旅物語は終わらない



<オープニング>


●2019年の世界
 インフィニティマインドが星の世界への旅から帰還して4年が過ぎた。
 世界は相変わらず平和で、冒険者達は変異動物や怪獣と戦ったり、人助けをしたり、旅に出たり、第二の人生を歩み始めたりと、思い思いに暮らしている。
 そんな中、誰かが言った。
 魔石のグリモアとの最終決戦から10年。世界が平和になって10年。
 この節目の年に、久しぶりにみんなで集まるのはどうだろうか。
 互いの近況や思い出話など、話題には事欠かないはずだ。
 さあ、冒険者達の同窓会へ出かけよう!

「海水浴に行く人この指とーまれ♪」
 ずびっ、と人差し指を天へと突き立てて。サザは今日も元気に笑っている。
 その容姿は以前と差し当たり変わった様子は見られない。
 見られないが、年を食っている現実は、ある。そしてそれはほんの少し前から禁句になりつつある。
 某セイレーンの青年辺りが、その件に関して口では言えない制裁を受けたらしいことを余談として。
 にこにこと笑っているサザは、説明を続けた。
「場所はワイルドファイアの海岸よ。勿論水着は必須! あ、でも上に何か羽織っててもいいわよ。お肉と魚と野菜を用意するから、バーベキューでもして楽しみましょ♪」
 大鎌を構えながらうきうきと述べている辺り、食材は現地の怪獣だろう。
 平和な世界となり、滅多やたらと武器を振り回すことはなくなったが、冒険好きの性分は変わっていないのだ。
「お話も、色々聞かせてね♪」
 変わったことがあったなら、その現実を。
 変わらず続くものがあるのなら、その話を。
 期待に満ちた眼差しは、日常という名の冒険譚を、心待ちにしているようだ――。

●2109年の世界
 世界が平和になってから、100年の時が過ぎた。
 年老いた者もいれば、かつてと変わらない姿を保っている者もいるし、少しだけ年を取った者もいる。中には寿命を迎えた者も少なくない。
 そんなある日、冒険者達にある知らせが届く。
 100年前に行った、フラウウインド大陸のテラフォーミングが完了したというのだ!
 昔とは全く違う姿に生まれ変わったフラウウインドは、誰も立ち入った事の無い未知の場所。
 そうと聞いて、冒険者が黙っていられるはずがない。
 未知の大陸を冒険し、まだ何も書かれていないフラウウインドの地図を完成させよう!

 それは森の一角にぽっかりと開いた洞窟だった。
 周囲の木々の生命力が強いのか、洞窟は壁も天井も床も、全てが枝葉に覆われている。
 どこへ続いているのだろう。興味に惹かれ歩を進めていると、ふと、何やら奇妙な物体がこちらに近付いてくるのに気がついた。
「……これ、は……?」
 それは花だった。否――花弁を纏ったような、小鳥だった。
 一体一体が大き目の薔薇の花程度の小鳥は、冒険者の周りを、ひらひら、それこそ花びらが舞うように飛び交い、小さく囀っている。
 指先に止まった小鳥に、ふと、微笑みかけて。一人の少年が振り返った。
「光が見えるな。じきに出口につくのかもしれん」
 小鳥に導かれるように進めば、不意に、視界が光に満たされる。
 出口――そう思ったのも、ほんの一瞬だった。
 冒険者の目に映ったのは、広大なフラウウインドの自然。見下ろすように、その『洞窟』は佇んでいた。
 身を乗り出し、上を、下を、左右もぐるりと眺めて、少年は感嘆したような声を上げる。
「これは凄いな。随分と大きな樹のようだ。洞窟だと思っていたが、枝の隙間だったようだな」
 風が吹き、さわさわと葉が音を立てるが、太く伸び、絡み合った枝は、ぴくりともしない。上を歩けるほどなのだから、当然といえば当然か。
 どのくらいの大きさなのか。思えど、手を翳して見やる程度では、幾重にも重なった葉が見えるばかり。太い幹が、枝が、どこまで伸びているのか。見当もつかなかった。
 木漏れ日を生む僅かな隙間を、花弁の小鳥が飛び交っている辺り、ここは彼らの巣――集落に近い存在なのかもしれない。
「頂点まで登れば、大きさも判るかも知れんな。見渡す景色もよさそうだ」
 細い枝を掻き分ければ、新しい道が幾つも見つかる。
「誰か勝負でもしないか? 一番先に頂点に辿り着いた者が、この樹に――この、地に。名をつけるというのも楽しそうじゃないか」
 そう言う少年だが、その姿はいつか見た霊査士の姿と酷似しており、どうしても、体力的な行動に向いているような印象を持てない。
 と。そんな視線を感じたのか。肩を竦め、小さく溜め息を零して、笑う。
「俺はおばーさまじゃないんだ。妙な心配など、しなくてもいい」
 そうして、掻き分けた枝の隙間を覗き込み、どうしたというように振り返り。
「もたもたしていると、置いていくぞ?」
 くすり。少年――ラルは微笑んだ。

●3009年の世界
 世界は1000年の繁栄を極めていた。
 全てのグリモアを搭載した『世界首都インフィニティマインド』には無敵の冒険者が集い、地上の各地には英雄である冒険者によって幾百の国家が建設された。
 王や領主となって善政を敷いている者もいれば、それを支える為に力を尽くす者もいる。相変わらず世界を巡っている者もいたし、身分を隠して暮らしている者もいて、その暮らしは様々だ。
 1000年の長きを生きた英雄達は、民衆から神のように崇拝される事すらある。
 今、彼らはこの時代で、どのような暮らしを送っているのだろうか?

 はいけい冒険者の皆様。随分と久しくあっていないような気もしておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

「硬いっ!」
 ぐしゃぐしゃ、ぽい。一行だけ文を綴った紙を容赦なく丸め捨て、レンはうーんと唸った。
 特に何を目指すでもなく、何をするでもなく、気ままに世界を放浪してきたこの千年、気がつけばかつての仲間たちは世界首都を中心に、己の国を作り上げていた。
 忙しそうだなぁと遠目に見ながら通り過ぎた過去をちらりと思い起こし、思い切って遊びに行こうと考えたのだ。
 いきなりは失礼かな。など、珍しく真面目なことを考えて手紙など書いてみたが、普段興味もないことを、いきなり上手くやろうというのがそもそも間違いだったのだ。
 うーん。もう一度唸って、レンは新しい紙に文字を連ねた。

 近いうちに遊びに行くかもしれません。その時はよろしくねー♪

「あ、これでいいんじゃん」
 思い切り簡単にして、ようやく納得に至ったレンは、満足げに紙を折りたたむ。
 何故か、紙飛行機に。
「そーれとんでけー!」
 すぃ。宙を泳ぐ紙飛行機は、風に乗って高く飛びあがる。
 おぉ。と感嘆したような声で見上げると、レンはそれを追いかけた。
「どこまで行くかな」
 誰に、逢えるかな。
 紙飛行機に行き先を委ね、レンは千年の時を顧みながらのんびりと歩いた。
●数万年後の世界
 永遠に続くかと思われた平和は、唐突に終わりを迎えた。
「あれ、海の向こうが消えた?」
 異変に驚いてインフィニティマインドに集まった冒険者達に、ストライダーの霊査士・ルラルは言った。
「あのね、これは過去で起こった異変のせいなの。過去の世界で……希望のグリモアが破壊されちゃったんだよ!」

 とある冒険者がキマイラになり、同盟諸国への復讐を試みた。
 彼は長い時間をかけて、かつて地獄と呼ばれた場所にある『絶望』の力を取り込むと、宇宙を目指した。
「えっと、これ見てくれる?」
 ルラルは星の世界を旅した時の記録を取り出した。
『2009年12月10日、奇妙な青い光に満ちた空間を発見。後日再訪したその場所で過去の光景を目撃。詳細は不明』
「この記録を利用できるかもって思ったみたいだね。そして、実際にできちゃったの」
 どうやら、この空間は過去に繋がっていたらしい。男はここから過去に向かい、希望のグリモアを破壊してしまったのだ!
「世界が平和になったのは、希望のグリモアがあったからだよね。だから希望のグリモアが無かったら、今の世界は存在しないって事になっちゃう。ルラル達、消えかかってるの!」
 今の世界は、希望のグリモアが存在しなければ有り得なかった。
 だから希望のグリモアが消えた事によって、今の世界も消えて無くなろうとしているのだ。
「これは世界の、ううん、宇宙の危機だよ! だって、みんながいなかったら、宇宙はプラネットブレイカーに破壊されてたはずだもん! だからね、絶対に何とかしなくちゃいけないんだよ!」
 ルラルにも方法は分からないが、事態を解決する鍵は、きっとこの場所にある。
「でも、この空間……えっと、タイムゲートって呼ぼうか。このタイムゲートの周囲には、絶望の影響で出現した敵がいるの。これはね、全部『この宇宙で絶望しながら死んでいった存在』なの」
 彼らが立ちはだかる限り、タイムゲートに近付く事は出来ない。
 彼らを倒し、タイムゲートへの道を切り開くのだ!

