人が笑う。
 月がゆるゆると空を滑る頃、そろそろ休ませて下さいですのとフィリシアが席を立った。好きな客室を使ってねと夫人に案内されて、優しい白と淡桃色で飾られた部屋を選び取る。可愛らしい天蓋を持つ寝台にぽふりと倒れこめば、淡く優しく花の香りが立ち上った。
「お先に、おやすみなさい……」

 明日の朝、誰よりも早く目覚めることができたなら。
 自分だけの秘密を見つけられるかもしれないから。


マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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冒険活劇 戦闘 ミステリー 恋愛
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参加者:8人
作成日:2008/11/07
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