色彩繚乱



<オープニング>


●2019年の世界
 インフィニティマインドが星の世界への旅から帰還して4年が過ぎた。
 世界は相変わらず平和で、冒険者達は変異動物や怪獣と戦ったり、人助けをしたり、旅に出たり、第二の人生を歩み始めたりと、思い思いに暮らしている。
 そんな中、誰かが言った。
 魔石のグリモアとの最終決戦から10年。世界が平和になって10年。
 この節目の年に、久しぶりにみんなで集まるのはどうだろうか。
 互いの近況や思い出話など、話題には事欠かないはずだ。
 さあ、冒険者達の同窓会へ出かけよう!

 飛び交う銀の巨躯。
 賑わう人の波。入り乱れ列を成す人々の先頭で、大声を張り上げて整列を促がす添乗員の声が聞こえる。
 コルドフリード交易艦。10年のうちにすっかり定着した定期便の、ここは発着場だ。
 その中で。
 ワイルドファイアへ向かう定期便の搭乗待ちの列――から、少し離れた場所で、異様に長い葉巻を燻らせている人相の悪いヒトノソリンが一人。
「を? をう、ァんだ、貴様も居たのかなぁ〜ん」
 色眼鏡越しに姿を認め、肉食獣のような八重歯を覗かせてにィと笑う、顔色の悪い男。
 かと思えばもう一人。
 向かって座るチキンレッグが。背筋を伸ばすその身を皺のない三つ揃えの燕尾に包の姿は紳士然として。彼は片眼鏡の裏の眼を瞬いて見せる。
「やぅやぅ、御機嫌麗しく」
 かく言う紳士の手にも、背丈ほども有る煙管。
 どうやら、ここは喫煙所のようである。
「……ァんだよ、俺がこっちに居ンの不思議かなぁ〜ん?」
 煙を噴きながら笑う葉巻野郎――刹那五月雨霊査撃士・ショットガン(a90352)に、同席の紳士――霊査修士・デリンジャー(a90397)も、煙を噴きつつふっふと肩を揺らす。
「定期的に住むトコ変えてンだよ。嫁一人こっちに住んでっからよ。まァ、元々ヒトノソリンは遊牧生活してた訳だかンな、別に住むトコ変えるのに抵抗とかねぇしなぁ〜ん」
 事も無げに言う。
 さてそんな葉巻野郎が何故ここに居るかといえば。
「決戦終わって十年だろ? 丁度いい節目だしよ、インセクテアの国にでも顔出しに行こうかと思ってよ。転送で行く方が早ェんだが……空からワイルドファイア見る機会なんざ、こん時ぐれーしかねぇしなぁ〜ん」
 ――インセクテアの国。
 昆虫に似た翅と触覚を持ち、物に色を付ける能力を持つという、同盟にとっては一番新しい種族。同盟入りを果たしたのも、インフィニティマインドが星の世界から帰って来た直後なので、まだ四年しか経っていない。
 ワイルドファイアのテーブルマウンテン内に『地底国』、アーカスター島近くにある三角州周辺に『地上国』の二つを持ち、今回訪ねるのは、四年前……同盟入り直前に建国された『地上国』の方だ。
 インセクテアの国では代々『性別を問わずに最も美しい者』が長を務めるしきたりになっており、現在の地上国の長はクィエという女性だそうである。
 街は石造りの建物で溢れ、その要所要所に彼らの持つ彩色能力で施した美しい幾何学模様の芸術を見ることが出来る。交易船の周知によって観光に訪れる者も年々増えているらしく、街にはお土産の小物屋の他に『彩色屋』というものがあり、希望者すれば髪や身体、服や持ち物に至るまで、彩色能力を使ってあらゆる色に染めたり模様を描いて貰ったりできるそうだ。色は一日経てば消えてしまうが、普段と違う色になれるのは中々楽しいに違いない。
 主食は魚介類で、魚を切り開く前に先に骨だけ抜き取ってしまう調理法『引っこ抜き』は、一見の価値ありだとか。
 ――『ワイルドファイア行き待ちの方は、そろそろ列に並んで下さい』……添乗員のそんな声が聞こえ始めて、咥えていた葉巻を灰皿へと捻じ込む葉巻野郎。
 続け様、やや芝居掛かった動作で煙管を裏返し、かつりと叩いて灰を落とす様に目をやれば、修士は察したように口を開く。
「我は節目の記念旅行に。思い立ち足を運べば此方の御仁と遭遇致して御覧の通り。願ってもなしと同行を願い今に至る、と。斯様な次第」
「折角だ、貴様らも来るかなぁ〜ん?」
「旅は道連れ世は情け。賑やか成りしも醍醐味、哉」
 二人は立ち上がると、搭乗待ちの列へと歩き出すのだった。

●2109年の世界
 世界が平和になってから、100年の時が過ぎた。
 年老いた者もいれば、かつてと変わらない姿を保っている者もいるし、少しだけ年を取った者もいる。中には寿命を迎えた者も少なくない。
 そんなある日、冒険者達にある知らせが届く。
 100年前に行った、フラウウインド大陸のテラフォーミングが完了したというのだ!
 昔とは全く違う姿に生まれ変わったフラウウインドは、誰も立ち入った事の無い未知の場所。
 そうと聞いて、冒険者が黙っていられるはずがない。
 未知の大陸を冒険し、まだ何も書かれていないフラウウインドの地図を完成させよう!

「をう、話聞いたかなぁ〜ん?」
 ……見たことある奴が居る。
 『生命の書』を使い不老を成した者達が、そこに居る葉巻野郎を前にして、思わずそんな事を思う。
 本人曰く、『うっかり不老不死』らしい……というのは余談。
「それより、俺ァ森が気になんだがなぁ〜ん」
 葉巻野郎のいう森とは、勿論フラウウインドの森だ。
 山と山の間に囲まれた窪地にある森で、四方から注ぎ込む水の恩恵か、いたるところに川が流れ水棲の生物や植物が豊富に生息している。一部、何処かしら密林を彷彿とする気候ではあるが……フラウウインドは常夏ではないので、密林ほどの湿度もなく過ごし易いだろう。それどころか、水に浮かんで一生を過ごす木なども散見され、そこはさながら水上に浮かぶ森といった様相。樹上には色鮮やかな鳥が舞い、翼の鮮やかさや踊りの上手さで求愛に凌ぎを削っている。派手でも襲われないのは、天敵がおらずこの森がとても平和な証拠だろう。
「船か筏がねぇと探検できなさそうじゃァあるが……安全そうだかンな、俺も行ってみようかと思うんだぜなぁ〜ん」
 むしろ一人でも行きそうである。
「地図作りだかンな、良さげな名前も考えねぇとなぁ〜ん」
 黒く長い尻尾をびたんびたんと床に打ちつけ、葉巻野郎は楽しげに笑うのであった。

●3009年の世界
 世界は1000年の繁栄を極めていた。
 全てのグリモアを搭載した『世界首都インフィニティマインド』には無敵の冒険者が集い、地上の各地には英雄である冒険者によって幾百の国家が建設された。
 王や領主となって善政を敷いている者もいれば、それを支える為に力を尽くす者もいる。相変わらず世界を巡っている者もいたし、身分を隠して暮らしている者もいて、その暮らしは様々だ。
 1000年の長きを生きた英雄達は、民衆から神のように崇拝される事すらある。
 今、彼らはこの時代で、どのような暮らしを送っているのだろうか?

 腰までたゆたう長い髪。毛先は緑に、半ばは紫に、根元は金にと、移りゆく色はまるでミレナリィドールのよう。
 その頭頂部には紅色の触覚が一対。緩やかに節で曲がるその先が、歩くたびに柔らかく揺れる。
 背に負う翅は薄く透け、色鮮やかな幾何学模様に染められたそれが光を蓄え輝く様は、まるでステンドグラスのよう。
 纏う着衣は幾重もの布を折り重ねた裾が優雅に広がる、長いドレス風ローブ。一見すれば青色無地に見える布は、波打つたびに施されていた細やかな紋様を光沢の中に浮かび上がらせる。
 首元にはふわふわの襟飾り。
 凛とした……女王蜂のような印象のその女性は、ふと振り向くと。
「初めまして、かね?」
 桜色のルージュを引いた口元を穏やかに緩めて、微笑んだ。
「私はインセクテアのクィエ……おや、名前を聞いたことがある? ふふ、それは光栄だ。けれど私はもう『長』でなく、気ままな旅人・クィエさ」
 自身の能力で鮮やかに染め抜いた日傘を何処か優雅に差しながら、ゆっくりと歩き出す。
「今は高名な先達、その先達の興した国を巡る旅を続けていてね。勿論、恩人も居れば、会ったことのない方もいらっしゃるよ」
 それでも、出会いは素晴らしいものだ。
 かつて、閉鎖された地底に居た頃。あの時に訪れた突然の出会いを思い出しては、そんな出会いをもっと沢山してみたいと思う。
「勿論、今、君に逢えたことも。よければ、君の事を聴かせてくれないか。うんと沢山」
 淡く目を細め笑いかけながら、クィエはそっと手を差し伸べた。

●数万年後の世界
 永遠に続くかと思われた平和は、唐突に終わりを迎えた。
「あれ、海の向こうが消えた?」
 異変に驚いてインフィニティマインドに集まった冒険者達に、ストライダーの霊査士・ルラルは言った。
「あのね、これは過去で起こった異変のせいなの。過去の世界で……希望のグリモアが破壊されちゃったんだよ!」

 とある冒険者がキマイラになり、同盟諸国への復讐を試みた。
 彼は長い時間をかけて、かつて地獄と呼ばれた場所にある『絶望』の力を取り込むと、宇宙を目指した。
「えっと、これ見てくれる?」
 ルラルは星の世界を旅した時の記録を取り出した。
『2009年12月10日、奇妙な青い光に満ちた空間を発見。後日再訪したその場所で過去の光景を目撃。詳細は不明』
「この記録を利用できるかもって思ったみたいだね。そして、実際にできちゃったの」
 どうやら、この空間は過去に繋がっていたらしい。男はここから過去に向かい、希望のグリモアを破壊してしまったのだ!
「世界が平和になったのは、希望のグリモアがあったからだよね。だから希望のグリモアが無かったら、今の世界は存在しないって事になっちゃう。ルラル達、消えかかってるの!」
 今の世界は、希望のグリモアが存在しなければ有り得なかった。
 だから希望のグリモアが消えた事によって、今の世界も消えて無くなろうとしているのだ。
「これは世界の、ううん、宇宙の危機だよ! だって、みんながいなかったら、宇宙はプラネットブレイカーに破壊されてたはずだもん! だからね、絶対に何とかしなくちゃいけないんだよ!」
 ルラルにも方法は分からないが、事態を解決する鍵は、きっとこの場所にある。
「でも、この空間……えっと、タイムゲートって呼ぼうか。このタイムゲートの周囲には、絶望の影響で出現した敵がいるの。これはね、全部『この宇宙で絶望しながら死んでいった存在』なの」
 彼らが立ちはだかる限り、タイムゲートに近付く事は出来ない。
 彼らを倒し、タイムゲートへの道を切り開くのだ!

 背丈ほどの長い煙管を燻らせて。
「やぅやぅ、御機嫌麗しく。と、称すは些か奇妙かね?」
 見慣れぬトロウルが、いつか何処かで聞いた言葉を煙と共に吐き出した。
「詠唱修士・デリンジャー。一つよしなに」
 どうやら、かつていた霊査修士の子孫のようである。もっとも、彼自身は『吟遊詩人』のようで、今回の露払いにも同行するようだ。
 さて、と煙管を叩いて灰を落とし……修士はその灰で地面に何事かの図柄を描き出す。
 それは、永年を生きる者には見慣れた、そして、そうでない者も幾度となく御伽噺の中で見たもの。
「我らが敵は……『ドラゴン』のカタチを成す者」
 我は直接見るのは初めてだがね、と一言加えつつ、成すのはカタチばかりなり、と続ける。
「カタチは確かにドラゴンなれど、その輪郭は眼を凝らし見れば霧の如く。顔や表情もなく……そは、ただただ黒き、深淵の塊」
 怨嗟の念。そういった、本来眼に見えぬはずの者が形をとれば、こうなるのかも知れぬ。
 そして、それがドラゴンのカタチで顕現したのは、他ならぬドラゴンという存在そのものが邪悪の権化だからだろう。
「吐き零す漆黒の吐息は黒き魔炎を伴い我らを焦がし。継ぎ目すらない深淵の爪は呪痕と怨嗟の毒を我らに刻み付けよう」
 さりとて、と。
 修士は地に描いたドラゴンの図画に、強く叩き付けた煙管の先で、大きくバツ印を描く。
「我らの未来は事も無し」
 そして居並ぶ者達を見回し、角ばった口元に不敵な笑みを刻む。
「往こうぞ、先達」


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参加者
求道者・ギー(a00041)
朱陰の皓月・カガリ(a01401)
饗宴の思索者・アレクサンドラ(a08403)
七色の尾を引くほうき星・パティ(a09068)
暁に誓う・アルム(a12387)
黎燿・ロー(a13882)
炎に輝く優しき野性・リュリュ(a13969)
カ・ラスキュー(a14869)
綺羅蟠る帷・イドゥナ(a14926)
楽園の大地に生きる・サーリア(a18537)
シナト・ジオ(a25821)
狂月兎・ナディア(a26028)
銀嶺天駆・シルミール(a26473)
野良団長・ナオ(a26636)
月笛の音色・エィリス(a26682)
空仰鵬程・ヴィカル(a27792)
霹靂斬風・アーケィ(a31414)
しっぽふわふわ・イツキ(a33018)
砂漠の民〜風砂に煌く蒼星の刃・デューン(a34979)
神を斬り竜をも屠るメイドガイ・イズミ(a36220)
流れる白波と潮風に舞う・ハルト(a36576)
清浄なる茉莉花の風・エルノアーレ(a39852)
星薙ギノ剣・ミズチ(a46091)
空游・ユーティス(a46504)
無銘の・ウラ(a46515)
異風の叫奏者・ガマレイ(a46694)
怪獣王使い・ラウル(a47393)
ガラクタ製作者・ルーン(a49313)
若緑樹へ寄り添う紫眼竜・シェルディン(a49340)
小さな薔薇の笑顔・ニンフ(a50266)
凍刻・ヴァイス(a50698)
三賞太夫・ツァド(a51649)
白い珍獣・メルルゥ(a51958)
金鵄・ギルベルト(a52326)
儚幻の対旋律・ゼナン(a54056)
神術数奇・リューシャ(a57430)
黄色の羽毛・ピヨピヨ(a57902)
バナナん王子・ロア(a59124)
猟狂狼・ズィヴェン(a59254)
気まぐれそよ風・ラウネン(a61591)
白鱗奏恍・ラトレイア(a63887)
樹霊・シフィル(a64372)
晴天戴風・マルクドゥ(a66351)
流れる群雲・ロドリーゴ(a73983)
鶏肉よ永遠なれ・ラニー(a75368)
イエローテイル・マサラ(a77196)
NPC:刹那五月雨霊査撃士・ショットガン(a90352)