 きらきらとした欠片が中空を漂う。
 漆黒の絶望色をした欠片は、きらきら。恨めしげに、光を返す――。

「んとね、鏡みたいなものなの!」
 握り拳を作って力説するルラルに、レンは首を傾げた。
 それを見て、ルラルも同じ角度で首を傾げ、もう一度言葉を考えた。
「大きな鏡が割れたみたいな感じでね、細かい欠片が沢山あるの。元がなんだったのかはよくわからないんだけど、宇宙で絶望して死んでった存在の、んーと、もうしゅう?」
 曰く、絶望の内に死んだ彼らの妄執は、命ある存在という光をその身に映しこみ、初めて、形を作るらしい。
 つまりは、鏡と対峙した、冒険者自身と同じ姿に。
「そっくりそのまんま同じだから、技とかもぜーんぶ一緒なんだよ」
「えー、それって決着つくの?」
 首を傾げたままのレンの問いかけに、ルラルはまた、言葉を捜した。
 だが、それを待たず、レンは小さく微笑むと、ぽふ、とルラルの頭を撫でた。
「なーんてね。大丈夫。自分への挑戦だと思って、乗り越えてくるね」
「うんっ、頑張ってきてね!」
 困り顔を一転させた笑みに、見送られて。
「判ってるよ、姐さん」
 タイムゲートへと、彼は向かった。


マスター:聖京 紹介ページ
最期ですって奥さん。
好きな時代に好きなだけ。
好きなことを好きなだけ。
どうぞお楽しみくださいませ。

●10年後:サザのお誘い
食材は現地で既に調達済み。火起こししながらサザが待ってると思います。
サザ・フィルはこの年代のみの登場になります。
フィル・レンは呼ばれれば登場します。

●100年後:ラルと探検
フィルの子孫です。孫ですよ孫。本人は天寿を全うしました。
てっぺんいこうよって言ってますが、あえて降りるのもありです。
洞窟のような形状の『道』が無数に存在しておりますが、木漏れ日あるので暗くはありません。
辺り全部枝と葉っぱですが、潤ってるので煙草やカンテラ等の火なら問題ありません。小鳥は近寄ってきませんが。

●1000年後:レンの放浪記
一万年と二千年経っても変わりません。
ふらふらと遊びに出かけている様子なので、紙飛行機引っ掴んで招いてあげてください。

●数万年後
私は死んでしまったのに、どうしてあなたは生きているの?
そんな奴らです。
姿は自分自身。心はないけど表情はあります。
協力はしませんが範囲攻撃は当たります。
会話はできますが成仏的なことはできません。

参加者
想いの歌い手・ラジスラヴァ(a00451)
内気な半人前看護士・ナミキ(a01952)
鋼帝・マージュ(a04820)
兄萌妹・フルル(a05046)
宵風の吐血癒法師・ロニィダイム(a09885)
朝霧・ニコラシカ(a17900)
白鞘・サヤ(a30151)
桜の雨が舞い散る中で・サクラ(a44030)
金鵄・ギルベルト(a52326)
雪華の祈り巫女・レイア(a64047)
NPC:スマイリー・レン(a90276)



<リプレイ>

●2019年〜サザのお誘い〜
 青い空、白い雲。常夏の浜辺に、笑顔を咲かせる女が一人。
「いらっしゃーい!」
 サザは久方ぶりの再会を果たした友人らに手を振り、招いた。
 彼女の傍らには、内気な半人前看護士・ナミキ(a01952)と兄萌妹・フルル(a05046)の兄妹が既におり、バーベキューの準備を手伝っていたようだ。
 大量の食材を並べたり重ねたりしながら、いい汗かいた、というように額を拭っている。
「あ、皆さんいらっしゃったんですね」
「何とか間に合ったわね〜。ありがとう、ナミキさん、フルルさん♪」
「ていうかサザさん狩りすぎだよ〜。食べきれないんじゃない?」
 そこは現地住民を召喚という奥義でカバー。
 それはそれとして。今回の同窓会の主催もとい言いだしっぺであるサザは、集まった面々に駆け寄り、手を引いて回る。
 水着着用を義務付けた当人の姿は、いつぞや、旅団で出かけた思い出を詰め込んだ、白いビキニ。
 その背中を微笑ましげに見つめるナミキは、得意の裁縫スキルを発揮して作った、淡い色のタンキニ。ひらひらのスカートと緩めのラインは普段着のようで着易い上に、ちょっと崩れた体系も隠す優れものだ!
「フルルの水着もナミキが作ったの?」
「そうだよ〜」
 感心したように眺めていたスマイリー・レン(a90276)の問いに、フルルは何かを思い出したように笑いながら、答える。
「体系崩れもフォローできるーとか言いながら渡されたけど、そんな気になるかな〜? ボク、まだまだ若いのに〜」
 自分の体を見やり、肩を竦めたフルルが再びレンを見上げると、どこか遠いところを見つめながら、「女子は不老」と念仏のように呟いていて。
 終いには耳を塞いで蹲ってしまったのを見て、フルルは慌てたようにレンを揺すっていた。
「レンさん、何かあったんですかね……」
「……腹でも痛めたんだろう」
 用意された日除けの下に座っていた想いの歌い手・ラジスラヴァ(a00451)が、不思議そうに首を傾げているのを見て、並んで座っていたフィルは、呆れたように呟く。
 そんな彼女の様子をちらりと見やり、微笑ましげに笑ったラジスラヴァは、傍らで砂のお城を作っている我が子を見つめ、独り言のように呟く。
「あの子達に、新しいお友達ができるのは、いつでしょうね」
 問うような言葉に、数瞬、沈黙を返して。フィルもまた、ラジスラヴァと同じものを見つめる。
 少年と、少女と。どことなく彼女の面差しを湛えた幼子。
 彼らの間に、もう一人、『新しいお友達』がいる様子を、ふと、想像して。けれどすぐに掻き消えた幻に、フィルは小さく、笑う。
「さぁ、な……」
 視線を逸らしたフィルの足に、ぱっ、と、砂がかけられる。
 掴んだ砂を投げ散らす少年の、小さな手を握り締め、駄目よと囁きかけると、砂の代わりにシャベルを握らせる。
 そうして、少年ばかりとぐずる少女にも同じものを与え、改めて体を起こすと、肩を竦めた。
「そう遠くないことだと、思ってるんですけどね」
「ラジスラヴァ。お前は一度、私の周りを良く見てみろ」
 暗に示す言葉を理解していながらも、ぐるり、物理的な意味での周りを見渡すラジスラヴァ。既にバーベキューを始めているようで、肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
 目が合い、手を招いてくるサザに、仕草だけで今行くと返すと、ふわり、幼子の頭を撫でて、視線を促した。
「ご飯の後で、また遊びましょうね」
 母の言葉に、素直に頷く子供の笑顔は、眩しくて。
 フィルは日を遮るように瞳を眇めると、彼女らの後に付いた。

