<リプレイ>
● 漁村総出で見送りにきたのだろう。冒険者たちのいる舟を遠巻きにして、村人たちの人だかりができていた。陽と潮に灼かれた真っ黒い顔に、みな一様に不安と希望をない交ぜにした複雑な表情を浮かべている。 「それでは、吾たちは参ります」 羽化の娘・チグユーノ(a27747)がごく小さくお辞儀をすると、荷物の積み込みを手伝っていた初老の漁師が、深々と頭を垂れた。それに倣い、村人たちがいっせいに冒険者たちに頭を下げる。文字通り、誰もが命がけなのだ。冒険者にとっても、村人たちにとっても、この一戦は決して負けることのできない戦いなのである。 「如何であったかな」 出立前に漁師からオルカの出没地点を訊いていた夜蝶嬢王・ペテネーラ(a41119)に、同舟している黎燿・ロー(a13882)が櫂を操りながら訊ねる。 「沖合い千メートル近辺ですって。私たちにとっては、ちょっとした冒険ね」 苦笑まじりに答えた彼女の視線は先と変わらず、水平線に向けられている。 穏やかな海に広がる白い航跡を見つめながら、紅炎炎舞・エル(a69304)はかすかなこそばゆさが残る手のひらを握り締めた。出航の間際、海女たちは彼らの手のひらに、星形と格子文様を指で描いた。「それ、なあに?」と訊ねた彼に、彼より少しだけ年上の海女は「海に囚われないためのおまじないよ」と、短く答えたのだった。 冒険者たちが借りた舟は全部で六艘。そのうち四艘に二名ずつペアで乗り込み、残りの二艘を復路用の予備として曳航していた。慣れぬ操船にてこずってはいたものの、離岸してから半刻するかしないかの頃合に、猟兵・ニノ(a90390)が心の声で該当海域に近づいたことをみなに報せた。 合図を受けて、聖痕断罪中級医術士・クルシェ(a71887)が召喚した土塊の下僕を海へと放り投げる。滅多に訪れたことのない海に多少の不安もあるが、彼女はそんな心情を押し殺し、海面下を注意深く監視していた。 「……こねえな」 三体目の土塊がじたばたと泳ぎ始めたころ。クルシェと同舟していたバッドアス・ングホール(a61172)が、低く呟いた。外套にくるまっているとはいえ、狭い船上で固まっていては、身体が冷えてしまう。どうせ襲うなら、とっとと襲って欲しいもんだ――そう苦々しげに鼻をすすった瞬間。彼の巨体が宙に投げだされた。 「……!」 流れゆく聖砂・シャラザード(a14493)が手にした遠眼鏡を放り、即座に護りの天使達を呼び降ろす。高々とあがった水柱に、砕けた舟の木片と、空中に投げだされ、そして海面下に消えていくングホールとクルシェの姿が見えた。 小さな土塊の下僕と、それに比べて大きな六艘もの船。どちらが目に付き易いかは言うまでもない。まして、舟はオルカにとっては『見慣れた獲物』なのである。 「来たか……」 首巻をほどいた湖月・レイ(a47568)が、舟のへりに足をかけて鯉口をきる。 比較対照のない海中では、深さははっきりとは判断しづらい。しかしそれでも判るほど、波打つ海の下で悠然と泳ぐそれの影は、巨大であった。
● 天地が逆転し、足元では太陽がきらきらと輝いている。冷たさに身がすくみあがる。「やっぱりな」と彼は思う。いくら覚悟していたとはいえ、冬の海の冷たさといったら、ろくでもないにもほどがある。はぐれかけたクルシェの腕をつかんで引き寄せると、ングホールは彼女が羽織った聖衣に聖霊の加護を与え、水の抵抗を無くす形状に変形させていく。 クルシェはぼやけた視界の向こうに、巨大な影を見た。 人など丸呑みにできそうな大きな口。 モノクロームの威容。 海の覇者。 オルカ。 敵。 ふいに鈍い音と共に、激しい気泡が海面下にたった。ローが飛び込んできたのだ。潜った勢いを利用して、彼は一気に深みまで達すると、オルカの背びれに捕まり、細長の刃を突きたてた。