月奏セレナータ 〜春宵に兎かく惑えり



<オープニング>


●小夜曲
 春の宵。ましろい月と夜より黒い太陽。
 不思議と。
 憎い、などとは思ってもいなかった。憎いのではなく。ただ、もう。

「消えちゃえばいいのに」

 ただ、ただ、目の前から居なくなって欲しかったのだ。
 コイツが居なくなれば…………なんだったっけ?
 まあいいや。
 とにかく目の前からコイツ居なくなって欲しいなと願った瞬間、コイツはばかみたいになまぬるい血をまき散らしてたおれた。
 望みは、でも、まだちっとも叶ってなんかなかった。

「消えちゃえばいいのに」

 視界から消えたのは一瞬のこと。
 足元に視線を落とせばぴくりとも動かぬそれは相変わらずそこに在った。
 どんなに蹴りとばしても、踏みにじっても、消えるどころかぐずぐずと輪郭を拡げだすありさま。
 居なくなって欲しいだけ、なんだけどな?

「……消えちゃえばいいのに」

 紅蓮の炎。今度はだいぶ消えた。見馴れた、薄汚い路地裏ごとさっぱりと。
 雑踏。悲鳴。絶叫。
 見通しがよくなった視界。むしろ増えたジャマなもの。望みはうらぎられてばっかりだ。
 困惑と実行、小柄な体は地を蹴りつけ宙へと舞った。
 
「消えちゃえばいいのに」
「消えちゃえばいいのに」
「消えちゃえばいいのに」

 春の宵。紅い夜ぞら。なまぬるい夜かぜ。
 嗚呼。
 あの月も陽も、なにもかも、砕け失せてしまえばいいのに。

●兎狩り
「キマイラ、のようなものなのだと霊査は告げました」
 射し込む春の陽光を受けて暗紫にゆらめく水晶球の影。
 困惑と確信、細い指先にその双方を乗せて掌中の珠を転がしながら。
 エルフの霊査士・ラクウェル(a90339)が冒険者たちに討伐を依頼したのは一体の異形だった。

 モンスターにも比する戦闘力を宿したキマイラだがモンスター化の心配は無いとまず告げられた。
 最近になって何件かの事例が報告されているタイプと同種のキマイラだろうか。

 彼は、まだ短い半生の中、一度たりともグリモアに誓いを立てた事など無い、只の少年。
 とある交易街の片隅の貧民窟。身寄りの無い子供の一人としてすこやかにとは言い切れずとも明るくしたたかに育った彼は、銀髪紅眼、ありふれた孤児だった。
 ささいな諍いと脈絡の無い覚醒が重なった結果、彼は兄弟同然に身を寄せ合って生きてきた仲間達すべてを惨殺した。ほどなくその街から人の気配は絶えた。
 最初の惨劇の瞬間、少年は己の中に残る善なるものを完全に打ち砕き、悪なるものを肥大化させた。精神が耐えきれず、理性も良心も何もかもを手放して遂には人の枠からもキマイラの枠からすらも零れ落ちてしまったのだ。
 そんな彼の武器は、炎と脚力だという。

「紅蓮の炎で心身を侵す範囲攻撃とひたすら破壊力のみを増大させた蹴り技。どちらも『殺し終えた敵の遺骸を損壊させる』特色を有します」
 その為、現場は凄惨な有様のままの野ざらしだという。
 元はエルフだったという彼の細長い耳はだらりと地に着かんばかりに垂れ下がり、ヒトノソリンのそれよりもさらに大きく長く変化して隠しようもない程だという。
 彼が出歩くのは必ず夜。陽が……黒ではない輝きを放つ太陽が天にある間は培った土地勘を頼みに複雑に入り組んだ貧民窟や地下を彷徨い続けている。
 昼間のそんな彼を見つけ、的確に追跡することは霊査の眼をもってしても困難なのだそうだ。

「それと、もともと人の往来の盛んだった地でのこと。突然の街の壊滅を知らず……あるいは知って尚放置されたままの遺体や金品の回収の為に徘徊する者の姿が、街の内外にいくつか見受けられました」
 彼らの保護までは依頼内容には含まれない。
 それでもキマイラにむざむざ殺させたくはない、戦闘に巻き込みたくはないと願うのであれば事前に何らかの手を打っておくべきかもしれない。 

