氷鱗宮ソリュルコテュール 〜泡沫の夢語り〜



<オープニング>


●氷鱗宮ソリュルコテュール
 澄んだ水を凝らせた氷は磨き上げた水晶よりも透きとおる。
 氷には霞の如き細かな気泡が数多含まれて、灯りを向ければきらきらと、溢れるほどの煌きを辺りへと振りまいた。それはまるで、光の雪が降るように。
 澄んだ水底から空へと昇る、泡沫のように。

「――大きな、大きな氷塊から削り出したと思われる、美しい氷の宮殿が見つかりましたの」
 偶々酒場で同席した冒険者たちと林檎酒を酌み交わしながら、藍深き霊査士・テフィン(a90155)が語り始めた。美しい森と薄藍の湖を抱く保養地、ソリュルコテュール。彼の地の湖畔には氷鱗宮と呼ばれる氷に覆われた洞窟があり、その洞窟の奥で見出された大空洞の更に奥から――遥か昔に造られた、氷の遺跡が見つかったのだという。
「何時かの冬、氷の城を探そうとしたこともあったのですけれど……まさか本当にあったなんて」
「うわぁ、乙女ね〜」
 林檎酒を満たした杯に「ひとつ頂戴〜」と新たな手が伸びる。
 淡い薔薇色と炭酸の気泡が揺れる硝子杯を手に取った人影を見上げ、乙女度なら貴女だってと軽くからかうような笑みを浮かべたテフィンは、丁度良かった、と白金蛇の巫・ルディリア(a90219)に同じ卓の椅子を勧めた。
 まあねと何か言いたげに肩を竦めた乙女は、席に着くやいなや瞳を輝かせて身を乗り出した。
「で、何なに氷の城って? 綺麗なモノの話ならちょっと聞きたいかも」
 美しい物に惹かれるのは乙女の性か。
 とても綺麗な物の話、と前置いて、テフィンは卓に集った冒険者たちを見回した。
「氷の洞窟の最奥で見つかった氷の宮殿を――観に、行きません?」

●泡沫の夢語り
 薄い扇の形をした、氷鱗と呼ばれる氷が幾重にも岩壁を覆う洞窟――氷鱗宮。
 氷の洞窟の奥へと進めば、夏の終わりに見出された大きな空洞へと至る。天蓋部分の亀裂から降る幽かな陽射しが辺りの氷鱗を美しい虹色に輝かせる――何処か荘厳な雰囲気を帯びた空間だ。
 空洞には氷の乙女の姿を持つ魔物がいたが、魔物は冒険者たちによって討伐された。
 そうして万人に開かれた美しい空洞の奥、凍れる空洞の奥を覆う氷壁を崩してみれば、その先には巨大な氷塊から削り出されたと思しき氷の宮があったのだという。
 以前から「氷鱗宮の奥には美しい遺跡が眠っている」という噂が囁かれていたのだが――それは遥か昔から言い伝えとして伝わる、ソリュルコテュールという地の記憶であったのだろう。

 空洞に降る淡やかな陽射しも、その更なる奥までは届かない。
 艶やかな黒硝子を溶け込ませたかの如き闇へと灯りを向ければ、透きとおる煌きを放つ氷の宮殿が闇の中へと浮かび上がった。細かな気泡を幾つも含んだ氷で造られ、規模としては小離宮と呼ぶのが相応しいその宮殿は、小さな灯りを向けただけでも零れるように華やかな煌きを孕んだという。
 凛然たる闇の中に、鮮やかな南国の魚を放ったかのような。
 洞窟に冠された氷鱗宮の名も――もとはこの氷の宮殿のものであったのだろうか。

「けれど――その気泡のせいなのか、別の原因によるものなのかは判りませんけれど……その氷の宮殿、あまり長くは保たないそうですの」
「……溶けちゃうってことね」
 林檎酒で唇を湿したルディリアの声が、少しだけ残念そうな響きを帯びた。
 宮殿を成している氷は、洞窟の他の氷よりも少しだけ脆い性質があるのだという。今までは氷の壁が宮殿を外界から隔離していたのだが、その壁を崩してしまった今、洞窟の最奥にあるとはいえ宮殿は外気に晒されることになる。遥か昔に宮殿を造った人々は、恐らく宮殿そのものを外気に晒さずにすむ通路をも造っていたのだろうが――今となっては、後の祭りだ。
「一年後か、十年後かは判りませんけれど……氷の宮殿が消えてしまうことは、確実。観に行くなら今しかないのですけれど、何も灯りに火を使って『その日』を早めてしまうこともないかと思って」
「え……? あぁ、そう言うコトね。任せて、ばっちりホーリーライト用意して付き合っちゃうわよ」
 意を汲んだルディリアが請合えば、お願いしますのとテフィンが微笑んだ。