 網の上でせわしなく肉や野菜を焼きながら。桜の雨が舞い散る中で・サクラ(a44030)は、肉ばかりが盛られている皿を見つけるや、すかさず野菜を放り込んだ。
「野菜も食べないとダメですわ! ほら、もっととって!」
「ね、サクラさんも座ってお話しましょ」
 サクラの纏う緑色のビキニは、引っ張るところを見つけられず。きらきらの眼差しと言葉とで、サザは期待を訴えていた。
 焼きかけの食材を前に、当惑したような表情を見せたサクラだったが、かわるよ、と顔を覗き込んできたレンに、素直に続きを託すことにして。
 食べる準備がきっちり済まされている場に促されるまま、腰を落ち着けた。
 サザを挟んだ対面には、雪華の祈り巫女・レイア(a64047)の姿もある。少し海を楽しんできたのか、白を貴重としたAラインワンピースの水着は、しっとりと濡れていた。
「サクラさんは、ランドアースに帰ってきてから何をしているの?」
「今は、人助けで村などを訪ねて怪我や病気を治す旅をしていますわ」
 ぱく、と。自分で焼いた野菜を口にしながら、数年の記憶を辿る。
 世界が平和になったとはいえ、日常の中の事故や病気の類までもが消失するわけでもない。
 インフィニティマインドでの星の旅より帰還し、再び立ったこの地で、サクラは己の足で、村々を巡ってきたのだ。
 医術士としてのアビリティで治せた者、そうでない者。様々な場面に立ち会った過程で、一人でも多くの存在を救いたいと、強く、願った。
「そのためにアビリティに頼らない、薬を使った最高の医術を挑戦中ですわ。難しいですけど」
 難ではあるが、不可能ではないことを確信して。サクラは、ぎゅっ、と拳を握り締め、誓うように微笑む。
「私も、同じです」
 声に、顔を上げれば。
 にこり、と。微笑むレイアと、視線が合った。
 彼女もまた、星の海を渡り、医療の勉強を重ねる六年を送った。帰還してからも、それは続いている。
 そうして、今はこの地で、医者のいないような小さな村を、医術士として渡り歩いてきた。
「医者の居ない村というのも、まだまだたくさんありますから、とても忙しいです」
 語るレイアの言葉は労苦ではあるが、その表情には満ち足りたものがあった。
「いつか、サクラさんとも、どこかの村で逢うかもしれませんね」
「そうかもしれませんわね」
 ふふ、と。和やかに微笑み合う彼女らの皿に、いつの間にか肉やら野菜やら魚やらが放り込まれていた。
 サクラに注意されたように、バランスはちゃんと考えているらしいレンに、一先ず、もういいと告げて。食事の傍ら談笑していると、不意に、思い出したというように、レイアが声を上げた。
「そういえば、この間……峡谷に掛かる三重の月虹を見たんですよ」
 夜闇にかかる、淡く白い光の橋。昼間に見る虹とは違う、仄かなだけの七色が、二つ、三つと波紋のように重なる光景は、ただただ目を奪われたと言う。
「数十年に一度見れるかどうかという珍しい現象だったみたいです。世界には未だ知られていない事がたくさんあるんですね……」
 うっとり、思い起こすように語るレイアを、羨ましそうに、見つめて。
「素敵。私もまた、冒険に行きたくなっちゃった」
 一層輝きを増した目で、サザは微笑んだ。

 言いだしっぺがサザ、ということもあり、その場には彼女に縁のある者が多かったが、そうでない者も、居た。
 鋼帝・マージュ(a04820)は、心行くまで泳ぎ、満足した様子で海から上がると、濡れた髪を掻きあげた。
 そうして、足先だけが波にさらわれる位置でぼんやりと座り込んでいるフィルに、駆け寄る。
「お久しぶりですね、フィルさん」
 にこ、と。微笑むマージュを、やはりぼんやりと見上げて。数瞬、考え込んだフィルは、あぁ、と唐突に声を上げた。
「マージュか」
「あれ、気づかなかった? それとも、覚えてたって喜ぶところですか?」
「好きにしろ」
 笑みを零しながら返すフィルに、少し、遠慮がちな距離を開けて並ぶ。濡れた体に、砂がじんわりと熱い。
 思えば、顔を合わせるのは、互いに少年と少女であった頃以来だ。
「いや〜、冒険者になって最初の依頼は、フィルさんが仲介してたあの依頼なんですよねぇ……」
 マージュが冒険者になって、初めて訪れた、酒場で。フィルは表情なく、おかしなうたい文句を読み上げていた。
 そういえばあの時、最後は怒られたんだっけ、と。胸中で呟いて。穏やかでのんびりとした空気に浸るように、小さく、ため息をついた。
「あの頃は、こんな時代がくるとは思いませんでしたよ」
 護るために、救うために、戦いに明け暮れた日々。それが冒険者だと、思っていた。
 それが、過去となった、今。
「――マージュは、何をしているんだ?」
「普段はキシュディムに居ますよ。元護衛士の経歴を活かして、色々とね。今日はちょっと、生き抜きに」
 く、と腕を伸ばし、立ち上がる。冷えていた体は、日差しにすっかり温められていた。
「そんなわけなんで、もう一泳ぎ、行くとするか!」
 面影を残しながらも大きく育った背が、海にまぎれるのを、見送って。
 あぁ、懐かしいなと。膝を抱えて、フィルは呟いた。

 食べたり遊んだりと、楽しげな空気の傍らでは。
 ワイルドファイアの暑さにやられて見事にくたばっていた宵風の吐血癒法師・ロニィダイム(a09885)の姿があったり……なかったり。
「あら、ロニィダイムさんは?」
「海で顔洗ってます」
 きょろきょろ。さっきまでこの辺に居たはずなのに、と言う顔をしているサザに、朝霧・ニコラシカ(a17900)は笑顔傍らに記憶を過ぎらせる。
 着いて早々挨拶の言葉よりも先に血を吐いた口元を手馴れた調子で拭ってやり。
 暑さでろくに動けないロニィダイムのためにせっせと肉を盛ってやり。
 いざ召し上がれと振り返れば日除けのパラソルの重さに負けて潰れた姿があって。

 タスケテニコラシカサン――(フェードアウト)

 ろ、ロニーさーーん!!!