<リプレイ>

●コルドフリード交易艦で行く〜ワイルドファイア空の旅
 交易艦の発着場近く。
 果たして一体誰がやり始めたのか、『ヒトノソリンと狩り体験!』『インセクテアの国観光』『エルフの国でぺんぎんと戯れよう』など、観光を呼びかける文言を書いた看板が、人の波に流されるまま進む、月笛の音色・エィリス(a26682)の視界に時折映る。
 そういえば交易艦は利用したことがなかったなと、艦内へ続くタラップを上りながらふと思う、儚幻の対旋律・ゼナン(a54056)。
「うむ、インセクテアの住まう地か。どのような地か非常に興味深いね」
 求道者・ギー(a00041)もそんな看板を遠巻きに一瞥して、ぞろぞろと動き出したワイルドファイア行きの列に紛れて艦内へと進んでいく。齢50に成ろうかといったところだが、一見した雰囲気は十年前のままだ。
 しかし、ワイルドファイアも久しぶりだ。やっぱ向こうに着いたらマンモーだな、狩り尽くされてなければ……そんな事を考えながら、流れる白波と潮風に舞う・ハルト(a36576)も艦内へと乗り込んで行く。
 ガラクタ製作者・ルーン(a49313)は既に興味津々で……やはり大人気な窓際の一角に人波に揺られながらもなんとか辿り着く。密林の大樹に住む猛禽怪獣・ハルパゴルニスに抱えられて空を飛んだことはあるが、雲よりも尚高い空の上からワイルドファイアを見るのは初めてだ。
 空仰鵬程・ヴィカル(a27792)はすっかり伸びた後ろ髪を結い……けれど、駆け寄る笑顔は前に見た時のまま。
「ショットガンさんもデリンジャーさんもお久しぶりですなぁ〜ん!」
「もう十年かぁ……ショットガンもデリンジャーも久しぶりだぜなぁ〜ん♪」
 狂月兎・ナディア(a26028)もどうやら相変わらず元気な様子で、ピンクの尻尾を振り回しながらやってくる。
「をう、久し振りだぜなぁ〜ん」
「やぅやぅ、御機嫌麗しく」
 ランドアースに来た頃もあっという間だった。そんな事をおもいつつ、すっかりでかくなっちまったなと、隣に居る十歳ほどの少年を見遣るナディア。それに釣られて、霊査士共――刹那五月雨霊査撃士・ショットガン(a90352)と、霊査修士・デリンジャー(a90397)も同じく少年を見つめ。
「『相棒』はどうしたなぁ〜ん?」
「ジーベは家業専念なぁ〜ん。今日はジーベの息子が相棒なぁん♪」
「俺、VIII(アハト)。ヨロシクおじさん!」
 ――この名は、実は偽名であるらしい。母は別にいいじゃないというけれど、鍛冶屋で一人前になるまではこの名を使おうと、少年は決めていた。
 そしてそれは、ナディアが『相棒』と呼ぶ男、猟狂狼・ズィヴェン(a59254)がしてきたと同じことでもある。そんな父曰く、「俺のノソ好きが遺伝したんだかナンなんだか」とのことでアハトはすっかりナディアに懐いており、十歳になる少し前、旅に出るといってナディアついて家を出てきたのだ。なお、当のズィヴェンはナディアの言った通り鍛冶屋家業に専念しているそうである。
 そんな間にも、まだまだやってくる人影。
「ショットガンさんお久しぶりなぁ〜ん」
「待て、ァんだその手つきはなぁ〜ん!?」
 わきわきと手を動かしながらやって来た、小さな薔薇の笑顔・ニンフ(a50266)に一先ず耳を押さえて若干の距離を置く葉巻野郎。
 まるで牽制するかの如く互いに尻尾をうねうねし合っているそこに、怒涛の勢いで何かが……何かが!
「ショットガン団長ー!! インセクテアんとこ行くってマジかー!?」
 列を割る勢いで加わって来たのは、星薙ギノ剣・ミズチ(a46091)。その姿も勢いも、四年前の時のまま何も変わっていないように見える。
「をう。っつか、貴様それ何だなぁ〜ん?」
「やっと飲めるようになったからさ」
 一杯付き合ってくれと見せるのは酒瓶。しかし、おかしいな、といった表情で首を傾げ眉根を寄せる葉巻野郎。瞬間、ミズチは悟った。
「団長! 俺もう二十歳だから。は・た・ち!」
「え、マジで」
「十七歳じゃなく?」
「年取ってないようにしか……」
「マジだっつの! つかお前ら、人が童顔だからってそういう……」
 ミズチを知る者達から次々上がる信じられないぜコールに、十年前から年より断然若く見られていたことを思い出す。ちなみに、時列を考えると、彼が『生命の書』の出汁を飲めるのは二十歳超えてからである。余裕のセーフ。だが顔は老けてない。恐るべし童顔。
 そんな輪の中に、空中戦艦は漢の浪漫なぁ〜んとカレー色の尻尾をやたらぴしりと立てつつやってくる、イエローテイル・マサラ(a77196)。その姿は蟹鍋宴会のあった四年前のまま、何も変わっていない。それもそのはず。そこに居る葉巻野郎を見て出汁をたらふくかっ食らった結果、うっかり不老不死の仲間入りをしたからだ。
「ショットガンさんに責任取って欲しいなぁ〜ん」
 まさかの昼ドラ展開!?
 などと周囲に走る戦慄。
 ……長いような、短いような。恐らくは瞬き五つ分ほどの時間を経て後、マサラはおもむろに。
「……冗談なぁ〜ん」
 そんなこんなでなんだかすっかり人に囲まれちゃってるなぁ、なんて思いつつ、霹靂斬風・アーケィ(a31414)も早速、義父こと葉巻野郎にご挨拶。
「ヴィンとーさんお久し振り〜、今日も元気そうで何よりです」
「アーちゃんも元気そうで何よりだぜなぁ〜ん」
「ユーティスさんもお元気そうで」
「アーケィさんもー」
 挨拶されてふにゃりと笑う、空殻・ユーティス(a46504)。三人いる妻のうち二人はそれぞれの故郷に根を下ろして生活しているのだが、彼だけは葉巻野郎と一緒にあちらこちらへ行ったり来たりする生活をしているようだ。そんなユーティスの容貌は……齢を重ねたと言われればそのように見えるし、昔のままだと言われればそのようにも見える。ただ、柔らかな物腰や微笑と、彼の持つなんとも不思議な雰囲気は少しも変わっていないようだった。
 そして、そんな二人の側で……とても小さな、年の頃にして六つ程の黒髪のヒトノソリンの少女が、葉巻野郎の長く垂れた襟巻を掴みながらアーケィを見上げていた。
「えっと……ミカモちゃんだっけ」
「左様じゃ。アーケィ義姉さんじゃなぁ〜ん?」
 黒い尻尾をうねうねさせるこの少女は、葉巻野郎の『ランドアースに居る嫁』こと、無銘の・ウラ(a46515)の養女で、名をミカモ。葉巻野郎の義理の子供であるアーケィとは義姉妹の関係になる。
「かーちゃんに見聞広げて来い言われたからヴィンとーちゃんについて行くなぁ〜んじゃ、なぁ〜ん。……じゃなぁ〜ん!」
 語尾が綺麗に止まらないことに逆切れするミカモの姿に、思わず噴出すアーケィ。マサラはそんな様子を、じーっと見つめている。冗談だとは言ったけれども……本当は嫁か娘にして貰えたら嬉しいのになぁ、なんて思っていたりもするだけに、目の前の遣り取りが少々羨ましく感じる。
 ……不意に。見上げた葉巻野郎の色眼鏡越しの視線とぶつかる、マサラの眼差し。
「……ミカりん」
「なんじゃ、ヴィンとーちゃん」
「ねーちゃん一人増えるのどう思うなぁ〜ん」
「なぬ!? かーちゃんびっくりしてしまうんじゃないかのなぁ〜ん!?」
「あははー、どんどん賑やかになるねー」
 などと、事も無げに笑ってるユーティス。
 アーケィはそんな一同を一巡して後。
「……とーさんより年上になってしまいました」
 しかもそうか、今後家族が増えるとしたら、みんな年下確定だったりもするのか。
 自分で選んだ事とは言え、現実を目の当たりにするとやはり切ない乙女心……乙女という年齢なのかという突っ込みはあえて聞こえなかったことにしておく。こういうのは言ったもの勝ちだ!
 そんな脇では、白鱗奏恍・ラトレイア(a63887)が野菜ジュースを飲みつつ一緒に搭乗待ちの列に並ぶ。
「ワイルドファイアも御無沙汰だな……ざっと四年振りかぁ」
 順調に齢を重ねるその姿もまた、いつの間にか葉巻野郎より年上だ。
「ァんだ、全然実家帰ってねぇのかなぁ〜ん?」
「や、冒険者になってから戦いっぱなしだったから、反動で出不精になっちゃってさー」
「わたくしも、密林を離れてから四年になりますわね」
 樹霊・シフィル(a64372)も流れる集団と共に進みながら、これから向かう先のことを色々と思い返している。
 そんな様子に、くすりと笑いながらやってくる親子連れ。三歳の娘の手を引き、六ヶ月の息子を胸に抱く優しげなその母親が……微笑んだ瞬間、皆はそれが誰であるか、四年前に見た面影が一気に甦るのを感じた。
「ショットガンだんちょーさんは、あまり変わってないね☆」
「を、ァんだ、一瞬判ンなかったぜなぁ〜ん」
 そんなに変わったかな? と我が身をきょろきょろ見回す、七色の尾を引くほうき星・パティ(a09068)。すっかり落ち着いた雰囲気を醸し出してはいるが、その仕草の一つ一つがあの頃のままで、皆はそんな様子に何故か妙に安心した気持ちになるのを感じる。
 その少し後ろには、こちらも五歳ほどになる双子を連れた父親――暁に誓う・アルム(a12387)の姿。
「……良いかい……お父さんから……離れちゃダメだぞ」
 はーい、と元気よく返事をする双子に、ゆっくりと頷き返すアルム。搭乗待ちの列もさること……単純にコルドフリード艦隊を見学しに来る者も居れば、それを見越して店を構えて居る者もあり、発着場に出入りする人の数はとどまることを知らない。もしうっかり逸れてしまったら一大事である。
 そして、そんなアルム親子がこの混雑の中に身を置く理由は。
「……パティ……久しぶり」
「うん、久し振り☆」
 そう、パティ親子に誘われて、再会を喜びつつの観光旅行という訳だ。
「……すっかり……お母さんの顔に……なったね」
「アルムもすっかりお父さんなのだ☆」
「……こら……あまり……おばちゃんとか言っては……いけないよ」
 元気に挨拶をするのはいいけれど……と、やんわりと我が子を嗜めるアルム。
「……パティ『さん』……とか……」
 などと言ったはいいが。
「……『さん』か……」
 アルム本人も、慣れない呼称は落ち着かないようである。
 次第に、艦内へと吸い込まれていく列。ナディアは何処か懐かしそうにその入り口に触れて。
「コルドフリード艦に最後に乗ったのは大戦だったかなぁん?」
 そんな人波に紛れ、凍刻・ヴァイス(a50698)の姿を見つけてふっと煙を吹く修士。
「やぅやぅ久しく。健勝哉」
「見ての通りかな」
 挨拶ついでにと、修士らを囲む集団の中に身を置くヴァイス。とはいえ、到着したら恐らくは皆好き勝手に観光に繰り出すことになるのだろうな、とも思う。
 と、その瞬間。
 もふりっ。
「はっ」
 朱陰の皓月・カガリ(a01401)は思わず修士に抱きついていた。それはもう無意識と言っていいくらいの極自然な挙動で。
「幸せな後姿に我慢できへんかった」
 もう三十路やのに、と相変わらず落ち着きのない自分に少々照れた様子で、しかし、ふかふかの手触りが余程気に入っているのか、カガリはそのままもふもふし続けている。
「デリンジャーはんお久しぶりなんよ〜♪」
「いやはや役得役得」
 灰を棄てて空になったままの煙管を咥えつつも、修士はもふもふしているカガリの挙動には満更でもない様子。そんな変わらぬ様子がまた、カガリにとっては懐かしくも嬉しいささやかな幸せだ。そして、そんな修士の行動角度を計測して、神術数奇・リューシャ(a57430)はなにやら妙に満足げにしている。
「ほんでほんで。なんかよーさん……知ってる顔もおるみたいやけど、どないなってるん?」
「インセクテアの国で観光しながら十年目の同窓会なんじゃなぁ〜ん」
 わしもう一人前じゃからなぁ〜ん! とばかり、父に代わって説明するも、突然沢山の視線を向けられたことが恥ずかしかったのか、ミカモはちょっぴり慌てて葉巻野郎に駆け寄ると、黒い尻尾を捕まえて……落ち着く為にやったつもりが、いつの間にか楽しそうに遊び始めていたり。
 そんな光景に、若緑樹へ寄り添う紫眼竜・シェルディン(a49340)は今日は自宅に残してきた子供達の姿を思い浮かべる。そろそろ一歳になる三男も、上の子達がしっかり面倒を見てくれているに違いない。
「ま、そーゆーこった。つ訳で、貴様らもどうかなぁ〜ん?」
 そんな呼びかけに真っ先に反応したのは、銀嶺天駆・シルミール(a26473)。
「うん、ボクも一緒に行く」
 ぴょこん、と。列に居並ぶ一団の中に自分も並んで、一緒に艦内へ押し流されていく波に乗る。
「どんな人たちなんだろ? 早く会いたいね!」
 シルミールに限らず、インセクテアという名前は知っていても未だに会った事のない者が殆どだ。
 そろそろ、冒険者家業も卒業して落ち着こうか。そんな事を考えていた矢先の、流れる群雲・ロドリーゴ(a73983)ではあったが、やはり見知らぬものには興味をそそられる。折角興味が沸いたのなら、気になるその気が向くまま見に行ってみることにしよう。そんな次第で、段々と大きくなっていく一団の中へ加わるロドリーゴ。見ずに後悔するよりは、見てから後悔するほうが有意義というものだ。
 丁度、インセクテアの名が知れた頃は星の世界に掛かりきりで縁がなかったこともあり、食すがよい・ラニー(a75368)もこれ幸いと同行に賛同する。
「興味がありますね、ご一緒します」
「此れは嬉しき御同輩方。是非にも」
「一緒に行って見たいー!」
 未だにもっふんもっふんしながら、カガリも迷わず手を上げる。ちょっとの行き先変更なんて冒険には付き物。気にせず気の向いたところへ行くのがカガリ流。
「ショットガンはん、宜しくお願いしますなぁ〜ん」
「をう、宜しくだぜなぁ〜ん」
「……呼んだか?」
 突然、振り向くゼナン。
 ……何事か判らず、止まる時間。
「呼んでねぇ、はずだぜなぁ〜ん……?」
「いや、今、『ゼナン』と……」
 そこで、二人は気付いた。
「だぜなぁ〜ん。ぜなぁ〜ん。ぜなん……なぁ〜ん!?」
「それだ」
 なんだか解らないが。
 それを遠くで聞いていたナディアも含め、三人の間に謎の親近感が芽生えたとかそうでもないとか。

 空へと舞い上がるコルドフリード艦。
 宇宙にも行ける戦艦で、遥か遠くへの航海。もうそれだけでマサラは大興奮だというのに、この上更に辿り着く先では、とっても綺麗な美人さんが待っているというではないか。しかも、その人が『私はインセクテアのクィエ』なんて言おうものなら……。
「正に漢の浪漫なぁ〜ん!」
 マサラの『漢の浪漫メーター』は振り切れ寸前である。
 そんな少女の浪漫はともかく、旅行を企画したり同行したりと、ツアーリーダーをやることはあるが、こうして交易艦に乗る機会はさほどない。アーケィにとってこのたまの搭乗機会はいつも楽しみだ。
 何しろ……十年前には、空に上がる時はいつも戦いが付いて回っていた気がする。こうして空からのんびりとした気持ちで地上を眺められるのは良いものだと、ゼナンも穏やかに景色を見下ろす。
 そんな耳にふいと聞こえてくるアナウンス……アナウンス?
「皆様、本日はコルドフリード交易艦・ワイルドファイア定期便にご搭乗頂き、真に有り難う御座います」
 よくよく見れば声の主は目の前に。
 しかも、どうみても自分達と同じ搭乗客にしか見えないが、そこはそれ。今も昔と変わらぬ姿のままメイドガイとして在り続ける、神を斬り竜をも屠るメイドガイ・イズミ(a36220)にしてみれば、皆様へのご奉仕こそがメイドガイの勤め! ……ということなのだろう。
 そんなイズミを知る者は、相変わらずだなと健勝な姿に笑みを溢し……そしてまた、懐かしい声に惹かれて近付く者もあり。
「ショットガンさん久しぶり」
「をう……なぁ〜ん?」
「ハルトだ、ん? 見違えただろう」
 一瞬、誰だか解らないような表情をした葉巻野郎に、爽やかな笑顔で応えるハルト。というのも……年齢的には十年前と変わらず十五のままなのだが、どうやらこの数年筋トレばかりしていたらしく筋肉量が二割増しで、ぱっと見た印象が随分違っていたからだ。そして、その様子に。
「……やべぇ、負けてるなぁ〜ん」
 何か危機感めいたものを覚えてるっぽい!

 やはり混雑する船内。アルムは改めてはぐれないようにと子供達に言い含める。
「……これから行く場所は……たまに危ないから……大丈夫……お父さんは……これでも強いんだぞ」
 そんな風に言って安心させてやると、改めて窓の外へと意識を向ける。
「……到着するまで……空からの景色を……見てみなさい」
「前方を御覧下さい。もうじき、目的地であるワイルドファイア大陸が見えて参ります」
 そんなイズミの説明どおりに。
 やがて、海の果てに薄っすらと見えていただけの平たい大地形が、起伏に富んだ一つの大きな輪郭を持ち始める。
「空からワイルドファイアを見るのは初めてなぁ〜ん」
 窓際に佇み、白い珍獣・メルルゥ(a51958)は十年前と変わらぬ姿で、雲を切って進み行く前方を見遣る。
 蟹の形にも似たそれは――紛れもない、ワイルドファイア大陸。
「本当に蟹の形をしているなぁ〜ん」
 白い尻尾をうねうね揺らし、段々と細やかに見えてくる姿を、飽きもせず見つめ続けるメルルゥ。
 アハトも徐々に大きくなる大陸の影に、興奮を隠しきれない様子。
「ネイおじさん! アレがおじさんの故郷のワイルドファイア?」
「そうだぜなぁん。流石ワイルドファイアでかいぜなぁん♪」
 ナディアもそんな故郷の光景に、エッヘンと胸を張る。
「あそこはでかい生き物が沢山、いるんだぜなぁん?」
「イいなぁ、あそこで狩りとかシテみたい」
 母親似だという青い瞳を少年らしくきらきらと輝かせて、窓の外を見下ろすアハト。
 見慣れたいつもの大地も、空から見下ろせばあんなにも小さい。でも、護りたい者達があの大地に息づいていることが判って、砂漠の民〜風砂に煌く蒼星の刃・デューン(a34979)はとても嬉しくなる。
「そういえば、あの時は有り難う御座いました」
「あァ、気にすんなぁ〜ん」
 丁寧に感謝を示すデューンに、葉巻野郎は軽くてをひらひらさせる。そんな様子にまた改めて感謝を述べつつ……視界に修士を捉え。
「はて?」
 ……ぺんぎんスーツ着せてみたい。
 首を傾げる修士の姿に、そんな事を考えるデューンであった。
 そうこうしているうちにも、遠かった大地が窓下にくっきりと見え始め……暫くは景色を興味深く見下ろしていたギーだったが、やがて飽きたか窓辺から離れ艦内の散策へと出かけていく。
 そして、曲がりかけた角で。
 出会う眼鏡集団。
 止まる時間。
 ……色眼鏡、片眼鏡、普通眼鏡と種類は様々に、何故か互いの顔を見合わせながら止まっている集団に、周辺から「三竦みだ」「いや、三竦眼鏡だ」などという会話が聞こえてきたりこなかったり。
 その後、ギーと修士がやたら難しい言い回しで会話する声が聞こえてきたらしいが、一体何人が正しく内容を聞き取れたのか、定かではない。

 さて、そんな葉巻と煙管の常習者共は、艦内喫煙スペースとロビースペースとを行ったり来たり。
 据付の小窓から時折景色を眺めたりしつつ、煙に負けず一緒に居座っている者達と続く談笑。
 そんな中、突然。
「ノープラン・ノーパンティーで生きてます」
 衝撃の告白をしてきた、しっぽふわふわ・イツキ(a33018)に、ぶふうっ、と噴出される沢山の煙。耐え切れずに声を上げて笑ってる葉巻野郎。思いっきりむせてる修士。しかし、イツキは何処かしら遠い眼差しで。
「ダラダラ生きていたら、もう十年も経過してしまいました……」
「あー、なんか、貴様らしくて安心したぜなぁ〜ん」
 このまま流されるまま行きていこう。そう決めてからはや十年。流され過ぎて何の将来設計もしていないイツキは、一体どう生きてどう死ぬべきか、内心では大混乱だったりする。唯一決まっているのは、長生きしても短命でも、ノーパンティーには違いないということくらいだ。
 まぁ、その辺りのことはともかく。
 ノープランはノープランなりに、今回のインセクテア訪問は久方振りに懐かしい顔に出会える機会には違いないので、今日はイツキも張り切って定期艦に乗り込んで今に至る。
 その懐かしい顔ぶれの中に、清浄なる茉莉花の風・エルノアーレ(a39852)の姿もある。
「皆様、お久しぶりです」
 見知った顔に順に挨拶を交わし、いつの間にか霊査士集団を中心に出来上がっている輪に混じるエルノアーレ。かと思えば、どやどやと近付いてくる様々な種族の少年少女の一団……よくよく見ればその先頭には、異風の叫奏者・ガマレイ(a46694)が。
「ショットガンさんお久しぶり! 嫁さんとは上手くやってる?」
「勿論だぜなぁ〜ん」
 ニィと笑い合う二人。そんなガマレイも豆腐と相性ばっちりの蟹鍋のお陰で見た目は全く変わらずだ。
「……つか、後ろのァ何だなぁ〜ん?」
「ん? この子達?」
「まさか全員子供って訳じゃねぇよなぁ〜ん」
 流石にそれは年齢が合わなさ過ぎる。
「この子達は、ロック魂あふれる今のバンドメンバーよ」
 つまり『舎弟』という奴である。そんな舎弟達に、葉巻野郎をかつて所属した護衛士団の団長、つまりは元上司だと説明するガマレイ。舎弟達は「すげー」「本物だぜー」などと好き好きに声を漏らして、物珍しげに葉巻野郎を見つめている。
 その眼差しはどれもこれも活力に満ちてきらきらとしていて……そんな舎弟達の様子を見ていれば、ガマレイがこの数年どれだけ精力的に活動してきたかが良く判る。
「向うに着くまで暫く自由にしてていいわよ」
 そんな一声で、艦内に散っていく舎弟達。中には興味が在るのかその場残る者もあり、そんな舎弟と一緒に、ガマレイもまた懐かしい輪の中に加わる。
 何にせよ、こうして皆に逢える機会ができたのは純粋に嬉しい。シェルディンは変わったり変わらなかったりする皆の姿に、そっと眼を細めていた。
 そんな折。
「あれー? ナオさんじゃないかなー?」
「お、なんだよすげぇ偶然じゃん、皆して。どうしたん?」
 見知った後ろ姿を見つけ声を掛ければ……そこには年甲斐もなく思いっきり窓に張り付いて外を眺めていた、野良団長・ナオ(a26636)が。至極ご機嫌で笑顔でご挨拶するその額は真っ赤っ赤。どうやら相当に強く押し付けて、かなり一生懸命に外の景色を楽しんでいたようである。
 そんなナオは、かくかくしかじか、と事情を説明されるまで皆が団体化していることを全く知らなかったらしい。どうやら、誰よりも早く列に並び、誰よりも早く艦に乗り込み、誰よりも早く窓に張り付いていたようだ。なんという無邪気な三十四歳。
「あ、団長もクィエんとこ行くのか? それじゃ俺も一緒に行くー」
 皆で食べようと思って土産も一杯買って来たんだ、と側に置いてあるどでかい荷物を指し示すナオ。野菜も肉も酒もお茶も何でも揃って、まさに準備万端である。
 そうして再会を喜びつつもやはり気になるのは皆の近況。
「皆、最近なにしてるんだ?」
「交渉人として大陸を越えて各地を飛び回ってます」
 問い掛けに応じたルーンに、なるほどと頷いて見せるシェルディン。
「忙しそうですね」
「はい。でも趣味の名産品収集も兼ねているので、充実しています」
 告げるルーンの表情は、言葉通りにとても充実して見える
「わたくしは、四年前に同じセイレーンの男性と結婚いたしまして、世界を回っているところですわ。新婚旅行みたいなものですわね。四年目ですけれど♪」
 そんな風に笑うエルノアーレは昔と変わらず、けれどもとても幸せそうだ。
 ちなみに、ナオはワイルドファイアに別荘兼ノソリン牧場を作ろうと構想を練っており、今回はその下見を兼ねてのインセクテア訪問の為、こうして艦に乗り込んでいたらしい。

