軌跡は輝く希望の下に



<オープニング>


●2019年の世界
 インフィニティマインドが星の世界への旅から帰還して4年が過ぎた。
 世界は相変わらず平和で、冒険者達は変異動物や怪獣と戦ったり、人助けをしたり、旅に出たり、第二の人生を歩み始めたりと、思い思いに暮らしている。
 そんな中、誰かが言った。
 魔石のグリモアとの最終決戦から10年。世界が平和になって10年。
 この節目の年に、久しぶりにみんなで集まるのはどうだろうか。
 互いの近況や思い出話など、話題には事欠かないはずだ。
 さあ、冒険者達の同窓会へ出かけよう!

●一通の手紙
 前略、イャト兄元気ー?
 私は今、ホイさんの村にいるの。懐かしいでしょ〜。
 皆元気よ。ホイさんの子供達も随分大きくなって、私の事「ちっちゃいおばちゃん」なんて呼んでくれるの。どうしてくれようかしらうふふ。
 でね。もうじき10歳になる一番下の女の子は、動物が苦手らしいのね。
 身近な物で慣れてもらおうと思って頑張ってるんだけど、なかなか……。
 今度、兄ィも遊びに来ない?
 ラツ君や他の皆も誘って、大勢で遊びに来たらきっと楽しいと思うの。
 ホイさん達も村の名物でおもてなししてくれるって。じゃあ、待ってるから!
 ――追伸。尻尾仲間じゃなくても構わないわよー。

 ある日、烈斗酔脚・ヤン(a90106)からそんな手紙が届いた。
 過去に何度か頼み事を聞いた覚えのある男、ホイ。彼の村の名物と言えば……美味しい麦饅頭に、辛紫蘇が決め手の床踏こうこ、頑固親爺の手焼き煎餅。それらを季節の初物と共に一緒に点てた白く泡立つ『食べるお茶』は珍味である。
「懐かしいなァ、花番茶。俺も食いに行きてェ」
 話を聞いた十拍戯剣・グラツィエル(a90144)は俄然乗り気。15年振りだ、と楽しげに揺れる彼の犬尻尾を視界に納め、黯き虎魄の霊査士・イャト(a90119)は冒険者達の前に手紙を滑らせた。
 折角の誘いだ。一堂に会して語らうのも一興、と。

●2109年の世界
 世界が平和になってから、100年の時が過ぎた。
 年老いた者もいれば、かつてと変わらない姿を保っている者もいるし、少しだけ年を取った者もいる。中には寿命を迎えた者も少なくない。
 そんなある日、冒険者達にある知らせが届く。
 100年前に行った、フラウウインド大陸のテラフォーミングが完了したというのだ!
 昔とは全く違う姿に生まれ変わったフラウウインドは、誰も立ち入った事の無い未知の場所。
 そうと聞いて、冒険者が黙っていられるはずがない。
 未知の大陸を冒険し、まだ何も書かれていないフラウウインドの地図を完成させよう!

●それは緑豊かな渓谷
 隆起した大地の狭間に在って雨風少なく、清らかな水が流れ、背が高く葉の大きな植物が繁茂する。葉のポケットに溜まった露は渓谷に集落を構える猫小人達の飲み水となり、渓流で釣れる淡水魚は彼らの食糧となっていた。
 魚を始め様々な水棲生物の住処となっている渓流には、大きなヒレを持ちトビウオの様に空を飛ぶトカゲが棲んでいるという。一見翼と見紛う程のヒレと薄い飛膜は、水を纏い陽を撥ねて虹色に輝くのだそうだ。
 その地に住む者達でさえ滅多にお目にかかれないというその姿を発見出来たら、とてもラッキー。
 気侭な冒険ついでに、彼らの暮らしを体験してみるのも良いかもしれない。天然の雫を葉から飲み、渓流で釣りや水浴びをして、釣った魚はその場で調理して食べよう。
 上空から見ると三日月の様な形をしたその渓谷に、名前はまだない。
 ならば自分達がこの場所に名前を付けよう。
 それは冒険の記録の一頁に、確かな証となるだろうから。

●3009年の世界
 世界は1000年の繁栄を極めていた。
 全てのグリモアを搭載した『世界首都インフィニティマインド』には無敵の冒険者が集い、地上の各地には英雄である冒険者によって幾百の国家が建設された。
 王や領主となって善政を敷いている者もいれば、それを支える為に力を尽くす者もいる。相変わらず世界を巡っている者もいたし、身分を隠して暮らしている者もいて、その暮らしは様々だ。
 1000年の長きを生きた英雄達は、民衆から神のように崇拝される事すらある。
 今、彼らはこの時代で、どのような暮らしを送っているのだろうか?

●冒険者が興した国のお膝元
「こないだ誕生日だったんだって?」
「ええ、20になりました」
 道往く人に声かけられて笑顔で応じる青年が誰かの面影を――瓜二つと言って良い程――有している事に、どれだけの者が気付いただろう。褐色の肌に艶の無い灰色の髪、くすんだ色の猫尻尾。
「この街には慣れたかい?」
「そうですね――願わくば、犬か猫でも飼いたいです。親しい友人でも居れば違ったんでしょうけど……。独り暮らしは慣れません。寂しがり屋なんですよね、俺」
「ははは、正直だな」
「『思った事は隠さず素直に表すべし』。ハンドラ家家訓です。おかげで、一言多いとよく言われます」
 街角。青年は「やあ、これは綺麗だ」と言いながら花を買い、すれ違う人々に会釈をして歩いて行く。貴方にも、軽く挨拶をして――。
「この先に蚤の市が立っているそうですよ。古物や、食べる物もあって、旅芸人が歌舞を披露したり――毎週催しているらしいんですけど、今週のは建国記念祭も兼ねているそうですから、もしかしたら英雄本人や縁の人々に会えるかもしれませんね。如何です。貴方も少し寄って行ってみては?」

●数万年後の世界
 永遠に続くかと思われた平和は、唐突に終わりを迎えた。
「あれ、海の向こうが消えた?」
 異変に驚いてインフィニティマインドに集まった冒険者達に、ストライダーの霊査士・ルラルは言った。
「あのね、これは過去で起こった異変のせいなの。過去の世界で……希望のグリモアが破壊されちゃったんだよ!」

 とある冒険者がキマイラになり、同盟諸国への復讐を試みた。
 彼は長い時間をかけて、かつて地獄と呼ばれた場所にある『絶望』の力を取り込むと、宇宙を目指した。
「えっと、これ見てくれる?」
 ルラルは星の世界を旅した時の記録を取り出した。
『2009年12月10日、奇妙な青い光に満ちた空間を発見。後日再訪したその場所で過去の光景を目撃。詳細は不明』
「この記録を利用できるかもって思ったみたいだね。そして、実際にできちゃったの」
 どうやら、この空間は過去に繋がっていたらしい。男はここから過去に向かい、希望のグリモアを破壊してしまったのだ!
「世界が平和になったのは、希望のグリモアがあったからだよね。だから希望のグリモアが無かったら、今の世界は存在しないって事になっちゃう。ルラル達、消えかかってるの!」
 今の世界は、希望のグリモアが存在しなければ有り得なかった。
 だから希望のグリモアが消えた事によって、今の世界も消えて無くなろうとしているのだ。
「これは世界の、ううん、宇宙の危機だよ! だって、みんながいなかったら、宇宙はプラネットブレイカーに破壊されてたはずだもん! だからね、絶対に何とかしなくちゃいけないんだよ!」
 ルラルにも方法は分からないが、事態を解決する鍵は、きっとこの場所にある。
「でも、この空間……えっと、タイムゲートって呼ぼうか。このタイムゲートの周囲には、絶望の影響で出現した敵がいるの。これはね、全部『この宇宙で絶望しながら死んでいった存在』なの」
 彼らが立ちはだかる限り、タイムゲートに近付く事は出来ない。
 彼らを倒し、タイムゲートへの道を切り開くのだ!