 氷に閉じ込められた気泡は何時の日にか解き放たれる。
 緩やかに氷が溶けゆく果てに音もなく弾け、ひっそりと拡散し希釈されて消えていくのだろう。
 氷の中で煌く光も、その時までの儚い夢。
 明け方に見た夢のように、澄んだ水底に見た幻のように。

 何時かはきっと消えてしまうだろう、掌に掴めぬ泡沫のような想いを秘められる場所。


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参加者
NPC:藍深き霊査士・テフィン(a90155)



<リプレイ>

●冴の泡沫
 漆黒の硝子を思わす闇は、優しく燈された聖なる光によって払われる。
 凍れる洞窟の奥深く、心を透きとおらせていく凛列な涼やかさに包まれて、零れるような煌きを孕んだ氷の宮殿が闇の静寂へと浮かびあがった。
 触れて溶かしてしまいたくなくて、セリハは夢の泡沫を孕む宮殿の全景を望める場所で足を止める。どんな絵を描かれるか楽しみですのと小さく笑みを弾ませるエリンシアの視線をこっそり遮るように、綴織に包まれた日記帳をゆるりと開いた。絵からはそのひとの心の色を知ることができるからと何気なく紡がれた言葉に淡く笑み、見透かされた心地のまま紙へ色を乗せていく。
 切ないほど優しく、揺らめくように溶け合う色には、確かに。
 だから。
「……氷が溶けるまでは、秘密ってことで」
 光揺らめく水面へのぼる気泡をそのまま閉じ込めた氷の宮殿に、銀砂めいた粉雪が降り始める。
 静かに煌きのみを降らせる雪の正体は、テルミエールが振りまく氷の粉。極北の光を凝らせたみたいな氷の尖塔から宙にフワリンを漂わせ、後ろに乗せた藍深き霊査士・テフィン(a90155)に一言だけを囁いた。宮が孕む煌きに溶けゆく光の雪には、祈りを乗せて。
 忘れられたまま密やかに、永遠に続く闇の中――
 世界の終わりまで在り続けられるとしても、きっとそれは存在しないのと同じこと。
 氷の闇に揺蕩う時は再び流れへ立ち帰り、何時しか消えていくけれど、数多の人々が氷の宮を目にして心にその輝きを刻めるのなら――緩やかにそう紡けば、ん、と頷いた彼女が何故か後ろへ回り込んだ。何時かのように小さな温もりを背に感じ、コウは僅かに瞳を伏せる。
 壮麗な氷の彫刻が遺された入口を潜れば、優美な曲線を描く階段を左右に備えた広間が現れた。
 優しい橙の光を掲げたハナは弾む心を抑えるよう静かに階段を昇る。胸を高鳴らせつつ氷の小部屋を覗き込めば、そこには使えるはずもない氷の暖炉。遊び心が可笑しくてふふと笑えば、暖かな焔色の光が暖炉に揺れた。
 泡沫を抱く氷壁を透かす光は優しくて、寄り添いあったフラレとアイリスは顔を見合わせ微笑みを交わす。氷の宮は何時か消えてしまうけれど、先人の遺した想いと希望を抱いて、次代へと繋げていこうと穏やかな囁きを氷の回廊に紡いだ。
 凍れる洞窟の闇に眠っていた宮殿は、少しばかり不思議な造りをしているように思われた。
 聖なる光を波の如く柔らかに伝える回廊を進みつつ、リリーナは小首を傾げながら氷柱並ぶ空間を見渡して、遥か天蓋へと連なる荘厳な装飾を見上げていたレイザスは、疎かになっていた足元を氷に取られ美しさに罪を問う。輝きに目を奪われ転倒という不名誉な事態から兄を救ったヤミーは、言葉を胸裡に留め静かに瞳をめぐらせた。
 闇の眠りに護られていた氷の煌きで、ゆるりと心を染めるように。
 氷の森とも思えた氷柱回廊を行けば、何時しか薄い氷を出鱈目に折り重ねたように入り組んだ通路へ迷い込んでいた。エクサの肩に乗せて貰ったリヴィートゥカは、好奇心の赴くまま氷の重ねの奥を指し示す。
 澄氷と泡沫の彼方に消える姿を見送って、シュウはひっそり見出した空間へと足を踏み入れた。
 遥か天蓋を仰いで円い空間の中央に寝転がり、聖なる輝きを落とし幸いなる光を氷の褥に敷く。
 淡やかな光の紗に抱かれる心地で意識を溶かせば、泡沫の氷を緩やかに昇っていく仄かな輝きに届かぬ何かが重なる気がした。ゆるりと目蓋を伏せれば、彼方へ旅立った皆と紡いだ光が揺れて。
 先へゆくための儀式を終えて身を起こせば、氷の向こうにリス尻尾が見えた。
 暖かなココアでも分けあえば、心も明日へ向かうだろう。