「対話も説得もすべて虚しいものとなるでしょう」
 言葉らしきもの。感情めいたもの。時にはそれらをかいま見せることもあるかもしれない。
 だが、彼はもはや魂の残滓と異形の肉体を引き攣りながら、ひたすらに殺戮を繰り返すだけ。
 彼にもたらすことの出来る救済はただ一刻も早い殺害あるのみ。
 金鎖をしゃらり鳴らしながら。
 そう心得て依頼に臨んで下さいと硬い声音で念押しして霊査士は旅立つ冒険者たちを送り出すのだった。


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参加者
自然と昼寝愛好家・ファンバス(a01913)
古の銀の調べ・ヘルミオーネ(a05718)
琥珀の狐月・ミルッヒ(a10018)
蒼翠弓・ハジ(a26881)
黎旦の背徳者・ディオ(a35238)
形無しの暗炎・サタナエル(a46088)
消え逝く緑・フィルメイア(a67175)
月夜に咲く灯り花・ロイナ(a71554)
重鎧・トビー(a72634)
軽装備型隊付衛生兵・ガージェス(a78009)


<リプレイ>


 街道をふたつの騎影、よっつの人影が強行軍で駆け抜けたのと同じ道。
 今は6人の冒険者が徒歩で先を急いでいた。
「キマイラ出現につきそちらは危険です」
 旅を続ける旅商人の青年に後ろから走り寄り声を掛けたのは2mに届こうかという巨躯。
 遭遇した何も知らぬ一般人を、キマイラから遠ざけようと懸命に励む軽装備型隊付衛生兵・ガージェス(a78009)だ。
 生身を全く感じさせない銀の異相の出現に、タロスという種族の存在を知らぬその青年は腰を抜かしそうになったが、ガージェスから害意は欠片も感じられぬ事、種族混成の仲間達が続々と後ろから追いついてきた事で、冒険者なのだと思い至り落ち着きを取り戻した。
 よくは知らぬが冒険者稼業の者だったら風変わりな甲冑に身を包んで歩き廻る事も珍しくは無いのだろうと結論づけてくれたようだ。
「……キマイラ……?」
 初めて耳にした言葉だが何処となく不吉なものを喚起させる嫌な響きだと感じた青年はおずおずと問い返した。そんな2人のやりとりの合間にするりと滑りこむ様に琥珀の狐月・ミルッヒ(a10018)が割り込み、不思議の卵・ロイナ(a71554)も続いた。
「んー、つまりモンスターだね。僕たちそれを退治しにいくトコなんだ」
「今あの街は危険な状態です。御商売どころでは無いでしょうし近づかない様お願いできますか?」
 青年は仰天した後に冒険者達に頭を下げて来た道を引き返していった。その背を見送るガージェスの背後から、コ、コンと軽快に装甲板がノックされる感触。
 振り返れば月光の担い手・フィルメイア(a67175) が少し困ったような表情を浮かべながら見上げていた。
「世間での認知度がどのくらいかは分からないけれど、うかつにキマイラという言葉を出して混乱を誘うのは良くないでしょうって話で纏まってたのよ……」
「おお、それは失礼いたしました」
 改めてガージェスに対して今回は一般人への説得・説明をすべて『モンスター討伐』で通し抜く方針であった事が伝え直され、以降は徹底された。

「対処療法しか出来ないのが、無念じゃな」
 形無しの暗炎・サタナエル(a46088)が誰ともなく漏らした呟きは彼女達のみならず同盟冒険者の多くが感じている焦燥。
 だが後手後手に廻るしか無い現状の中、まずはできることから。
「私達に出来る事は、これ以上犠牲者が出る前に事態を収拾する事……ただ、それだけです」
 ロイナの言葉は諦観ではなく為すべき事を成し遂げるのだという決意に満ちていた。
 ふっと黎旦の背徳者・ディオ(a35238)は腕に抱えた片刃剣に紅眼の視線を落とした。
 彼女の物ではない。遠く距離を置いて分かれた二班が合流時や危急時アビリティでそれを伝えあう為、先行した重騎士と己の武器を交換しておいたのだ。
 刺突にも斬撃にも適し極めて攻撃的に洗練された形状は、あの温和な青年に不似合いの様でいて専守防衛を御題目だけに留めず実践に移す説得力を備えてもいた。
(「 ――『少年の殺害』。嫌な言い方だがこれが今回あの霊査士が依頼したコト、自分達が遂行するコトの、唯一の真実……」)
 あちらは異状無しとディオが簡潔に定期報告を告げた後、一同はまた先を急ぎ始めるのだった。