●宇宙に漂う黒い玉
「んーとね、黒くてつるっとした丸いボールが沢山」
 ルラルは『敵』の形状をその様に形容した。その艶めく黒玉は時折内からぼんやり赤く発光したりもするらしい。何もしなければその場にふよふよと漂っているだけだが、一定距離に接近すると内に蓄えた赤い光を一直線に放ち攻撃して来る。遠〜中距離圏を突破して肉薄すると、黒玉は手足の様な突起を生やして動き回り、回転を加えた物理攻撃で以て冒険者達を阻もうとするだろう。
「変形するの! その時に特殊な音を発するんだけど……多分、警告音なのかな? 他のボールはそれを合図に皆を敵と認識して、一斉に襲い掛かってくるみたい。囲まれない様に気をつけてね!」
 防御形態から攻撃形態へ。
 一体でも変ずれば、黒玉は自衛距離を自ら越えて手足を生やし冒険者達に襲い掛かって来る。攻撃形態となった黒玉は光線を撃たないが、変形前の緩慢な動きからは予想も出来ない高速移動と、何よりその数が厄介だ。正確な数はルラルにも解らない、が。
 この世界を、宇宙を、危機から救う為に今一度冒険者の力が必要だ。
「皆もドラゴンウォリアーに変身出来るんだもん、大丈夫だよね? 沢山やっつけて来てね!」
 戦いの舞台――宇宙へと、彼女は元気に冒険者達を送り出した。


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参加者
朱陰の皓月・カガリ(a01401)
星影・ルシエラ(a03407)
死留怒一代漢・ライナー(a07026)
無邪気な笑顔の・エル(a08082)
魔戒の疾風・ワスプ(a08884)
百之武・シェード(a10012)
琥珀の狐月・ミルッヒ(a10018)
蒼炎超速猛虎・グレンデル(a13132)
気紛れな魔女・シラユキ(a24719)
野良ドリアッド・カロア(a27766)
赤心紅翼協奏曲・ハルヒ(a31994)
移ろい揺蕩う其は・リオネイ(a37326)
小さな海・ユユ(a39253)
オーディーンの槍・カミュ(a49200)
聖風の戦姫・アヤセ(a72388)
終わらない唄・ヴァレリア(a79444)


<リプレイ>

●2019年〜今とこれから。いつか還る場所〜
 久し振りに訪れる場所、久し振りに会う顔。
 どちらか片方でもそこにあるなら理由は充分。両方あったらとても幸せ。
 勿論、片方しかなくても、両方なかったとしても……そこで出会った瞬間から始まる関係や、増える知識と思い出があれば良い。その為のひと時になれば良い。
 今も昔も変わらない穏やかな場所で、受け継がれて行くものが在る事を、皆にも見てもらいたいから。

 ――キエー。
 平和な村の片隅に、奇妙な悲鳴が響き渡った。
 村人達にはすっかり慣れた事なのか、流れる時間には一切の乱れも生じない。ヤンの尻尾に挨拶代わりに飛びついた琥珀の狐月・ミルッヒ(a10018)自身が悲鳴に一番驚いている。が、蒼炎超速猛虎・グレンデル(a13132)にとっては懐かしい、相変わらずのヤンの姿。失笑と同時にほっとする。
「変わってねえな。ヤン」
「……グレンデル?」
 二、三度瞬いたヤンの表情が、ぱっと輝いた。
「グレンデルこそ全然変わらないわねー! 久し振り! 元気?」
 グレンデルが『全然変わらない』のは生命の書の効果である。が、この場でそれは言わずにおいた。ただ、そういう意味では先の発言を少々見直すべきか。鸚鵡返しに「久し振り、元気」と答えて彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべた。ついさっきまでどんな顔をして会えば良いのか分からなかったが、実際に顔を合わせれば飛び出す軽口。
「尻尾のそれはもう条件反射だなー『おばちゃん』」
「そ、それは言わないお約束っ」
 『それ』というのは尻尾の話か、はたまた。
 くかかと笑うグレンデルと、微妙にショックを隠し切れないヤン。ヤンとて言うほど肌艶老け込んではいないが、それは日々の手入れと鍛錬の賜物だろうか。流石に10年前程無頓着ではないらしい。
 素敵に年齢を重ねているならそれは、とても良い事。
 ミルッヒは触り心地の良い尻尾をまだ握り締めている事に気付いてそっと解放した。にこやかに。
「星の海でのお話、聞かせてね? お菓子も楽しみなんだー」
「もちろん。ゆっくりして行ってね。皆も!」
 弾ける笑顔でヤンは滞在先の家主であるホイさんを呼びに行く。その際彼女が発した「新しいフカフカさん達が来たわよ〜」という謎の言葉を聞いて、家の陰で様子を窺っていた子供達が一目散に逃げて行くのを、冒険者達は目撃した。
「「「………」」」
 彼らに何をしたんだ、ヤン。
 っていうか、『フカフカ』?
 身を翻す直前に彼女は、集まったストライダーの尻尾達を見ていた気がする。

 ひょろ長い青年を伴って再び表に出て来たヤンに、先程挨拶し損ねた悠遠かなたの前奏曲・ヴァレリア(a79444)は「お久しゅうございます」と丁寧に腰を折るお辞儀。初対面のホイさんや、共に冒険した事があるミルッヒにも一言添える挨拶をした彼女。
 客人の数が想像を越えていたのか、呆けた様に面々をゆっくり見渡していたホイさんだったが、手を振る星影・ルシエラ(a03407)とその脇に控えるイャトを見つけて我に帰ると、深々と頭を下げた。
「その節は大変お世話になりました。今日は遠路遥々――おや?」
 跳ねる様にお辞儀するルシエラと、彼女が半ば無意識に絡める腕から己の腕を無表情に逸らすイャトを不思議そうに見て、――何となく何かに気が付いたらしい。感動した様に、ホイさんの目は改めて客人達へと向けられる。村の恩人である冒険者と霊査士と、その知人友人達。
「そういう事でしたか、ヤンさんは――」
「親父ー。火ィー」
 家の中からの呼び声に動転するホイさん。
「ちょちょちょ、っとお待ち下さいね! すぐに! 今すぐに!」
 饅頭でも火にかけていたのだろう。「すぐに用意しますから」と言いたいらしい彼は、じたばたしながら家の中へと駆け戻って行った。冒険者達の大事な一席を、彩る為に。
「ホイさん、何て言おうとしたのかなー?」
「………想像はつくがね」
 訊き返してもイャトはきっと答えてはくれまい。首を傾げてルシエラが振り返る先には、ヴァレリアやグレンデル、ミルッヒらと話す楽しげなヤンの姿があった。

「――ヤンさん、旅団で一緒だったエルです。ずいぶん時間が経ってしまったけど覚えてます?」
 歓談の輪にちょこんと乗っかって、無邪気な笑顔の・エル(a08082)はそんな風に声をかけた。
 当時の外見は13歳くらいだったから、27歳に成長した今は随分と見違えるはず。すぐには判らないかもしれないと思っていたが、ヤンはしっかり覚えていた。
「すっかり大人になったわねー」
 また会えてほんとに嬉しい、とエルを抱き締め、今度お酒に付き合って欲しいわ〜などと冗談めかす彼女に、エルは「その前に、紹介したい人が居るんです」と笑顔で言った。
「私の夫のシェードさんです」
「おおう……おお、おっと」
(「何だろう、その反応」)
 それは彼女にとって飲み込むのに難儀する言葉であるらしい。何はともあれ、エルを挟んで軽く挨拶を交わす武道家同士、百之武・シェード(a10012)とヤンは初対面の筈だが、ヤンの方は共通の知人・グラツィエルから少しは話を聞いていた様だ。何だか初対面の気がしないわねー、と照れ笑う。
 シェードが何となく視界を巡らせると、グラツィエルがのほほんとやって来た。
「俺が何だって?」
「いや、何でも――」
「……お〜っ。グラヤン久し振り〜、お互い老けたなぁ!」
 更に二人を見つけてやって来たのは魔戒の疾風・ワスプ(a08884)である。ナチュラルに人の名前を繋げて呼ぶのはともかく。
「老けたっつゥか。まァ、老けたけどよ」
 身も蓋もねェなと言いつつ、あっさり受け入れるグラツィエルに対して、ヤンは複雑な顔。
「ワスプ君までそんな話……!」
「おうおう、何だよ禁句ってか? 器の小さい事を言ってんじゃ……」
「キェー!」
「――『小さい』ってトコだけ反応してるんじゃねぇ!」
 問答無用の怪鳥音と空を裂く音、こめかみを抉る風圧をギリギリ仰け反って躱したワスプ。
 ヤンは、首根っ子をグラツィエルに掴まれ、殆ど足が地に着かない状態で一時退場。ヤンの奇声は次第に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
「………」
「あ〜酷い目に遭ったぜ。――お、シェードにエルご無沙汰〜二人とも変わってないなぁ」
 ぐきごきと首を回しながらワスプは、取り残された面子の中に見つけた友人夫婦にそんな挨拶。
「生命の書の出汁の効果ってやつか」
 揶揄する笑み。
 ワスプは、結局それを使わなかった。今のまま、自分のまま、歳を重ねて行く意志は固い。
「皆すっかり年取ったね」
 軽口の様なそうでない様な。奇妙な響きを伴うシェードの呟き。
 生命の書を使った者も使わなかった者も、10年前に比べて大人びて見える。無論、当時と全く変わっていない者もいるが。その中で、確かにワスプは相応にその身に変化を刻んでいた。ただ、彼を彼たらしめている根底にあるものは今も揺るぎない様に思える。
「ずっと、よき友人でいたいですね」
 ぽつり。と、エルが落とした言葉。シェードがそっとその肩を抱く。
 彼女を遺して逝く事など出来はしないから、自分は流れを塞き止めてでも生き続ける。
「皆の子孫がのびのび生きれるいい世界になる様、努力するさ」
 今は、どんな冗談も冗談になりそうにない――。
 シェードの視線を受け止めてワスプは無言で肩を竦め、口元を笑みの形に歪めた。