●夢の泡沫
 夢幻泡影を形に現せば、きっと。
 宝石箱みたいに小さな部屋に光を燈せば、まるで星空か水底に漂うような心地になれた。
 氷に封じられた泡にはきっと昔人の想いが息づいていて、何時しかそれもすべて緩やかに空へ溶けていく。この胸に抱くものも何時かはと思えば、せめて、と矛盾を孕む願いがヒヅキの心に揺れた。
 触れるのすらも躊躇われる、夢の泡沫。
 誰かの光を伝えてくる氷の手すりには触れぬよう、カナエは泡沫昇る螺旋の階段に足をかけた。
 淡い光めぐる階をひとつ昇るたび、月の涯てに抱いた面影と痛みを心に手繰る。
 今は温かな光として胸に燈ってはいるけれど。
 ねぇ、もっと上手に想いを伝えていたら――?
 細波を模した装飾の回廊を渡れば、外の闇を美しく透かす円蓋に包まれた空間へと至る。
 客席を思わす階段状の氷にぐるりと囲まれたそこはまるで音楽堂。
 思い至れば心が震え、満ちてくる想いのままにドンはリュートの弦を震わせた。
 聖性を抱く光と大気をそっと揺らす音色も心に留めおいて、ルーンは邪魔にならぬよう瞳だけで連れの様子を窺ってみる。繊細な紋様が刻まれた円蓋の音楽堂を地図に記して、行こうか、とクリスは彼を再び回廊へといざなった。興味を惹くものすべてを覚えて、後から画布へゆっくりと。
 柔らかな金にけぶるアンジェリカの髪が震えたから、アルセリアスは羽毛の温もり抱く外套でそっと彼女の肩を包んでやった。アンジェのこと如何思いますと覗き込んでくる瞳には、可愛いらしいと思うぞと穏やかな笑みを映す。終わりがあるものほどきっと儚くて綺麗と紡ぎながら、アースは外套を肩に掛けてくれる夫へ気遣わしげな瞳を向けた。遠慮するなと口の端に笑みを刻んで、ライカは回廊途中に見出した部屋へ彼女と足を踏み入れる。
 泡沫と光揺らめく氷の中に囁き交わすのは、他愛なく、けれど優しい幸せに満ちた言葉たち。
 寒いからと言い訳めいた言葉で手を取る彼女を、転ばないようにとジーンが引き寄せる。温もりを分かちあい泡沫の光景を心に留め、何時かの日に想い出として語らえるなら――それこそが、幸せ。
 温もりに軽く身を凭せ幽かな呼気を洩らし、彼の顔を見上げれば不意にレイジュの瞳は熱く潤んだ。
 何時しか消える泡沫の宮殿の中、彼だけは決して幻なんかにさせないと強く願われて。
 厳かな心地すら覚えつつ足を踏み入れた空間は、高い天蓋と壮麗な装飾に彩られた聖堂だった。
 想像以上だと瞬きすら忘れ聖堂を見渡して、見覚えのある人影に瞳を緩めて声を掛ける。
 光を孕み、そして儚く消えていく様は。
「……何だか俺達冒険者みたいだって言ったら、笑われちまうかな?」
「私達冒険者の想いは希望となって、ずっと繋がっていきますもの」
 儚く消えたりなんてしないと微笑む霊査士に、ありがとなとスズも笑みを返した。誰かの心に残るような、大切なものを護りとおせるような。そんな冒険者であれるようと誓いを胸に聖堂を後にする。
 視界の隅で彼女の姿が消えた気がした。
 背中から抱き寄せるように捕まえて、凍れる柱の陰に引き込んだ。
 ごめん、振られる覚悟で来た――と掠れた声音で囁けば、貴方はどうしていつも先走るのと手の甲を抓られる。振り返った彼女は濡れた藍の瞳を瞬かせ、好きよ、とボサツの頬を掌で包み込んだ。
「私の心は貴方を愛していて、私の魂は貴方に恋をしているから、傍にいられなくてもずっとずっと貴方を追いかけてる」
 やっと捕まえた、と幸せそうに笑んだ彼女の唇が両の眦に触れ、そのまま唇へと重ねられる。
 温もりを確かめたくて抱き寄せれば、すべてを溶けあわせるような抱擁が返って来た。