 一方で。
 輪からは離れ……怪獣王使い・ラウル(a47393)は見知らぬ誰かと窓際でずっと話し込んでいた。状況から察するに、側に居るその人物も共に観光に向かう途中ではあるようだが。
 流れ行く景色を前に、かつてあったことを想い出深く話すラウル。伯爵のこと、空から来た少女のこと……隣の人影は何も言わず、ただ、彼の話に耳を傾けている。
「俺は伯爵が亡くなった時、伯爵を救えなかった自分が悔しくて冒険者を止めようってマジ思った」
 でも。そう言って巡らせたラウルの瞳に、物言わず佇む人影。
 小さな少女と、その願いを叶えるささやかな仕事。
 それをもたらしたのは、この人だった。
「だから続ける気になれた」
 ラウルは更に続ける。楽しくて充実した護衛士団での活動。
 けれど。楽しいこともあれば、辛いこともあった。
 それは――今は無き、地獄での出来事。
 かつてナビアという階層で出会った家族が居た。一度は助けたその家族を……そんなつもりではなかったけれど、消滅する地獄に置き去りにしてしまった。結果的に見捨ててしまった。
 あの時、気付いていたら。可能性に懸けて、同盟や円卓に働きかけていれば。
「何らかの方法で地上へ連れ出す事ができたんじゃないかって」
 十年経っても消えない悩み。
 いや、恐らくは。
 この先、百年、千年を経ても、この悩みはラウルの中から消えはしないだろう。
 自分のした事は、最善だったのか、不足していたのか。
 一人きりでは絶対に出ない答えを、知りたかった。
 ――暫しの沈黙の後、やがて聞こえた言葉。
 鼓膜の奥を叩くそれに、ラウルはただ、隣り合う人影にしがみ付いて、泣いた。

 ぐんぐん近付いていく大陸の影。
 ナディアにとっては勝手知ったる我が家、といいたいところだが、実の所ヒトノソリンが知る範囲すらもワイルドファイアのほんの一部でもあるわけで。
「これから行くインセクテアは、どんな感じだろうなぁん?」
「見たこともないようなお魚があるのかなぁ。『引っこ抜き』はぜひマスターしたいところだね!」
 狐の尻尾を機嫌よさげに揺らし、見え始めた大陸を見下ろすシルミールの頭の中は、既に食べることで一杯だ。
 そんな具合に期待に胸膨らませる者が居る一方、シフィルはというと。
「インセクテアの皆様はご健勝でございましょうか? 悪い怪獣に食べられたりしておりませんでしょうか? わたくし、とても心配にございます」
「インセクテアの皆さんも本格的に地上で暮らし始めてまだ四年程ですものね」
 親心というかなんというか。かつて建国に携わった身としては、色々と心配になるようである。
 しかし、そんな様々な情報すらも、今のアハトには何でも期待の種。
「楽しみ……やっぱ冒険最高!」
 少年らしくぺたりと窓に張り付いて、じっと近付く大陸を眺め続けていた。
 しかしそれよりも。
 エルノアーレが気になっていることがあった。
「わたくしの人生、悔いは残さないがモットーですけれど」
 そんな彼女が一つだけ残念だと感じているのは……葉巻野郎の『ハーレム』とやらを目撃できなかったことであるらしい。
 噂によると……かつて、葉巻野郎が団長を勤めていた護衛士団の運営最終日、急遽発生した解散祭りで突然決定した……と、まことしやかに囁かれている。エルノアーレはその現場に居合わせることができず、噂は噂のまま。そこでせめて、三人居るというお嫁さんを一目見ておこうと、馳せ参じた次第である。
「かーちゃんは今日は留守番じゃなぁ〜ん」
「まあ……」
 それはそれでまた惜しい。ミカモの言葉に……いつか全員揃っている所を狙うべきか否かと考えをめぐらせて見るエルノアーレ。
「そういう貴様の旦那はどうしたなぁ〜ん」
「たぶんその辺を散歩しておりますわ」
 そう言って、周囲をくるりと見渡す。どうやら、久し振りの同窓会だからと、邪魔にならぬように気を使って暮れているらしい。流石に艦内は人が多く、側に居ない旦那様をその一巡きりで見つけることはできなかったが。
「この美しいわたくしのためですから、当然と言えば当然ですけれども」
「うわ、自分で言った!」
「そこまで堂々と言えるのは羨ましいな……」
「仲がいいのはいいことなぁ〜ん」
「そういえば、パティさんはいつご結婚なさったんですか?」
「四年前かな☆」
 答えるその脳裏に甦ってくるのは、この十年にあった出来事。
 家出して冒険者になって以来、六年間戻らなかった実家に帰ったのが……九年前。六年振りの大喧嘩に、だが、以前の覇気のない祖父に、その身の病のことを知る。同時に、生まれた頃から一緒だった狼犬の死も。
 死期を悟った祖父から、自身の出生と両親について初めて聞かされたのは再会から二年後のこと。後に、看病の甲斐なく祖父は他界し……パティは天涯孤独となった。五年前のことである。
 そして。夫となる青年と巡り合ったのは、祖父の看病の為に街に移り住んでいた間のこと。祖父が居なくなってからの一年間、結婚をするまでにすごした時間を、パティはまるで昨日の事のように思い出していた。
 ……もっとも、甦る十年の光景は今は胸の内に秘めて、口にはしなかったけれど。
「そういうシェルディンさんも、何か報告があるって言ってなかった?」
「ふふ、それはランチのときにでも」
 どうやら到着のようですからとシェルディンが窓の外を見遣ると、途端に聞こえてくるのはイズミのアナウンス。
「もうじき到着です、皆様御降りの際は順序良くお願い致します」
 声を聞きながら再び外を見遣るルーン。遠く眼下に広がっていた陸地が、次第に、そして、急激に大きさを増して行く。
「それにしてもあの星型……今見てもやっぱり綺麗すぎです」
 接近と共に地平線の彼方に見えなくなっていくアーカスター島に、思わずそう溢すのであった。

 常夏の大地へと降り立つ、コルドフリード艦。
 ワイルドファイア側は……流石に、全ての中継点となるランドアース側と比べると、随分こざっぱりとして見える。
 そんな発着場には、個人を出迎える為に待っている者達の他、観光案内を買って出たヒトノソリンや、ツアー企画の一環で駐在している商人の姿がちらほら。
 そんな人員の中に混じって、続々と降りてくる人波の中をきょろきょろと見回し……炎に輝く優しき野性・リュリュ(a13969)はやたらと団体で降りてくる沢山の見知った顔に、驚きながらも何処か嬉しそうな表情を浮かべる。
「わぁ、皆ひっさしぶりなぁ〜ん! 怪獣狩りに来たのかなぁ〜ん?」
「をう。今日はインセクテアの国に観光なぁ〜ん」
「観光案内ならリュリュにお任せなぁ〜ん」
 十年来、それ以前からも変わらぬ、怪獣を狩って食べるそんな日暮らしのリュリュ。でも、時にはこうして観光案内をしに、定期便の発着場に足を運んでいるらしい。今回の遭遇は嬉しい再会であると同時に、団体さんを相手するまたとない機会でもあるだろう。
 だが、そんな風に話していたら、油断した。
「おぉ、ひさしぶり〜♪ だんちょ〜♪」
 耳に覚えある声が聞こえた瞬間、あ、まずい、と思ったが、時既に遅し。
「うをぁなぁ〜ん!」
 挨拶代わりのそんなバナナで出迎えたのは、バナナん王子・ロア(a59124)。見た目も中身も、悪戯好きなところも、四年どころか十年前から全く変わっていないようである。安心したような、はた迷惑なような、けれども、ここまで来ると実にプーカらしいなと、逆に清々しくもある。
「やっぱ貴様か。なぁ〜ん」
「どこいくの?」
 すっころんだ葉巻野郎をどこか満足げに覗き込んだあと、ロアは続々と降りてくる知った顔を順に見回す。
「インセクテアの国で観光兼同窓会だ」
「へぇ〜」
 バーベキューの用意もしてあると荷物を見せるナオに、ロアはあそこかぁ……と暫し天を仰ぐ。
「う〜ん、ついこの間、いたずらしてきたばかりだからなぁ……」
「そういえば指名手配されてた気がするなぁ〜ん」
 引率の準備をしつつ、そんな事を言うリュリュ。指名手配とは中々大袈裟な物言いではあるが……こんな調子で悪戯しまくったとすれば、街の人々にマークされても仕方あるまい。ロアは暫し考えを巡らせた後、うん、と頷き。
「また今度にしようっと」
「行かないんですか?」
 怒られちゃうからねと、悪気なく笑いながら、その場を離れていくロア。
「じゃぁまたねぇ」
「今度は一緒に飯食おうなー」
 手を振り去っていくその姿を、皆もまた軽く手を振って見送った。

●色彩の国
「本日は、ランドキングボス交通をご利用頂きまして……」
 何故か案内役と化しているイズミのアナウンスと共に、発着場のあるヒトノソリンの国からランドキングボスに揺られること小一時間。ちなみに、ランドキングボス交通は大陸を周回するように移動しているそうで、インセクテアの国を経由した後は、西方にあるリザードマンやプーカの国にも希望すれば乗せて行ってくれるらしい。大体そうして、一日一回〜数回は大陸をうろうろしている。ただし、ランドキングボスも立派な怪獣。時には気が乗らなかったり拗ねたりして、運休になる日もしばしばあるとかなんとか、そんな話をして聴かせるラウル。
 今日は特にそんなこともなく。
 御機嫌で足取り軽く、東の海沿いを南下してゆけば、次第に見えてくる大きな川と……海に囲まれた三角州。そして、そこに居並ぶ街並み。遠くても判る鮮やかな景観に、気まぐれそよ風・ラウネン(a61591)のわくわくも一層高まる。
 ちなみに、ランドキングボスに乗せて貰う折、久々なことも会ってかシフィルが挨拶も兼ねて大変に美しい所作で『くるっくるっほわっほわったかいたかーい』を踊ると、事情を知らぬ観光客から多大な拍手が送られたらしい。
「それにしてもインセクテアと出会ってもう四年以上経つんだよな……何かもう十年以上付き合ってる気がするぜ」
 しみじみと溢すミズチ。しかし、そこでふと。
「……あれ、まてよ。同盟入りが四年前で、出会ったのがインフィニティマインドが星の世界に旅立つ前だから……やっぱ十年以上経ってんじゃねーか!」
 そりゃ付き合い長いわなと、最初の出会いから列強グリモアを手に入れるまでの付き合いが脳裏を過ぎり、すっかり想い出モードに。
 かつては、三角州に渡るには――そこに住むインセクテアの人数が百に満たないこともあり――渡し舟が使われていたそうだが、四年の歳月を経た今、急速な人口の増加、外部からの流入、観光に訪れる人々……そういった多くの者達の利便性を図り、川には立派な石の橋が架けられていた。
 橋の側にはこれもまた石造りの見張り小屋のようなものが建てられており、不意の怪獣の襲来に供えてインセクテアの冒険者が交代で番をしているようだ。
 そして、それこそが、インセクテアの国の入り口。
「お、今日はまた沢山いらっしゃいましたね」
「ようこそ、我が国へ」
 見張りの冒険者らは、ランドキングボスから降りてきた一行を人好きのする笑顔で出迎える。
 そんな彼らに。
「お前ら元気にしてるかー!?」
「おっ? おお! 先輩じゃないですか!」
 元気よく声を掛けるミズチに、懐かしい顔ぶれがやって来たとばかりに沸き立つ、インセクテアの冒険者。そんな彼らの背にある半透明の翅には、伝え聞く通りに幾何学模様が施されている。
「素晴らしい!」
 草木染めのトーガを纏ったその男――饗宴の思索者・アレクサンドラ(a08403)は、初めて見るインセクテア達に、それはもう嬉々として語りかける。そんな様子に……色々と褒められればやはり嬉しくもなるもので。きっと国に入ればもっと喜んで貰えると思うよと、入り口のインセクテア達は少し照れくさそうにしながら、橋の向こうに見える石造りの街並みへと、アレクサンドラを促がした。
 そうして渡る石橋にも鮮やかな紋様が惜しげなく施されているが、不思議とくどい印象は一切受けない。これこそは彼らの美的感覚の成せる業か。そしてそれがまた、常夏の陽射しと風土に合っているからに違いない。そんな様がまた、アレクサンドラの心を様々に刺激する。
 そうして、橋を渡った先。
 行き交う人々に紛れて佇みながら、やってくる人波をじっと見つめ……やがて、ぱっと明るい笑顔を浮かべて手を振るヒトノソリン親子。
「あなた、お帰りなさいですなぁ〜ん♪」
「を、サリィなぁ〜ん♪」
 傍らに三歳になろうかという男の子を連れて、楽園の大地に生きる・サーリア(a18537)は嬉しそうに葉巻野郎の下へと駆け寄る。よし来い、ほれ来い、ほら来た! とでもいった風情で、駆け寄る妻子を捕まえると、順番に高い高いしながらくるくる回る葉巻野郎。抱え上げられてきゃっきゃと笑う男の子の八重歯はなにやら凄まじく尖っている。
 そんな微笑ましげな再会は傍らに、待望のインセクテアの国に到着した皆は。
「さあ、今日は独身気分に戻って楽しみますわよー♪」
 意気揚々と繰り出していくエルノアーレを筆頭に、思い思いに街へ。
 ロドリーゴも歩み出しながら、目に映る極彩色の景観に、これはこれはと左の眉を吊り上げる。
「これはまた独特な文化ですな」
「ワオ♪ インセクテアの国はよりカラフルになったわね」
 ガマレイもすっかり様変わりした街を一望してから。
「さて、私は魚料理を……」
 瞬間。
 背後から感じる複数の視線!
 勿論、振り向いた先に居るのはガマレイの舎弟達だ。どうやら、食事よりも先に『彩色屋』に行ってみたいらしい。
「しょうがないわね。オゥケイ、誰が一番ロックな色に染まるか勝負よ!」
 そう言って、舎弟を引き連れて街中へと消えていくガマレイ。
 と、そこに。
「いっらしゃいませー。お客さん、ここはぢめて?」
「……何やってるんですかツァドさん」
「おや、本土から来た団体って皆さんのことでしたか」
 何故か思い切り出迎える側に回っている、三賞太夫・ツァド(a51649)に、彼を知る者達は意外そうな表情をして見せる。
「いえ、護衛士団が解散したあとも、半年位はこちらにいましてね」
 曰く、ワイルドファイアに居る間はちょくちょくインセクテアの国を訪れて、色々と相談に乗ったりしていたのだという。主な相談内容は、他の種族との交易や、本土からの来訪者について……まさに現在のような状況について、ということになるだろうか。
 とはいえ、最近は単に遊び目的になっていたらしいが。
「十年か……」
「何か見違えたよねー」
 繰り出した街並を見つめ、しみじみとごちるイツキに、ユーティスも頷く。しかし、そこでふと。
「……つーか、拙者とインセクテアの出会いって、そもそも最悪じゃなかったっけ!?」
「そうだっけ?」
「だってほら、いきなり拘束されて吊り下げられるという、赤面必至の羞恥プレイ……!」
「……確かに、その通りではございますが……」
「しかもピュアで円らな瞳の拙者を見るなり、有ろう事か『変なのが釣れた』『喰えるかな』とか言ってたよ!?」
 ……などと、大変に語弊のある表現で色々なことを思い出すイツキ。
 とまれ、ピュアで円らな瞳かどうかはともかく。
「魚と間違われて投網を掛けられてから、はや十年でございますか……」
「……良く円満な関係を築けたな〜……」
 しみじみと遠い目をするイツキ。出会いは兎も角、その後のフォローが上手く行ったのだと、ここは喜んでおくべきであろう。
 そんな街中で一際目を惹くのは……国の中心部にある、巨大な囲いのような石造りの建造物だろうか。
「む、私の立てた石壁もちゃんと建ってる」
 綺麗に紋様を施された……見覚えのある壁を前に、そんな事を溢すリューシャ。
 メルルゥは街角で出会ったインセクテアの皆さんと交流中。皆、穏やかな人々で、昼食を一緒にどうかと誘われたり、出かけていく道案内をしようと申し出てくれる人も居た。
「沢山冒険なさったんですね」
「色々あったなぁ〜ん」
 道すがらにメルルゥの話す冒険譚に、興味津々で聞き入るインセクテア達。彼らにとっても地底から地上への移住は大冒険だったろうが、数々の大陸や星の世界をまたに掛ける冒険者達の話は、夢のような御伽噺のような、それこそ伝説や伝承に匹敵する夢のような話。それを実際に経験したというメルルゥは最早生きる伝説ともいえるわけであり、向けられる眼差しはそれはもう羨望のそれに満ち溢れていた。
 そんなインセクテア達を束ねる長は、麗しい女性であると聞く。ロドリーゴとしては是非お近づきに……と思う訳だが、流石に口に出してしまうとたたき出されそうだ、なんて考える。
「まあ、遠くから見守るなら問題無いでしょう」
 ……な、無いですよな?
 などと、俄に不安が沸いたりもするが。
 実はその長が気軽に街中を闊歩していたりすることを、この時のロドリーゴはまだ知らない。

「わあ……」
 橋を渡った時もそうだったけれど。
 こうして街の中に繰り出してみると、飲み込まれるような色彩の波に圧倒されるシルミール。極彩色を織り交ぜた複雑な色合い。派手よりも綺麗だという感覚が先にやってくるのは、不思議でもあり、心地よくもあった。
 行き交う中でギーがまず気になったのは……地面に書かれた線。様々な色で書き付けられたそれは、まるで『歩道はこの線の間ですよ』とでも示しているかのようだ。よくよく見れば、インセクテア達も線で区切られたその中には入らないように路を歩いているのが判る。かといって、観光に来た他の者達がそれを越えたからといって咎める様子もない。
「宜しいかね」
「はい、なんでしょう」
 気になれば聴く。探究心に勝るものなしとばかり、早速手近なインセクテアを一人捉まえるギー。
「この線は何であるかな?」
「ああ、これは、お互いの土地の境を示してるんです」
 曰く、地底に住んでいた頃は『家』を作る習慣が全くなかった為、テントのようなものを張ってその周囲の地面に線を引くことで、お互いの住居空間を決めていたのだという。今は石材を使って丈夫な家を作ることができる為そんな必要は無いのだが、何しろ地上に出て未だ数年、線を引いて区切る慣習が抜けずに残っているのだそうだ。
 国の中心にある大きな……それこそ城か遺跡かと思うほどに巨大な石の建物は、移住直後のインセクテア達の生活様式に沿って、地底で暮らしていたと同じように線を引いて住むためにと作られたものだ。それが次第に個人で石の家を作って住むようになり、現在のような街並になったらしい。
「ふむ、確かに石材はまだ真新しいものであるな」
 手近な家屋を眺め見て、なるほどと頷くギー。
「住環境と同じく、食生活にも変化が出たのであろうか」
「ええ。何しろ、地底国では『植物』は全くといっていいほど採れませんから」
 今まで我慢していた果物や野菜を好んで食べる者がとても増えたと、そのインセクテアは語る。それに、怪獣を相手に狩をするようになって、魚よりも肉を食べる機会が増えたとも。大人達は食べ慣れた魚よりも野菜! 果物! 肉! という感じだが、親の嗜好でそればかり食べる羽目になりつつある新世代の子供達の中には、もっと魚! 貝! 海産物! と、中々不思議なジェネレーションギャップが生まれつつあるらしい。
 そんなインセクテアの国の建設事業を手伝っていることもあり、こうして地上国が日々立派になっていく様子は、黄色の羽毛・ピヨピヨ(a57902)にはよく判る。移住した当初は何もなく、ただ箱のように大きな石壁があっただけの場所が、こうして街らしい姿を手に入れたのはとても喜ばしいことだ。
 すっかり街らしい景観になったなと、いつの間にやら変貌を遂げたといって過言でない街中を歩いて回るリューシャ。そんなリューシャの足元に……なにか、が?
「バナナの皮ーっ!?」
 ……行かないと言ったはずなのに。
 実はランドキングボス二順目でこっそり後をつけてきたロアが、遠くの家の陰でほくそ笑むのを、インセクテアの何人かは確かに目撃したという。