「グラたん久しぶりー! げんき元気?!」
「そう言うてめェも、すっげー元気そうだな」
 それはもう! と言わんばかりの朱陰の皓月・カガリ(a01401)。相変わらずつやつやである。
 近況を聞くまでもなく夫婦円満である事は予想がついたが、あの御守のお陰と言われれば贈ったグラツィエルも悪い気はしない。自然と零れる笑み。ちなみに、ヤンはホイさん宅に放り込んで来た。
「子供もたっくさんおるから毎日忙しくて楽しいの」
 身寄りのない子を引き取って育てる村を作り、カガリは今、実子養子問わずの子沢山。
「皆かわいいうちらの子。今日は旦那様がみててくれるからうちだけきたのー♪」
「そっかー」
 茶席の準備も整わない内からいきなりほのぼのし始めた一角に、凄い勢いで揉み手しながら野良ドリアッド・カロア(a27766)がすっ飛んで来た。
「いやいやいやグラさんの旦那、先日は錯乱していたとは言え、とんだご無礼を……!」
 グラツィエルは「何の話だっけ」と首を傾ける。
「いえね、なにせ生命の書を使う前の話だったもんで、外見は可憐な森の聖女でしたが、中身の方がすっかり――」
 どうにも要領を得ないカロアの話をじっくり聞いてみると、どうやら10年前の青空革細工ツアーで『やらかした』事がずっと引っかかっていたらしい。
 ドリアッドである彼女の年恰好は、成程あの日と変わっていない様に見える。
 不老種族の『先日』は随分遡るなァ、と吹き出しかけたグラツィエル。そのまま放っておくとカロアの言動がどこぞへ突き抜けて行ってしまいそうだったので、彼は彼女の頭を軽く押さえて止めた。
「ンな小っせェ事、引きずってンじゃねェよ。長生きするつもりなら尚更な」
 俺は忘れてたぜィ?
 声を上げて笑いながら、カロアの頭をポフポフと撫でて面白がる。カロアは一緒になって大笑しながら揉み手したまま後ずさり、謝罪の言葉を繰り返しつつ、後ろ向きに逃走。
「速っ」
 二人して、ぽかんと見送る暫しの間。気を取り直してカガリは話を戻した。
「――今度、うちの子供にも蟲形作って欲しいな」
 大事なお守り、狐の蟲形なんて狙われてしゃあないんよ?
 苦笑するカガリに、グラツィエルは嬉しそうに応じる。喜んで作らせて貰おうじゃねェか、と。
 細めた瞳が、新たに増えた懐かしい顔を捉えた。
 移ろい揺蕩う其は・リオネイ(a37326)の片手を挙げる挨拶に、グラツィエルは拳を掲げて応える。「よく抜け出せたな?」と揶揄する彼の拳に己の拳をぶつけ、
「無理にでも休みを取らなきゃだろ。今日は」
 何でもない事の様に答えて返す、10年前に戻った様なリオネイの笑顔。

「食べるお茶って、ユユ、初めてかも……!」
 温めてふわっと泡立てた山羊ミルクとは、どう違うのかな……?
 わくわくしながら お点前を見守る小さな海・ユユ(a39253)。ヴァレリアもそっと窺っている。
 お茶を点ててくれるのはホイさんの細君、タオさんだ。随分前の冒険者も交えたあの茶会の日以来、お茶名人の婆様から少しずつ教わって、今ではすっかり後継者として定着しているのだという。
 炊いた麦、刻んだこうこと旬菜、砕いた煎餅を、煮出した花番茶に混ぜて……一体どの様にすればそうなるのか。昔点て方を教わったはずのヤンでさえ、もうすっかりコツなど忘れてしまっている。
 まだまだ知らない物はこんな身近にもあるのだと、赤心紅翼協奏曲・ハルヒ(a31994)は感心の溜息。大きくて深い専用の茶碗から溢れんばかりに白く泡立つお茶が、とても珍しくて、面白い。
「あの……」
 勧められた茶碗を受けたものの、作法が解らずハルヒはグラツィエルにこっそり助けを求めた。
「豪快にかっこむ。それだけだ」
 遠慮すると、具が底に沈んで残っちまうからな。
 そんな時にはこれを使って下さいと、タオさんが各人に一本ずつの箸を用意してくれている。一膳ではない辺り、いざ使うとなると使い方に悩む事になりそうである。
「――ふぅ。良い汗を掻いた後は、お茶が美味いぜ……!」
 などと現実から逃れる様に、すこぶる爽快な表情で茶碗を煽るカロアの豪快な飲みっぷり。
 成程こうですね、と倣うハルヒに、続くヴァレリアは明らかに勢いが足りない。
 きめ細かい泡は、山羊ミルクのそれとは違って少ししょっぱい。しょっぱくて甘い。
 口の中に転がる具材の食感も新しい、不思議な味わいをじっくりこっくり堪能しながらユユは友人を見た。やっぱりさっきから挙動がおかしい気がする。
「カロアちゃん? ……何さっきから遠い目をして、泡吹いてるの……?」
「これはお茶ですよ……っ!」
 と、あくまで言い張るカロアは口元を手の甲でぐいと拭って、もう一杯!
「こういう面白いのはホワイトガーデンにもないです……」
 ハルヒがしみじみ呟いた。美味である。
「ぜひともお父さんやお母さんにも味わってもらいたいです」
 ……ところでこれはどんな味がするんでしょう?
 出てくる物に逐一首を捻るハルヒにグラツィエルは、「食ってみりゃ良いじゃねェか」と笑う。
 言われる前からユユは蒸し上がったばかりの麦饅頭に手を伸ばしている。
「美味し〜〜〜〜〜い♪」
 熱々ふんわり、「あちち」と割れば中から餡子の甘い香りと湯気が立ち昇る。
「お日様みたいな幸せの味がするね……!」
「ヴァレリアも本当、よく食べるわよね〜」
「でも、美味しいものを食べさせてあげたくて。――この子が欲しがるんですもの」
 お茶のおかわりを勧めて回るヤンに言われて、ついつい煎餅を掴み損ねた手は、そっと己の腹部を撫でる。はにかむ様なヴァレリアの笑顔を見、ヤンは、気付いた瞬間顔が真っ赤になった。
「あ、そ、そういう事なのね。お、お、おめでとう?」
「ありがとうございます」
 お茶とお菓子と、幸せな茶話。
 思い出話に花を咲かせるのも良いが、皆の『今』を聞くのも良い。
 この10年の間にワスプも彼女と結婚し、二児の父親になった。
「残念ながら今日は子供達の面倒見る為に来れないんだけど」
 彼自身は、現在、村の開拓活動に力を貸しているという。
 脅威が去った世界にこれから増えて行くであろう人の為に、生活圏の拡大を目指しているのだ。
「シェード達の所にも子供居るんだっけ」
「ええ、4人。どの子も元気で――それはもう元気で」
「たまには私たちのお店に来てくださいな」
 エルがすかさずワスプに言えば、シェードも肯いた。小さい店だけどね。と、言い置いて。
「お酒も美味しくできてるしさ」
 今度はエルが、シェードの言葉を推す様ににこにこと肯く。
「その時は是非、奥さんとお子さんも連れて!」
「そうだな」
 元より、ワスプもそのつもりだ。
 そんな友人一家にエルがしてあげたい事は幾つかある。腕によりをかけて自慢の料理やお酒を振舞うのは勿論の事、それ以外に――それは夢、というより願望だろうか。とてもささやかな。
「ワスプさんの子供達に絵本読み聞かせてあげたり、したいな」
 過去の出来事を書いた彼女の絵本は、上の子二人はもう卒業してしまって、今は一番下の双子達に聞かせるだけになってしまった。子供達に特に反応が良かったというのが、あの無敵大帝のお話。
「今でも『早く寝ないとザンギャバスがくるよ〜』と言うと布団にささっと入るのよね」
 最近はシェードさんの本の方が好きみたいだけど、との彼女の言葉を受けてシェードは肩を竦める。
「私が書いた本の中でも皆の冒険譚が大好きでね。寝る前にせがまれて読み聞かせてるんだ」
 親っていうのも冒険者とは違って大変だと実感したよ。
 苦笑の中にも幸せが滲む、そんなシェードの言葉に神妙に頷くリオネイ。
「あ? なんでてめェまで解った風な顔――」
「あれ。言わなかったっけ」
 何故か突っかかって来たグラツィエルに、リオネイは事も無げに告げた。
「俺、結婚して、子供も出来たんだ」
 ――あ?
「親になって初めて分かる気持ちってのかな」
 同じ立場になって初めて解る、自分の親の気持ちなんてものも含めて。
 冒険者になる事を許してくれた親と、彼ら友人との出逢い。そして、この平和な世の中に――リオネイは改めて感謝している。
 
