重い臓物



<オープニング>


●腐臭との出会い
 普段なら、ここまで獲物を深追いしたりしない。狩人の男をそうさせたのは、このあたりにはしばらく、化け物らしい化け物が現れていないという安心、そして油断だった。茜の草原を駈ける獲物とそれを狙う男。その男の視線の先で、追っていた小鹿の頭が不意に『弾けた』。
 散った獲物の肉片が、男の足元にまで飛んできた。明日の糧となるはずだった肉塊に、男は喜ばない。喜べなかった。代わりに、凍りつくような戦慄が男を締め上げた。
 ああ、化け物がいる。
 頭のない小鹿よりもさらに離れた岩陰に、でろり、と垂れた、太い縄が絡まったような物体が小山を作っている。縄の一本一本が夕日に照り映えているのが遠目にもわかる。
 あば、あぼっ。あばっ。不快な嗚咽のような音。続いてじゅうじゅうと草と地面が灼ける音。小山の麓が煙を噴く。
 逃げなければ。そう焦りながらも知らず、男は呻いた。
 臓物の塊か、あれは。

●重い臓物
「モンスター退治の依頼よ」
 人を集めると、古城の霊査士・トート(a90294)は口を開いた。
 手は血のこびりついた小さな骨片に触れている。幸運にも逃げ帰ることが叶った男の、衣服に付着していた小鹿の残骸の一部であった。
「人里離れた、草丈もそう高くない小さな草原に居ついたモンスターが一体」
 まず容貌を説明する。
「身の詰まった風船のような胴体から人間の手足が四本生えて、体を支えているような外見。四足の蛸みたいな姿ね。怖いのは蛸の頭の中身で、攻撃形態になるとそこが割れて腸が全て外に展開されるの。さながら『臓物の小山』だそうよ」
 その酒場の小さな一角のみが、空気を強張らせたのを霊査士は察した。その一方で、平然と聞いている者もいる。
「自分の内臓を自由自在に動かして、物理的な攻撃はもちろん、種々多様な効果を及ぼす消化液を浴びせてくるみたい。周囲に毒液の付着した骨まで飛ばしてくるわ。中途半端に離れるのも危険だし、接近しても強靭な腸が襲ってくるでしょうね」
 なかなかの難敵よ、と伝え、反応を伺う。そこに怖気づいた者など存在しない。
 霊査士は唇の端を吊り上げて笑った。
「……ただ、不幸中の幸い。そいつには弱点がある。位置は足の間。ぶら下がった心臓のよう、もしくは顔のようにも視える……。腸が外に出ている時はそれに隠れてしまうようだし、随分狙いにくい位置にあることは否めないけれど。まあ、あなた達なら倒せるはずよ」
 と締めくくった後、ああ、と付け加えた。
「害はなさそうだけど、ひどい臭気を発しているわ。そのへんは個人の判断で対応しなさいな」
 じゃあ頼んだわよ。見送った霊査士の手の中で小鹿の骨が転がる。
 ふと、金木犀の咲く髪を垂らした牙狩人が参加していったのを思い出し、あんな小僧の精神で耐えられるのだろうか、などとどうでもよいことを考えた。霊視の段階で彼女が鮮明に視た光景は、あまりにグロテスクに過ぎ、そして幾分危険なようだった。


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参加者
業の刻印・ヴァイス(a06493)
緑薔薇さま・エレナ(a06559)
旋律調和・クール(a09477)
阿蒙・クエス(a17037)
黒猫の花嫁・ユリーシャ(a26814)
祈りの花・セラフィン(a40575)
常夜をひらく鈴の音・クルシェ(a71887)
信念を貫きし剣・アーク(a74173)
NPC:深淵樹海・ザキ(a90254)