 鮮やかな街並。行き交うインセクテア達に聞いた所によれば、街並みに施された紋様は毎日少しずつ違うのだという。皆が皆気紛れに、時には競うように、己の能力を使い描き出すそれは、気分や熟練度によって日々変化していくのだ。
 今日のこの光景は、今この時にしか見られない刹那の芸術。
 そういった話を聴けば聴くほどに、アレクサンドラの心はまた躍る。
 そろそろ昼時。街並みから漂う香ばしい匂いに寄せられて足を向けた先では……。
「こちらが名物『引っこ抜き』実演です」
 などと、さも当たり前のように言ってはいるものの、実はイズミ自身インセクテアの国に来るのは初めてだったりする。初めてで普通に案内できてしまっているのはさすがメイドガイ。
「ほほう、これが噂の」
 是非にも技術を習得してクララに教えてやらねば。ギーの中に育つそんな謎の使命感。
 そうこうしているうちに。
 用意された巨大魚の数箇所に、慣れた手つきで切り込みを入れるインセクテアの料理人。切り込み、とは言うものの、傍目には串を刺すかのように、ぐさぐさと包丁の先を差し込んでいるようにしか見えない。
 かと思えば、料理人は魚の口を大きく広げ、その中に包丁を持った突っ込み……俄に聞こえる、『ごきり』という鈍い音。
 そして、次の瞬間。
 料理人が腕を引き抜くと同時に、魚の口の中から、それはもう綺麗な魚の形をしたままの骨だけが引き摺り出されて来たではないか!
「おお……!」
 思わず目を見開くアレクサンドラ。
 小骨の類までそれはもう綺麗に取り除かれた様に、ゼナンも思わず。
「……これは凄いな」
「すごいなぁ〜ん!!」
 ヴィカルも耳と尻尾が逆立ちしそうな勢いで、それはもう目を真ん丸くして驚いている。
 同じく一家して見学にやって来たミカモも、おぉ! 見る間に魚が骨抜きのメロメロに! と小さな体をひょこひょこしながら大興奮。
「こんな感じでとーちゃんもかーちゃんにメロメロになったわけじゃなぁ〜ん?」
「をう。……をう? なぁ〜ん?」
 返事したのに首を傾げてる父に、同じように首を傾げてるミカモ。
「んむ? 違うなぁ〜ん?」
「いァ、うん、違わねぇ。けど、なんかそれとこれとは違ぇような気もしねぇではねぇなぁ〜ん」
「きっと照れてるんだよー」
 ミカモの耳元でそんな事を囁くユーティス。そんな様子をサーリアは息子と共に実に微笑ましげに見守っていた。
 そうして『引っこ抜かれた』魚の中には香草や香辛料、肉や野菜が詰め込まれ、そのまま丸ごと大きな石釜へ。そして、出来上がったばかりの香ばしい『丸焼き』と交代で、釜の中へと放り込まれてゆくのだ。
「えらいもんやねー」
「さてはて如何にも不可思議な」
 相変わらずに修士を遠慮なくふかふかしつつも、何回も行われる実演を事細かに観察し、なんとかその調理法を習得できないものかと見つめているカガリ。
 やがて卓に並ぶ、出来上がったばかりの『丸焼き』。
 何処を切っても、どんな風に切っても、骨の全くなくなった魚はなんの引っ掛かりもなくナイフを入れた通りにするりと切り分けられる。この感触の心地よさといったら!
 いつも骨に苦戦するヴィカルにしてみれば、『引っこ抜き』はまさに夢の調理法と言って過言ではない。
「大尊敬なぁ〜ん……!!」
「面白い料理ですな」
 この技術を使えば他にも色々な料理に生かせそうだと考えながら、ロドリーゴも出来たてを味わう。
 時折見かける出店では、スナック代わりに揚げた小魚を串に刺したものが売られていたりもする。折角だからと食べ歩きのついでに一つ買ってみるシルミール。小魚ならば通常でも油を通せば骨が柔らかくなって食べやすくなるものだが、小骨すら綺麗に取り除かれた魚はそれよりもなお食べ易くふかふかで、魚味の何か別の物を食べているかのように感じられる。
 ふいに。
 食べ歩きをするシルミールの目に、俄に飛び込んでくる人影。
 鮮やかな街の中に在ってなお一際に輝いて見えるインセクテアの女性は……自身を見つめるシルミールの視線に気付いて振り向くと、桜色のルージュを引いた唇を柔らかく緩めて微笑んだ。
「やあ。ようこそ。楽しんで貰えているかな」
 シルミールは大きく一つ頷きを返してから、改めて目の前の女性をじっと見つめて。
「綺麗だなー」
 感嘆にも似た息を溢しながらそんな風に溢す。
「どうやったらそんなに綺麗になれるの? ボクも綺麗になれる?」
「勿論だ。綺麗な物に触れて、心豊かに過ごしてゆけば、君自身は元より、より綺麗になる術を知ることができるよ」
 そう言って、女性はシルミールの唇にそっと触れ、お揃いのルージュをそっと引いて見せる。その仕草にシルミールが驚いて瞬いているうちに、女性はまたどこかでと微笑むと、翅に施した紋様をステンドグラスのように煌かせながら街の中心部に見える一際大きな建物の方へと歩き去って行く。
 そんな女性を認め、すかさずに声を掛けたのはパティ。
「クィエさん、やっほ☆」
「おや。なんだ、来ていたのか!」
「お久しぶり。ボクの事、覚えてる?」
「勿論だ。それにしても見違えたな」
 二人の子を連れてて笑うパティをどこか眩しげに見つめて微笑むクィエ。
「他の皆も来ているのかい?」
「後でみんなで会いに行くと思うよ☆」
 自分は一緒にどうかと誘った人が居るからその人達と観光してくる、そういい残すと、パティは軽く手を振りながら街並みへと再び歩き出す。勿論、誘った相手というのはアルム親子だ。
 お互い、伴侶となる旦那や妻は仕事が忙しいからと自宅に残って仕事中。パティの旦那に会えないことを残念に思いつつ、アルムは子供達の手を引いて一緒に歩き出す。
「……旦那さんって……どんな人」
「え、旦那?」
「……すごい気になる」
 そーいえば言ったこと無かったっけ、と小首をかしげて見せてから、見上げてくるわが子と目を合わせて微笑むパティ。
「普通のストライダーだよ」
「……普通の……」
「うん。一般人」
「……知り合った……きっかけは」
「うっ」
 馴れ初めを聞かれ、一瞬戸惑うパティ。物欲しそうに目の前のお店を見上げていた上の子と、アルムの双子にもお昼前だから少しだけだよと果物キャンディを買ってあげると、皆は川岸にある休憩用のベンチに腰掛けて一休み。
「えっと、一人になって寂しかった時に優しくしてくれて……えへへ」
 そこまで言った所でパティは「秘密☆」と赤面して、我が子の胸に顔を埋めてみたりする。アルムはそんな様子を優しい眼差しで見つめる。やがて顔を上げたとき、パティは流れる川面に映る雲をじっと見ながら、どこか懐かしいような、寂しいような表情を浮かべていた。
「お父さんも優しいだけの凡庸な男だったんだって」
 パティの父は売れない貧乏画家だったと、祖父から聞いた。財産目当てだと思って結婚を反対した結果、両親は駆け落ちし、それっきりだったことも……。
「じーちゃん資産家だったらしいよ。ボクを引き取った時、捨てちゃったらしいけど」
 罪滅ぼしだった。今際の際に祖父の言った言葉を、パティはしっかりと覚えている。無意識にでも腕に抱いた我が子をあやしながら、しかし、ふっと遠くなるパティの眼差し。アルムはそんなパティへそっと手を差し伸べると、極自然な仕草で頭を撫でる。
「……そういう話は……弱い……」
「くすぐったいのだ☆」
 若い頃は背の高さを競うライバルであったり、仲間であったり、店長代理の店長の間柄であったり……今は互いに伴侶を得て、別々の家庭を持ち、子を成して。けれど今も変わらないのは、兄妹であるような、お互いが大切な家族のような、そんな思い。
 アルムにとって、人妻となり母となってもパティは昔のまま。お転婆であった頃と同じ、大切な妹のような存在であることには何も変わりなかった。
「……上の子も……大きくなってきたね」
 一緒になって遊び始めた子供達を見つめ、眼を細めるアルム。パティはうん、と一つ頷いて、同じように眼を細めた。そして、腕の中ですやすやと眠る六ヶ月の我が子を愛おしそうに見つめる。
「お父さんが描いた、この子くらいのボクとお母さんの絵、一枚だけ残ってたよ。ボクにそっくりだったのだ」
 それから暫く、子育てについて先輩らしくあれこれとパティに話をするアルム。伊達に双子をこの歳まで育ててはいない。パティも今は素直に話に耳を傾け、けれど、そこではたと。
「……と……ここには……観光に来たんだったね」
「そういえばそろそろお昼なのだ」
「……インセクテアとは……僕も……初めてなんだよ」
「お魚料理がお勧めなのだ。骨を全部抜いちゃうから小さい子でも安心して食べられるよ☆」
「……楽しみ」
 そんな事を話しながら再び歩き出す二つの家族。はしゃぎまわる子供達に時折手を焼きながらも、二人は満ち足りた雰囲気で、街中へと繰り出して行った。

 引っこ抜き料理同様に大人気なのは、やはり『彩色屋』。何しろ、この国以外ではありえない商売であるからして、物珍しさで訪れる人々の数も結構なものである。
 ラウネンが真っ先に訪れたのもこの『彩色屋』。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
 ひょっこりと現れた六歳のプーカ少年を、インセクテアの店員達はにこにこと出迎えてくれる。
「どんな風にしましょう?」
「髪と……この布をみんな、虹色にして欲しいのです」
 薄く明るい茶色の――オレンジにも見える髪と、身に着けている沢山の帯状の布をラウネンがひらひらとさせて見せると、店員はまた笑顔で頷いて、「失礼しますね」と一つに束ねたその髪にそっと手を添える。
 かと思えば、瞬く間に変わっていく色彩。特に何か唱えるでもなく、気付いた頃にはラウネンの髪は鮮やかな虹色に染まり、身に付けた布もまた同じように、けれども少しずつ色合いの違う七色のグラデーションに染まっていた。
「わ♪」
 大きくくりくりした目を見開いて、ラウネンは両手を広げると鏡の前でくるくると踊って見せる。動くたびに柔らかく舞い上がる七色の布。流れるように波打つ複数の布達が風をうけて緩やかに、そしてどこか優雅に、様々な色を交じり合わせ波打つ様は、とても綺麗だった。
 一日で消えちゃうのは残念ではあるかな。そんな事を思いながら、またラウネンはくるくると踊る。
 一方でふらりと立ち寄ったリューシャはというと。
「……あ、眼鏡を染めちゃいけないったら……前が見えな」
「あっ、こら!」
 悪戯にやって来たお子様に目くらましならぬ眼鏡くらましを食らって居たりする一幕も。
 観光案内もそこそこに、リュリュも早速『彩色屋』に立ち寄ると、お化粧感覚のお任せコースで色をつけて貰い……。
「どうでしょう?」
「おぉぉ……これなら大人の魅力たっぷりなぁ〜ん……!」
 淡く塗られたアイライン、何処か憂いを帯びて見える目元、唇を艶やかに魅せる艶めいた桃色……鏡に映る自分の姿に、リュリュは静かに、しかし確かに大興奮。
「男の子達もリュリュにメロメロのはず……! なぁ〜ん……!」
 いける!
 何か確信めいたものを感じ、思わず拳を握るリュリュ。
 しかしながら、そうは問屋が卸さないのが世の常でもあり……翌日にはいつものリュリュに戻ってうっかりがっかり感を味わうことになろうとは、この時はまだ知る由もない。
 ニンフも百聞は一見にしかずとばかりに、一緒に連れてきた子供二人と共に『彩色屋』へ。
「髪を黒、耳と尻尾を白にして欲しいなぁ〜ん」
 そう告げるや、そっと手を添えられた途端、瞬く間に変わっていく色彩。子供達も思い思いの色を注文しては、その色に染まった自分を鏡で見て大はしゃぎしている。
「はい、できました」
「有り難うなぁ〜ん」
 髪は白から黒に、ピンクだった尻尾は真っ白に。すっかり様変わりした自分の姿を鏡に映してくるりと一回転すると、ニンフは満足げに、そして、とても嬉しそうに頷く。何しろ、彼女の夫は白色のヒトノソリン。今、その大好きな夫とお揃いなのだ、嬉しくない筈がない。
「帰ったら見せたいなぁ〜ん♪」
 ちょっぴり照れながらも、満面の笑みを浮かべるニンフ。子供達も思い思いに染まったところで、のんびり散策だと、街の中へ繰り出していく。
 そこに丁度入れ違いで来るメルルゥ。早速、店員に告げた注文は。
「耳と尻尾をカレー色に染めて欲しいなぁ〜ん」
「カレー色……」
 言われて、一瞬考えを巡らせる店員。カレー色にも濃い薄い、色々あるわけだが……ヒトノソリン的なカレー色だと直ぐに気付いて、何か納得したかのように早速彩色に取り掛かる。
 インセクテアは皆、触れた場所に思い通りの色を付けることができる。大抵は指先を使うが、今は掌を使って、メルルゥの白い耳と尻尾を包み込むと……根元から先へとすーっと撫でるように掌を滑らせる。触れたと思ったときには既に、カレー色に変わっている耳と尻尾。こうしてメルルゥはあっという間にカレー色ヒトノソリンへと変貌を遂げた。
「カレー色はステータスなぁ〜ん、希少価値なぁ〜ん!」
 満足げに耳を触り、カレー色になった尻尾を振り回すメルルゥ。
 それを見たマサラが、カレー族だと思ったらそんなことはなかったぜ! といった表情を浮かべていたとか何とか。
 さて、そんなマサラはというと、修士らの集団に混じって『彩色屋』を訪れた所だった。一緒にやって来たヴィカルも、早速耳と尻尾に色をつけて貰うことに。
「明るい橙色にして欲しいなぁ〜ん♪」
「カレー色でも赤でもない絶妙なチョイスなぁ〜ん」
「瑞々しいオレンジみたいで嬉しいなぁ〜ん♪」
 瞬く間に新色・オレンジヒトノソリンになったヴィカルが、嬉しそうに尻尾をふりふり。
「デリンジャーさんも何色かにチャレンジするのなぁ〜ん?」
「さてはて、如何様に染まったものやら」
 とまれ、折角来た以上は楽しまねば損である。ここは一つはっちゃけてみるべしと、修士は茶色い羽毛をとさかと揃いの紫色一色に染めていたりした。
 なんにせよ、先述のニンフ、メルルゥ、ヴィカル然り、ヒトノソリンは耳と尻尾をいつもと違う色にしたくなる率が高いようである。既に団体化している葉巻野郎一家も『彩色屋』の一軒に訪れていて、早速サーリアと息子が一緒になってノソリン耳をカラフルに染めている。
「幻のレインボーヒトノソリンですなぁ〜ん」
「ヴィンとーさんも髪とかしっぽとか、イメチェンしてみるのはどうでしょう?」
 かく言うアーケィは既に、明るい金の髪を一筋赤く染めて、おしゃれ度アップ。
「あァ、じゃァ今日はサリィと御揃いにしてみっかなぁ〜ん」
「黒髪ならわしとかーちゃんとも御揃いになるのじゃなぁ〜ん」
「今日は一家で御揃いの日ですなぁ〜ん♪」
 かくして、黒髪レインボーなヒトノソリンが四人ほど出来上がることに。
 そんな様子をなるほど、といった様子で見つめて、ゼナンも『彩色屋』の門戸を潜る。
「そうだな……黒髪にしてもらおうか」
 短く切り揃えた髪を軽く弄って言うと、店員は笑って頷き早速彩色に取り掛かる。
 手櫛で梳く様な感覚で、何度も髪の間を通っていく指先。次第に銀から見事な黒へと変わっていく髪。こうして髪の色が変わるのは、ドラゴンウォリアーになるときだけ。そのドラゴンウォリアーになったのも平和が訪れた時が最後になるのだから……十年振りだ。実に久しい。
 本当に、平和な世の中になったものだ。黒く染まった髪をまた軽く指先で弄って、ゼナンは店員に礼を言うと再び街中へと繰り出して行った。
 そんな風に、ちょっぴり部分的に色を変えて日常とは違う自分を楽しむ者もあれば、ここぞとばかりにカラフルになって楽しむ者もある。
「おぉ、色が……」
 ここぞとばかりにとさかをレインボーにしているラニーもその一人といえばそうだろうか。
 そして、全身真っ白、それはもう見事なまでの白一色でやって来たヴァイスをお任せで染めまくるのは、インセクテア達にとってもかなり楽しかったに違いない。
 別の店では、ガマレイ率いる舎弟軍団が、誰が一番ロックな色に染まるかを競って彩色中。あぁでもないこうでもない、時には難しい注文をして店員を困らせたり、逆にやたらと仲良くなったりしながら、わいわいと飽きる事無く聞こえてくる楽しげな話し声に、ガマレイは思わず眼を細める。
「ふふ、自分の家族が増えたみたい」
「いい子達ですね」
「ええ、勿論よ」
 自身も一つ派手にとロックなカラーに背中の翼を彩色して貰いつつ、掛けられる言葉に大きく頷く。
「いい男は見つからないけどこれはこれでOKね♪」
 賑やかに過ごす楽しい毎日。ガマレイはとても満ち足りた気分で舎弟達を見守っていた。
 お腹を満たしたシルミールも、物は試しと『彩色屋』へ。
「いい色ですね。どなたに着けて貰ったのですか?」
 ふいと、ルージュの色に気付いた店員にそう問われ、色づけして貰いながら先ほど出会った女性の特徴を告げる。すると、店員は少し驚いた様子で。
「まあ、クィエ様に」
 微笑みながらも、羨ましい、と溢す店員。そして、聞き覚えのあるその名に……シルミールははたと気付いて相槌を打った。
「あの人、女王様だったんだぁ。綺麗だったなぁ」
 またどこかで。クィエの言った言葉を思い出しながら、シルミールは少しずつ色を変えていく自分を、鏡越しに見つめていた。

 そんな中、目玉とされているところとはまた違ったものに興味を示していたのはナディアとアハト。
「ネイおじさん、あれ」
「皆得物持ってどこ行くんだろなぁん?」
 数人ほどの……恐らくは冒険者であろうと思われるインセクテアの集団が街を出て行こうとするのを見つけた二人。折り良く近くで観光案内中だったツァドを捕まえて聞いてみれば、これから夜の食料を調達しにいく一団だというではないか。
「いいナ、狩り!」
 すっかり興味津々な様子のアハトに、ナディアはしょうがねぇなぁ〜んと笑いつつ。
「付いてったりしても構わねぇのかなぁん?」
「聞いてみましょうか」
 そんなわけでツァドを介して交渉した結果、二人は急遽発声した狩り体験ツアーに同行することになった。それはもう大喜びのアハト。そんな姿を見つめながら、自身の得物である『不死者の大剣』を握って、ナディアもまた楽しそうに笑うのだった。
 そんなすぐ側を、修士とそれについて歩く集団が通り過ぎていく。
「色を変えてももふもふは変わらないなぁ〜ん……♪」
 カガリはもはや言わずもがな、ヴィカルも新色ふかふかチキンレッグの手触りを堪能しまくる。そんな様子にいてもたっても居られなくなってきたのはマサラ。
「あたしも記念にふかふかさせて欲しいのなぁ〜ん」
 普段は少女の割には『漢の浪漫』を追い求めて止まない渋いセンスの持ち主マサラではあるが、ふかふかや可愛い物が好きな女の子らしい一面もちゃんと持ち合わせているらしい。
「遠慮は要らぬよ、存分に堪能されたし」
「じゃあ遠慮なく堪能するなぁ〜ん」
 早速、ここぞとばかりにもふもふしまくるマサラ。それはもうふかふか。ふかふか! ふっかふか!
 流石に三人掛かりでふかふかしていると、段々と乱れてくる毛並。それに気付いたヴィカルはいそいそとブラシを取り出して。
「んと、ブラッシングさせて貰って良いですかなぁ〜ん?」
「構わぬよ。いやはやしかし、此れほどまでに引く手数多とは、ふかふかとはかくも役得である哉」
 撫でられたり整えられたり。何と無くうとうとしそうになっている修士。
 ……だが、そんな視線の先に。
 地面を匍匐前進で移動する怪しい……あれは、ヒトノソリンか?
「フフフ……これぞ拙者の考案した、ハイドインシャドウをも凌駕する隠密スキル……名づけて『インセクテアンカモフラージュ』なぁ〜ん!」
 なんてことを一人ごちながら相変わらず匍匐前進しているのは、カ・ラスキュー(a14869)。そんな彼の言うとおり、その姿は『彩色屋』の店員さんのお陰で、周囲の地形と全く同じ色に染められていた。
 染められていたが。
 それは、彩色した瞬間の色であるからこそであり、移動してしまえば当然周囲の景色からはずれてしまう訳で、今のラスキューは絶賛注目の的であった。だが、彼は気にしない。『インセクテアンカモフラージュ』に絶対の自信を持って、そのまま匍匐前進を続ける!