 今に至るとそんなわけだ。
 鉄分補給だ嬉しいな、などと、震える手を伸ばしたところで限界が来たのである。
 ニコラシカが全てを語らずとも、砂浜の上に置き去りにされた皿や、倒れて半分砂に埋もれているパラソルや、血の跡のあるタオルなんぞを見やれば、サザもおおよその納得には至る。
 何せ、短い間ながら、同じ場所で同じ時間を過ごした存在なのだから。
「もうだいぶ昔の話になってしまいましたけれど、お城でご一緒してた時の事はいつまでも忘れませんよ……」
「私も、楽しかった」
 あの城の主であった人は、今もきっとほの暗い所で静かに過ごしているのだろう。
 それが悲しいとか、寂しいとか、そういった感情とは何故だか無縁で、ただ、あの人らしいと時折思った。
 不思議な感覚を、愛しいと思える。そんな場所だったことを、サザは覚えていた。
 と。ひそりと静かな空気に、微妙に爽やかな顔で、ロニィダイムは帰還した。
「あ、サザさん今回はお誘い有難うねえ。元気にしてた?」
「え、あ……えぇ……」
 ぱちくりと。曖昧な返答に、瞬きを重ねながら、サザはロニィダイムの下半身を凝視している。
 せざるを得ないのだ。だって般若のお面がドーンといるのだから。下半身に。
 正確にはサーフパンツの柄なのだがあえてそう言っておこう。
「ロニーさん、六尺フンドシしか持ってないって言うんで、私が見立ててみました。我ながらセンス良いと思いません?」
 にっこにこの笑顔。悪意はないがセンスもない。なさ過ぎる。
 が、感想はあえてパスだ。文句一つ言わず着ているロニィダイムがそこに居るのだからそれでいいじゃないか!
「サザさん、最近何してる? 僕はニコラシカさんと旅してるんだよ」
 遊んでるようなもんだけどね、と。同意を求める眼差しに、頷くニコラシカ。
 平和だからこその毎日に、その現実を実感したものだ。
「あ、それとね」
 言いながら、こそり、サザの耳元に囁く。
「ニコラシカさんには好い人もできたんだよ。サザさんも知ってる人ー」
 内緒話でもするかのような様子でいながら、割と、堂々と。言えば、ニコラシカが遮るように咳払いをするのが目に留まった。
 ごまかすように肩を竦めるロニィダイムに変わり、ニコラシカは、改めて、サザに告げる。
「私、恋人ができたのですよ……」
 誰、とは言わない。
 そっと、髪を梳くような所作で、細長く編みこまれた紐に触れると、ふふ、と微笑んだ。
「サザさんも、ですよね」
 とん、と。己の胸元を指で示すニコラシカ。
 サザのそこには、銀細工の首飾りが提げられていて。無意識だろう、触れた指は、愛しげだった。
 つぃ。同じ物を提げたナミキが、フルルと仲良く海で遊んでいるのを振り返り、サザは幸せそうに微笑む。
「子供と遊んだり、お年寄りのお世話したり、医療施設でお仕事したり……毎日、楽しそうなのよ」
 見ているだけのような言い回しをしているが、毎日と言う言葉からは、今日の集まりが彼女らにとっては再会の場ではないことを物語っていて。
 共に過ごす日々を思い、ニコラシカは微笑ましげに唇を緩めた。
「十年分の思い出を語るには時間が足りませんね」
 薄い生地のパレオまで、黒一色で纏められた水着は、ニコラシカの白い肌を一層映えさせ、どこか怪しい艶やかさも見せる。
 けれど、浮かべる微笑には、無邪気さが滲み。大人びたような、あどけないような、そんな独特な雰囲気が、彼女を纏った。
 波が寄せて、返す。それだけの、短い沈黙が、漂って。
 掻き消すように、ロニィダイムは笑みを零す。
「……また、会おうね。会いに来るからね」
「今度は恋人も連れて遊びに来ますから」
 ――だから、これきりなどとは、言わないでしょう?
 言葉なく囁かれた問いかけに、サザは、優しく、優しく、微笑う。
「ええ。また、会いましょう」
 いつか、どこかで、きっと――。

●2109年〜ラルと探検〜
 花弁の小鳥が導くままに。レイアはのんびりと、木の葉の上を歩いていた。
 柔らかな足元は歩き心地が良く、日の当たる場所で寝転べば、きっと気持ちのいいことだろうと笑みが零れる。
 と、そんな思いが影響したのか。いつの間にか、枝の間を抜け、日の下へと出てきていた。
 髪を揺らす風に浸るように、そっと、瞳を閉じて。
「一休み、しましょうか」
 すとん、腰を下ろした。
 右にお弁当の箱を。左に羊皮紙を。それぞれ置いて、ほぅ、と息をつく。
「素敵な場所ですね……」
 眺めは良く、風も穏やかで、暖かい。文明らしいものの一つも見当たらないこの大樹は、ただただ静かで。時を忘れてしまいそうだ。
 お弁当を摘み、時折小鳥に与え戯れながら、レイアはそっと、羊皮紙を手に取る。
 書き込まれているのは、この場所の地図。まだまだほんの一部分でしかないけれど、描かれたそれを指でなぞり、この場所では何を見たなぁ、などと、思い起こしては微笑んだ。
 そんなレイアの背後で、かさかさ、風が揺らすのとは違う音が聞こえて。
 ゆっくりと振り返ると、木の葉を掻き分け、マージュが顔を出した。
「おや、道を間違えたかな」
 ひたすら登ってきたと思ってきたのに、と頬を掻いたマージュは、百年前にワイルドファイアの浜辺で見かけた頃よりも、ずっと、年をとっていた。
 髪や尻尾に目立つ白い毛が、そう見せるのだろう。だが、この巨木を登ってきたと言いながら、けろりとした顔をしている辺り、まだまだ体力的な部分に衰えはないようだ。
「折角ですから、一休みなさってはいかがですか?」
 ふ、と微笑み、気持ちいいですよ、というように木の葉の床を撫でるレイアの言葉に、一度は上を気にするような素振りを見せたマージュだが、にこりと笑みを返すと、頷いた。
「まぁ、のんびり行くとしましょうか」
 すっかり未知の大陸となってしまったとはいえ、久方ぶりのフラウウインドなのだ。昔と今を比べられる身として、満喫しておかねば損だ。
 常備品の武器と盾を置き、日の当たる場所に座り込めば、お疲れ様とでも言うかのように、風が吹く。
「ラルさんたちは、もう、上に?」
「さぁ、どうだろう。同じように迷ってるかもしれないからなぁ」
 競争を言い出したラルを始めとしたリアル少年少女がはしゃぎながら登っていく後姿を、最後に見たのはいつだったか。
 なんとなく対抗心を抱いて、別の道を探しながら上を目指してきたため、今頃どこに居るのかは、さっぱりだった。
 居るのは花弁の小鳥ばかりだし、足を滑らせて真っ逆さま、などという危険も薄いため、心配などはしないけれど。
「いい遊び場になってるんでしょうね。私も、ピクニック楽しんでますし」
 言いながら、マージュにも薦めようと弁当に手を伸ばしたレイアだったが、ちらりと振り返った箱は、空っぽだった。
 目を丸くして、辺りをきょろきょろと見渡すと、花弁の小鳥を侍らせるようにして、小さなリスがおかずを抱えているのが目に留まった。
「お、新しい生き物発見かな」
 一見普通のリスだったが、その大きな尻尾は、小鳥の羽と同じく、花弁に纏われていた。
 彼もまた、この大樹に咲く花の一種なのだろう。
 おかずを美味しそうに頬張って、そのままひょいと姿をくらませたリスを、眺めて。マージュは、やおら立ち上がった。
「もう、行かれるんですか?」
「最近書類と格闘してばかりでね、鈍ってたんだ。たまには思いっきり体を動かすのもいいものだと、つくづく思うよ」
 辟易したように肩を竦め、マージュは装備を拾い上げると大樹の内側へ戻っていく。
 笑みで見送り、レイアもまた、広げた荷物を纏め、さてと、と立ち上がる。
「今度は、あのリスさんについていってみましょうか」
 探すように視線をめぐらせ、とことこ、歩を進めるレイア。
 きっと、新しい場所へ案内してくれるだろう。そんな期待が満ち溢れてくるのを、感じながら。