 青空向けて蔓薔薇を纏う刃がゆらり揺れる。
「お昼前に到着できてよかった。それじゃ、急ごうか」
 預かりものの大鎌の柄を丁重に取り回しながら、自然と昼寝愛好家・ファンバス(a01913)は赤い鎧鞍から蒼翠弓・ハジ(a26881) が降りたのを確認した後、召喚獣に姿を隠すよう命じた。
 古の銀の調べ・ヘルミオーネ(a05718)と相乗りしていた重鎧・トビー(a72634)もそれに続く。

「安全になったらお伝えしますから、今は町を離れて下さい」
 かろうじて顔の判る状態の死体に取りすがって号泣する老人にヘルミオーネは必死で訴えかけた。俺の倅だお前こそ離れろと枯れた喉で怒鳴り返された。
 壊滅を知って尚、取るものとりあえず駆け付けた者は何も後ろ暗い行為を行いに来た者ばかりではなかった。極めて少数ではあったが。
 仕方なくモンスター討伐に来た冒険者なのだと素性を明かし、あと一晩だけ堪えて街から退避して欲しいと言って聞かせるとようやく老人は頷いた。必ず仇を取ってくれと振り返り念を押しながら立ち去る彼に、トビーは貧民窟や地下入口付近は避けて通ってくれと声を掛けようとしたが片腕を引かれ無言でハジに阻まれた。
 あの剣幕では、それを教えれば敵わぬのは承知、飛び込んで行きかねない。街入口に近い此処からなら何も告げず退避させれば危険区域を横切る事も無い筈。
 大方は物盗りや死体漁りに徘徊する者達の発見と説得に追われた。原形を留めた屋敷や常設施設の類を中心に狙うというヘルミオーネの予想は的中し発見は効率よく進められた。
 羊皮紙の証文片手に正当な権利だと喚きたてる商人。涙目で言い繕いながら死体から抜き取った宝石を懐へ仕舞おうとする娼婦。そういった者達すべてに粘り強く危険を説いて廻る4人。
 冒険者である事を極力伏せて行動していた為か抜刀し脅しに掛かるごろつきも居た。軽くかわして後ろ手に腕を捻り上げ、ファンバスが出てゆけと強い語気で命じると尻尾を巻いて走り去っていった。

「……どうやら後続の皆も到着したようだね」
 突然ファンバスの手をすり抜けて蔓薔薇装飾の大鎌が姿を消した。
 ほっと安堵を覚えると同時、積もり積もった心身の疲労も訪れた。そういえば長時間の早駆け開始以降ずっと飲まず食わずの不休状態だった。
 より酷く消耗したのは心だったが体調を整えて戦闘に臨めるに越した事は無い。合流後に幸せの運び手をと、自身は携帯食を持参していたヘルミオーネがふと思い立ち、提案した。


 徐々に長くなりつつある昼間、夕暮れまで暫しの頃合いで合流を果たした二班。
 日没まで入口で待機しようとしていたガージェスも位置伝達の手段の無い分断や再合流の二度手間は不利と思い直し、今度は全員で街の中へ。
 再び避難の呼び掛けが再開され、日没後はキマイラの姿を求めての探索に切り替えた。各自光量を絞ったカンテラを掲げ、夜目の利くエルフ2名は狭い暗がりに神経を尖らせ、円に近いひと塊で一行は荒れ果てた夜の街を歩く。
「ヤな風だね」 
 建物の上からの襲撃も警戒するサタナエルに倣い、空を見上げたミルッヒが呟いた。
 でももっと嫌なのは夜闇にも分る宙の黒。
 人なら誰にだって心に翳さすことなどある。気の迷い、失敗、負の感情。
 だが人はそこから悔やんで学んで、また立ち上がり成長するものだ。
 それすら許さぬ、得体の知れぬ、何か。
「……ヤな感じ」

「何か、いる……?」
 中央広場へと連なる大通りのひとつ。露天市の跡らしく様々な物品と死体とが方々に横たわるのを注意深く避けながら進む途中。
 フィルメイアの目が生物の熱を『視た』と同時、同族のロイナを振り返った。
 同じ熱を捉えたロイナは頷いた。
「はい、間違いない様です」 
 路面に座り込む少年は、割れた石畳の上にしゃがみこんで路上に散乱するなにかをボリボリと貪り食べていた。長大な耳の半ばをぺったりと地に降ろしながら。
 誰もが一瞬ぎくりと陰惨な想像を過ぎらせたがそれは芽のすっかり伸びたジャガイモだった。
 モンスターにも比するという存在。だがそれでもまだ『いきもの』なのだ。腹が減り、ものを喰う。
 ――境目で惑い続けるもの。
「俺が止めてやる。安心しろ……」
 もうさまよい続けなくともよい。断ち斬ってやる。
 相手は、今やトビーが最も嫌悪する、この街にとって『理不尽な暴力』そのものの様な存在。
 だが朴訥を常とする重騎士がその時向けた声音はまるで子供をあやすかのように優しく、不器用で、温かった。