 かつては皆が一丸となって住まったという巨大な石造りの建物の中では、今もなお多くのインセクテア達が地面に線を引き、その中にテントを張って暮らしている。天井は半分程が吹き抜けのままで、その部分は天幕による開閉式になっており、その日の天気や気分に合わせ閉じたり開いたりできるようになっていた。天幕にも色取り取りの紋様が描かれて、晴天の真昼には描かれた模様が光を蓄えて、ステンドグラスのように美しく輝くのを見ることができる。
 建造当時から少し変わったことといえば、最深部に新たに石作りの小部屋が増築され、そこが長の屋敷として使われるようになったことだろうか。
 その屋敷へと戻ったクィエに、今はデューンが訪ねてきていた。
「クィエ様にはご健勝で何よりです」
「君こそ。変わりないようで何よりだ」
 何処か優雅に席を勧めるクィエ。現世代で最初のインセクテア冒険者となったクィエがランドアースに渡る時は、もっぱらマリンキングボスの転送を利用している。その折の話などを交えつつ、デューンは持ってきた贈り物を手渡す。
「お口にあいますかどうか」
「有り難う」
 微笑んで受け取るクィエ。それから程なく、先ほどやって来た団体のうちの……結構な人数が面会に訪れているという話が伝えられる。その耳に、遠くでミズチが「元気してるかー!」と叫ぶ声が聞こえれば……クィエは直ぐに浮んでくる様々な者達の変わらぬ姿を想像して、一人、吹き出していた。
「やあ、よく来てくれた」
 満面の笑みで出迎えに出れば、建物内に住んでいるインセクテア達に既に囲まれて色々と挨拶を交わしているのが見える。クィエもその中に紛れるようにして、見知った顔を順繰りに見回していく。ピヨピヨもそんな皆と一緒に再会を喜ぶ。
「クィエさん、インセクテアの人達も変わらず元気そうだね♪」
「こんなに一斉に揃うのは何念振りだろうか」
「四年振りでございますね」
 積もる話もあるにせよ、そろそろ昼時ということもあって折角だから一緒に食べながら話をしようと、皆は建物内の祭事場にも使われている何もない広い一角に集まる。
 その間に、初めましてな者達も順番にご挨拶。マサラもカレー色ヒトノソリンとして丁寧にご挨拶をしてから。
「カレー族のお菓子、よかったら食べて下さいなぁ〜ん」
「有り難う」
 手渡されたビスキュイから漂う香ばしい匂いに、柔らかく表情を緩めるクィエ。ちなみに、ロドリーゴも何だかんだで遠巻きに見るだけでなく、隣に座ってそれなりに親しげに談笑できる位にはお近づきになれたようである。
 シェルディンはお土産も兼ね、自身の領地で取れた果物や怪獣肉でつくったランチBOXを広げて見せる。
「そうだ、何か報告があるって」
「そうでしたね」
 艦内に居た時に先送りになっていた話題を振られ、それでは改めてと皆に向き直るシェルディン。
「実はまだ、旦那様には内緒ですが」
 そういって……シェルディンは我が身を何処か愛おしそうにそっと撫でて見せる。
「お腹に五人目が居るんです」
「すっげぇシェルディン姉!」
「おめでとうなぁ〜ん!」
「それはめでたい!」
「しかし、五人目か、凄いな」
「フフ、ありがとうございます」
 少し照れながらも、素直に賛辞を受けるシェルディン。
 食後のデザートには、シフィルが手土産にと持参したランドアース産の果物を皆で頬張りながら、またのんびりと談笑を続ける。
「来る途中、シフィルさんが凄く心配してたよ」
「まあ、ラウル様が近くに御住まいでございますから、大事は無い物とは存じておりましたが」
「はは、気にかけて貰えるのは嬉しいことだよ」
 それにしても……と、シェルディンは光を蓄えて輝く天幕を見上げる。
「どうかこの子もクィエさんの国も明るい未来が在る事願っています」
「有り難う。君自身にもね」
 世界は本当に明るくなった。
 煌く天幕と、その隙間から差し込む陽光の階段に、シェルディンは優しく眼を細める。
 ピヨピヨもそんな景色を順繰りに見回して、クィエへと視線を向ける。
「これから百年、千年かけて、どんな国にしていく?」
「ふふ、それは私一人では決められないな」
 百年、千年が過ぎれば、また新しい世代の新しいインセクテアが沢山生まれてくるだろう。そうした新しい世代がどんな風に国を作っていくのか……その時には、どんな国になっているのか。
「多くの人が住めるようになれば良いね」
「その頃には、私は見守る側に回っているだろうな」
 いずれは新たな長が治めることになるであろう国の未来を思い、クィエはそっと目を閉じる。
 天幕から差す光を見上げて、オレンジ色の尻尾をふりふりするヴィカル。
「これからもインセクテアさん達の文化と触れ合ってきたいなぁ〜ん♪」
「楽しいなぁ〜ん」
 メルルゥもカレー色になった尻尾を揺らし、インセクテアの皆と話しながら笑う。
 新しい仲間が増えるのも。
 知らないものや知らない人々と出会うのも。
 ワイルドファイアも、その雄大な大地を冒険することも。
 幾つになっても、その楽しさはずっとずっと、変わらないのだ。

 次第に日も傾く午後。
 陽の傾きに、街中に施された紋様はまた、別の表情を見せる。
 到着して直ぐに見たとはまた違った印象を抱きつつも……ゼナンはやはり、街中に幾つも施された幾何学模様を見るたび。
「……何だか紋章筆記を思い出すな」
 そうして街中に施された図画もさること。
 食器、日用品。そういった物にも、インセクテア達の芸術性が光る。
 セイレーンの持つ煌びやかさとはまた違った、素朴な外観を引き立てる細やかな紋様と装飾。お土産用の工芸品への彩色は、流石に色褪せないようにと何かの顔料を使って行っているようではあったが……色決めの際に彼らが一節一節指先で色を付けていくその様に、アレクサンドラはまた嬉々として職人らへと語りかけ、その度にまた彼の感情はこの上なく昂ってゆくのだった。
「『引っこ抜き』凄かったなぁ〜ん」
 凄かったー、と一緒になって興奮している子供達と一緒に、ニンフは今度は夫へのお土産を探して子供達と街中をうろうろ。
「うーん、どんなのがいいなぁ〜ん? やはり食べ物なぁ〜ん?」
 でも、国は違えどワイルドファイア。取れる食材そのものは、インセクテアの国だからといって特別珍しいものがあるわけでもない。いや、珍しいものはここに限らずワイルドファイア全土で今もなお日夜常に遭遇しうる、というべきだろうか。
 かといって、彩色技能は持って帰れないし……ここはやはり、名物の『引っこ抜き』で骨のなくなった魚をお土産にするべきだろうか。でも、生だと家まで持って帰るのはちょっと……。
 そんな事を考えていたら、突然何かを見つけて駆け出す子供達。
「ほーら遠く行っちゃだめなぁ〜ん!」
 慌てて追いかけ、はぐれないようにと手を繋ぐ。元気なのはいいが、元気過ぎるのも困りものだ。
 それにしても、何を見つけたのか……ふと、ニンフが視線をやると。
「これなぁ〜ん!」
 目の前の店の軒先に、引っこ抜き済みの魚の燻製がどどーんとぶら下がっていた。
 初めて見る文化は、新鮮な気持ちにさせてくれる。
 歳を重ねながらこういう体験をしていくのも楽しいものだと、ゼナンは行き交う人波の中で、穏やかに笑みを浮かべていた。
「一巡りも終わったし……久々に怪獣達とも遊んでこようかな」
 そう言って、川を跨いだ向こう岸を見つめるラトレイア。
 その足元。
「これで色んな場所に忍び込み放題ってわけでござ……ギャアアアぁ〜ん!」
 今までは目立つから避けられていたのが、上手い具合に目立たない場所に来た途端、通行人に踏まれまくるラスキュー。突然足元から聞こえる悲鳴に、通行人の側もどびっくりである。そして、そんな通行人が知り合い一行だったりもするわけで。
「助けて通りすがりのショットガン殿ー! なぁ〜ん!」
「……どっから声してんだなぁ〜ん?」
「ここでござギャァアアぁ〜ん!」
 この後救出されるまで、この遣り取りが五回ほど続いたそうである。
 さてはてしかし。
 このラスキューの行動、インセクテアのお子様方には存外に好評であったらしく。後に、彩色能力を利用したインセクテア式かくれんぼが地上国内で大流行、以後、子供のスタンダートな遊びとして定着することになるらしいのだが、ラスキューがそれを知るのはまだ先のお話。

 夕暮れ過ぎて、陽は落ち。
 夜の帳が下りた空に瞬く星……に、濛々と立ち昇っていく煙。
「沢山持ってきたからなー、遠慮せずにどんどん食うといいぞ」
 持参の食材を惜しげなく使い、集まってきたインセクテアも巻き込んで、てきぱきとバーベキューを振舞うナオ。酒もあるからなーと、成人連中にはそれはもう気前よく酌をして回ったりもする。
 リューシャもこんなこともあろうかと手土産のどぶろくを注いで回りつつ。
「……今回はライスワインはなしかなぁ〜ん?」
「……ああ、純米酒?」
 途端に、ふっ、と遠い目をするリューシャ。
「熱帯気候のせいでアレ全部米酢になr」
「……まぁ、調味料に使えるなら問題ねぇやなぁ〜ん」
 などといいつつ皆して眺める、夜の街並み。
 ぼんやり灯るランタン。その硝子にも様々な色付けがされて、街を照らす光もまた細やかで美しい色彩に彩られている。
 ナオのバーベキューを肴に飲んだくれながら、ぼんやりとみつめるリューシャの瞳に映る街並み。
「……ほんの手助け程度しかできなかったとはいえ、良い物ですねー……うん、何がと言う訳ではないですが」
「クィエさんも皆も、すっかり地上に馴染んだよねー」
 かつて護衛士団でやったことが、自分達にも、インセクテアの皆にもこうしていい影響をもたらした。そのことがユーティスにはとても嬉しい。そしてきっと、リューシャも今はそんな気持ちに違いない。
 穏やかに過ぎていく時間と、懐かしい仲間達。
 そして、いつまでも大好きな彼。
 サーリアは共に佇むその姿をうっとりと眺めて、呟く。
「このまったりな平和が、いつまでも続くことを願いますなぁ〜ん」
「続くさ。サリィが願うなら、いつまでもなぁ〜ん」
 隣り合う肩を抱き寄せると、葉巻野郎は今は御揃いのその髪をわしわしと撫で回して、にィと笑った。

 夜半を過ぎた頃。
 気紛れに夜食を頬張るランドキングボスの夜間運行に乗って、ユーティスは葉巻野郎をとある場所へと誘った。
 それはその昔の探索中にユーティスの見つけた……岩山の中にある、小劇場の舞台に似た地形。
「十年振りだねー」
「そだなぁ〜ん」
 ここはユーティスの見つけた場所だから、ユーティス以外とは来ない。
 かつて彼は、そう言った。
 ここに彼を誘ったのは……何がしたいと、そういう訳ではないのだけれど。
「……何だろね。想い出に浸ってみたかったとか?」
 出会ったのは……十年よりももう少しだけ前だったろうか。
 過ごす時間は長くもあり。過ぎてしまえば短くもある。
「――ああ、うん、誤魔化すのはやめよう」
 軽くかぶりを振って、「凄い照れてるんだ」とごちながら、にかむように笑ってユーティスは舞台へと上がる。自然と追って来る重い靴音。
「極く自然に、あなたのお嫁さんのひとりになれたこと。そこへ辿り着く切掛も過程も……多分全部成り行きで」
 それは果たして、最初に誰が言ったものか。
 運命の総ては偶然でなく、必然だと云う。
 けれども、それは。
「僕は、偶然だったものが必然に変わるってことだと思う。総ては自分の考え方と遣り方次第だってこと」
 そして、ユーティスは追いついてきた足音の主へと、くるりと身を翻して振り返る。
「どうかな、僕は、この必然を、うまく遣れた?」
「これが下手こいた結果な訳ねぇだろなぁ〜ん」
 ふにゃりと笑うユーティスの髪を、どこか蒼白く……ヒトノソリンにしては不健康な色の掌が、わしわしと撫で回す。一頻りに撫で回された後、ユーティスは更に一歩、歩みを寄せると、頭一つ分上にあるその表情を、覗き込むようにして見上げる。
「ねえ、あなたはちょっとだけ狡いと思うんだ」
「……なぁ〜ん」
「恋人でも夫婦でもさ。判ってたって、ちゃんと言葉にしないと、不安になるらしいよ」
 笑んでいるようで、けれども、瞬きをする瞳は真摯に。見上げる眼差しを、色眼鏡越しの灰色がじっと見下ろしている。
「サーリアさんにも、ウラさんにも、多分まだ一度も言ってないよね。僕だって、本当は滅茶苦茶恥ずかしいんだよ?」
 そこまで言って、ユーティスは緩く瞼を伏せて、ゆったりと深呼吸を一つした。
「ヴィンツェスタ、僕は。
 サーリアさんを、ウラさんを――あなたを、愛してるよ」
 微塵の揺らぎもなく。
 ただ一点、見上げた瞳を捉えて。
「……あなたは?」
 告げた後に、二度、三度。
 瞬く間の、僅かな沈黙。
 やがて、彼は――今の今まで、掛けっ放しだった色眼鏡をおもむろに外して、見上げる淡灰色の瞳を真っ向に見据えた。
「愛してる。ユティ」
 言い切って。
 堪えて。
 しかし。
「……なぁ〜ん」
 語尾は止まらなかった。
「なぁ〜ん……なぁ〜ん。なぁ〜ん!」
 やたらと連呼しながらくるりと背を向けると、外した色眼鏡を直ぐに掛け直し、そのまま葉巻を咥えて火を点ける。
「うあァ、ァんだコレ、やべぇ。恥っ。あァくそっ、ありえねぇ、っとにァんだこれ。なぁ〜ん」
「わー、珍しー」
 照れ隠しのようにバカスカ煙を噴いてる後ろ姿に、思わず噴き出すユーティス。そのまま後ろから駆け寄って腕を掴まえると自身の腕を絡めて、横から見上げるように顔を覗き込む。
「帰ったら、ちゃんとサーリアさんとウラさんにも言ってあげるんだよ?」
「わーってるよ……うぁああ、あと二回もやんのかコレ。はっずい。大抵のコトにァ動じねぇつもりだったのになぁ〜ん……」
「あははー、お嫁さんが多いと大変だよねー」
 からからと笑うユーティス。そうして、二人は腕を組んだまま、元来た道を引き返していくのだった。

 一夜明けて。
 やがて訪れる暫しの別れ。
「気が向いたらいつでも来てくれ。歓迎するよ」
 折角だからと、交易艦の発着場まで見送りに出てきたクィエは、一人一人と握手を交わす。
 そんな中、マサラは別れ際に真っ赤な……バンダナを手渡して、
「これを振って見送って欲しいのなぁ〜ん」
「判った。艦が見え無くなるまで振ろう」
 そして飛び立つ、コルドフリード艦。
 その窓から眼下を見遣れば、クィエの振る赤いバンダナがはっきりと見える。
 瞬間、マサラはなにやら感涙していたそうであるが、一体どういう理由で感極まったのかは、今以て謎のままである。

●水渡る森の百年目
 テラフォーミングの完了したフラウウインド。
 百年の時を経て再び踏み入れることになったこの大陸の、とある森。
 樹上からの眺めは、何の変哲も無い森に見えるというのに。一歩足を踏み入れれば、そこが満々と湛えられた水の上であると知る。
 ――話を聞いて、『彼』は直ぐにその探検への参加を決めた。
 十八になった歳に『生命の書』を使い、それから数十年。冒険者として、翔剣士として過ごしてきた。
 物心付いたときには、既にフラウウインドはテラフォーミングの最中。それ以前のことも、文献や、先輩冒険者の口伝でしか知らない。勿論、来るのは初めて。
 未開の地として再生を果たしたフラウウインド。誰も視たことの無い物が多そうで、とても楽しみだ。
 けれど、それ以上に。
 青年の心を躍らせたのは……そこで葉巻を吹かしている、ヒトノソリンの霊査士。
 『彼』――青年の父は、綺羅蟠る帷・イドゥナ(a14926)。
 そこに居る葉巻の霊査士は、父の義父。
 青年にとっての、義祖父なのだ。
 実に久方振りになる孫の来訪に、とても嬉しそうに笑っている義祖父。そんな姿に、興味津々でやって来たのは、青い髪をした白い耳と尻尾のヒトノソリン兄妹。
「伝説のヒトノソ霊査士なぁ〜ん」
「凄いなぁ〜んまっちょなぁ〜ん」
「宜しくお願いするなぁ〜ん」
 騒ぎつつもぺこりとお辞儀するその歳は十代半ば。もし、二人の祖先を知る者が居れば……その面影から、この双子・カイとシイが、シナト・ジオ(a25821)の子孫であることに気付くかも知れない。
「お兄さんも宜しくなぁ〜ん」
「探検頑張ろうなぁ〜ん」
「ああ、宜しく」
 物怖じせず、同行の皆にも挨拶して回る二人。人見知りもせずお気楽でフリーダムな様は、まさにジオそっくり。違いがあると言えば、ジオと違ってデストロイとか言わない所だろうか。
 そこに、話を聞きつけたらしい、チキンレッグの少女が極自然な挙動で話の輪に入ってきた。
「探検? 面白そうだね、ボクも行くよ」
 歳は十七。ラニーのひ孫に当たるこの娘は、名をステラという。既に行く気十分、旅支度も万全のいでたちだ。そんなステラは水に浮ぶ森の話を聞くなり。
「あ、船なら爺さんに頼めば借りられるよ」
 曰く、彼女の祖父は十人程度が乗れる木造船ならは数隻は提供できるとかなんとか。
「あー、でもよ。ンなでけぇ船、一片に持ち込めっかなぁ〜ん?」
「そういえはそうか」
 それに、細かい場所を探検する場合は、小回りの利く小さな船や筏の方がいいかも知れない。となると、大きいのは母船扱いにして、小さいのを引率したりするのに使うのはどうだろうか……あーでもない、こーでもない。
 そこに話は聴かせてもらったぜ! とばかりにやってくる二人組。
「よぅショットガン! 一緒に冒険行こう、獲物ハどこだ!?」
「を、ァんだ、ズィヴェンじゃねぇか。貴様家業専念してたんじゃねぇのかなぁ〜ん?」
「ン十年も俺が大人しく鍛冶屋やってると思ってんのかアァ!?」
 流石に三桁単位で家業専念は、色々辛抱堪らんかったようである。
 そんな次第で、息子ができた頃には既に不老不死になっていたらしいズィヴェンは、相棒ことナディアと二人、共に昔と変わらぬ姿で百年振りにひょっこり現れたわけである。なお、家業は今度は息子と嫁さんが専念中らしい。
「あー、ちなみに、獲物つーほど骨の在る相手は居ねぇと思うぜなぁ〜ん。今回は地図作ンのメインだかンなぁ〜ん」
「何タダの地図作り?」
「コルドフリードでは地図作ったって聞いてたが、フラウウインドがまだってのは意外だぜなぁ〜ん」
 むしろ既にあったんじゃなかったっけか。そんなことをごちて色々と考えを巡らせるナディア。恐らくは『テラフォーミング』とかいうもののせいなのだろうが……ナディアにはそれが何のことだか今一よく解らない様子だ。なんにせよ、冒険に出られるなら今はそれでいい。ズィヴェンはどこか待ちきれない様子で。
「……まァいいや今回も楽しまセテくレよ、勿論相棒も一緒にな?」
「をう、ま、宜しくたのまァなぁ〜ん」
 そんな中、
「お?」
 霊査士の姿を見ても最初は少々訝しげにしていたのはハルト。
「ショットガンさん久しぶり……ええと、団長だよな?」
「をう……ってか貴様ハルトかなぁ〜ん!?」
 百年振りに見たその姿は……なにやら筋肉十割増しで、既に体の輪郭は昔の面影すらなくなっていたり。声を聞いて、顔を確かめて、やっとハルトだと判る有様である。
「俺ァ貴様ほど変わってねぇはずだがなぁ〜ん……」
「いやいや、永遠の命なんか願う口じゃないと思ってたからな」
 結果的に。子や孫やその子供らの成長を見ていると、ずっと見守って居たい気分になったら、うっかりそのまま歳を取らなくなっていたというのが真相ではあるが……そこはやはりヒトノソリン。それはそれでいいやと深くは考えていない。
 そんなうっかりさんに、シフィルもまたひょっこりと顔を出し。
「ショットガン様、お久しゅうございます。所で、今はどちらの奥様の方にいらっしゃいますの?」
 行く先々に妻が居て、本当に罪なお方でございます。なんていうシフィルの言葉にも、霊査士の反応はどこか歯切れが悪い。そんな様子にハルトは。
「ん〜、ま〜、そうだな、ようこそ置いていかれる側へってとこか」
「……まァなぁ〜ん」
 その視線は、傍らに居るミカモを見遣る。十七歳ほどの頃になってから『生命の書』を使い、それ以来十七歳のまま在り続けるミカモ。その容姿はウラにそっくりで……いうなれば、ウラにヒトノソリンの耳と尻尾が生えた状態といってもいい。そして、母であるウラはとっくに天寿を全うし……見事に置いていかれる側になっている訳である。
「よっし! 折角だ最近の俺の得意技を見せてやろう」
 言うや、ハルトはそこいらの木を……むしろそっちの方が丸太ではないのかと思うほどの立派な両腕で抱え込むと、なんとそのまま鯖折りで丸太と筏を作り始めたではないか!
「凄いなぁ〜ん!」
「むきむきなぁ〜ん!」
 これには双子も大興奮である。