「フブキのおばーさまは、まだ元気なのか?」
「さすがに動き回ることはないですけど、まだ元気ですよ〜」
「……おばーさま、幾つだっけ」
「……忘れました」
 大樹の内側、木漏れ日の溢れる『洞窟』で。ラルはフブキと話していた。
 おばーさまとは、フルルのことだ。フルル曰くミラクルが起きてのフブキ誕生だそうだが、どんなミラクルが起きたのかは、聞いていない。
 ラルにしてみれば、自身の祖母であるフィルと大して変わらぬ年齢であった彼女が、いまだ健在であるという現実こそがミラクルのような気がしてならないわけだが。
 ところで、頂点目指して張り切っていたはずの彼らが、何故にこんなところで談笑しているかと言うと。
「ラル〜、待ってよ〜」
 か細い声が、パタパタ、後ろから書ける足音と共に響いてきた。
 くす、と笑みを零して振り返ると、ラルは少し意地悪な顔をしてみせる。
「ミルシェ、遅いぞ」
「ラルが早いんだよ〜」
「そんなことはないさ。俺はフブキに合わせているんだぞ?」
 なぁ。と、フブキに同意を求めるラルだが、かく言うフブキもかなり必死だった。ぜぇぜぇ言いながら追いついてきたフブキを見かねて、ミルシェ待ち、と言いながらの休憩だったのだ。
 ちなみに、ミルシェはラジスラヴァの子孫であり、祖母世代の縁によって、自然、ラルと仲の良い友人となっていた。
 立場は、逆転しているようだが。
「さぁて。ミルシェも追いついたことだ、そろそろ行こうか」
「え、えぇ〜?」
 やっと追いついたのに、と眉を下げたミルシェを、やはり、意地の悪い顔で一瞥して。ころり、転じた優しい顔で、汗ばんだミルシェの髪を梳いた。
「冗談だ。少し休め」
 促すように頭を撫でて、座らせると。ラルは、彼女が背に負っていた楽器に触れる。
「持とうか?」
「え、あ、うぅん、いいよ。大丈夫」
「そうか、なら、頑張れ」
 ぽん、と肩を叩いて、ラルは踵を返し、二人から見える程度の位置で、がさがさ、木の葉を分けて道を探していた。
 暫しそれを眺めていたミルシェだが、はぁ、と大きなため息をついて、そっと、先ほどラルに触れられた髪を指で弄った。
「ラルさん、さすがですね〜」
「うん……」
 ラルを振り返るフブキの目にあるのは、尊敬の眼差しだ。新米冒険者として今回このフラウウインドに訪れた彼女にとって、先輩であるラルは、祖母世代の関係がなかったとしても、憧れるものなのである。
 やがてとことこと戻ってきたラルは、調子はどうだというように二人の顔をそれぞれ覗き込んでから、にこり、笑った。
「もうすぐ頂点につけそうだ。一気に登るぞ。どうせのんびりするなら一番上がいいだろう?」
 そうして、さくさくと歩を進めていった。
 ――その割には、立ち止まって道を探す素振りを見せ、二人が追いつくのを待ったりも、していたけれど。
 何はともあれ、やがて頂点へとたどり着いた三人。途中で顔を覗かせた地点でも随分高いものだと感じたが、ここはその比ではない。雲一つない日などは、大陸の端まで見渡せるのではないかと思えるほどだった。
「わ〜〜きれい」
「本当、凄い……冒険者になってよかったです……」
 豊かで広大なフラウウインドの大自然を前に、感嘆する二人の少女。傍らで、ラルは祖母の形見である白いキャスケットが風で煽られるのを抑え、ただ静かに、景色を見つめていた。
 かつて戦いの日々に身を置いた、幾千もの冒険者の手によって築き上げられた、世界。
 平和の幸せを語らいながら逝った祖母の言葉を、今、強く実感したのだ。
 ひゅぅ、と。柔らかく吹く風に乗せて、優しいメロディが響く。
 背に負っていたトンコリを手にしたミルシェが、歌っていた。
 ちらりと目をやると、彼女もこちらを見ていたらしく、目が合った。けれど、すぐに逸らされた。
 その理由を、知らないわけではないけれど。あえて、そ知らぬ振りをして。
 幼馴染の手で奏でられるメロディに、花弁の小鳥が幻想的に舞うのを見つめながら、静かに、音楽に浸った。
「あぁ、残念だな。一番乗りは逃したか」
 曲が終わるのを待ったようなタイミングで。かけられた声に、振り返ればマージュが枝を椅子に笑っていた。
 隣には、リスを数匹引き連れたレイアの姿もあった。
「地図もまだ途中ですけど、この景色は、登った甲斐がありますね」
 随分と懐かれたらしい。肩で花弁の尻尾を丸めて擦り寄ってくるリスの鼻先を撫でて、ふふ、とくすぐったそうに微笑んだ彼女は、ふと、思い出したように羊皮紙を指し示し、首をかしげた。
「最後に、地図に名前を記入したいのですけれど……なんと書けば、いいでしょうか」
 問いに、あぁ、とラルは手を打った。そういえば、一番乗りした者が名前を決めるとか何とか、そんな競争をしていたのだった。
「それなら、ラルが一番だよね?」
「まぁ、ミルシェじゃないことは確かだな」
「ラルさんったら、また意地悪言って〜」
 冗談に茶化すようなお咎めを貰い、肩を竦めたラルは、暫し思案するような表情を、見せて。
「それなら、華子の里(かごのさと)にしようか」
 この樹が、花の申し子が住まう場所であるように。
 そんな意味と、願いの篭った名を、囁いた。

●3009年〜レンの放浪記〜
 かさかさと。紙飛行機を開いて中の文を読んだ白鞘・サヤ(a30151)は、別の紙を引っ張り出し、地図と、言葉を書き綴った。
 『お待ちしています。』
 そうして、同じように紙飛行機を作ると、窓の外へ、飛ばした。
 風に乗り、思ったよりもずっと遠くへ飛んでいく手紙を見つめながら、窓の淵に頬杖をついて。
 届くだろうか。そんな思案を、そっと浮かべていた――。

 るんたった。そんな陽気な鼻歌なんぞにスキップ添えて。紙飛行機を追いかけては飛ばし、追いかけては飛ばしを繰り返していたレンは、とある町へとたどり着いた。
「いらっしゃい、旅人さん」
 にこり、と。微笑んだ顔には、よく、よく、覚えがあった。
 それが記憶と一致しない人物であることも、知っていたけれど。
「君は、門番さん?」
「そうだよ。小さな町だし、ボクも門番見習いだけどね」
 紙飛行機を拾い上げ、はい、と手渡した彼女を、町の中から誰かが呼んだ。
「おーい、うめちゃん、そろそろお昼のじかんだよー!」
「はぁい、ありがとー!」
 慕われているようだ。口元で、「うめちゃんかぁ」と呟いて、レンはその小さな門番見習いの頭を、撫でてみた。
「わ、な、なに?」
「んーん。なーんでもない。その紙飛行機、あげるね」
 ひょっとしたら、そんな年でもないのかもしれないけれど。
 首を傾げている彼女――ウメに微笑みかけ、踵を返すと、もう行くの、と背中に声がかけられた。
「うん。またね、うめちゃん」
 フルルによろしくね。心の中で、そう続けて。
 また、スキップしながら新しい紙飛行機を飛ばした。

 ひゅるる――。風に乗った紙飛行機が、町の中を横切る。
 それが、立派な図書館の前に居た金髪に、突き刺さった。
「ん?」
 落ちたそれを、拾い上げて、きょろきょろと辺りを見回して。ふと、紙飛行機に何かが書かれていることに気がついたストライダーの男は、かさかさと開いてみた。
 近いうちに遊びに行くかもしれません。覚えのない自体と、文。
 首を傾げていると、ぱたぱたとかけてくる青年と、目が合った。
「やぁ。これは君のかな?」
 開いてしまったが、元は紙飛行機だったものを、示して見せ。ぱっ、と顔を明るくした青年に、手渡した。
 セイレーンの青年。軽装だが、纏っている装備らしいものは、冒険者が持つ物のようだ。
 少し、古びたヨーヨーが、目に留まる。
「君は、冒険者?」
「うん、そだよ。一緒一緒〜♪」
 にこにこと。初対面であるはずの青年の言葉に、目を丸くすれば。青年は笑顔のまま、図書館を見上げた。
「おにーさん、リーア・ロスでしょ? さっき聞いたんだー。私立図書館やってる冒険者さんだって。防具の改良とか、してるんでしょ? いかにも屈強な冒険者ーって感じの背中だったから、すぐ判っちゃった」
 あぁ、と。納得したように頷いたリーアに、青年は更に続けた。
「それに、少し似てる」
 学者然とした顔は、彼と――マージュとは、違う装いだけれど。
 何代続いたのか、そこには確かに面差しがあった。
「今度、一緒に冒険いこーね」
 赤茶の瞳を、見上げて。
 青年はきょとんとしたリーアに背を向けると、かさかさ、音を立てる紙と一緒に、手を振った。