「……連れて来たかったなぁ」
 皆の話を聞いているだけでも楽しいけれど、子供達がここにいたら、きっともっと楽しいのに。茶碗を両手で包む様に口に運んで、ルシエラは窺う様にイャトを見た。返さない預かりものだけじゃない、大事な宝物が出来たこと。話すだけではやっぱり少し物足りない。――が、何となく、もしかして。
「皆の前で一緒は恥ずかしい?」
「………」
 まだ幼いのだから今回は預けておけと言ったのは彼だった。
 日常の挨拶とキスはセットで、ハグも大事。ルシエラは毎日子供達に教えている。
 イャトはいつも何も言わなかったが、もしかしたら外出先で、皆の前で、『ルシエラ式』が発動するのを警戒したのではなかろうか!
 ずぞぞ、と花番茶の白い泡だけを啜ってお茶を濁す彼。

「――でね。今日は美味しいものレシピ目一杯仕入れたくてきたんよ」
 ヤン達に会いたかったのも勿論あるけれど。
 子供達に美味しいものをたくさん食べる機会をあげたくて。
 幸せそうに、今は泡立てない花番茶を片手に茶請けの上に視線を惑わせるカガリ。
 タオさん十八番の、床踏こうこは白菜のお漬物。ピリッとした辛紫蘇が味の決め手と脳内にメモ。
 麦饅頭は時々カラシ入り――麦まん修行中の跡取り息子がこっそり仕込んでいた様だ。アタリ(ハズレかもしれない)を引いて撃沈したミルッヒに、すっ飛んで来たホイさんが平謝りしていた。
 手焼き煎餅は形が不揃いな所も味――かと思ったら、こちらも見習いの手によるものらしい。跡取がいない名人の下で後継者修行をしているのはホイさんの次男だとか。道理で、端の方に遠慮がちに並んでいる。
「どーんと真ん中に置けよ、どーんと!」
 台所に立って忙しくしているホイさんの代わりに追加の麦饅頭を運んで来たグレンデルが、少年の遠慮を打ち砕いてその皿を冒険者達が手を伸ばし易い場所へと動かした。
 一段落して、彼女が少年達に語って聞かせる武勇伝。星の世界を旅した者達の口から土産話という名の冒険譚も飛び出して、故郷から出た事のない彼らの冒険心をくすぐった様だ。末の少女はストライダーの尻尾でさえ怖がって、両親の後ろから中々出て来なかった。
 ……ヤンのせいだろうか。
「そういや、ヤンはこれからどうするんだ? やっぱり普通に嫁に行ったりするのか?」
 イャトでさえ何だかんだで二人の子持ち。――イャトさんが付けた名前ー、とルシエラが嬉しげに話していた長男イェンは今度3歳で、長女のルミィはまだ1歳だと言っていたっけ。
「なっ、んなななな……! いっ――今から貰ってくれる人が見つかると良いけどー」
 慌てふためきながらもそんな軽口で取り繕おうとするヤンに、グレンデルは言った。
「せっかくだから、どこかで一緒に暮らさないか? 俺の妹も一緒だけどよ。ヤンがしわくちゃのおばあちゃんになるのか、それともこの世界が破滅するまでいつものヤンなのか――」
 俺がずっと見届けてやりてぇんだよ。
「グレンデル……」
「俺は……もうずっとこのまんまだからな」
 ふと目を逸らし天を仰いだヤンを見て、泣いたか? と一瞬思う。が、再びグレンデルの方に顔を向けた彼女は、笑顔だった。
「そうね。この足と目で見て回る所がなくなって、他に行く所がなかったらグレンデルの所に行くのも良いわねー。最期まで、グレンデルが看取ってくれるなら、きっと寂しくない……」
 咄嗟に顔を背けて、それで零れたものを隠したつもりなのだろうか。手の甲で眼元を拭う仕草。
 グレンデルはヤンの後頭部を軽く小突いた。
「泣くなよ」
「泣いてないっ」
 ヤンが小さく有難うと呟いたのは、それから暫く後の事。もう少しこの村でお世話になって、その後はいつか一緒に旅でも出来たら良いわね、と彼女は笑っていた。

「……で、グラツィエルの方は?」
 散々親の目線で語り尽くした後でワスプが意地悪くも話を振れば、「俺?」と頓狂な声を上げる。
「当然、彼女とは仲良くやってるんだろうな?」
 リオネイが隙なく畳み掛ける。
 そういえば、あの子と一緒になったんでしたっけ。とシェードもまた、遅まきながら祝杯を、と持参の酒樽をでんと据えた。御自慢の自家製であろう。
 共通の知人が多いせいか噂が早い。のみならず、色々尾鰭も付いていそうである。
「あれ? 違うんですか」
「想像に任せる! としか言えねェ! 言わねェ!」
「ふむ、まぁがんばりや〜」
 無責任に言い放つワスプ。
「まあ、良いけど」
 リオネイはあえてそれ以上言及せずに笑い、今度うちにも遊びに来いよ。と言った。

 茶話を彩る諸々の中には、人の貌、というものもある。
 見知った顔、初見の顔、懐かしい顔。或いは、喜怒哀楽の表情――。
 その日、誰かが求めた茶話彩々は、果たして良いお茶請けになったのだろうか。
 解るのはきっともう少し先の事。これから、の事。

「畑の作り方も気になるから、教えて下さいってまた来ていい?」
 ルシエラは、ホイさん一家に再会の願いを込めた、そんなお願いをした。
 家族皆が好きなトマトの為。彼女の、真直ぐな眼差しに彼らは「No」とは言わない。
「大歓迎ですよ」
 と、夫妻の笑顔がふわり。双方の家族ぐるみの付き合いが始まる予感。
 この日ルシエラが一家に渡した星巡りの旅のお土産、真っ赤に熟した星揺籃の樹の実は――数日後、タオさんの庭園の一角に種が植えられた。らしい。

 さてはて。
 後日。真夜中の書卓に向かって物思いに耽る小柄な背中が揺れた。
 いつか、また――。そう言える相手と場所がある事は、とても幸せだ。
 それはそれとして。
 皆は楽しんで帰ってくれただろうか。それだけが、彼女には気掛かりだった。

●2109年〜渓流に浮かぶ三日月〜
 生茂る植物を掻き分けて道なき道を進みながら、キジ虎柄の猫尻尾をせわしなく右へ左へ。
 手にした地図にはまず間違いなくまだ載っていない未開の地を、子沢山で幸せな日々を送った婆様の形見の方位磁石片手に探検中の吟遊詩人・リンカは何とか開けた場所に出て、一休み。
「……壊れたかしら」
 初まりのドラゴンと対峙した仲間の縁ある由緒正しい品らしいが、既に伝説と言って良いほど遠い昔の出来事だ。道中、役に立ったとは思えない方位磁石。その実、地図が読めないだけとか何とか。もっとも、読めた所で今はその地図もさっぱり意味がないのだが。
「?」
 彼女は、近付いて来る人の気配と話し声にふと顔を上げた。