●刻の泡沫
 泡沫を封じた氷から溢れた煌きが、掌の上に揺れ零れて落ちる。
 水に追った優美な魚がするりと逃れゆくようなその様に、ティーフェは覚えず止めていた呼気を静かに吐き出した。鳥の意匠が刻まれた回廊の先を見遣り、この光景を再び目にすることも叶わないと思えば今度は溜息が零れ、思わぬその深さに微かな自嘲の笑みを刷いた。
 交わした言葉も声も仕草も全て忘れまいとするのに、日々褪せていくそれに焦燥ばかりが募る。
 届かぬ人々への想いと消えゆく宮殿が重なる気がして、遣る瀬無さに瞳を伏せた。
 心の何処かに、嗚呼、と想う己もいるけれど。
 こんなに綺麗なのに、と吐息のように紡いだルーツァの瞳が寂しげに揺らぐ。
 綺麗なモン見て悲観的になるのはお前の癖だねと揶揄するように呟いたクローチェは、誰かが氷の彼方で燈していた光がふと消えた拍子に、切なげな息ばかりつく彼女の唇を掬った。
「……! クロ、今、私の唇に何か……!?」
「さてな。コイツじゃねェの?」
 見事に狼狽した彼女に花尻尾人形を突付ければ、懐にあった筈のそれに春空色の瞳が丸くなる。
「あ、貴方は、手癖が悪過ぎます!」
 頬を上気させ背を向けた彼女の頭を掻き抱いて、唇には笑みを刻んだまま。
 悲しむ事なんて何もねェよと囁いた。
 今はただこの宮殿の姿を心に留めようと瞳を細め、クローブは聖なる輝きに紅の艶を帯びた髪をかきあげるアンジェリカへ手を差し伸べる。お手をどうぞと笑む彼女の手を取り、アンジェリカは階を昇って大きな回廊へと瞳を向けた。向こうにも誰かの光がと先へ向かうイルガの背を追って、氷の回廊へ足を踏み入れて。
 ひとの手が触れぬ自然も綺麗だけど、ひとが触れることで生まれた美しさがここにある。
 嬉しげにそう語っていたイルガ達が姿を消したことには気づかずに、レイは何処か芝居がかった仕草で「さあ、お嬢さん」と愛しい少女に手を差し伸べた。咲き綻ぶように笑んで彼の手を取り、アセルスはまだ見ぬ宮の奥へ思いを馳せる。
 まるで隠れ家みたいに小さな円蓋に覆われた小部屋に潜りこみ、チグユーノはひっそりとした氷の中に瞳を閉じた。氷の宮殿を背に舞い続けるお姫様の夢を、そっと目蓋の裏に描いてみる。
 綺麗な綺麗な、童話になれたらいいのに。
 幾重にも重なる泡沫の氷の彼方から、淡やかな光が細波のように寄せてきた。
 静寂に寄せる優しい光の波と愛しい温もりに包まれて、イーグルは胸の片隅に蟠る不安を溶かそうとするかのように、能う限りの愛しさを篭めた温もりをファリアスへと返す。
 頬に触れる温かな雫の名は意識の奥へと押し込めて、当たり前のようにそこにある定めなど泡のように消えてしまえと願いながら、ファリアスも募る愛しさの中に心を沈めた。
 差し出された手を暫し見つめ、彼女はまず思い切りハルトを抱きしめてから彼の手を取った。
 可笑しさと安堵を綯い交ぜにした胸裡は明かさずとも隠さずに、不思議と寂しくないんだとだけ紡ぐ。氷に眠る気泡が解き放たれるように、胸の奥深く抱え込んでいた想いも昇華する時が来たけれど。
 時を受け入れられたのは、世界ではなく、己が変わったから。
「ねぇ、俺は貴女より先に歳をくって逝くのだろうけど」
 氷の煌きや手の温もりを感じた時には――
 綴るように囁けば瑠璃の瞳が柔らかに揺れ、重ねた指がそっと絡められた。
 柔らかな唇が、頬に触れる。