 とある国の医療施設の、前で。リボンが華やかに揺れる服を纏った、長身の女性が空を仰いでいた。
 いい天気。そう呟いた手には、救急箱が提げられている。これから、施設を離れての巡回なのだ。
 高い実力から看護長の任を与えられている彼女ではあるが、施設の中で患者を待ちながらふんぞり返るよりも、こうして自らの足で出向くのが、好きだった。
 ご先祖様に似たのね、なんて言われたことを、外に出るたびに思い起こす。
「気持ちいい風……何かいいこと、飛んでこないかな」
 例えば、いい男とか。
 仕事に明け暮れている内に、気がつけば28歳。そろそろ彼氏の一人でも作りたいお年頃だ。
 と、そんな彼女の前を、紙飛行機が横切った。
 一瞬目を丸くしたが、何を思ったか、たたっ、と駆け寄ると、飛び掴んだ。
 とんっ、と着地して顔を上げると、驚いたように目を丸くした青年と、目が合う。
「これ、君のかな〜?」
「あ、うん、ありがとう、ナミキ……」
 ナミキ、と。言ってしまってから、慌てて口を噤む青年。おそらくは彼の子孫なのだろう。
 つい、その名を口走ってしまうくらい、似ていたのだから。
 すると、今度は、女性の方が目を丸くした。
「私のこと、知ってるんだ?」
「へ?」
「違うの? 私はサクラ・ナミキ。そこの施設の看護長をやってるのよ」
 怪我でも病気でも、困ったことが合ったらいつでも来てね、と。背後の施設を振り返りながら告げたサクラが、改めて青年を見やると。
 何かを思案するような、難しい顔で、じぃー、と見つめられていたことに、気がついた。
「……ナミ……サクラ、ってさぁ……」
「ん?」
「男の人?」
 間。
「……どこを、どう見たら、そう見えるのっかなぁ〜?」
「え、ごごごめん! ごめんなさい! し、知り合いに似てたから、つい! 思わず! 超うっかり!」
 胸倉掴んで救急箱を振りかぶったサクラに、慌てて弁解すれば。彼女は肩を竦めて手を離す。
 そうして、バクバクと音を立てている心臓を押さえている青年の額を、小突いた。
「それじゃ、私これからお仕事だからもう行くね。またいつか、君がもっとデリカシーのある男の人になったときにでも、会おうね」
 華やかな装いをした彼女は、見合う、華やかな笑顔を湛えて。
 そのまま、紙飛行機片手に立ち去った。

 丘の上から、さらに上へ。目掛けて飛ばしたはずの紙飛行機は、弧を描いて落ちていく。
 それを目で追いかけていると、まるで導かれたかのように、誰かの手元に納まるのが見えた。
「あ……」
 懐かしい姿が、目に留まる。
 珍しげに紙飛行機を眺めていた二人の男女は、軌跡の先を見上げて、こちらに気づいたようだ。そうして、それがレンであると判ったのだろう、手を振り、招いてくれた。
「レーンさん! ほら、紙飛行、捕まえましたよ」
 にこり、ニコラシカが笑顔を向ける傍らで、ロニィダイムもまた、微笑んでいた。
「紙飛行機とか久しぶりに見たねー。レンさん、元気ー?」
「うん元気元気。ロニィは?」
「相変わらずだよー。元気元気ー」
 言いながら、盛大に血を噴くロニィダイム。
 ――あぁ、本当に相変わらずだとふと思う。
「もう、ロニーさんってば」
「失礼、失礼! いつも有難うねニコラシカさん」
 慌てながらも、慣れた調子で血を拭うニコラシカも、変わらない。
 姿も、雰囲気も、関係も。
「前に会ったのは何年前でしたっけね」
「んー。十年くらい? あの時確か新しい小物屋さんが可愛くてとか話してなかったっけ」
「それもっと前の話だよ。それに最後に会ったの四年ほど前だったはずだけどなぁ」
「そーだっけ? なんだかんだ言って会ってるから混ざっちゃってるや」
 世界は広いようで狭いのだ。時を刻み、装いを変え、新しい一面を覗かせたとて、それは変わらない。
 長い時を生きる中で、結んだ縁さえ長く続いていることを、幸せだと、レンは感じていた。
「折角ですから遊びに行きましょう! 風の噂で、新しいお菓子屋さんができたって聞いたんです」
「あれ。ニコラシカさん、さっきご飯食べたばっかりじゃない?」
「甘いものは別腹っしょ♪ いこいこ〜♪」
 ニコラシカに手を引かれ、レンに背中を押され。しょうがないなぁ、などと言いながら、ロニィダイムも楽しげで。
 思い出話に花を咲かせながら、日の暮れるまで、三人で遊び歩いていた。

 二人と別れ、夕焼け空を見上げながら、レンは満足げに歩いていた。
 本人だったり、子孫だったり。再会したり、出逢ったりして。
 またねと、交わして別れた。
 次はいつ頃逢えるかな。どんな姿で逢えるかな。これからもずっと続けていくつもりの未来に思いを馳せ、ふふ、と幸せそうに笑う、目の前を。
 紙飛行機が、横切る。
 反射的に手を伸ばし、掴むと。ほんの少し迷ってから、中を開く。
 書かれた地図と、招待に。気づけば、駆け出していた。
「いらっしゃいませ」
 遠慮がちなノックに、扉を開けて応えてくれたのはサヤだった。その手には、紙飛行機が握られている。
 同じように、紙飛行機を示して見せ。レンは満面の笑みを浮かべた。
「久しぶり♪」
 招かれた家は、サヤが一人で住んでいるものではなかった。大切な人と結婚して、二人で住んでいる場所だと、彼女は語る。
 縁側に、お茶とお菓子を挟んで座り、見上げる空は茜色に美しく。穏やかな陽気の昼などにここに腰掛けるのは、きっと気持ちのいいものなのだろうと、思案した。
「子供や孫にもたくさん恵まれましたけど、皆冒険者になったり、普通に結婚したりで、色んな所に散らばってます。時々帰ってきたりもするんですけど……ひょっとしたら、レンさんも逢ってるかもしれませんね」
「うん、そうかも。今日もね、色んな人に逢ってきたばっかりなんだ」
 日が沈み、少しずつ、辺りが暗くなっていく。
 風が冷たいね。などと、他愛もない言葉を挟みながら、数千年という長い時間を、ほんの少しだけ、告げあった。
「結婚、かぁ」
「どうしたんです、突然」
 ふふ、と笑うサヤは、少し、年をとったようだ。
 何か、きっかけがあったのだろう。ずっとずっと昔に、彼女がレンの迷いを振り払ったように。
「俺には、まだまだ無縁だなぁって」
「もう少し大人になってから?」
「んー。もう少し、一人を楽しんでから、かな」
 ひょい、と。縁側から降りて、そのまま離れていく素振りを見せたが、思い出したように戻ってきて、お菓子のクッキーを摘む。
 そうして、サヤの顔を見つめると。
「サヤ、結婚おめでとう」
 それから。
「ありがとね」
 ほんの少し変わった容姿だけれど、彼女を彼女たらしめるものは、何一つ、変わっていなくて。
 それが、あの時の言葉を彼女自身が証明してくれているようで。
 ただ、安堵が心を満たした。
 ぱく、とクッキーを咥えて、今度こそ立ち去っていこうとしたレンの背に、サヤの声が届く。
「レンさんもレンさんのままです」
 心を見透かすような笑顔が、薄闇の中で明るく映える。
「そのままで、でもあの頃より立派な大人に、成られましたね」
 見送る、言葉に。頷く代わりに、レンは飛び切りの笑顔を、返した。