 かくして、無事に用意された船と筏を使い、漕ぎ出す水上の森林。
「なぁ〜ん。ななぁ〜ん♪」
「御機嫌だね、お祖父様」
「孫と娘がそろってりゃァ、機嫌も良くならァなぁ〜ん」
 乗り込んだ筏、緩やかな流れに逆らうように櫂を漕ぐと、のんびりと移ろう景色。うねうねと動く黒く太い尻尾に、青年は……子供の頃――歳月で考えれば、本当に百年近くも前に、遊んで貰ったおぼろげな記憶を思い出す。あの頃から、逢う機会はそんなに無かったと思う。それだけに、こうして一緒に冒険できるのは自身が成長した証だと、今なら胸を張ったっていいはずだ。
「安全て言うけど何があるか分からんのが冒険とゆーものじゃなぁ〜ん」
 一見きりりとして周囲を見回すミカモ。そんな髪をくしゃくしゃと撫で回して。
「ま、何かあった時ァ頼むかンな、頼りにしてるぜなぁ〜ん」
「任せて」
 背中に乗せて貰うことはもうできないだろうけれど。今度は自分がこの祖父の背中を護っていくのだ。気侭に葉巻を吹かしている祖父の姿を捉える青年の瞳には、活力と意思に溢れた光が宿っていた。ミカモも当然じゃと言わんばかりにどこか誇らしげに胸を張り。
「ヴィンとーちゃんの安全はわしが守るのじゃなぁ〜ん」
 一方で、隣り合う筏からも……黒い耳と尻尾を持ったヒトノソリンの少年が、そんな霊査士に声を掛ける。
「超祖父ちゃん実は普段暇してたりするなぁ〜ん?」
「……割となぁ〜ん」
「一人で出かけられないのは大変なぁ〜ん」
 茶色い髪を揺らして笑うその少年は、サロマ。サーリアの子孫であり……いうなれば、この霊査士の子孫でもある。そこに一緒にいる青年やミカモとも、家系上は霊査士を起点にして親戚だ。
 そんな風に、ぷかぷかと浮ぶ……何艘かの小舟と筏。
 持ち込んだウレタンや、この森で採取した浮かぶ木を組んで作ったそれらに分乗して、一行は穏やかに流れる水面を進んでいた。ちなみに、母船扱いの十人乗りの木造船は、少し離れたところに碇を下ろして荷物を積んで待機中だ。
 ヴィカルは一人でも動かせるようにと小回りの効く皆よりも一回りほど小さな筏に乗り込んで、うきうき尻尾を揺らしながら川面を進む。
「筏で森探索、浪漫なぁ〜ん!!」
「冒険、冒険なぁ〜ん♪」
 尻尾の先でぴったんぴたんと、リズミカルに水面を叩くニンフ。機嫌良さそうに船縁に腰掛けると、両脚を放り出して川に浸けて、尻尾と一緒に揺らしてぱしゃぱしゃ。
「ひんやりなぁ〜ん♪」
 そのまま、櫂の代わりにばた足して船を進めてみたりもしつつ、波打つ水面に揺られて寄って来た魚をじっと覗き込んでみたり。肉食の魚……は、居るには居るが、それでも小魚を食べるのが精々のようで、むき出しの足を浸していても安心だ。
「わぁー……見た事もないものがいっぱい……」
 落ちないギリギリにまで身を乗り出し、浮ぶ木々や、流れに揺らめくその光景に心躍らせるステラ。
 カイとシイも忙しなく見回したり、真下に見える澄んだ水面を仲良く覗き込んでは。
「魚はカラフルじゃないなぁ〜ん」
「カラフルなのは鳥だけなぁ〜ん? ……なぁ〜ん!」
 その瞬間、手に何かつるりと滑るものを挟み込む。
 そしてそのまま、じゃぽーんと筏の縁から滑り落たシイの居た場所には……何故かバナナの皮が!
 ……犯人は想像に難くない。
 皆が一斉に心当たりを思い浮かべ振り向いたとき。
「それ逃げろー!」
 小さな一人乗りの筏を必死に漕ぎながら遠ざかっていくロアの姿が、確かにそこにあった。
 しかしながら。
「大丈夫なぁ〜ん?」
「冷たくて気持ちいいなぁ〜ん」
 しかしそこはお気楽兄妹。大したこともない風に返しては、すいすいと水を泳ぎ……実に楽しそうである。存外に喜ばれてしまったことに、ターゲット設定を間違ったかなぁなんて、遠くの木の陰から様子を窺いつつ指を鳴らすロア。
 そんな中、ツァドはレストアしたという背負子と潜水服を担ぎ……一人だけ別の通常サイズの筏に乗っているのは、やはり重いからであろうか。
 打って変わって、二人で一つの筏に乗り込んで進むナディアとズィヴェンは、何か動くものがあるたびに……たぶん、『狩る』ことが癖になっているのだろうが、直ぐに臨戦態勢を取ってしまう。その度に、ただの揺れであったり、大したことのない鳥であったりして、その度に安堵したようなつまらないような、なんともいえない表情で弓を下ろすズィヴェン。
「昔はスゲェ大冒険しタナ……」
 もっとも、百年前を思えば、それはそれで無理はない。当時のフラウウインドは出会う生き物の殆どが数人掛かりでも倒せるや倒せないやという強力なものばかりで、しかもそんな奴ばかりが普通に生態系を作って暮らしていたのだから。
「そういや、最初に来たときのアレ……なんつったかなぁん」
「アァ、あのトンボ。まだイっカナ」
「そう……でぃーなんとか、キリトンボ! いんのかなぁん?」
 懐かしい話にちょっぴり胸を躍らせてみるも、残念ながらその手の危ない奴らはテラフォーミングのあおりを受けて軒並み姿を消している。しかし、そんなものは今は些細な問題だ。
「まぁ見た限り面影なんてネェが、ソレデ結構」
 ここが未開地だというだけで、冒険するには十分な舞台なのだから。そして、そんな先達の話に、カイとシイはとても興味深そうに聞き入っていた。
 なんにせよ、密林の啓開ならば、昔とった杵柄。あの草の逞しさに比べればまだ、汲みし易かろうと、シフィルものんびり櫂を漕ぐ。勿論、油断して明後日の方向に行かないように、太陽の位置とランドマークを逐一確認することは忘れない。
 探検ならばお供しましょうと同行したイズミも、密林じみた様相に何かしらデジャヴュのようなものを感じている。相変わらずメイドガイをやっているその姿は、百年前と比べると……一つ歳を取ったか取らないか、といったところだろうか。
 しかしそれより。テラフォーミングの終了したフラウウインドの表現である、『自然と文明が適度に織り成す島』という文言そのものが……。
「まるでスケールの小さいワイルドファイアみたいですね」
 既視感の原因は、そのあたりのような気がしないでもない。
 そんな中、ご機嫌で細い分かれ道ならぬ川又を見つけて、その先へと単独航行していくヴィカル。
「あ、あっちから果物の良い匂いなぁ〜ん……」
 俄に鼻先に香る匂いに、櫂を漕ぐ手にも一層力が篭る。
 守るなぁ〜んと言った割には、ミカモも。
「むっ、これはなんじゃろなぁ〜ん?」
 興味が湧いたものに寄せられてあちらへふらふら、こちらへふらふら。ヴィカルと違ってどんなに遠くても見える範囲内にいるのは、やはり一応とーちゃんを守ることにも気を配っているからだろうか。
 ラウネンも浮いて揺れている木を見つけてはそれに飛び乗って、その上に登っては、飛び跳ねてみたり、わざと揺すってみたり。その度に足場である木は上下に大きく、しかし緩やかに浮き沈みした。
「水上の森って面白いね♪」
 時には足元がぐっしょり濡れるほど沈むこともあるが、暫くすると木はまたもとの高さにまで浮かび上がって、何事もなかったかのようにぷかぷかと浮ぶのだ。

 思ったよりも、のどかな雰囲気。
 未知の世界……というと、危険な生き物や困難な地形、そういったものが連想されるし、むしろだからこそ未踏の地である場合が殆どだ。ところが初めて訪れたこの土地は、凄くのどかで平和な雰囲気を醸し出している。霊査士である祖父が同行しようと言うのだから、危険はまずないのだろうと判ってはいたものの、いざ来てみると想像以上の穏やかさで、青年はそのことに逆に驚きを隠せない様子だ。
 それでも、次々視界に飛び込んでくる見慣れない樹木には段々と興味が湧いて来る。
「あれは……果実かな」
 見上げた先に青く丸いものを認め、手を止める。そんな孫の様子に、祖父もどれどれと色眼鏡越しに眼を凝らす。サロマも同じ物を確認すると、いそいそと筏をその木に寄せて手早く縄を掛け。
「ちょっと取ってくるなぁ〜ん」
 ひょいと軽やかに木へと飛び移り、そのままするすると登っていく。身の軽さは流石武道家といったところか。腰には先祖伝来だという蛮刀『流れ星斬り』を携えているものの、上手く扱えない為、もっぱらお守り代わりらしい。手伝うなぁ〜ん、と後に付いて一緒に木に登っていくカイ。
 程なくして沢山青実を取って戻ってくるサロマ。一方、カイは上った先の高い木の上から見た景色が気に入ったらしく、暫く降りてこなかったり。
 その間に、サロマは取ってきた実を一つずつ皆に手渡す。
 受け取った実をまじまじと、それはもう黒い瞳で興味深く見つめているのは、チキンレッグの少女・ダンテ。灰色の羽毛と鶏冠をした彼女は、ルーンの子孫に当たる。そんな先祖の為に彼女が挑んでいるのは、『生命の書の味の再現』。『生命の書』そのものを使わずに、その味を再現すること……究極の命題とも言えるこの課題に挑む為、ダンテは未踏の地であるフラウウインドの食材にヒントを求め、こうして皆と一緒にやって来たというわけだ。
 一方で。
 繰り出して早々、船酔いを患い、横になったまま何も出来ずに居るのはシュゼット。色白の肌も今はどこか蒼褪めて、空色の瞳にも生気がない。しかし、何よりも目を惹くのは……背に負う蜜蜂に似た薄翅。そう、彼女はインセクテア。ラトレイアの子孫に当たり、『生命の書』を使ったその姿は十代前半のまま衰えることはない。ラトレイアを知るものであれば、首に嵌めた鈴付きの首輪に何かしら印象を重ねるかも知れない。
 本来は真白な髪も今日は自身の能力で温かな蜂蜜色……なんて言っている間もなく。今は本当に船酔いが酷くて何もできないでいる。
「空にも着色出来れば面白いのですが」
 そんなことをごちながら、仰向けに寝転がって飛び交う鳥の陰を指でなぞり、退屈を紛らわせるのが精々である。
 その頃。
 匂いに誘われるまま川を進んでいたヴィカルは。ヴィカルは……。
「……あれ、なぁ〜ん?」
 匂いを嗅ごうと嗅覚に集中していた意識が突然引き戻されて、前方を見据える。その瞬間、数々の冒険と戦いを潜り抜けてきた勘が冴え渡る。これ以上進むと危ない!
 急いで櫂を掴み、流れに逆らいながら、手近な岸辺へ向けて漕ぎ出す。じきに筏はぷかりと浮ぶ木の側へと辿り着き、ヴィカルはそこでようやく、流れる川の先を見遣った。
「このまま行ったら細い流れで木々の間に嵌まる所だったなぁ〜ん……!」
 急激に狭くなる水路。立ち居並ぶ木々の間隔は十分過ぎるほどに開いているのに、それらの張り巡らせた木の根が、これでもかと言わんばかりに行く先を狭めているのが判った。うっかり挟まったら筏ごと抜けなくなってしまうところだ。
「びっくり罠なこの道は、食欲注意水路として地図に印を書いとくなぁ〜ん」
 そうしてヴィカルが書き込んだのは……『果物』の印。
 ………。
「……この印じゃ余計罠かなぁ〜ん?」
 サロマやカイ、シイが引っ掛かるのは何と無くわからなくもないが……うっかりまかり間違うと、ダンテ辺りが食材と間違えて引っかかってしまいそうな気がしないでもない。

「どうやって根付くんだろう」
 水に浮んだ状から根が出て葉が出るのか……それとも、水底に落ちてそこで芽吹くのか。
 同じ樹木を探して、成長途中の物を見つけられれば、その過程を知ることができるに違いないと、青年は櫂を漕ぐ傍ら時折水面を覗き込む。
 そんな水面が突然、飛沫を上げて揺れる!
 途端に、ぐらぐらと揺れる船。霊査士が気絶していないので敵襲ではないことには安堵しつつ……一体何事かと飛沫の上がった場所を見遣れば。
「面白いなぁ〜ん」
「楽しいなぁ〜ん」
 ……どうやら、カイとシイが木の上から飛び込んだらしい。
 そしてこの後、飛び込み遊びが気に入ってことあるごとにこうして水面が派手に波打つことになるのだが、その度にシュゼットの船酔いが悪化していったことは言うまでもない。
 一方、ツァドも一つ離れて木に囲まれている大きな泉を見つけ、筏を降りて様子を見に行く。
 そーっと覗き込むと……。
 ……何がどうなっているのか。
 覗きこんでいるはずの自分の顔が、何故か横向きに映っているではないか!
「……なんてそんな訳ありませんね」
 よくよく見てみれば、そこに居たのは大きな……およそ人間大のオオサンショウウオ。どうやら、木の根で隔離されて出来上がったこの離れ泉の主であるようだ。
 その頃、ナディアとズィヴェンを乗せた筏は……ツァドが見たとはまた違う大きな池のような場所に辿り着く。真白な紙に書き込んで、段々と出来上がっていく地図。ナディアはその些細な行為に未開地を開拓しているんだという実感がより強く感じられて、なんだか嬉しくなってくる。
 ……と、そんな足元。
 筏の下の水面下に何かを感じ、不意に真剣な表情になる二人。
「イル、な」
「ああ、居るなぁ〜ん」
 確実に居る『大物』の気配に二人の顔に段々にやりとした表情が浮ぶ。
「用意はイイカ、相棒?」
「無論! ジーベ、いこうぜなぁ〜ん♪」
 取っ掛かりにと、拾った小石を水面へ投げ込むナディア。
 すると、それを餌だと勘違いしたのか……勢いよく飛び上がる巨大なフナ!
 みた所、特別な力は持って居なさそうだし、あのトンボほどの激戦になることもあるまい。けれど、こいつを仕留めれば美味い昼飯にはありつける。
 思う様に弓を引き絞り、跳ね上がって空中を舞うフナに狙いを定めるズィヴェン。
 未開拓地最高、冒険最強。
「俺が全部狩り尽くしてヤルよ!」
 放たれる矢と、派手に舞い上がる水飛沫。
 ぐらぐらと揺れる筏の上、追撃の構えを取りながらナディアはしみじみと。
「しかし俺ら何年経っても変わりねぇなぁん……」
 けれども、今はそれが、とても楽しい。
 そんな具合に、若干二名が大物相手に大暴れしている頃。割と平穏に川を行く皆の荷物袋は、あちらこちらで採取した色取り取りの実で一杯に。
 折角手にした実ならば、味を確かめてみたいとは思うものの……安易に知らないものを食べるのは危険かと、青年は口にするのは止めて袋を大切に仕舞っておく。
 一方で。
「頂きますなぁ〜ん!」
 サロマ始め、容赦なく食べてるヒトノソリンズ。
 食べても無害、としっかり記録をとりながら、ダンテは実だけでなく実を付ける木のほうにも着目し、調理に使えないものかと幾らかを採取。ニンフもわくわくと見つけてきた植物のうち、食べられそうなものを口に放り込んでは、甘い酸っぱい苦いと楽しげに感想を述べている。
「あー、レインボースイカ発見、懐かしいなぁ〜ん♪」
 テラフォーミングを終えても、無害な動植物のいくつかは面影を残し今もなお息づいているようだ。
「ショットガンさんもロシアンスイカしようかなぁ〜ん?」
「……外れはどんな味なんだぜなぁ〜ん」
 ニンフの差し出した一切れを受け取り、なにかを彷彿として暫し思案を巡らせる霊査士。
 と、不意に。
 かさかさと木の葉の揺れる音。
 咄嗟に、この探検のために久々に持ち出してきた得物のチェーンソー――という名の、鋸刃状の儀礼用長剣――を構えるイズミ。
「……あ、一応護身用ですよ?」
「判っちゃ居るが、なんつか、相変わらず凄ぇ絵面だぜなぁ〜ん……」
 警戒はともかく、改めて音のした方を見遣れば、そこには原色を切り取って身に纏ったかのような鮮やかな色彩の鳥の姿。羽休めにか枝に止まった鳥は、時折嘴で羽繕いをしながら、筏と船で流れていく一行を一応は警戒するような視線で遠巻きに眺めている。
 青年はそんな鳥達を見つける度、所在を書き記そうと段々と出来上がりつつある地図を広げる。しかし、このまま書き足していくと何がなんだかわからなくなってしまうかも……そんな思いが脳裏を過ぎり、考え込むようにして手を止める。
「……別の紙に書いた方がいいのかな?」
「鳥さん地図とお魚地図で別けるのはどうかなぁ〜ん」
「そうだね、そうしようか」
 折角の綺麗な鳥達。その色や姿、仕草などの細かい様子も、観察して判る限り記録していく青年。まだ逃げないでくれよと内心で祈りながら、ステラもスケッチブックに鳥の姿を描きだし、見た通りに色を付けていく。
「凄いなぁ〜ん、上手なぁ〜ん」
 鳥の姿が気に入ったらしいシイは、青年やステラの描き出した絵を見てなんだか御機嫌だ。祖父もそんな手元を覗き込み。
「を、ホントだな、上手ぇなぁ〜ん」
「ま、趣味だからね」
「お祖父様は、絵を描いたりしないの?」
「あー……そいやあんまやったことねぇな。まァ、アレだ、上手いか下手かっつわれると……下手な方じゃねぇかなぁ〜ん」
 そうこうしているうちに……突然、動き出す鳥。
 鳥は何かを見ながら色鮮やかな翼を広げ、遠く離れた皆の元に届くほどの大きな羽音を立てて踊り始めた。
 求愛行動に違いない! 思い、皆が周囲を見回すと、また少し離れた別の木の梢に、雌らしい少し地味な色合いの鳥の姿が。
 一生懸命に踊る鳥。ステラはその一挙一動を目に焼き付けるようにして、スケッチブックの中に次々と躍動感溢れる鳥の姿を描き出していく。そして、そんな翼の動きを筏の上で大袈裟にならない程度に真似るのはラウネン。
「さすがに横でぼくが踊ったら妨害になっちゃうかな♪」
「あっ、振られたなぁ〜ん!」
 やがて雌がどこかへ飛んでいってしまうと、踊っていた雄はちょっぴり残念そうに首を項垂れて、何と無くやけくそ気味に羽繕いをやり直し始めるのだった。