 ときおりゆるく吹きつけていた風が完全に止まった。
 武運を、と。狩人の少年の一言は最も速く戦闘態勢へと移行し得た主に応えた召喚獣が同時発した轟音に飲み込まれる。
 事前の打ち合わせ通り行われる円陣から一挙に縦に長く伸びる四段構えへの陣形変え。
 ハジが立つべきは最後方。腰に提げたカンテラをカラリと鳴らして大長弓を手に、定めた配置へと駆ける。その前にまず牽制射撃をと短矢を番えようとしたが敵は芋を投げ捨て立ちあがったきり何やらぼんやりと首を廻らすばかり。ならば陣を整える方が先決だろう。
 その逆にファンバスは真っ向『兎』と斬り交わすべく距離を詰めて肉薄し、掌中のフリッサに改めてウェポンオーバーロードを注力した。
 華奢というよりも貧相な体格の少年。つい数日前までは自分達が守るべき力無き『民』だった命。
(「まだ子供……でも、キマイラだ」)
 躊躇いは即座に捨てた。迷っては駄目だ。間違えるな。守るべきものを。救い方を。
「長い耳と赤い瞳が兎さんみたいだね、悲しい哀しいウサギさん」
 ――黒い太陽でなく、春の淡いお月様にお還りなさい。
 忍び特有の軽装での堅守を頼みに、ミルッヒも重騎士2人と共に最前衛へと並び立った。
 トビーからも防御を高める術が施され、『兎』へと対峙する双眸は月光にも劣らぬ琥珀。
 2列目以降多数控える術使いの女性陣が次々にその身に邪竜の炎を身に纏い始める。
 キマイラの少年は紅眼を瞬かせてしばしその様をただながめていた。きょとんと小首をかしげる仕草はあどけない子供そのもの。
 だが改めて注視すれば、肩に掛かるか掛からぬかの長さの白銀の髪にもそこから垂れ下がる異形の耳にも左片方の靴を無くしたままの両足にも、乾いた返り血がべたりとこびりついていた。
「消えちゃえばいいのに」
 声変わり前の幼いこえ。月下、ふうわりと。
 重力の存在をまるで無視した大跳躍からごうと風を切りトビーの脳天めがけてまっすぐ振り下ろされた踵落とし。必殺の威力を乗せて繰り出された足を、かわし切れぬと判断した重騎士は膂力に任せ殴り返すかの勢いで大盾を掲げて受け防ぐ。
「っ……ぐっ……!」
 ビリビリと腕に震動が伝わり態勢が崩される。
 だが恐るべき一蹴も持ち前の厚い防御をもって耐えたトビーを完全に地へ臥せさせるには至らず。
 逞しい背に向けて注がれたのは、銀の癒し手達から拡がる淡い歌声と光の波。
「哀しいですね……」
 ただ力だけ与えられ壊しつくされ放り出された、迷い児。
 憐みに満ちるのを止められぬ己を感じながらもヘルミオーネは懸命に戦況を臨む。
 その隣に立つガージェスは攻撃行為全てを捨ててひたすら仲間の回復支援に徹し続けた。