●数万年後
 きらきらと輝くそれは、さながら星の海のように中空を漂っていたはずなのに。
 一瞬の後に、まるで鏡に映したかのような、己の姿へと変貌した。
 そして、そこにある殺意の存在に。金鵄・ギルベルト(a52326)は忘れかけていた昂揚が沸き起こるのを、自覚していた。
「待った……待ったぜ」
 襤褸の隙間から、薄ら、覗く双眸は鋭く、暗き紫の中にも煌々とした輝きを湛えている。
 世界に平和が訪れたあの時から、実に数万年もの、永きを。この一瞬のためだけに、生きてきたのだ。
 目的なく余生を送るか――否。
 かといって他の目的を得られるのか――それもまた、否。
 自問自答と葛藤を繰り返した挙句、この一瞬のために不老を選んだ覚悟は、間違ってはいなかった。
 鏡写しの自分。同じ襤褸を纏いながらも、誘うようにその古布に手をかけている。
 くつ、と喉の奥を鳴らして笑うと、ギルベルトは剥ぐように、襤褸を取り払った。
 敵を射抜くは金色の双眸。漆黒の髪は柘榴色の髪紐に結われ、闘志にたゆたう。
 得物としては頼りなげな錆を浮かせ、朽ちかけていた戦斧も、狂ったような戦への妄執に握り締められれば、たちまち黄金色の輝きを取り戻す。
 数万年ぶりに紙巻の煙草を咥えたギルベルトは、さて、と自嘲気味の笑みを、零して。
「……絶望で死んだ妄執とやら。斃れ損ねた戦闘狂と、どちらが性質が悪いか勝負といこう」
 相手の『応』を待つことなく、斬りかかった――。
「さて、いきますか」
 先駆けるような戦いぶりを横目に、マルジュは鎧聖降臨を展開する。
 古の先祖、マージュと瓜二つの外見を持つ彼が――彼らが、相対する姿は、まるで、かつてこの世の平和を築いた冒険者へと、挑むかのようだと。レンは、思案した。
「ナミキ、幼馴染は別のとこ?」
「はい、今回は別々なんです」
 祈るように、白いオーブを抱えるナミキもまた、同じ名を持った先祖と瓜二つだ。女性の服が好きだというところまでそっくりなのだから、なんだか懐かしい。
 と、そんな彼らに、ぴょん、と背後から飛びつく少女が一人。
 小さくて軽いが、胸があるのだからやめてほしい。決して悪い気はしないが、心臓に悪いのだ。
「ふ、フルルも、がんばろーね」
「うん、協力すれば、勝てるよね」
 対峙する『妄執』を、まっすぐ、見据えれば。
 くすりと笑った彼らは、挑むように、武器を掲げる。
「心はないけれど表情は有る……まるで、何時ぞやの自分を見ているようですね……」
 『生きている』のだと、誰にともなく主張するように笑って見せて。
 そのくせ、何物にも心を動かすことをせず、何もかもを捨てていた。
 そんな過去を思い起こさせるような、目の前の自分。
 これが真実鏡なら、手を伸ばして触れているだろうけれど。相手は、鏡のように姿を捉えただけの、妄執。
 指の代わりに武器を向け、レイアは緩やかに、唇を吊り上げる。
 絶望の内に死に、己の姿さえも忘れ、ただ生ある者に焦がれ、恨み、呪うように姿を映す。
 その様を、哀れだとかすかに思う。
 だが、それはほんの些細なきっかけで、レイア自身にも降り注いでいただろう、結末だ。
 彼らを蝕んだ絶望とは、誰の隣にもあるものなのだから。
 けれど――。
 白く輝く光の槍を頭上に掲げ、レイアは苦笑に瞳を眇める。
「何時だって……この胸に抱く希望の一片を以って『絶望』を打ち払って見せましょう」
 レイアが慈悲の聖槍を打ち出すのと、同時に。ほんの少し離れた場所でも、同じように槍を打ち込む姿があった。
 深い緑のツインテールを揺らし、悲しげに眉をひそめる少女は、サクラの子孫、ツボミ。
 まるで、遠からぬ未来に、己が絶望の内に死ぬことを案じさせられるような、そんな気がして。攻撃を繰り出す手にも、躊躇いが生じる。
「もうやめましょう、こんな戦いは!」
 叫ぶように訴えたところで、目の前の己はただにこやかに笑うだけ。
 私を諭してどうするの。
 そうして貴方は生きていくのね。
 勝手な人。勝手な人。
「ずるい人」
 囁くように、嗤って。ツボミの分身は慈悲の聖槍を、打ち返してきた。
 怯むツボミを戦いに駆り立てるような攻撃には、迷いも、躊躇いもない。
 死ねばいい。死ねばいい。
 そうして、私が変わりに生きてやる。
 どす黒い感情は、死んでいった者たちの嘆きだろう。
 ――だろうと、思いながらも。エリシュカは、その恨み言が自分の中から生まれたような気がして、ならなかった。
 誰かに、何かに対して。わずかの不満もないかといえば、そんなことはありえないのだ。
 誰かが、何かが、消えてなくなればいいと。自分は、心の中で、思っているのだろうか――。
「だと、しても。私は、それを主張はしませんよ」
「まぁ、それはお綺麗なこと」
 嘲るようにエリシュカの分身は武器を振り翳す。容赦の一片もないアビリティでの攻撃を繰り出してくるのを、寸でで交わし。エリシュカは、遠い過去に先祖が歌った歌を思い起こす。
 戦乱の世に行き、その果てに平和を成し得た先祖――ラジスラヴァは、いつだって、希望に満ちた歌を歌っていた。
 嘆く者があらば癒し、憤る者があらば宥め、喜ぶ者があれば称え。人の、心に、潤いを与えていた。
 同じ吟遊詩人であるエリシュカとて、歌は生業。機を狙うように手出しを控えながら、エリシュカは小さく、歌を紡ぐ。
 その旋律は、目の前の妄執には響かないのだろう。
 けれど、その妄執を否定しようとする己の心には、響く。
 醜かろうと、美しかろうと、そこにあるのは紛れもない自分の姿。
 切り捨てることの叶わないそれは、受け入れて始めて、己の糧となる存在。
「それでも、私は貴方を倒しましょう」
 それが、己を超えることだと、知っているから。
 相手の能力が尽きたところを見計らい、エリシュカは耐え抜いてきた力を放ち、己を――己の姿を映した、妄執の欠片を、打ち砕いた。
 さらさらと、砂のように消えて行くのを見届けて。
 エリシュカは振り返ると、同じく自らの分身との戦いを繰り広げている仲間へ、もう一度、歌を紡いだ。

 振り下ろされた巨大なハンマーを受け止めたフルルにも、打ち出されるブラックフレイムを防御するナミキにも、その歌は届く。
 心癒されるような感覚に、フルルは押されぎみだった腕に力をこめ、振り払うように、押し返す。
 距離をとれば、とん、と、ナミキの背に背が触れる。
「自分と同じって、やりにくいね」
「でも、協力すればきっと、勝てます」
 力を合わせることが、自分の力を何倍にも膨れ上がらせるのだ。
 目の前の妄執は、それを、知らない。
 己を映したとはいえ、そんな存在に、負けるはずがなかった。
 祈るようにヒーリングウェーブを展開するナミキの援護を受け、マルジュはホーリースマッシュを叩き込む。
 それは優しく暖かな、力。
「これが希望の力だ」
 繰り返し、繰り返し、希望の力を穿たれた妄執は、まるで絶望を消化されたかのように、掻き消える。
 遠く、耳鳴りのように、鏡の砕けるような音を聞きとめて。レイアもまた、一先ずの決着にほっと息をつく。
 と、そんなレイアと、ナミキの元に。ツボミを抱えて、レンが飛び込んできた。
「ツボミをお願い」
 ぐったりとした彼女を託され、驚いたように振り仰げば、満たされたような、それでいて歪に形を変えた顔で笑っていた『ツボミ』が、きらきら、元の妄執の欠片に戻っていくのが目に留まった。
 ――戦いたくない、自分自身となんて……。
 搾り出すような声が、戦場によぎったのを、思い起こす。
 相手の姿が自分自身であるからこそ、消極的な思考や、躊躇いの一つが、命取りとなってしまう。
 だからと言って、彼女の、その追い詰められたような感情を責められるはずも、なく。
「任せてください」
 それだけを、返して。再び戦場へと戻る背に、ナミキはエールを送り、レイアは祈るように、呟く。
「……どうか、昏き絶望より解き放たれて……この世に留まる深き妄執が昇華されん事を」