●凛の泡沫
 梢の天蓋を模る氷の装飾は、優しい光を孕み木漏れ日に似た淡やかな輝きを落とした。
 闇を透きとおらせるように儚く揺れる光に誘われ行けば、至るところは小さな小さな礼拝堂。
 肩に掛けた外套の裾を握りしめる彼女が愛しくて、厳粛な誓いを紡ぐ心地で口を開いた。
「もし、お前の心がこの宮殿の様に凍り付いているならば……俺は、その全てを融かして閉じ込められた想いを救い出したい」
 虚を衝かれた風に揺らぐ瞳に己を映して、シーナは彼女を抱き寄せ誓いを重ねるように口づけた。
 心は頑ななまま、なのに彼を求めずにはおれなくて。
 堪えきれぬ涙がエフェメラの頬を音もなく伝って落ちる。
 泡沫に消えた雫のように、自然に溶けて消えてしまえたなら――どんなにか。
 怒りも憎しみも悲しみも。
 眠れる気泡に溶かし込んでしまえればどんなにいいだろう。
 宮殿の姿は胸に留めておくから、心を苛む感情だけは何時かこの氷や気泡たちと共に消えてくれればいいと、アリシアは柔らかな光を伝える氷に願う。寂しさと哀しみだけを、氷に包んで。
 記憶は色褪せぬまま、持って行くから。
 凛列な蒼を淡く孕む氷の彼方に去っていく足音を聴きながら、バーミリオンは円く広がる空間の中央に座り込んだ。傍らにウィーも腰を下ろして、光と闇を淡く溶かす氷の天蓋を仰ぎ見る。
 氷めいた強さと儚さと、澄んだ意志と気泡みたいな自由さと。
 そんな彼が重なる気がしたから。
「氷の宮殿みたいに、消えて居なくなったりしないで」
 不意に紡がれた言葉に瞳を瞬かせてから、ウィーは淡い光のように微笑んだ。
 ありがとうと小さく応え、彼の傍に風と空が在り続けるよう祈りにも似た想いを向ける。
 何時か泡沫のように解き放たれて、深い海の底に眠れたらと願う心が消えなくて。
 氷の回廊を進むうち彼の緊張も少しずつ解れてきた気がして、ツェツィーリアは微かに瞳を緩める。
 泡沫には誰かの思いや記憶が篭もっているのやもと声を潜めて紡ぎ、淡い感傷を抱いてエーベルは連れへと瞳を向けた。視線に気づいた彼女は、此処へ一緒に来られて嬉しいと口元を綻ばせる。
 精緻な硝子細工よりもなお儚いように思え、吐息を零すことすら憚られた。
 慈しむように囁かれた言葉に、だからセロは大切な秘密を明かすかのように小さく小さく囁き返す。落ち込むよりも悔しくて、だから前よりも頑張れた。
「……セロちゃんは、ちゃんと出来たもの」
 だから大丈夫だよと抱きしめて、メロスはほんの少しだけ身体を固くした彼女の背を優しく撫でる。いつか貴女のようになりたいですと紡がれた囁きには、髪をそっと撫でて応えた。
 こんな風に誰かを頼りたかったのかなと、セロは少しだけ額を預け、想いをそっと氷へ落とす。
 何時か泡沫が、空に還る――その日には。
「……何故美しいものは手に入れるには難く、砕けるのは容易いのでしょうね」
「でも、だからこそ……って言うやんね?」
 揺蕩う心のひとしずくを掬い上げられて、フィードは軽い吐息と共に笑み目元を和ませる。時が許す限り氷の煌きを瞳に映したから、心は限りなく澄んでいた。
 終わりを得られるのはきっと命に許された幸いで、泡沫の如く潰えたとしても愛は心に生きている。

 躓きそうになっても乙女の意地で何とか耐えて、ヒギンズは眩い煌きを振りまくシャンデリアに彩られた広間へと辿り着いた。楽の音も手を取る相手もいないけど、優雅なワルツを――夢の主に。
 揺らめく光だけを連れて、綺麗な綺麗な夢の中。
 名も知らぬ氷のお姫様。
 あたし、あなたが大好きよ。

 恭しく一礼する彼女の姿を瞳の端に留め、ラグゼルヴは他の誰も入っていないらしい最奥へと足を向けた。柔らかに揺蕩う光に煌く泡沫に零れる小さな笑みは、何処か慕わしさを覚えたからこそ。
 解き放たれて空へと還り、世界をめぐればいい。
 美しくてもきっと停滞は退屈だから。

 流れついた先が汚泥に塗れていたとしても、僕は――綺麗だったこの瞬間を忘れないから。


マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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ガラクタ製作者・ルーン(a49313)  2011年11月22日 22時  通報
氷も泡も結局は消えてしまうもの。
……人生の素晴らしい時みたいに、です。
それでも、いやだからこそ煌いてる間はとても輝いて美しくて心を惹き付けて……
本当に綺麗でした。もう見られないのがすごく残念なくらいに。

玄天卿・クリス(a73696)  2011年11月11日 02時  通報
絵に描いてもこの綺麗な時間は留める事なんてできなくて。
それでも本当に凄かったなあ。未来でもこんな建築?技術があったならよかったのに。