「この魚、生でも行けるかなぁ〜ん?」
 採れたてぴちぴち、二人掛かりでしとめたという巨大な戦利品を前に、食べる気満々のサロマ。
「流石に最初は火を通した方が……」
「御飯なら手伝うなぁ〜ん」
「お腹すいたし丁度いいなぁ〜ん」
 そんな双子の声もあり、昼食タイムに突入する一行。
 食事となればダンテの出番。入手したての実や木を早速調理して、どんな味になるのかと試食してみたり。勿論、試作品でなく、ちゃんと食べられるものも拵える。
 水辺が多いだけあって、昼食のメニューは魚中心。勿論、ナディアとズィヴェンの仕留めてきた巨大なフナはメインディッシュとしてみなの胃袋に納まることになる。
 ちなみに調理中は調理中でまた大騒ぎだったりした。
「まさかここで『引っこ抜き』をみられるとは思いませんでした」
 とは、当のインセクテアであるシュゼットの弁。
 そんな皆が今居るのは、木々の根が折り重なり、しっかりと根付いた一角。水に浮かんで気侭に揺れるこの森の中では、そういった『動かない』場所は船酔いに苦しむシュゼットにはかなり在り難い。
 そこそこの広さのある足場を見つけると、皆はこぞって筏と船を寄せて上陸。複雑に入り組んだ根は籠のようにしなやかに体重を受け止め、一歩一歩踏み出す足を軽やかに押し返すのがなんだか楽しい。
 筏の上では無理だが、こうして広い足場があれば、皆して額を寄せ合うことも出来る。母船に戻れない細い川の先などでは貴重な作戦会議場だ。
 食事を終えると皆は、それぞれがそれぞれに……書き留めたり描いたりした地図や覚書きを見せ合って、相違点や気になったところを補完しあったり、別の紙に新しく書き直したり。そうしていくうちに、地図はより細やかに、完成度を高めていく。
「楽しい地図になってきたね」
「来た事ない人もこれを見れば『行ってみたい』と思うこと間違いなしだね」
 そんな相談の合間、シルミールは丁度良い足場と川の浅瀬で水浴び中。
 零れる木漏れ日、穏やかな鳥の鳴き声。
 時には、足元を泳ぐ魚を捕まえ……て?
 瞬間、目の前に巨大なものが浮かび上がってくる!
 魚ではなく、人型をした……尻尾がある。あれ、ちょっとまって、あの形ってさっきどこかで見……。
「きゃー!?」
「いえ決して覗きをするつもりではなかっごふぅっ」
 浮ぶ木の下を潜水服で通過、浮上した先でよもやうら若き乙女の水浴びの真っ最中だとは露知らず。悲鳴と共にシルミールに突き刺されたナパームアローの炸裂に、驚いて飛び去る鳥達、破れる潜水服、入り込む水、再び沈んでいくツァド。
 なお、場所が浅瀬であった為、ツァドが溺れることはなかったが……無関係な筈の霊査士が余波で気絶、一家が一時てんやわんやになったそうである。

 出来上がっていく地図。
 白紙だったその中に自らの手で見たものを書き記しながら、ステラはふと。
「ねぇ、ここの名前……『翠水の森』なんてどうだろう」
 するとシルミールは筏の下にこれでもかと山ほど泳いでる魚を見つめ。
「じゃぁこの川は……お魚いっぱいいるし、大漁川!」
「私が見つけた泉は『オオヌシの泉』とでもつけましょうか」
 地形全体の地名もさること、部分部分の名称も新しくできた地図に続々と書き込んで行く。
 しかしやはり、一番決めておきたいのはこの辺り一帯の名前だ。
「名前なぁ〜ん?」
「ぷかぷか浮いて集まってるからから『ぷか森』とかなぁ〜ん?」
 互い違いに首をかしげてそんな事を言う、カイ・シイ兄妹。ラウネンはぼくも似たような名前を考えたよといいつつも。
「全体的にぷかぷかしてるわけじゃないからあれかなぁ」
「『水上森林』はどうなぁ〜ん?」
 しかしやはり、水と森のイメージは切って離せるものでもなく。ニンフの挙げたその名前もやはり森と水を連想する。
 あーでもない、こーでもない。
「ンじゃァあれだ、全部混ぜっちまって『翠水上ぷかぷか森林』とかどーよなぁ〜ん」
 その遣り取りに、ズィヴェンとナディアは思わず噴き出す。
「ヤベ、キリトンボ思い出シタ」
 DJ-FST・キリトンボ。かつてのこの大陸に居た……混ぜたら名前の長くなった困った奴である。

 帰省したら玄孫達にお土産話を話そう。
 ロシアンスイカしながら、ニンフは眩く太陽煌く青空を見上げる。
 うんと背伸びをして息を吸い込むと、清涼な空気が身体を満たしてくれるようで、とても気持ちがいい。それはきっと、この澄んだ水と、それらを生み出す木々と山々のお陰に違いない。
 他にはどんな所があるんだろう。
 ふと頭上に落ちる木漏れ日に、少し眩しそうに瞳を顰めて。けれども、そんな青年の表情はとても楽しげに見える。もっと見たい。ずっと見ていきたい。自然と湧き上がってくる想い。
「お祖父様はワイルドファイア生活が長いし、他の土地ももっと知ってるんだよね」
「まァな。っても、あんま危ねぇトコ行くと気絶しちまうかンな、又聞きが殆どだったりするんだがなぁ〜ん」
「それでも、お祖父様の知っていることは、僕がまだ知らないことばかりだよね」
 時間が許す限り、祖父の話を聞いていたい。沢山、沢山。
 そんな孫の髪をくしゃくしゃと撫でて、祖父は彼の記憶の中に在ると同じ――幼い頃に見たと同じあの表情で、にぃと笑みを浮かべていた。

●千年の旅人
「クィエさん、おひさ〜♪」
 明るく響く声に振り向くと、そこには……今も尚変わらぬ、悪戯者の笑顔。
「おや、珍しい」
「そっちこそ。こんな場所で会うなんて思わなかったよ」
 よもや二人してワイルドファイアを離れていようとは。街道での思わぬ出会いに、しかしやはり相手が悪戯好きのロアとあって、クィエは時々、バナナの皮がおちていたりしないか足元を見回している。そんな様子を可笑しそうに見つめるロア。
「地上国に遊びに行ってもクィエさんがいないとちょっと物足りない感じなんだよねぇ……」
「おやおや。嬉しいことを言ってくれるね」
 もっとも、彼の言う『遊び』は『悪戯』のことなので、手放しに喜んでいいのか否かは少々迷う所だ。まぁ、慣れてしまえば、またかで済むような些細な悪戯ではあるのだけれど。
 それよりも、と。今は何をしているのかと訪ねて返って来た答えに、ロアはふむふむと頷く。
「へぇ〜、そういう話ならボクも一緒に居ていい?」
「構わないが……バナナは勘弁してくれよ?」
「あはは、わかってるって」
 何より、懐かしい話が聞けそうだしと笑い、歩き出すロア。
 こうして暫くの間、二人は一緒に世界を巡る旅をすることになった。
 そんな二人旅に更に道連れが加わったのは、それから程なくしてのこと。グランスティードに跨って街道を行くチキンレッグの男性に声を掛けられたのが、最初の切っ掛けだ。
「お、あなたはもしや、インセクテアの女王であられたクィエ様ですかな?」
「ああ。君、は……」
 暫し記憶を手繰り……僅かに引っ掛かる要素はあるが、クィエは目の前の男性が誰であるのかに心当たりを掴むことができない。なにしろ、チキンレッグの知り合いはそう多くはない。親しい仲ならばすぐにでも判るはずなのだが……。
「すまない、どこでお会いしたのだろうか」
「いえ、ご先祖からの言い伝えで聞いたお姿でしたので」
 そこでようやく、クィエは成程と頷く。
「お名前を聞かせて貰えるかい」
「ロドリーゴと申します。歳は三十五、重騎士をしておりますぞ」
「そうか、彼の!」
 瞬間、甦ってくる記憶に、思わず明るい表情で手を打つクィエ。ロドリーゴ本人も、随分昔のご先祖と同じ名前で、由緒ある名前らしいとそんな風に溢す。
「ここでお会いしたのも何かの縁。あなたが旅に向かわれるのなら、その護衛を買って出ましょう」
「いいのかい?」
「何、あなたのような貴人の護衛をしたとなれば、私の経歴に箔が付きますから、願ったり叶ったりですぞ」
 ではお言葉に甘えようかな。そんなクィエの笑顔に頷き、三人になった旅人達は、また旅路へと繰り出していく。
 ……そして、それが四人になるのもまた、割と近い未来のこと。

『拝啓、天国にいる両親へ。
 九年後に起きようと思ったら、頼み間違えて九百年後に起きました。
 色々と変わって驚きましたが、とりあえずそこら辺を歩いてきます』

「……てのがあってから、七十年かな?」
「それはまた……随分と長く読み間違えたものだ」
 アフタッド・ロランと名乗ったその二十歳の青年は、何処かあっけらかんとした様子でそう告げる。そんなこともあるのか……と、若干驚愕にも似た表情を浮かべているクィエに、けれども、アフタッドは特に動じるでもなく、のんびりと歩き出す。
 揺れる髪はドリアッドのそれではあるが……顔の印象に何処か覚えがあるのは、彼がシェルディンの三男であるからだろう。やはり親子、シェルディンを見知ったものには直ぐにその面影を見ることができる。
 そんなアフタッドは、『そこら辺』の散策中に出会ったクィエらに付いて、そのまま『そこら辺』を巡っている所だ。特にあてがあるわけでもないので、アフタッドの行く所はどこでも『そこら辺』である。
 そうこうしているうちに辿り着く砂漠。そこが故郷であるというデューンに出迎えられ、砂色の中に佇む街並みをゆるりと歩き巡る。
 時折吹く乾いた風に鮮やかな髪を揺らし、日傘で作った影の下に凛と在るクィエに、デューンもまたゆったりと視線を巡らせる。
「オアシスと違い砂漠は砂色のみですが、貴女なら此処に何の色彩を描かれますか?」
「さて、何を描こうかな」
 そっと伸ばした指先で砂の輪郭をなぞりながら、クィエは緩慢に瞳を瞬いた。そして、そんな姿を記念にと、アフタッドは開いたスケッチブックの中に、描き収めるのだった。

 光を蓄える翅。
 ふわふわの襟飾り。
 そんな後ろ姿を認めて、ガマレイは足早にその背に歩み寄る。
「クィエさん久しぶり♪」
「ん、ああ!」
 久方振りに、けれども少しも変わらぬその姿に、クィエはとても嬉しそうに微笑む。
「最近インセクテアの方を目にすることが多くなったけど、もふもふとお洒落な装いで一発でクィエさんだとわかったわよ♪」
「ふふ、そう言って貰えると嬉しいな」
 そこに。
 怒涛の勢いで何かが……何かが!
「ひっさしぶりじゃねーか! 相変わらずカラフルだな!」
「やあ、君も相変わらず元気溌剌だね」
 まぁな、と悪びれずに笑っていたミズチは、隣のガマレイを見て。
「よく考えたらガマレイ姉がガマレイにー!?」
「そういえば年抜かれてるじゃない!」
 ガマレイはエンジェルである為、永遠の十九歳である。もっとも、ミズチは童顔なのでどうみても年下にしか見えないが。ロアも「変わってないなー」なんていって笑っている。むしろ、駆け込んでくるミズチに『そんなバナナ』を仕掛ければ良かったと後悔したとかなんとか。
「二人は最近は何を?」
「たまにインセクテアんとこ顔出してんだけどさ」
 ミズチ曰く、気が向いた折に訪れては、昔の話や今の話をして聞かせているらしい。世界が平和になる前の話、なってからの話……そんな話を重ねるうち、やがて懐いてくる子が現れ、ミズチはその子を弟子にしたのだという。
「そうなのか。立派なお師匠様というわけだな」
 その割には相変わらず莫迦騒ぎが好きで、落ち着きがないようにも感じてしまうけれど。その元気さこそが彼のいい所だとも思う。
「その子は今は?」
「弟子は……最近会ってない。手紙も送っていない。面倒だし」
 面倒くさがってる辺りが意外と冷たいような気もするが……お互い長生きする道を選んだからなと、ミズチはさらりと告げる。
「多分どこかで会えるだろうし」
「……そうだな」
 今日、こうして出会えたように。
 いつかみなの歩む道が重なれば、その時に彼らもまた、出会うのだろう。
「そういや、クィエの国で何回かラウル兄見たぞ」
「あぁ、彼の話は同郷の者からもよく耳にするよ」
 今も密林――かつて所属した護衛士団の本部があった遺跡に居を構え、その当時と同じように暮らしているというラウル。当時に仲良かった怪獣達も今は世代を重ね。今は今でまた新しい怪獣と仲良くなって宜しくやっているという話を聴くことができる……。
 ――遠く、飛び立つコルドフリード艦をランドキングボスの上から見上げて、ラウルは千年ほど前にその艦の中で告げられた言葉を思い出す。

『悔いるのは、君自身が足りぬと思うからではないのかね。
 私の言葉程度で、君が解放されることはなかろう。
 それでも構わぬのなら、告げよう。
 ――私が君でも、君より良い結果を招く自信は、とてもではないが、持ちえぬ』

 ……あの時は、泣いてしまったけれど。
 そして、彼の言う通りに、今でも時々、もしもを考えて悔やむことはあるけれど。
 だからこそ、持ちえる力は全て使って。
 次は最上だと、自分の納得できる結果を出せるように。
 ラウルは今日もワイルドファイアの大地を駆け抜けていく――。
 ……そんな姿が閉じた瞼の裏にありありと浮かんで、彼はきっと変わらないのだろうなと、皆は安堵にも懐かしさにも似た表情を浮かべる。
 そこにまた……何処か聞きなれた声。
「クィエ様、お久しぶりです」
 振り向くと、そこに居るのは二十代半ばほどのセイレーンの女性。記憶に引っ掛かるものはあるが、直ぐに思い出せず瞬き幾つ分かほどの間をおくクィエに、女性は少しばかり悪戯な笑みを浮かべて見せる。
「あら、わたくしですわ。お忘れになりましたの?」
 すると、側に居たミズチが。
「お、エルノアーレ姉。ちょっと歳食ったな」
「……自覚はありますけれど、改めて言われると、中々複雑ですわね……」
 一方で、申し訳なさそうな表情をするクィエに、そんなこともありますわと――歳を経ても浮かべる表情はやはり、あの時のエルノアーレのままだと思う。
 そんな彼女は、冒険者としての仕事はもうしていないという。それは、必要ないだろうと判断してのこと。これだけ平和が長く続いていれば、エルノアーレのような判断をする者も少なくないに違いない。
「最近はどんな暮らしを?」
「相変わらず、旦那様と一緒に旅暮らしですわ。そろそろ子供も欲しいところですけれど……」
「おや、意外だ」
「かく言うクィエ様は如何ですの?」
「はは、私も相変わらずだよ」
 それこそ意外ですわとわざと驚いたような表情をして見せるエルノアーレ。国一番美しいとされていた長に未だにいい人の一人もいないとは、インセクテアは意外と身持ちが堅いのだろうか。或いは、不老となったことで今のままでいいといった感情が働いているのかも知れない。
「子供ができたら、吟遊詩人にしたいと思っているのですわ」
「ふふ、いつかお子さんに旅の歌を聞かせて貰いに行こうかな」
 どこか和やかな談笑。
 そんな中、突然。ガマレイが何かを思い出し、慌てて街中を振り返る。
「ってああ、もうこんな時間!?」
「ん、急ぎの用かい?」
「ええ。もし今夜がお暇ならこの先の酒場に遊びに来て頂戴な。きっとエキサイティングな夜になると思うから♪」
「う〜ん、ならスケッチは後の方がいいかな?」
 折角これだけ集まったのだから、記念写真代わりにと思ったアフタッドだったが、ガマレイは答えを聞く間もなく、「それじゃ、また後で!」と言い残し、全力で去っていってしまった。
 それにしても、一体何が始まるのだろう? 皆は顔を見合わせつつ、走り去るガマレイの背を見送るのであった。