 息が掛かる程の距離に迫ったミルッヒの繰り糸から粘り蜘蛛糸が伸びたがこれは防がれた。
 バッドラックを活性していればと形の良い眉を僅かにしかめたが相手は幸運から程遠い存在。
 不幸の援護無しでも戦いは充分有利に進んでゆく。
「消えちゃえば……」
「全て消したいなら、自分を消すのが早道じゃよ」
 台詞すべてが吐かれるのを待たず灰銀髪のエンジェルは銀狼の顎を飛び掛からせた。牙が少年の肩に深く喰い込み自由を奪う。薄布に覆われたロイナの指が描く紋章は素早く縛撃から爆火球を生む軌跡へ。白花の如きローブがふわりと波打つ。
 大鎌を模した魔具の刃が月光を弾いて煌めきながらゆらり揺れる。纏う炎は邪竜の漆黒。
「黒い炎も綺麗でしょう?」
 まともに反応など返らないのは承知。私達、そっくりねと。
 気馴れた知己に、あるいは姿見にでも話しかける風情で、ディオが薄く微笑みかける。
 スキュラの魔炎と毒とに苛まれ続ける『兎』に向けて。
 銀糸が揺れ、紅眼に殺意が宿る。
「……消えちゃえばいいのに」
 なけなしの幸運を振り絞り、纏わりつく凡てを払いのけた『兎』が再び牙を剥く。
 前動作も無く唐突に振り撒かれた紅蓮の爆炎は前衛勢すべてを焼き炙った。
「させない……」
「治療はまかせて下さい!」
 羽天使を散らしながらファンバスが癒しの歌声を響かせる。射程上ハジには届かなかったが前衛全員に行き渡らせ終えていたトビーの守りも彼らを助けた。
 前衛陣の全身からいまだ猛火が立ち上るのを看て取り、銀の機肢が翠の夜風を呼んだ。ガージェスの術と幸運とに後押し受けて炎が掻き消え、戦意が灯される。
「黒い太陽に心を奪われたとはいえ、してはいけない事をしてしまった」
 許せない。でも貴方の所為じゃない。フィルメイアは揺れる内心を飲み込み羽天使を仲間の頭上へと静かに降ろす。

 タタタタッと妙に小気味良い音を立てて、何度も幾筋も。
 夜を翔けて少年の胸元へと達した短矢がようやく『兎』の狂気を終わらせた。
 短い生を終えて、今は無数に転がる屍のひとつにと加わった少年。
 ――おやすみなさい。
 音はまったく伴わず。ディオの唇がそう動いた、気がした。
 

「お疲れ様でした……」 
 ロイナが仲間に掛けた労いの言葉には何処か気重さが伴う。
 ぬるくまた吹き始めた宵風は花の季節だというのに死臭ばかりを届ける。
「この街はもう終わりなのでしょうか」
 そう考えると何とも遣る瀬無い気分になりますねと。
 それでも気丈に、ロイナは精いっぱい作り笑いを浮かべた。

 街をこのまま放置するに任せるのは忍びないと何人もの冒険者が愁い、埋葬を始め出した。
「このまま黒い太陽の下に晒して置くのは嫌だから」
 怒りを滲ませた声。ミルッヒはそっと少年の紅眼を閉じさせた。
 ――それとも街ごと燃やそうか?
 彼の最後の望み通りにとディオは世界を壊す壮麗な紅を脳裏に描いた。
 だが、おそらくそれも叶わない。
 どれほどの惨劇も屍や血も、いずれ人は乗り越えてゆく。その上に新たな営みを築き上げてゆく。
 さしあたって自分達の明日の為に必要なのは新たな霊査材料。ディオは粗末なボロ靴の残り片方を右足首から抜き取った。
(「綺麗に、消してアゲル。 ……とは、いかなかったけれど」)
 あるいは。彼という存在ごとこの悲劇すら忘却されてゆく、その時にこそようやく。
 其の望みは成就するのだろうか。

 まずは少年の埋葬から。 
 街の外れにまで辿りついた処でサタナエルはようやく詰めていた息を吐き、紅の鉄槌を降ろした。
 おそらくはその心配は無用だろうという仄かな予感もあったが警戒を怠らず、キマイラの集団の到来に備えていたのだ。
 彼が選ばれなかったのか、見出されたが間に合わなかったのか……自分達には知る由も無い。
「これ以上、血に塗れた道を作らせたくない」
 この子の変貌。昨今頻発する不可解なキマイラ事件。
 少年を葬る墓穴を掘りながらファンバスは心から悲劇の終焉を希み、誓った。


「……何が起きてるんだろう」
 穴の中横たわる少年の遺骸に土を被せられてゆくさまを見届けながらハジがぽつりと呟く。
 春宵の月も漆黒の太陽も答えてはくれない。今は惑いながらそれでもただ進むばかり。
 気の遠くなるような数の埋葬に奔走する間にも月を呑みながら近づく黎明。
 世界はいまだ薄暗いままだ。


マスター:銀條彦 紹介ページ
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冒険活劇 戦闘 ミステリー 恋愛
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わからない
参加者:10人
作成日:2009/04/19
得票数:冒険活劇2  戦闘2  ミステリ2  ダーク14 
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