「――で、この辺に海があってな。名前は『銀砂海峡』だ」
 紫色の長い髪をかき上げつつ、覗き込んだ羊皮紙に指を滑らせるグレンデル。昔取った杵柄とでも言おうか、冒険と聞いて血が騒いだ彼女は遠き日々を昨日の事の様に思い出す。昔日、ウィアトルノ護衛士団に属して活動し、仲間と共に様々な新発見もした。観察力と洞察力には自信があるという。
 ハルヒは頷きながらグレンデルが言うままに、周域の地形を地図に書き留める。――『ポリゴンの木』、『ホッチリの実』――はて? 何処かで聞いた事がある様な。思いはすれど深く考える事はせずに、ふむふむと頷きながら書き写す。新しいフラウウインドの地図を作るべく訪れた渓谷の入口で、彼が出会った共連れはワイルドな彼女の他にもう一人。
「すみませんねぇ、道が良ければ荷車をそのまま引けたのですが」
「ああ、まァ気にすんなよ。俺が勝手にやってる事だしなー」
 どこかで見た様な遮光眼鏡を鼻柱に乗せた赤毛犬尻尾の青年は、ハルヒが思わず声をかけた時、荷車のまま未踏地へと分け入ろうとしているのを見かねて荷物を半分引き受けてくれたのだ。お陰でハルヒもかなり身軽に動ける。道中マッピングしながら進む余裕も生まれると言うもの。
「「あっ」」
 双方の邂逅は唐突に。道端の岩に座って休憩しているリンカが、元々歩いていた道に戻っただけだと気付くと同時に――後から来た3人は先客が道先にいる事に気付いた瞬間に。交わる視線。
(「あ、エンジェルだ」)
 などとリンカが思っている間に、ハルヒが口を開いた。
「あなたも一緒に行きませんか?」
 少し前に同じ台詞で誘われた同行者二人は、肩を竦めて笑みを交わす。
 背後のそんなやり取りには気付かず、笑顔のハルヒ。ほら、旅は道連れと言いますし。

 生きた木と草と、土の香りで目覚める。
 ひんやりとした生葉のベッドにも大分慣れて来た数度目の朝、樹上で夜を過ごした猫小人達がひょっこりとユユの視界に顔を出す。
 カロアと二人で用意して来た手土産のカラフルなチョッキを、今日も身に着けてくれている彼らに手を振って起き上がると、少女は近くの葉っぱに溜まった朝露で寝起きの喉を潤した。
「葉っぱで飲むお水って、超美味しいね……!」
 身体もしゃっきり目覚める気がする。カロアは既に起き出して、猫小人と一緒に釣具の手入れをしていた。朝食は昨日の釣果と、近くで採れる果物。
「おはよー。今日も元気な朝ごはんにしよう♪」
 数日前から集落で一緒に過ごしている猫尻尾の少女ルシィが、覚えて採って来た果物を皆で分ける。葉っぱに包んだ蒸し焼きの魚と甘くない瑞々しい果物で腹ごしらえをしながら、交わす話題はやはり噂の虹色トカゲの事だ。猫小人達の間に伝わる『幸運』の象徴。
 珍しすぎてまだ名前が無いらしいレアトカゲ。
「出席取る時、不便だね……」
 ??
 ユユの呟きに、首を傾げる猫小人達。そもそも『無い』事が基準になっている生活、それで困った事のない彼らにはよく解らない話であるらしい。
「いつ頃現れるんだろう。前に見たのはいつだった?」
 朝? 昼? 夕方?
 ルシィが知りたいのは目安となる刻限だ。同じ時間に現れるとも限らないが、手掛かりもなく動き回るよりはマシだろう。相談の結果、本日は、集落の『幸運』な猫小人達と共に出かける事になった。

 今この瞬間にも荒瀬に釣糸を垂らしている彼にとっては、不確かな噂など端から興味が無かったのかもしれない。テラフォーミングが終わったばかりのその場所で開拓する新たな、そして絶好の釣りポイントに陣取って趣味に勤しむ死留怒一代漢・ライナー(a07026)が魚を釣り上げると、聖風の戦姫・アヤセ(a72388)は傍らで子供の様に純粋な瞳を輝かせて喜んだ。
「ふわ〜……お見事ですね〜」
 釣った魚の処理も素早く、適切。彼の見事なまでの魚料理には度々お目にかかっているが、釣っている所を見る機会は滅多になかったから、ついつい見入ってしまう。
「熟成が肝っす」
 低温保存が理想だが、100年経っても氷が年中手軽に取り扱えるまでには至っていない。しっかり蓋の出来る容器に入れて水に触れない様、渓流の冷たい流れに曝して置いた。
「結構釣れたっすね」
 そろそろ小腹も空いてきた頃合。餌を付けた糸を投げ、再びアタリが来るまでじっと待つその間に、ライナーは魚の調理にかかる。新鮮な魚をまずは活け造り。この場所に落ち着くまでに採って来た山菜と合わせてもう一品は火を通し、食材の味を生かすべく薄味で仕上げた。
「薄味と味が無いのは別物っすよ?」
 彼女が喜んでくれると良いな、と思いながら、何故か言い訳の様なものを口走るライナー。アヤセはというと、相変わらず見事だなぁと惚れ惚れしつつ早速一口食し、素直に感動を表現するのだ。
「この技術、私のかわいい教え子達に教えていただけますか〜」
 彼女が現在、冒険者養成学校など開いて大きくしている楓華の街も見に来て欲しいとの思いを込めて。
「最高のおもてなしをしますよ」
 にこやかに。アヤセは用意して来た弁当箱を広げ始めた。
「一緒にいかがですか?」
 おにぎりに小田巻蒸しに里芋の煮っ転がし。それを見てライナーは「おお」と喜びの声を上げる。
「何時もありがとうっす」
 互いに満足の昼食を挟んで、その後も気が済むまで釣りを楽しんだ二人。
 手足の生えた飛魚を釣り上げる様な事もなく、己が信念の元『食べられる分だけ』、充分な釣果を得て揚々と引き上げて行ったとか何とか。

 ――日が傾いたのだろうか、辺りが薄暗くなって来た。気が早い月が白々と天に輝いている。
 同行の猫小人が目撃した刻限が近付きつつある様だ。どこかそわそわしながら、松明に火を灯した彼らは、普段は日が暮れると出歩かない。が、今日はそんな時間になっても帰ろうとはせず、カロアやユユの釣り遊びに付き合っている。水の流れを掌に受けていたルシィは、冷えて来た空気に思わず身震い。流石にもう水に入るのも怖くて危険な時間帯。灯りも兼ねて焚いている火の傍に近付いて座る。
 昼間に釣れた魚をその火で焼き、ぶつ切りにした魚と山菜、茸を大きな葉っぱの鍋で煮込む豪快な夕食は猫小人直伝。ユユが、渓流から拾い上げた水筒を手に戻って来た。
「ひえひえー」
 ご機嫌である。猫小人達にあげようと持参した山羊のミルクを、水流で冷やしておいたのだ。
 それは家畜の居ない渓谷を住処にして原始的な生活を営む猫小人達にとっては、未知の飲み物。
「美味しいチーズにもなるんだよ♪」
 『チーズ』とやらが彼らにはまた解らない。後で皆にも教えてあげるね、とユユは言った。
 水の面に触れているのは今やカロアが垂らす釣り糸のみ。
(「遊んでも遊んでも、世界の魅力が尽きる事は無いのです」)
 相変わらず流れは速いが、翻弄されても流れに飲まれる事のない虚像の月を、眺めながら。
(「きっと数百年後には数百年後の……そして数千年後には数千年後の楽しみが有るのでしょうね」)
 ぼんやりしていたら、竿が大きくしなった。
「カロアちゃん!」
 ――ん? んんん??
 水の流れに先まで飲まれる竿を見てからカロアが我に帰るまでに、瞬き二回分かかった。
 思考停止。その後は一も二もなく、勢い良く竿を振り上げる。
 跳ね上がる水飛沫の中に銀色が光る。それは大きく翼を広げた様にも――。