 焦燥が、じわじわと自身を苛むのが判る。
 サヤの子孫であるサナは、きつく唇をかみ締め、己の分身と対峙していた。
 幼い、幼い、子供の自分と。
「私はそのような未熟な存在ではない」
 吐き捨てるように呟き、宙を滑って肉薄すると、攻撃を繰り出すサナ。
 だが、それはあまりにも容易に交わされ、隙のできた我が身に逆に攻撃を返される始末だ。
 そうして、その度に、分身はくすくす、笑って。
「私はそんな未熟な存在じゃない」
 そう、囁くのだ。
 それが、サナの意識をますます苛む。たかが分身一つごとき、簡単に倒すことすらできないなんてと、己の力のなさを呪いさえした。
 だが、そうやって嘆くばかりだから未熟なのだと、己を諌めると。サナは再び、攻撃を繰り出そうと、して。
「サナ」
 ふわり、目元を覆う手のひらの感覚に、思わず、肩を震わせた。
「サナ、忘れちゃ駄目だよ。そこに居るのは、サナなんだからね」
 耳元で、囁く声。振り返ろうとするサナの動きに合わせ、離れていった手は、レンのものだった。
 だいじょうぶ。紡ぐ唇は、緩やかに微笑んでいる。
 見つめていると、焦る気持ちが、憤る感情が、ふと、宥められるのを感じた。
 そうして、はっとしたように、再び敵を振り返り、身構えれば、とん、と、送り出すように背を押されて。
 応えるように間合いを詰めたサナは、両腕に収束させた気を、咆哮と共に放つ。
 それはやはり、あまりにも容易く交わされてしまい、隙ができた己に、反撃を食らう。
 だが、嘲るような笑い声に対して、サナは噛み締めていた唇を解き、ポツリ、呟く。
「未熟、ね……」
 倒すどころか、攻撃を当てることさえできない、自分は。
「本当、子供ね」
 目の奥が熱くなる。だが、零れそうになった雫を乱暴に拭い、きっ、と相手を見据えた。
「悔しい……でもこのまま負けちゃ世界が無くなっちゃう、子供なまま死んじゃう。そんなのは……嫌よ!」
 忘れちゃ駄目だよ。そう、意味ありげに囁いた言葉を胸中で反芻し、改めて向き直ったサナ目掛けて、分身は先ほどサナが放ったのと同様の技を、打ち出してきた。
 その攻撃を見切り、交わしたサナは、今まで散々食らったお返しとばかりに、鋭い蹴りを見舞ってやった。
 笑みから、初めて表情を歪めた分身は、それでもなお、大技を繰り返す。
 それは紛れもなく、サナ自身の戦い方だ。
 基本の技など子供にでもできる。自分はもっと上のレベルだと、使いこなせもしない技ばかりを好んでいた。
 それが隙を生んでいるのだと、薄々感じていたにも、かかわらず――。
「私はもう、そんな浅はかな戦い方はしない。未熟な貴方を――私を、受け入れて、乗り越えて、勝つのよ!」
 基本を確かめ、思い出すように、攻撃を繰り返して。サナは追い詰めた相手にそっと触れると、爆発的な気を、叩き込んだ。
 その一撃は留めとなり、妄執を打ち砕く。
 目の前で掻き消えていく己の姿を、最後まで見つめて。ぎゅ、と小さな拳を握り締めたサナは、噛み締めた唇に、かすかな、笑みを灯して。
「そしてこの先、身も心ももっと成長してみせるんだから!」
 誓うように、高らかに、告げた。

 そこかしこで、決着がついているようだ。周囲の気配をおぼろげに感じ取りながら、ギルベルトはハルバードを振り抜き、分身の腕を深く斬り付ける。
 姿形どころか中身までそっくり映されたような己の分身は、腕一本奪われようと、狂気的な笑みを湛えたまま、攻撃の手を休めようとはしない。
 対するギルベルト自身も、その顔から笑みが消えることはなく。
 自分と言う男は、つくづく戦馬鹿なのだと、思ったものだ。
「っ――!」
 肉を斬らせて骨を断つ、そんな意識により、最初から避けるといった選択肢を切り捨てているギルベルトの腹に、相手の刃が深くめり込む。
 とはいえ、鍛え抜かれた肉体は、簡単には刃を許容しない。この程度、と言わんばかりに口角を吊り上げると、柄を掴み、引き寄せながら、逆に相手の肩口へ武器を振り下ろす。
 飛び散る鮮血が幕のようにさえ見える戦い様は、傍から見ればさぞ凄惨なことだろう。
 そしてずいぶんと、愚かなことだろう。命を惜しむでもなく、むしろ捨てるような、この様は。
「本当に馬鹿な男だな……」
 皮肉を零す口元。そこを濡らした血を拭い、ギルベルトはほんの少し思考を挟む。
 己を映したこの敵は、行動までもまるっきり同じと言うわけではないようだが、思考回路が似通っている以上、真似るような行動をとってくることは、多かった。
 だからこそ、人によっては最大の壁となり、最大の好敵手にもなるのだろう。
 勿論、ギルベルトにとっては、後者で。それがこの一度きりで終わってしまうと思うと、虚しささえ覚えた。
 ――もっとも、そんなくだらない理由で何かが揺るぐわけではないのだけれど。
「お前は、死ぬことが怖くないのか」
「一度死んだお前さんに、ぜひともその恐ろしさとやらを聞いてみたい所だな」
 互いに構えあい、牽制するかのような視線をぶつけ合いながら、交わす言葉は。
 似ていると思っていたその印象を、ほんの少し、変えた。
「死ぬのは恐ろしいぞ。死ねば、何も残らないんだからな」
 薄暗い、光を亡くした瞳が眇められる。
 だが、訴えるような言葉に、ギルベルトが返したのは、笑みだった。
「残るさ。命を賭けるだけの価値があるものがな」
 例えば、人であったり物であったり国であったり。
 形のない、心であったり。
「例え死ぬ破目になっても、今この一瞬のために費やしてきた時間と、俺が培ってきた戦士としての矜持に賭けて、必ず勝つ」
 生に焦がれる妄執にとっては、歯痒いことだろう。ざわつく心を体現するかのように、武器を持つ手が震えていた。
 死んでしまえ。唸るような恨み言と共に繰り出される攻撃を、やはり、己の体躯で受け止めて。ギルベルトは、吼えるような声を上げて、渾身の一撃を放った。
 まともに受けた相手は、派手な爆発と共に、ぐらり、傾いで倒れると。そのまま、ぴくりともしなくなった。
 肉体を凌駕してくるかと警戒していた気を、吐息一つで緩めると。火が消えてすっかり短くなった煙草を拾い上げると、形だけ、咥えてみた。
「この勝負、俺の勝ちだ。本物の方が更に馬鹿なもんでな」
 馬鹿になりきれなかった妄執は、さらさら、音を立てて、掻き消えて。
 タイムゲートへの道は、開かれた――。


マスター:聖京 紹介ページ
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冒険活劇 戦闘 ミステリー 恋愛
ダーク ほのぼの コメディ えっち
わからない
参加者:10人
作成日:2009/12/19
得票数:冒険活劇7  戦闘2  ほのぼの1 
冒険結果:成功!
重傷者:桜の雨が舞い散る中で・サクラ(a44030)  金鵄・ギルベルト(a52326) 
死亡者:なし
   あなたが購入した「2、3、4人ピンナップ」あるいは「2、3、4バトルピンナップ」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 マスターより許可を得たピンナップ作品は、このページのトップに展示されます。
   シナリオの参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
 
白鞘・サヤ(a30151)  2009年12月22日 23時  通報
やりたい事が全て出来て嬉しかったです
かなり勝手なプレイングと我ながら思いましたが、拾ってくださいまして有難うございました