瞬速の剣技に水が震え、幾重もの光彩がきらめく。オルカが激しく身をよじり、取り付いてきた存在を振りほどこうと躍起になる。 その間にも、冒険者たちは次々と海中に身を躍らせていた。ペアを組んで、わずかな時間で戦闘準備を整えられるよう工夫したたまものである。独り、腰につけていた空気袋のせいで、レイだけが潜水に遅れたが、彼女はすぐさまそれを切り離すと、一同の後に続いた。 サメを思わす理にかなった形状に衣服を変化させたとしても、オルカの泳ぎには敵わぬであろうことをペテネーラは認めていた。さりとて、追いつく必要がないことも彼女は心得ていた。放たれた虚無の腕がオルカの身を捉え、無慈悲にえぐる。血が、気泡が、清らかな海に溶けて、混ざりあう。 尾びれの一かきでオルカが迫り、か細いクルシェの身体を噛み砕く。迅速にして精緻な攻撃に、陣形が意味を成さない、という霊査士の言葉を冒険者たちは思い返した。海のなかにおいては、どれだけ努力しようとも、彼らの動きについていくことはできないのだ。冒険者たちは、いま狩る側ではなく、狩られる側。そして、迎え撃つ側なのだ。 だが、自分が狩る側だと慢心しているオルカの隙が、好機でもあった。ゆらり、と……ただよう海月にも似た柔らかい所作でチグユーノが指を弾くと、禍々しい三獣頭の炎が海を焦がした。放たれた炎はオルカの滑らかな表皮を炎と毒で焼き、澄んだ海中を血の色で濁らせる。 我意を通し、調和を乱す者。それは決して見過ごすことのできない暴君だ。エルは腕の届く距離にオルカを捉えることができないと判断し、肺腑に残されていた空気をすべて吐き出した。裂帛の気合は気弾となり、オルカの巨体を打ち据え、捻じ曲げる。 すかさずシャラザードが剣をたずさえ水のなかを舞う。長い銀糸を海に梳かしたその様は、さながら伝承に聞く人魚のよう。彼女が暗い光を宿した切っ先で導いたのは、慈悲に満ちた聖女だ。聖女が波間に漂うクルシェに小さな口づけをすると、痛々しい傷口が見る間に塞がっていった。 オルカは冒険者たちの直下、ほの暗い深部において様子を窺っている。新たな獲物がいままで狩ってきた存在とは違うことを知ったようだ。牽制とばかりに、ニノが弓を眼下に構え、追尾の矢を放つ。傷こそ小さいものの、挑発程度の効果はあったらしい。ぎらつく歯列を剥きだして、オルカが襲い掛かってきた。 なんとか戦線に復帰したクルシェが、その様を見止めて目を細める。行き過ぎた生命はやはり刈らねばならないのだろうか。いますぐに、自分たちの手で。心優しい彼女には悲しいことではあったけれど、放たれた業火は水の檻などものともせず、海をも焼き、オルカを包み込んだ。 蒸発した海水に視界が奪われるが、レイの瞳はかの者の姿を逃さない。息継ぎのために海面に向かったローに襲い掛からんとしたオルカに忍び寄ると、彼女は浮き上がるオルカとは逆の方向……海の底に向かって足を蹴った。オルカの腹に、刀を突きたてたまま。 あれほど澄み渡っていた海が、いまは暗い。雨雲のように血が辺りを覆い、無数の気泡が不気味な水音と共に立ち昇る。それはさながら、天に向かって降り注ぐ雨のようであった。
● せき止めていた息を、思い切り開放する。文字通り、命の源を自ら吐き出すその行為に、ペテネーラはある種のカタルシスを覚え、知らず知らず口の端をあげていた。暗い海に凱歌が響く。息の続く限り歌うと、彼女はすぐ頭上に満ちている大気のなかへと飛びだした。 冒険者たちとオルカの死闘は続く。賢い敵は、海面に向かう者に狙いを定めてたびたび歯牙を向けたが、フォローに回る者がそれをなんとか食い止めていた。 エルの後を追うオルカの眼前に、ングホールが割って入った。