 その瞬間を捉えるには、僅かに遅かった。
 が、繁みの向こうに赤い揺らめきを見つけ、水の流れに途切れる声を頼りにその場所へ辿り着いたハルヒ達一行は、迷走の疲れも吹っ飛ぶ出会いの予感に胸を躍らせながら繁みを掻き分けた所で、それに出会った。猫小人の集落――ではなく。
「「「わあ♪」」」
 聞こえて来たのは華やぐ歓声。次に見たのは3人の少女と、景色に溶け込む保護色の小さな人々のずらり並んだ背中。その先に、宙を舞う銀色の影が――。
 勢い余って釣針から外れた瞬間にカロアの残念な悲鳴が迸る。
(「ここが怖い古代ヒト族の大陸だったなんて思えないね……」)
 ユユは思う。仰いだ月はランドアースにいる時と同じ様に見える。
 生まれ変わった大地で、驚くほどゆったりと平穏に過ぎ行く時間。
 乳白色の月の下。透かし見た煌く飛膜の虹色はたちまちの内にまた視界の外へと潜ってしまったけれど。その軌跡を描く様に飛び散る銀の飛沫と、翼が飛ばした水の雫が、岸に『降り注いだ』。
 一瞬ではあったが、見た。と思う。
「……ま、結果おーらいかしら?」
 目を細めて呟くリンカ。
 先客達が振り返る。尻餅をついたまま頭から水を被ってずぶ濡れのカロアが、彼女を焚火に呼ぼうとしていたユユが、きゃあきゃあと喜んでいた猫小人達が、そして、
「いらっしゃい! 良い所に来たね☆」
 懐っこい笑顔でリンカ達を迎えるルシィが。
 瞬間に立ち会えた喜びは、この出会いと共に、共有する思い出となるだろう。

 その――魚と見紛うトカゲの名前は、案を聞いた猫小人達が多数決で選んだ。響きがとても気に入ったらしい。カロアは記念に虹色煌く刺繍糸で、贈ったチョッキに空飛ぶ魚の絵を入れてあげた。
 そして、ハルヒが創る地図に簡単な絵柄と共に書き込まれる新たな言葉。
 ――『三日月渓谷』の『オパールフィッシュ』と。

●3009年〜巡り巡る世界と絆の話〜
 角を曲がった所で人とぶつかりそうになって、よろめいた気紛れな魔女・シラユキ(a24719)を、後ろから腕を取って支えるオーディーンの槍・カミュ(a49200)。
「ん。すまない……ありがとう。カミュ」
「いえ、……聞いてはいましたが、本当にすごい人ですね。気を抜くと飲まれそうです」
 溜息の様に呟いて、カミュはごった返す人の波に目を細めた。フード付きのマントなど纏っていかにも旅人然とした格好の二人。建国記念祭という事で人出が多いのは彼女達には幸いだった。一般人を装って客足に紛れ込むのも容易になる。フードをしっかり被り直して二人は流れに従って歩き出した。
 聞こえて来るのは露店で商う人々と客のやり取り、客同士が交わす世間話、それ以上に――人を呼び、人の足をその場所に縫い止めるに一役買う歌うたい達の頌歌が、カミュの興味を引いた。
 今は昔、遥か昔の数々の冒険譚を歌にして語り継ぐ彼女にとって同業者の様なものだ。旅の一座には実際に冒険者だった者もいるのだろうか、1000年前から繋ぐ者は、いるのだろうか。
 打ち物が刻む拍子に合わせて、ドラゴンとの苛烈な死闘を演じきる歌声と舞、竜頭の担ぎ物をくねらせる大掛かりな出し物は、大人も子供も手を叩いて思わず声を上げる程の盛況ぶり。
 歌舞を演じる一座を横目に見ながら通り過ぎるのは1000年経っても相変わらずのグレンデル。
 うずうず。妹共々しがない傭兵稼業に身を流す彼女も、「『燃え盛る炎』の大陸を旅した者」として語りべの様な事をやっている為、いつ何時、歌うたい達に紛れても不思議はない。いや、そこで『ある物』を見つけなければ、彼女は実際、喉を鳴らしに広場に飛び入りしていただろう。
 流れるままに辿り着いた街で、祭の人波に呼ばれてやって来たグレンデルは、道すがら――いつかハルヒが作った『新フラウウインドの地図』が古物の中に埋もれているのを見つけてしまったのだ。
 ワイルドファイアにあるものと同じ名前が散見されるそれは、果たして真っ当な地図として扱われているのか否か、市での雑多な扱いを見ればその答えは明らかな気がした。地図作りに関与したグレンデルにしてみれば、不本意極まりないが……よもやその原因が自分にあるとも思ってはいない。
「誰が流したんだよ、コレ」
 自分も含めて当時何人かが同じ物を手にした筈だ。その後、一体どんな経緯を辿ったのか。文字が読めない程に掠れた箇所もあるその地図は、永きを生き抜き、年期だけは充分過ぎる程説得力を増した風貌を得て、それ故に極めて胡乱なジョークアイテムとして人の目に触れていた。
(「さすがに、新しい物が増えてるね。食べ物も歌や踊りも日々進化、かぁ」)
 この千年の間に、発見された物、生み出された物。いずれも昔と大きくは違わないのに、何かどこかが新しい。それらを見て回るシェードも、ゆっくりと歳を重ねて今は28歳になっている。
 『ザンギャバジュース』なる怪しげな看板を掲げた一角を過ぎようとした所で、彼は声をかけられた。
「お兄さん冒険者?」
「何故ですか?」
「いや、雰囲気が。歳の割に色々滲み出てるって言うかさ」
「………苦労、とかですか」
 苦労人のそれとは何か違うんだよ、何て言うかうまく言えないけどさ!
 なかなか勘の鋭い人だとシェードは思う。元より冒険者である事は隠す気もない。実は店主より年上……どころか、建国以前――更に言えば1000年以上生きている事はさすがに秘密の筆頭だが。
「冒険者なら……そう、折角の建国祭だ。何か知ってる話を聞かせてもらいたくてね」
 見れば、周囲の客もシェードに期待の眼差しを向けている。
 シェードは、少し気取って口を開いた。
「先祖の皆さんが戦ったその歴史、少しだけ吟じてみせましょう」
 写本の内容を朗々と謳い上げる慣れた語り口に足を止める人々。店主は便乗して客を呼び込み店は繁盛、大喜び。謎のザンギャバジュース――正体は、南方特産の果物の果肉入りジュースだという話。
 歌が終わり、差し出されるその一杯を受け取ってシェードは言った。
「――見て来た様だって? 皆が聞き上手なだけさ」

 ――その『酒が枯れない瓢箪』に入れた水は酒に変じるという。
「うーわ、胡散臭い」
 半眼のミルッヒ。だが一応、口上の続きを聞いてみた。
 曰く、持ち主は代々武道の達人で、これを持つと何かと不運が付き纏うが『ないすばでー』になれると言うので、一部の層に人気。らしい。
「代々受け継がれてる物が、量産されてる辺りがますます胡散臭いなぁ」
 昔からの僕の冒険お宝箱もひっくり返したら良い値段ついてるのあるんじゃないかな?
 そんな事を思いながら歩いて行ると、ふと、1人の革細工職人が目に止まった。
 尻尾と言い、身に着けている物と言い――彼の佇まいはどこかで見覚えがある気がする。何か作ってもらおうかと、近付く。――と。
「有り得ねェ! 希少な年代物ってのァ認めるが、1000年物は有り得ねェよこの詐欺野郎が!」
 並んでいる革の胸当てを指して憤っている青年。革細工職人ではない、のだろうか?
 山盛りの古物を盾にして状況を見守るミルッヒ。
「どっから手に入れたんだか知らねェが、これは俺が――いや、俺の――!」
 なお続いていた怒声が不自然に途切れ、割り込んで来る別の声。
「グラィエール・B、だな?」
「あァ? 何処のどちら様だてめェは」
 最早、彼がゴロツキにしか見えなくなって来たが、やぶ睨みの視線を向けられた新手の青年は全く堪えた気配もなく口元には楽しげな笑みさえ浮かべている。青い髪。涼しげな眼元。
 長い時をゆるりと生き続けているミルッヒは彼にもどこかで会った事がある気がして首を捻る。
「手紙を送っただろう」
「――あァ。あの話か……」
 直々にお出迎えとはご苦労なこった、と毒づいてゴロツ――彼は続けた。
「向かねェな。俺は国属の職人になる気はねェし、パトロンも別に要らねェんだが」
「あまり大きな声で言ってくれるな」
 お忍びなんでね、と、声を潜めつつ青髪の青年はまるで痛くも無い様子。
「別に抱え込む気は無いけど――キミ自身は宿無しだろう? 自身の工房を持たない流浪の職人。良い腕を持っているのに寡作とは勿体無い。……仲間(ファミリー)は多いらしいね。キミのファミリーの作品は俺もいくつか手に入れたよ」
「そりゃどうも。ただ、工房があろうがなかろうが俺は――」
「っあー!」
 ミルッヒは唐突に思い出した。
 もしかして、リオネイちゃん?
 随分前に同窓会で見かけた彼は時の流れのままに歳を重ねていた様だったから、目の前にいるのは彼の子孫だろう。
「……知り合い? ファミリー?」
「どっちも心当たりは無ェけど」
 不思議そうにミルッヒを見遣り、彼は台詞をぶった切られた『グラィエール』とそんなやり取り。
(「そりゃそうだよね、初対面だもん!」)
 気が遠くなるくらいの歳月が確かに流れている事を実感するミルッヒ。巡り巡って知人そっくりな人達と出会う不思議な喜びが、複雑な胸を内から叩く。どんな顔をしていいのか分からないが、彼女はとりあえずとても笑顔だった。
「おにーさん、やっぱり革細工職人だったね。僕にも何か一つ良いの作ってくれる?」
「良いぜ。ついて来なァ。こんなイカサマ野郎の店で紛い物掴まされるんじゃねェぞ!」
 『本物』に因縁をつけられた革細工職人はすっかり小さくなって、風景の一部と化している。物は悪くないのだろうが、如何せん張り合う相手が悪かった。ちょっぴり悪い気もしたが、ミルッヒも得体の知らない職人よりは素性の知れた、腕の確かな者に作って貰った方が安心できると言うものだ。
「つー訳で、お忍び国王さんよ。話の続きはこのねーちゃんの買物が済んでからだ」
 リオネイの子孫が納める国に招致される直前の彼――今は一介の革細工職人だが、もしかしたらこれから作って貰う作品は後々凄く貴重な物になるのかもしれない。彼が『国王』さんの招待を素直に受けてくれればの話だが。
 『国王』さんは肩を竦めてレディファースト。何だかんだ言っても結局、『グラィエール』は彼の援助を受け入れるに違いない。ミルッヒはどこか息が合う二人を見て、半ば以上そう確信していた。