<リプレイ>

●凄愴たる茜の原、あける腹の内
「攻撃時に贓物の山と形容すべき姿になる四足の蛸モドキ、か……」
「……違った意味で強敵だろうねぇ今回よ」
 時は夕刻に差し掛かっていた。信念を貫きし剣・アーク(a74173)、阿蒙・クエス(a17037)の呟きを乗せた風が優しく吹き抜けた。風がひゅるひゅると草面を薙いでいくさまを目で追えば、その向かう先にあるのは異形に侵された腐臭の原。まだらに生え残った叢越しに小さく見えるのは、不気味に体をゆらし、目的もなくそこに佇む一匹のモンスターであった。
「精神衛生上よろしくない上に環境にも悪そうなモンスターさんですね……?」
 雪うさぎとワルツ・クルシェ(a71887)である。背中からそよいでいく風にしなやかな髪は茜色に美しく靡いた。それを抑える術手袋には鈴がない。余計な音を立てぬよう、あらかじめ外して置いたらしい。
「少々不恰好ですが、仕方ありませんわね」
 微かなため息と共に風神・ユリーシャ(a26814)が嘆くのは、マントやマスク、ゴーグルなどで顔の各部位を覆った冒険者達の姿のことだ。クエスの忠告に従い、深淵樹海・ザキ(a90254)もスカーフで鼻と口を隠している。
 彼らが風上に立っているのはひとえに、腐臭を浴びる機会を減らすために他ならない。風向きを確かめつつ、敵を観察していた旋律調和・クール(a09477)がぎょっとした様子で遠眼鏡を下ろした。
「ひっ……何あれ気持ち悪い……」
 隣で遠眼鏡を覗いたアークも、軽く眉間にしわを寄せる。
「確かにグロテスクだな……あまり近付きたくは無いが仕方が無いか」
 未だ気づかれた様子がないとはいえ、いつまでもここに留まるわけにもいかぬ。冒険者らは静かに接敵を開始した。
 土気色の蛸はそれまで大岩の影に佇むようにその場を動かず、不規則に足を痙攣させていただけだったが、冒険者が近づくとおもむろに足をわきわきと動かし始めた。四足の間には脈打ちながら腐液を垂らす心臓も見える――それが一瞬で消えた。どこへ?
 消えたのではない、代わりに出現した脅威に隠されたのだ。大量の臓物が腹から溢れ出してその全身をすっかり覆ってしまうと、もはや前も後ろもわからない塊のようになっていた。
 攻撃形態を露わにした敵を前に、冒険者に戦慄と緊張が走る。
「なんと言うか……変わり果てた姿になるモンスターも多いが」
 元々一体どのような冒険者だったのやら、と数瞬夢想し、業の刻印・ヴァイス(a06493)は得物――『ツェペシュ』を握りなおす。
「これはあれだろ。夢に見たら魘される事請け合いだな」
 クエスが鼻栓をもう一度押し込んだ。腐臭を回避すべく入念な支度を整えてきた彼らは、未だその臭気と対面していない。もちろん、一度も対面せず依頼が完遂されることがもっとも望ましいということは言うまでもない。
「あらまあ……凄い臭気ですわね。それに……この内臓のボリュームは……。怪獣さんだったら大量のモツ料理が作れたんですけど、残念ですわ」
 緑薔薇さま・エレナ(a06559)が謎の微笑をモンスターに送っている。目は、笑っていない。
「うわ、見てると吐きそう……。さっさとケリつけなくちゃね……あんなのに触られたらお嫁にいけないわ……大丈夫耐えられる頑張れ私平静保って!」
 対して小声で自分を鼓舞するクールの反応は、実に素直であった。
 悲喜こもごもの反応を示す仲間を見て何か言わねばと焦ったのか、祈りの花・セラフィン(a40575)が口を開く。
「ええと……ええと……がんばりまする……ね」
 目が泳いでいる。
「………無理、しなくていい」
 なんとか励まそうとしたザキも心なしか顔色が悪い。
「来ますわよ。油断なさらずに」
 自身とエレナに鎧聖降臨をかけおえたユリーシャの言葉と同時に――。
 ざわり、ざわり。滑るように小山が移動し始めた。