はなから回避することを捨てている彼は、牙と身体の合間に盾を挟んで致命傷を防いでいた。恐るべき力で海上に放りだされたが、痛手を負ったのはオルカのほうであった。喰われながらも、したたかな彼は指突でオルカの片目を奪っていたのである。 退避したオルカを迎え撃ったのはローだ。攻撃の手を緩めるのは、即敗北に繋がると彼は確信していた。冬海よりなお冷たい輝きをもつ剣を払い、海水ごと真空の刃でオルカの身を切り裂くと、一拍遅れて肉色の裂け目から煙にも似た血が噴きあがった。その隙に、彼はペアを組んだレイへと目配せをする。 勢いよく海上へ顔をつきだしたレイは、限界まで堪えていた息を吐き出し、そして肺の奥深くまで新鮮な空気を吸い込んだ。不思議と、海のなかより空の下のほうが冷たく感じる。ふと目をやると、そう遠く離れていないところに見知った顔がいた。チグユーノである。 「厄介やな……」 「まったくもって」 期せず出会った仲間と言葉を交し合い、チグユーノはすっかり青白くなってしまった顔をわずかにほころばせた。そして二人は、再び海中へと戻っていった。穏やかな波間が、また静寂に包まれる。 水泳達者なエルは、巧みにオルカの動きについていた。逃げられれば追いつけないが、攻められれば迎え撃つことができる。横腹を捉えると、彼は水の抵抗などないかのように、斧の鉤爪を素早く突き出した。力を込めるほど強まる息苦しさにも構わず、彼は渾身の力で得物を突き立てる。 みな疲弊しきっていた。そう長い時間が経っているわけではないが、状況を考えれば致し方のないことではあった。誰もが、もう幾度気を失いかけたのかわからなかった。頭の奥が痛い。手足が痺れる。それでも、戦うことをやめることはできない。 シャラザードの美麗な剣が妖しく煌いた。魔を制する光がもたらしたのは、ほの暗い海に降り立つ聖女の力だ。彼女にできて、他の者にはできないのは、抜きん出たその療術だ。しかし、その慈悲を受けられるのは一度につき一人。誰よりも慈愛に満ちた彼女は、自身よりも他者を優先した。それが仇となった。 「下からくる!」 ニノの悲痛な叫びが心の声となり、一同の脳裏に浮かぶ。血濁の下より放たれたオルカの水弾が、シャラザードの腹を貫いた。濁流に呑まれた木の葉のように、彼女の身体が吹き飛ばされる。 救助にあたったエルを守るため、ローが決死の潜行を見せた。接近して押さえ込む余力が残されていなかったので、彼は射程まで到達すると、練り上げた剣気でもって下方を泳ぐオルカを斬り伏せた。手ごたえはあったが、しかし、かの者はいまだ沈まずにいる。 視界がちらつき、頭痛が止まない。クルシェは下に潜んでいるというオルカに向けて、再度燃え盛る業火を見舞う。優先すべきは命を刈り取ること、と決めているのだ。眩い閃光に一瞬映し出されたオルカの姿は、雄々しかった威容を微塵も感じさせなくなっていた。
ぼろぼろに傷ついている。誰もが、冷たい海のなかで、死の淵を泳いでいた。 もはやどちらが有利なのか、不利なのか、それすらも判断ができなかった。自然の摂理は残酷で、ただただ単純に、命の力の低い者からその歯牙をかけていく。もっともか弱いニノもすでに戦線から脱落していた。 最期までとっておいた癒しの波を広めたあと、クルシェが盛大に呼気をはきだした。水泡に混じる大量の血液。心は、まだ戦えると訴えているのに、彼女の身体は限界を迎え、意識を暗転させていく。 戦いは長丁場になっていた。無理もない。息継ぎのために常時誰かしらが戦線を離れ、そのフォローに回る者がいるのだ。実質、ローテーションを組み少数で敵を相手取っているようなものだった。 そして、回復の恩恵に与れないもの、集中的にダメージを蓄積させてしまう者が出るのも、必然であろう。 海に手足を奪われる前に仕留める。