 押し流されそうな人ごみの中、ルルは聞こえて来る歌声と楽器演奏を頼りに何とかその渦から抜け出した。きょろきょろと辺りを見回し、ふうと溜息。
 ――見失った。
『旅芸人も来てる? わぁ、新しい曲覚えられるかなー♪ 一緒に行くっ』
 名前を訊く前に既に彼の姿は見えなくなっていて、慌てて追いかけたのだが完全に見失ってしまった。猫尻尾を力無く揺らしたルルは、一気に総毛立つ。
「ないっ。私の笛がないーっ」
 背負っていた笛まで失くした事に気付いて大わらわ。落としたとすれば無理矢理通った雑踏の中。
 だが、流れ続ける人の波に再度飛び込む勇気もない。途方に暮れかける一瞬。
「あの――」
「はう? ――あーっ、私の笛! 拾ってくれたの? ありがとう」
 笛を差し出す青年の手ごと捕まえて熱烈感謝のルル。
「いえ、多分俺の所為ですし」
 すみません、すぐに気付いて引き返したんですが――とバツが悪そうな彼。
「……壊れてないと良いんですけど」
「あっ」
 言われて慌てるルル。表面は……大丈夫。音も壊れていない事を、実際に吹いて確かめた。
「「良かった」」
 揃う声。ぶつかる視線。彼は「参ったなぁ」と言う様に、片方だけ肩を竦める様に開いた手を上向けた。ルルの懐っこい笑みはいつの時代も共通の、誰かの面影。
 市には楽器を見に来たという彼もまた、ルルと同じく音楽好き。奏でる事も聴く事も。冒険者――駆け出しの吟遊詩人としても音にはこだわりたいのだと微笑む彼の顔を見て、ルルは更に頬を緩めた。やっぱり好みの笑顔だった。
「私ルル。貴方は?」
「名前ですか? 俺はイャナ――と」

「1000年か……」
 気が付けば過ぎ去っていた。
 あっと言う間だと感じていたが、それだけ経てば何かと変わるものだと、今日一日、市を回ってシラユキは思った。冒険者として戦いの日々を生き抜いた記憶は、今の世に伝わるそれとはやはり微妙に異なっていたりもして、カミュと二人で思い出を確かめる様に当時の事を語らった。
 冒険者が英雄になり、伝説になり、国を納める時代に。交じわった血も薄くなり、縁と絆は巡り巡って、新しく異なる物語を紡いで行く。その中で、変わらない事を選んだ者も少なからずいる。――自分達の様に。
「いい相手に恵まれたおかげで、長い長い旅を退屈せずに過ごせているよ」
 本当に、有難い事だ。
 シラユキは、巡る時間と世界の中に共に在るカミュへと感謝の言葉を呟いた。

 ――それは、巡り巡る時間と世界と絆のお話。
 果てが見えない長い長い旅路の途中、ほんの数回瞬きする僅かなひと時のお話。

●数万年後〜輝く希望の名の下に〜
 ――ほあー!
 冒険者達が飛び出す宇宙空間に、奇妙な悲鳴が上がる。
「な、んですか――」
「あー、ごめんごめん、後姿が懐かしい人になんか似てて……♪」
 フカフカふさふさの栗鼠尻尾に思わずばふっと後ろから抱き着いてしまったミルッヒは、彼女の反応に懐かしいものを感じてにんまり。口調は微妙に違う様だが、知ってるあの娘と名前も同じ。腰には瓢箪。……瓢箪。これはきっと本物。多分本物。
 ミルッヒが少しだけ『思ひ出』に浸る眼差しにはてんで気付かず、お団子頭の武道家少女は世界の危機に直面して自分を抑えられない様子。
「ふふ……情に脆いトコとか中身が1番似てるトコかも、頑張ろ?」
 熱くなる彼女の肩を叩いて、ミルッヒは先を見遣った。

 ある日突然、いつの間にか消えていたというのは、終焉としては余りにも。
 まして数万年を永らえた自らの末路ともなると、そんなのは真っ平御免である。
「まぁ、やらなければならない事はやっておかなくてはな」
 鈍った体を自覚しつつ、シラユキは激しい運動の前に軽く肩を回す。
 そんな彼女に鎧聖降臨を施してからカミュは飛び立つ。『盾』として。
「……此の姿になるのも随分と久しぶりか……」
 漆黒の髪は白銀へ、黒い瞳は紅へ。装いさえ一瞬の内に塗り替えて立つ。
 内から沸き上がる己の魂の力に久方ぶりに触れたのは無論、カミュばかりではない。初めてその力を揮う者も在るだろう。変じる姿もそれぞれに、次々と飛び立つ宙。
 これまでその必要が無かった事は幸いの証。だが、今は――この世界が過去から覆され様としている今はただ全力を尽くすのみ。シラユキを背に、翔け上がる常夜の星の空。
「目覚めよ……盾誓・千本桜『白麗』」
 構える剣から白い花弁が咲き散るが如し、カミュにはその幻想的な光景が見えていた。
 魂が放つ光の一片にも等しいそれら総てが先年桜の盾となる。――鎧聖降臨。
「盾の誓の許、守りぬく……大切な、愛しき全てを」

 だだっ広い宇宙の闇の中を黒い球体が、すいー、すいー、と往き来している。
 上下動の少ない動きで、音も無く。ゆっくりと動き回り、時折別の球体と行き違う軌道を交わす間にも、まるで呼吸する様にその内側で明滅する赤い鈍光。
 それは暗闇に光る何者かの眼の様でもある。言うなれば、絶望の眼。
「ん、むしろ『ばこーん』って星海にフルスイングで打ち返したなる外見やなぁ……」
 飄然と呟くアカリの口調と赤い瞳は、遠い昔を生きた狐尻尾の牙狩人を髣髴とさせる。が、彼女と違うのは、髪と尻尾の色が白ではなく黒である事、そして今を生きる彼女は狂戦士だという事だ。
 極意を胸に、振りかざす剣に込める力。そしてアカリは宙を蹴った。
 己の名に相応しい艶やかな赤い鎧を纏った武人の娘・ルビィは、同じ様に飛び出した冒険者の姿を捉えると、猫の尾を揺らして扇の軌跡を走る、奔る。囲まれない様に、『仲間』のカバーを。
「護り抜くよ! 私達の幸せ!」
 複数の接近を感知した『絶望の眼』が、負けじと赤い光を吐き出した。
 冒険者達の連携を、或いはその肉を断つ様に。
 ――闇を裂く一閃。
 来ると解っている初手をやり過ごすのは容易い。が、ほぼ同時にあらゆる方向でそれは始まっている。無数の球体から放たれる、細く鋭い光線が闇間に赤い網目模様を描く。
 その次手を鈍らせ、乱すのはカミュに守られながら応戦するシラユキのニードルスピア。ユユのジャスティスレインがより広域をフォローする。進行方向、目に触れた邪魔な個体はミルッヒが粘り蜘蛛糸で押さえにかかり、その隙を突いて幾人かが、更なる接近を図った。