●清掃たる闘争
 ヴァイス、エレナ、アーク、ユリーシャ。噴煙を巻き上げてのそのそと迫る臓物の、その攻撃範囲に前衛4人が突っ込んでいく。距離が詰まり、あばあ、ばぁぷご、などと不快な嗚咽が耳に入ってくる。
 と、小山が一瞬姿を変えた。腸間膜を広げて同心円状に並び――さながら肉厚の花弁のように。
「何か来るわ!」
 後ろからクールの警鐘が聞こえる。肉色の巨大な花がひと震えして、大量の骨片が周囲に飛散した。骨が肉に食い込み、猛毒が体内を廻る。それでも冒険者は怯まない。さらに接敵を図る。次の一撃を受ける前にクールのヒーリングウェーブが彼らに届き、毒が肉体を蝕むより早くセラフィンの捧げた静謐の祈りが消し去った。
 不快音と飛沫を上げて腸の間に突っ込まれたのはユリーシャの華奢な腕。チャドルを貫通し、悪辣たる腐臭が鼻を突く。得体の知れない組織をなんとか掴んで――投げ飛ばそうとし、振り払われた。よろめくユリーシャに降りかからんとする腸が、しかし無残に破裂した。クエスが放った『飛礫』であった。
「我が一刀は雷の煌き……奥義、雷光一閃!」
 叫びと共にアークがサンダークラッシュを見舞う。バチバチと肉の焼ける臭気が漂い、追撃の成功を知らせた。
 続いて、クルシェが飛ばした銀狼が喰らいつく。
「大人しければきっと何処かしら可愛いところが……」
 あぶあっぼぼ、ぼぼぼぷ。不快音でしかない嗚咽に、うう、と呻くクルシェ。
「ないですよね、やっぱり」
 蠢く腸管の群れは一切の停滞を見せない。さすがに強靭なのか。
 彼の者が放つ凶悪な腐臭はある程度マスクで防いでいたが、消化液を漏らす音はどうしようもない。肉体的、精神的被害を抑えるためにはさっさと大人しくさせるより他にないだろう。
 さらにザキの鮫牙の矢が命中したものの、バッドステータスを与えるには至らない。
 その臓物の山が、また姿を変えた。
「!! また何か――」
 セラフィンの叫びも間に合わず、一瞬収縮した腸が膿緑色の液体を噴出する。
 前衛を務める者達を灼熱のような感覚が襲った。無残にも体表を爛れさせて苦痛にもんどりうつ。ヴァイスのマントでも防ぎきれなかった。毒が体内で暴れ、手足が強張って、満身から流血が止まらない。身にまとう防具も力を失ったようだ。
 地獄絵図のような惨状を柔らかな歌声が包んだ。セラフィンの高らかな凱歌が傷を癒し、異常状態から回復させていく。クールが状況から的確に判断し、放ったヒーリングウェーブが冒険者達を全快に近い状態まで持っていく。最後にクルシェの祈りが全ての異常を消し果たす。潤沢な回復手達が、敵の凶悪な攻撃をほとんど無効化させた。
 持ち直したエレナが前に出る。両手に構えた双包丁が袈裟懸けに振られ、はらわたの山に確実にダメージを刻んでいく。
「今ですわ!」
 呼応し、ヴァイスが狙いを定めた。既に幾度目かの試行。外すわけにはいかない。
(「ジョーカーだ……」)
 後ろに構えたヴァイスの手が軽く振られると、いつのまにかその手にはトランプ・カードが現れていた。
(「釣りは要らないから存分に喰らえ!」)
 それがただのトランプ・カードであるはずはない。バッドラックシュートの作り出す不吉のカードが、敵に闇色の痕を刻むべく一直線に吸い込まれていった。風を切る音がヴァイスの耳に残った。
 うねり止まぬ腸の群れ、ひときわ視線の集中した先に、はっきりと、不幸をもたらす黒痕が現れていた。
「来たぞ、勝機!!」
 アークの勝ち鬨のような声に応じ、クエスの渾身の一撃が、ザキの鮫牙の矢が炸裂する。
 魔炎、魔氷に舐め尽くされて反撃も敵わないモンスターに、白と銀が襲い掛かった。ヴァイス、クルシェの拘束アビリティ、粘り蜘蛛糸と気高き銀狼であった。
「しばらく、腸詰は食べたくないですわね……!」
 再び、ユリーシャが腸に掴みかかる。今度はエレナも一緒だ。とにかく掴めるところを掴んで、思いっきり投げ飛ばした。べちゃ、と嫌な音を立て、あっけなくひっくり返る。果たしてそこには心臓があった。もはや役に立たない手足が痙攣を繰り返すその根元で、絶え間なく脈打ちながらも嗚咽と腐液を滲ませ、人の顔を思わせる凹凸が哀れに空を見上げていた。腸をまとめて拘束され、心臓を守る物は何もない。
 飛来する火球。矢。ブーメラン。
「終わりだ、モンスター」
 ヴァイスの静かな宣告が、その化物にかけられた最後の言葉となった。

●葬送の火
 日は暮れていた。モンスターは倒れたが、視界が利くうちにやるべきことはまだあった。即ち、後始末である。クルシェの提案は『燃やすこと』だった。
「有害なものが詰まっていそうな気がしますし、ここは火葬に付したい所です」
「そうだな、燃しとくか?」
 臭いはどうなるかわからねぇが、と加え、クエスがクルシェに同意した。
 ああ、弔おう。ヴァイスが応じた。
「俺も冒険者である以上、明日は我が身だ」
 草のない場所を選んで、火をつけた。
 内臓と脂肪の焼ける臭い。腐臭とも違う、独特の臭いだ。つい先ほどまで猛威を振るっていたモンスターが、炭となって体積を減らしていく。
「ともあれ、これで動物たちもこれまでの暮らしに戻れるでしょうね」
 クルシェが嬉しそうにそう言う。
 あれほど気味悪がっていたクールが土産話にする、と言って腐肉の一部を包んでいた他は、火の粉を噴き上げる屍骸を遠巻きに眺めている者が多かった。
 少し離れたところで、ぼうっと火を見つめていたザキに差し出されたものがある。ブレンドされたハーブと薬草、それを持ってはにかんでいるのはクールだった。気休めにでもなれば、と渡したものだが、ザキにはそれがとても温かく思え、凄惨な戦いで冷えた心にはありがたいものだった。
 一気に心労を被ったのか、げっそりとした頬に手を当てたセラフィン。その手にすら腐臭が染み付いている気がする。
「当分、お肉料理は頂けない気が致しております……」
 力なく呟いたのを、隣でエレナが聞いていた。
「……………」
「…………」
「……モツ鍋」
「!?」
「いえ、やっぱり無理ですわね……」
(「…………早くこの場を離れとうございます」)
 異様に胆力のあるエレナに、若干ついていけないセラフィンであった。
 女性陣はこれから水浴びに行く、と聞いて、
「一張羅に臭い染み付かにゃぁ良いんだが……今更ながら手遅れだよなぁ」
 着替えや消臭に余念がないアークを横目に見やり、クエスが天を仰ぐ。星が出ていた。火葬の煙柱と、女の子達の楽しげな声と、男のぼやきが空に消える。今日も呑まにゃぁやってられねぇな。と呟き、紫煙を吐いた。


マスター:紫蟷螂 紹介ページ
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