抱いていた心算が崩れるまで、あといくばくも掛からないことをレイは察していた。チグユーノに目配せすると、彼女は小太刀を鞘に収めた。そして、生み出した不吉なカードを放った。 不運がもたらされたのか否かを確かめる間も惜しみ、チグユーノの手が薄く血で濁った海をたゆたう。悪鬼めいた容を成す黒炎が爆ぜ、オルカのむき出しになっていた肉をえぐりとる。 オルカの身から力がぬけ、日の当たらぬ深みまで落ちたときに、冒険者たちは勝利を確信し思わず笑みを浮かべたが、しかし、オルカの猛攻はそれだけでは止まらなかった。 片腕を喰われたペテネーラが、苦痛に歯軋りをする。ともすればそのまま食いちぎられそうな怪力だ。彼女は痛みを意識の隅に追いやると、食われたままの腕を握り締め、虚無の腕をくりだしオルカの臓腑を掻き毟った。 なかば崩れかけたオルカの腹部から、汚物と臓腑が盛大に噴き出る。勝敗は決したが、せめて一人だけでも道連れにしようというのか、オルカはペテネーラを離さない。 その胸びれに、ングホールが取り付いた。なにも考えず、物思うこともせず、彼はただ「やれやれ」という呟きとともに、オルカの脊髄と思しき場所に指を突きたてた。指に絡む血肉は、冷えた手指には火のように熱く感じられた。余分な力はいらない。その命の炎を、彼は静かに指先でかき消した。
● 被害にあった舟が一艘だったのは、僥倖であった。各々の荷物を取ると、一同は船上で暖を取り始めた。濡れた身体を拭いて、防寒具にくるまったエルがぷるぷると震えている。 「これで村の人も喜んでくれるかな?」 「きっと」 たっぷり海水を吸ってしまった翼を丁寧にぬぐっていたチグユーノが、こくりとうなずく。この海を独り占めしたい気もわからないでもないが、それもおしまい。やがて海に生き物が戻り、変わらぬ日々が訪れるだろう。 ウオッカを持参していたペテネーラは、その一口目を無言で海に捧げ、二口目を自身の胃袋に流し込んだ。焼けつく酒が、冷え切った身体になんとも心地よい。 「そいつぁいいな、俺にも分けてくれねえか?」 ングホールが指をぱちりと鳴らす。ペテネーラが放ってきたスキットルを掲げて礼に代えると、彼は無造作にそれを飲み下した。そして、なんとはなしに穏やかな海を見渡す。 みなが水平線を眺めていた。意識を取り戻したシャラザードが、死者に黙祷を捧げる。ローもまた、かつては海の守り神たる存在であったろうオルカに、ささやかな敬意を払い、目をつむる。 レイは血の濁りの消えた海を覗き込んだ。オルカの姿は、海の底に静かに沈んでいき、見えない。きっと、それもまた海の贄となったのだろう。海のことわりに従って。 「寒いですね……」 クルシェが傷ついた身体を腕でかかえこみ、ひび割れたくちびるを震わせた。空はあと半刻もせず夕の様相を見せ始めるだろう。 「そうそう。村の方々がお風呂を沸かして待って下さっているそうですのよ」 チグユーノの言葉に、パーティの半数以上を占める女性陣の表情に活気が戻る。 そろそろ戻るか。その言葉を合図に、誰ともなく冒険者たちは櫂を手に取り、帰路についた。自分たちの住むべき、大地へと。

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参加者:8人
作成日:2009/02/25
得票数:冒険活劇3
戦闘9
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冒険結果:成功!
重傷者:猟兵・ニノ(a90390)(NPC)
流れゆく聖砂・シャラザード(a14493)
常夜をひらく鈴の音・クルシェ(a71887)
死亡者:なし
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