「やっとライナーさんと共に戦えますね。長かったです」
 数万年だ。この日を待っていたと言うと、少々語弊が生じるだろうか。
 再び武器を取り戦わねばならない日など、本当は来ない方が良い。しかし――。
(「戦友として共に戦える事、光栄に思います」)
 肩を並べているその事実に、純粋な喜びを覚える自身の心をアヤセは否定出来ない。
 近付く程に巨大な球体を目で測り、肉薄する。鍛えた刀の技術を今此処に披露せんと彼女が素早い身のこなしで居合い抜く太刀の一振り、銘刀『風閃』の閃きが『絶望の眼』を捉える。同時――いや、それも彼の方が早かったか。交錯しているライナーのスピア、互いの刃先に掴んだ手応えを量るより先に、アヤセは苦笑を刻んで呟いた。
「さすがですね……動きについていくのが精一杯です」
 ライナーは彼女に何か伝える様に顔を上げた。
 互いの間を読み息を合わせて打ち込んだ一撃は、しかし、浅い。
 ――ヴィーーー。ヴィーーー。ヴィーーー。
 一定の長さで繰り返される無機質なブザー音が響いて、黒を塗り潰す程の赤が激しく点灯する。
 ぐにゃ、と視界で何か蠢いたと思った瞬間、二人の身体は衝撃に突き飛ばされた。

「今まで築いてきた人生を無に返す訳にも、絶望に負ける訳にもいきません」
 乗り越えて来た幾多の危機を忘れないエルの眼差しが、光線の狭間を縫って球体に突撃するシェードの背を捉えている。彼と共にまた少しその身に歳を刻んで一層落ち着いた雰囲気を纏った彼女は、握り締めた黄金樹の枝から放つエンブレムシャワーで彼の進撃を援けながら、祈る様な面持ち。
 程なく、一帯を奔っていた光線が止む一瞬の沈黙。
 『絶望の眼』が構える一線を越えたシェードが、突攻する勢いのまま身体の正面に捉えた球体へと、その手に握り込んだ星煌刀・クルースニクを思いっきり叩きつけた瞬間だった。
 ――ヴィーーー。ヴィーーー。ヴィーーー。
 次から次に。時間差で音が湧く。
 シェードの周囲、近く遠くで黒い球体が振動している。油断なく窺う視界に、煌々と太陽の如く光り輝く無数の矢が、闇を裂いて黒い球体に降り注ぐ。ユユのジャスティスレインだ。
 連鎖する警告音はグレンデルの周囲にも迫っていた。
「よっしゃ! かかってきやがれ!!」
 突起としか見えない手足を生やした黒い球体が、無造作に一線を越えて転がり込んだそこは彼女のテリトリー。抉る様に繰り出す拳に装着した爪が唸る。

「離れないで! 下がるよりは前へ! 張り付いて片付けよう!」
 ミルッヒが腹の底から声を張る。お団子頭の武道家少女が行動で応えるのを見ながら。
 孤立を招く突出はマズいが、下がって光線の的にされるくらいならいっそ全体で前へ。
 接近してしまえば少なくとも長射程の攻撃を封じる事が出来る。
 縦横無尽に飛び交う赤い光を危うい所でひらり躱してミルッヒは、宣言通りに距離を詰めて行く。
「伊達に長生きしてるわけじゃないんだよっと……――」
 狙い定めるは仲間達の攻撃を受けて動きが鈍くなっている個体だ。
 引き締める表情、引き絞る肉体ごと力が一気に弾けて螺旋を描く回転突撃。
 活動限界を越えた球体は数秒の痙攣の後、爆散した。まずは一体。
「――今更主らにくれてやるわけにいかぬわ、この平穏」
 吐き棄てる様に言い放つ彼女の横顔を照らす赤い光の回転と、更なる警告音が迫り来る。

 挽回するのは名誉か汚名か……一瞬混線したカロアは、相変わらずカロアだった。
 が。すぐに我に帰る。
「――のチャンスです……!」
 重要なのは、医術士としての己の務めを思い出し、真価を発揮する時が再び巡って来たのだという事。一大事。むにゃむにゃと誤魔化す言葉はさておいて。とにかく己の戦場―へ―!
 カロアは、だー、と走るとぐるりを見回し、数名を視認して一心に祈った。
(「皆に護りの天使達の加護を!」)

「!」
 傍らに生まれた白いふわふわした存在を見、アカリは改めて仲間の存在を意識する。
 振り返る事はしなかった。任せても大丈夫なのだと、何故だかとても安心していた。心強さに後押しされて、彼女は高めた闘気を武器に預ける。彼女の細い身体で扱うには不似合いの巨大な刀身、分厚い刃。そして何より――、
「めいっぱい想いを乗せた剣やからこそ重たい一撃、がつんと行くんよ!」
 竜巻が唸りを上げて周囲の『眼』を蹴散らした。直後、指一本動かせなくなったアカリを守るのはダメージを肩代わりして消滅した守護天使と、艶やかな赤。
「アカリさん!」
 飛び出して来た『眼』とそっくりに転がる様な体当たりで剣を振るい、それに止めを刺すルビィの傍にも守護天使。仲間の――シラユキとエルの歌声も聞こえて来る。高らかな凱歌に癒され、互いの傷が塞がって行くのを見るストライダー二人。気勢を上げるカロアのヒーリングウェーブで全快した。
「まだまだ。うちらは負けてへん。負けてへんよ!」
 動ける様になった自分の体を確かめて、漲るアカリ。ルビィも頷く笑顔で剣を構え直した。
 視線は次なる標的へ!

 先程の凱歌で、カミュの身体に刻まれていた傷も大分癒えていた。迫り来る黒い球体を凌いだ血の覚醒によるパワーブレイドの一撃は、ルビィやアカリが畳み掛ける攻撃と撃破の切欠を作る。
 黒い球体の大半が攻撃形態へと移行した今、光線による反撃は殆ど無い。
 巧く紛れて距離を保っている個体も在るのかもしれないが……。杖を構えたシラユキは、素早く周囲を見渡すと共に、
「流石、私のナイト様は何万年経っても頼りになるね」
 余裕が見えるカミュの背中に向けて、そんな軽口も零れてしまうと言うものだ。

「薔薇のように散れ……なのです」
 奔る光の軌跡に、乱れ飛び散る薔薇の花。
 アヤセの薔薇の剣戟に重ねるライナーのコンビネーション。
「私達がいる未来……邪魔者は消えてくださいです」
「美味しい茶を飲む為には、君達は邪魔っす」

 エルの援護を受けながら、シェードを中心に発生した竜巻が『眼』を潰す。
「そう簡単にこの平和を崩させるものか!」
(「地獄の連中やドラゴン達ほど壊れた相手じゃない」)
 ――なら勝つさ。
 単純で素直な攻撃パターンは既に掌握済みだ。
 只中に飛び込んだ時から脅威は殆ど感じていない。

 勝つ。勝つ。勝つ――!

 貫通。粉砕。爆裂。そして――静寂。
 ――ヴィーーー。ヴィーーー。ヴィーー……。
 耳の奥に残る残響を、頭を振って追い払う。
 新たに警告音を発するものは、少なくとも冒険者達の視界にはもう存在しない。

 そんな戦場の片隅で。
 一人の武道家が武器を下ろした。
 人知れず。
(「……出る幕がなかったにゃあ」)
 火の粉が散る様な独特の文様が描かれた両手槌、たなびく緑衣。
 年の頃20程の若者の様だが、その面影に覚えがある者は果たしてその場にいるのかどうか。
 苦しい戦いになれば彼も加勢するつもりでいたのだが、機会はとうとう訪れなかった。
 だが、それで良かったのかもしれない。

 輝く希望の名の下に。
 集った冒険者の手によって、黒い球体の群は宇宙の塵と化したのだ。


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蒼炎超速猛虎・グレンデル(a13132)  2009年12月24日 01時  通報
(ヤンとの今生の別れの際に残した言葉)
お前が100回生まれ変わっても、絶対見つけ出してやるよ。