 この数百年を経て。また更に五つほどの齢を重ねたイズミではあったが、未だに変わらずメイドガイを続けていた。
「相変わらずのようだね」
「そちらこそお変りないようで」
 かくいいつつも。今のイズミはただのメイドガイではない。今や、全世界のメイドを束ねるメイド派遣組織の幹部、つまりはメイドガイ本部長!
「お仕事斡旋の為酒場を訪れていたりもします」
 だからこそ、今日この時に上手く出会えたのだろう。
 ――促がされるまま立ち寄った酒場のテーブル。再会を喜びつつ、皆はジュースとお酒を酌み交わしながら、語り合っていた。
「化石帝ロロサや大神ザウスとのお話も、懐かしい思い出です」
「それは、私が地上に出る前の話だね」
 語る間も絶え間なく、隙あらば給仕をしているイズミ。
 そんなイズミとの談話が、夜通し続くかと思われたその時!
「オゥゥゥライトッ!!!」
 突如ステージに現れたのは……紛れもないガマレイ。瞬間、酒場のあちこちから「『シャウト卿』だ」「『シャウト卿』が出た!」といったどよめきが起こる。そして、クィエはこれが自分を酒場へ誘った理由かと、妙に納得したように頷く。
 こうして始まる、一夜限りのゲリラライブ。
 酒場を乗っ取った『シャウト卿』ことガマレイの歌声は夜通し響き……普段とは違う熱狂に包まれた酒場の灯は、夜明けまで消えることがなかった。
 翌朝、すっかり『シャウト卿』の音圧と少しばかりの酒に呑まれて、ややふらつく足取りで酒場を後にするクィエ。そんな体を極自然にイズミがさっと支える。流石はメイドガイ。
「大丈夫ですか」
「ああ、有り難う」
 宿までお連れしましょうとの言葉に甘えて付き添って貰う……その姿を認め、のしのしと歩み寄る……誰?
 最早測定不能のビルドアップを果たしたハルトは……誰しもが最初、それがハルトであると気付かないくらい、なんだか大変なことになっていた。むしろ、シルエットだけ見ると、ツァドにすら似ているとかなんとか。
「……なんと言ってよいやら」
 それは恐らく、クィエ一人の感想ではないだろう。そして、頭痛がするのも抜けきらないアルコールだけのせいではないに違いない。
 だが、本人は現在の肉体に非常に満足しているらしく、唯一の弊害があるとすれば、一見して本人だと解らないこと位ではないだろうか。
「再会記念に色をつけて貰えるかな」
「構わないけれど……人は色々と変わるものだね」
 全身構わず、身体中に彩色を施して貰うハルト。その表情が始終にこやかだったのは……どうやら彩色を施す身体の広さが嬉しいからのようである。
 とまれ、一休みして英気を養った昼下がり。
「あれ? あの人はもしかして……やっぱり! クィエさんだ!」
「おや、君は」
 姿を見つけ駆け寄るシルミール。クィエはそんなシルミールの記憶にあると同じ姿のまま――けれども初めて会ったあの時と違って見えるのは、纏う着衣や翅に施した紋様と、あの時とはまた違う色に染められた髪のせいなのだろう。
 でも、唇を彩る桜色のルージュは、あの時と同じで。今もまたその艶やかな唇を、柔らかく緩めて微笑んでいた。
 こんな所で会うなんて、とシルミールは意外そうに瞬いて。
「女王様、やめちゃったんですか?」
「ああ。インセクテアは本来は不老種ではないからね。『生命の書』の恩恵に与った私が特別なんだ」
 ならば、本来あるべき理に従って、長も世代を変えていくべきだろう。クィエはそんな風に考えたのだという。それに……と、少し残念そうに眉尻を下げて。
「今の長には純粋に競っても勝てないよ」
「そうかな……」
 そんなことはないと思うけどな。続けずとも言葉の読み取れる表情を浮かべるシルミールに、クィエは「有り難う」と嬉しそうに微笑む。
「そうだ。君の話を聴かせてくれるかい。あの時は擦れ違っただけみたいなもので、ろくに話もできなかったからね」
 するとシルミールは大きく頷いて、それじゃあと暫し考えを巡らせてから。
「昔あった依頼でね、面白い依頼があったの! 大きな三匹のダンゴムシがね……」
 そこから始まる、シルミールの冒険譚。
 並んで歩き進めながら紡がれる一言一句に、クィエは穏やかな表情で、じっと聞き入っていた。
 ……そんな時だったろうか。
 道なりに立ち寄った街で、その噂を聞いたのは。
「『なぁ〜んさん』が来たんだ」
「『なぁ〜んさん』のお陰で本当に助かった」
 それは、謎の不老のナースの伝説。『なぁ〜んさん』の愛称で呼ばれていることから、どうやらヒトノソリンらしいということは判るのだが……そんな『なぁ〜んさん』が一体何をしているかといえば、ある日ひょっこりと村や街に現れては、そこにいる病人や怪我を治療したり、薬を煎じて贈ったり、時には直接医術を教えたり……そんな『なぁ〜んさん』の医術に助けられた人々は数知れず。であった人々は口々に感謝の言葉を述べている。
 そんな、謎の『なぁ〜んさん』を追って、出現証言の得られた村や街を渡り歩くこと暫し。最初に『なぁ〜んさん』の話を聞いてから……十七ほどの街や村を経た頃だっただろうか。
「そろそろ出会えると嬉しいのだけれど」
 まぁもっとも、急ぐ旅ではない。気侭に進んで、そのうちいつか会えればそれでいい。そんな風に考えていた矢先。
 目の前で、小石に躓きぽてりと転ぶ小さな子供。大丈夫か、と声を掛けて手を差し伸べようとした、まさにそのときだった。
「大丈夫なぁ〜ん?」
 のんびりと動く人波の商店街。その買い物客の中から素早く姿を現した人影が、子供を素早く抱き起こし、瞬く間にすりむいた膝の傷を治してしまったのだ。
「『なぁ〜んさん』だ……!」
「……『なぁ〜んさん』というのは、君だったのか」
「なぁ〜ん?」
 お礼を言って手を振りながら母親の元へ奔っていく子供に転ばないようにと声を掛けながら立ち上がり、改めて向き直るピンク色の耳と尻尾のヒトノソリン。それは紛れもなく、ニンフその人であった。
「怪我を見るとつい我慢できなくなるなぁ〜ん」
「はは、それは伝説にもなるわけだ」
 ちなみにそんなニンフ、この街へは過去の戦友に誘われてやって来たそうで、今はのんびり買い物をしていた最中だった。
「戦友は今この地方の領主をやってるなぁ〜ん」
 そんな身の上話を聞きながら、折角だからとニンフと一緒に買い物を始めるクィエ。勿論、その間にも、咳をする人があれば薬を渡し、怪我をしている人が居れば癒しの水滴で治療し……こうしてまた『なぁ〜んさん』は、人々を助ける伝説の不老ナースとして、語られていくに違いない。

 街を発って暫く。大きな荷物を抱えたラウネンに出会ったのは、次の宿場が見え始めた街道でのこと。
「それにしても、随分な荷物だね」
「昔、お世話になった旅団メンバーのお墓に備えるものを集めてたのです」
 頷いて答えるラウネン。中に入っているのは、お酒や甘いものや卵や一発芸のネタ。
「……一発芸?」
 至極気にはなったが、そこはまず置いて。
「備え物をした後はお墓にぼくの見てきたことを報告してるのです」
「沢山、報告することはできたかい」
 居並んで歩きながら、そんな会話を交わす。
「お墓といってももう原型は留めてないですけどね」
 ラウネンはさらりと言ってのけるが、その言葉の内容に、千年という歳月の重みを感じる。そして、この少年はずっと……年を経るごとに少しずつ消えていく墓を、こうして見守り続けてきたのだろう。
「それにしても、毎年一発芸のネタに悩むのですよねー」
 何かいいネタないですかー? と話を振るラウネンに、う〜んと天を仰ぐロア。自分のやったことある悪戯なら、同じプーカのラウネンは既にやりつくしてしまっていそうだ。クィエもさすがにそういうのは得意ではないようで、難しい顔をしている。
 結局、別れの間際まで一行からネタらしきネタが出ることはなく。今年もラウネンは一発ネタの捻出に頭を悩ませることになりそうである。
 しかし、ネタとはどういうものを言うのだろうか。
 ラウネンと別れた後も暫く続くネタについての考察。
 峠の山道に差し掛かった時、路傍の石に腰掛けて絵を書いているシュゼットに出会ったのは、そんな折。同じインセクテアということもあって、何を描いているのだろうかとそっと覗き込むクィエ。
「風景画かな」
「ええ」
 自身の蜜蜂の翅や、真白い髪を染めている温かな山吹の紋様は、彼女自身の彩色能力によるもの。だが、今、羊皮紙に描き出されている風景は、鉛筆、絵の具……そういったものによって一色一色、一筆一筆丁寧に描き付けられていた。
 インセクテアなのに珍しい。そんな風に言われることが多いのだろうか。シュゼットは誰かがそれについて訪ねるよりも早く、自然と口を開いていた。
「指で描いたものはすぐ消えてしまいますから、絵具の使い方も覚えたのです」
 初めから望んだ色をその通りに着色できる彩色能力とは違って、複雑に色を重ね合わせて色を作り出す絵の具の扱いは、慣れるまでは色々と難しくもあった。けれど、混ぜることで色を変えるそれこそが、絵の具の持つ特徴だ。消えないというだけでなく、混ぜて生み出すその行為にも、シュゼットは少し面白さを感じているのかも知れない。
「今までどのくらい描いたのかな」
「どの位でしょう……」
 思いあぐねる手に、白竜の描かれた扇子を持つと、そっと口元に宛がって考えを巡らせる。
 百か千か。自らの足で赴き見てきた景色は、きっともっと沢山ある。けれども、絵の殆どは出会った人にあげてしまうので、手元には残っていないのだ。
 そうして、この絵も。
「よければどうぞ」
「いいのかい?」
 頷くシュゼットの首元に付けられた首輪の鈴が、ちりりと音を立てる。
 出会いは一期一会と。シュゼットは出来上がった絵を手渡すと、また何処かにある見知らぬ素晴らしい風景を探して、己の足で歩き出すのだった。
 そこからまたいくつか峠を越え、森の中の街道を抜けた先。
「ここかな」
 由緒正しき、との表現が如何にも似合う立派な邸宅の門を、一行は潜る。
「あら、クィエ様」
 出迎えるのは懐かしい顔。あの頃から変わらぬままで、シフィルは訪れた皆を招き入れた。勿論、シフィルこそがこの屋敷の主ことフェルラーナ家当主であり、それが有す領地を治める領主でもあることは言うまでもない。
「お変わり無いご様子。いつ拝見しても綺麗な羽でございますね」
「有り難う。君も変わらないな」
 席を勧められ……勝手知ったる仲と言う事もあり寛ぐ一行。
「昔のよしみで、当領地ではインセクテアの留学生を数名受け入れておりますの」
 お茶を頂きながらそんな風に話すシフィルに、そういえばと屋敷に到着するまでの領内の様子を思い出す。確かに、色々なところでインセクテアの同胞を見かけたが……なるほど、そういう事情があったのかと納得だ。
「どんな事を教えているのかな」
「ランドアース式の経済学や、農業技術を共に学んでおりますわ」
 千年経ったとはいえ、今もインセクテアが根ざすのはワイルドファイア。狩り主体で、気侭な交流が信条とも言えるヒトノソリンを手本にしてやって来た手前もあって、ある程度計画的に物事を進めねばならない農業や経済の知識は、とても新鮮でやりがいあるに違いない。
「必ずや、インセクテアの国々の明日を背負って立つ人材に成長する事でございましょう」
「ふふ、いつかランドアース側にも、小さな国の一つくらいできるかも知れないな」
 こうして、先達が領主や国王になっていくように。
 更に千年、万年を経る頃には、シフィルの領地で学んだインセクテアの誰かが、立派な領主としてどこかの地を治める日が来るのかも知れない。

 ……とある王国に、『彩色屋』があった。
 元は、インセクテアの国にしかなかった『彩色屋』。けれど、ホンという二十二になる青年の構えたその店は、本来の彼の故郷となるインセクテアの国ではなく、別の王国の中にある。
 一行がそこに立ち寄ったのも、物珍しさが先立ったから、だったろうか。
「……いらっしゃいませ」
 黒髪の……何処か、沈んだ雰囲気の容姿。蜉蝣翅を背に負ったその姿は――然るべき者が見れば、恐らくはあっと声を上げたに違いない。それは、彼の先祖でもあるルーンの、ドラゴンウォリアーになった折の姿に、とてもよく似ているからだ。
 ホンはクィエ……というよりは、同じインセクテアの、しかも随分と彩色になれた感のあるそのいでたちに、技量があるのにわざわざ『彩色屋』を訪ねるなんて、といった様子で緩慢に眼を瞬いていた。そんな心情を読み取ったのな否か。クィエはいつものように淡く笑みを浮かべると、「珍しいと思ってね」と率直に言葉を紡いだ。
 ロドリーゴも店内へ入って暫く店の中を見回し。
「随分繁盛しているようですな」
「ええ、まあ」
 彼の座る棚の後ろには……彩色を終えたばかりの舞台衣装がずらりと並ぶ。そして、そんな彼の手元にも、今まさに彩色を施されようという着衣が一枚、台の上に広げられていた。今日から暫くは劇団の衣装の色付けを頼まれている。もうじき、祭りの時期とも重なるし、これから益々忙しくなりそうだ。
「どちらから」
「今日は西の方かな」
「旅行ですか」
「先達の軌跡を辿る旅、とでも言った所かな」
 そこではたと、ホンは手を止める。
「……ご先祖様のことを、ご存知なのですか」
「少し位は、ね」
 良ければ聞かせて欲しい、と。再び作業をはじめながら告げるホンに、クィエとロアは、ルーンという少年と彼の旅した記録を、ゆっくりと話し始めた。

 ランドアースの発着場に、銀の巨躯が舞い降りる。
 それは、千年変わらず大陸を繋ぎ続ける、コルドフリード交易艦。
「……ふむ」
 搭乗待ちの合間、居並ぶ売店に何とはなしに視線を巡らせるクィエ。
「こちらワイルドファイア行きコルドフリード艦ですなぁ〜ん。搭乗の方は続いて艦内にお進み……あ、クィエさんなぁ〜ん」
「やあ、また世話になるよ」
 軽く買い物を済ませたタラップを上ってきたクィエに、入り口で人員整理に当たっていたマサラがカレー色の尻尾をういんういんと動かす。その姿はキャスケット風の船乗帽に提督服と、昔見たときとは随分違っている。
 マサラは今、このコルドフリード艦の航海長をやっていた。うっかり蟹鍋で得た限りない時間を使い、永年を掛けてタロスの操縦士達に艦の操縦技術を習い、今ではこうして自らの手でコルドフリード交易艦を就航させることができるに至っている。
「快適な空の旅を約束するなぁ〜ん」
 びしっと敬礼して見せる姿も、十代半ばの容姿にしては、中々どうして様になっている。
 そんな変わらぬ姿にクィエはまた淡く目を細め、くすりと笑うのだった。
 そうして暫し、マサラの手による空の旅を楽しんで後。
 ワイルドファイアの発着場。
 コルドフリード交易艦が飛立って後……適当に購入したらしい雑誌を読みながら休憩を取ってたそこに、遠くから駆け寄ってくる……元気なヒトノソリン。
「クィエさん、久しぶりなぁ〜ん!」
「やあ、変わりないようだね」
 『生命の書』のお陰で今も変わらず、千年前と同じ姿のリュリュが尻尾をふりふり。変わりないかとの言葉に、今もまだ元気に暮らしてるなぁ〜んと笑顔で応える。こんな風に自分自身やその生活は殆ど変わっていないけれど、発展していく国々を巡って観光をしたりと、リュリュは日々を楽しんでいるようだった。
「君の暮らしは相変わらずかい?」
「ワイルドファイアで怪獣を狩って、お肉を感謝しながら食べる。そういう部分は変わってないなぁ〜んね〜」
 考え込む隙すらなくさらりと答えるリュリュに、クィエはらしいなとくすりと笑う。
「あ、でも最近良かったことといえば、この辺に住んでるインセクテアのカワイイ男の子達がなぁ〜んね……」
「そういえば、いい人は見つかったのかい?」
 瞬間。
 ぴたりと止まるリュリュの動き。
 何事かと、瞬きしながらクィエが振り返ると。
「なぁぁぁ〜ん……」
 苦節千年。
 リュリュ、外見年齢二十七歳。
 絶賛婚活中である。
 さて一方で。ジオの子孫……というか、結果的に彼が開祖となるヒトノソリンの一族は、ジオの故郷であるジャングルで自由気侭に暮らしているとの話を、道すがらに伝え聞く。
 時には近くの集落や国へ、交易をしに赴くそうなのだが。
「彼の一族は皆、白い耳と尻尾で青い髪をしているから、すぐに判るそうだね」
 その凄まじい遺伝っぷりは、種族『ヒトノソリン』、色『ジオ』、とかそんな分類が新たに生まれそうな勢いだと噂されるほど。まぁ、実際の所は全体数を考えればそこまで多いというわけではないのだが……一族、見事な同色が揃って現れようものなら、大袈裟な噂が流れるのに十分なインパクトがあるのは確かだろう。
「そういえば何読んでたのなぁ〜ん?」
「これかい?」
 ランドアースの発着場近くで買ったのだけどと溢しながら、クィエは手にした本の背表紙を見せながら、自身もそれを確認するように覗き込む。
「『月刊都市伝説・3009年8月号』」
「……胡散臭いですな」
「何が書いてあるの?」
「えぇと……」
 言われ、先ほどまで開いていた頁をもう一度開くクィエ。
 そして、その内容を声に出して読み始める――。

 ――『神聖ラスキュー王国』……。
 蜜溢るる約束の地。
 ワイルドファイアの何処かにあると囁かれる幻の王国。
 そこでは大勢のヒトノソリンの忍び達が、モテモテになる日を夢見て、日夜活動し続けているという。
 匍匐前進したり、謎の実に齧られたり、匍匐前進したり。
 斯様な噂がまことしやかに流れているが、真相は定かではない……――。

 遂に都市伝説扱いされる程に成長したかラスキュー。
 彼を知るものは皆一様にそんな思いを抱く。
 ……その時!
「……今」
 雑誌の文言の通りの――何かに齧られながら匍匐前進するヒトノソリン忍びが真横を通り過ぎて行ったような気がして、クィエはひたすら瞬きしながらずっと辺りを見回していた。
 だが、その視線に止まったのは、怪しいヒトノソリンではなく。
「おや、のー」
「ノー! ノンノンノーン!!」
 それ以上は言っちゃ駄目だー! とばかり、お口チャックのポーズをしまくるイツキ。そんな彼は相変わらずノープラン・ノーパンティーで千年の時を過ごした、ある意味猛者かも知れない。
「……君の事も書いてあるような気がしないでもないのだが」
「なんだって!」
 するとそこには、『勢い余って、ノープラン・ノーパンティー王国を樹立しようとしたが、失敗に終わった』などと記載されている。
 ……その時、イツキは悔しさのあまり、がっくり項垂れて地面をばしばし叩いていたという。
 そんなイツキの肩をぽんぽんと叩きながら、折角だから懐かしい話でもしないかと声を掛けてみるのだが。
「……てか、出会った頃の事とか思い出さないで! マジで!!」
「あ、ああ」
 何やら色々、打ちのめされているようである。
 そうこうしているうちに、周回運行中のランドキングボスが発着場へとやってくる。
 最早慣れた感のある踊りをみんなで踊って背に乗せて貰い、一路向かうのは南――インセクテアの国。
「国に帰るのは久方振りだな」
 段々と見え始めたその国は……既に三角州内だけには留まらず、橋を渡った川の向こう岸にも、街並みが広がっていた。
 そんな街の一角に『ランタン亭』という店がある。
 飾らない、でも、温かくて優しい味の料理が自慢の、素朴な店。
 週末にしか開くことのない、何処か通好みのこぢんまりとしたたたずまい。
 時は丁度夕暮れ。灯り始めたランタンの下がった扉を開けて中へ入れば……何処か懐かしい声が出迎える。
「クィエさん! いらっしゃい!」
「ふふ、変わらないね。いつ振りになるかな」
 本当は、懐かしい顔を皆呼んで晩餐会を催したかったのだけれど。結局、上手く集めることができたのはほんの一握り。それに……旅暮らしで所在の知れぬ者や、世代交代を済ませた者達も居る。そんな次第もあって、千年目の晩餐会はとてもこぢんまりとしたものになった。
 それでも、皆が料理を食べて笑う姿を見られるなら、ピヨピヨにとってこんなに嬉しいことはない。
「そういえば、何故この国に店を出そうと思ったんだい?」
「インセクテアは、特にクィエさんは香りに敏感だから、より、僕の料理を喜んでくれそうだからだよ」
 そうか、と淡く笑みを浮かべるクィエ。
 そうして出される料理は、ピヨピヨがかつてコルドフリードの特務でお世話になったという人から伝授された味。前菜の野菜スープ、窯焼きピッツア、メインのベーコン料理。
 最後に出てきたデザートに舌鼓を打って、皆はまた懐かしい話をしながら、更け行く夜を楽しんでいた。

 そして……再び旅の空に戻ったクィエにばったり出くわしたリューシャもまた、そんな所在の知れないうちの一人だろうか。
「……おやクィエさんお久方ぶりです」
 具体的には九百九十年程振りで、と妙にきっちりと年数を換算している辺りは、リューシャらしい。一見してそうだとわかるほどに変わっていない容姿を見る限り……とは言うものの、なにやら少々余裕のなさそうな素振りにも見えはするのだが。
 一方で、護衛までつけて見聞旅行中だと聞けば。
「また優雅な……クィエさんらしいですけど」
「そういう君は、何か……急ぎかい?」
「……あ、私ですか?」
 先ほどから、ことあるごとに周囲の様子を窺うような素振りをしているリューシャに、クィエははてと首をかしげて見せる。何か危険なものが周囲に居るのかと思いロドリーゴも辺りに気を配ってみるが……特にそんな様子もなく。しかし、リューシャはきっぱりと言う。
「逃走中です……」
「……何したの? 健康にいいとかいってお酢売った?」
「なんですかその詐欺っぽい廃品処理」
 ロアの言葉に違いますよと首を振りつつ、リューシャが言うことには。
 事の発端は、橋の下に最早こなれた人海戦術で掘っ立て小屋をおっ建てて、そこで始めたお悩み相談。別段、怪しいことをしていた訳ではないのだが……最初は「橋の下の相談のお陰で気が楽になった」「未来予測をしてくれる」程度であったのが、一体何がどうなったのか、「必ず当たる」「未来を言い当てる」に変化。遂には予言者扱いされ始めやたら有り難がられるようになってしまったという次第。
「諸事計算した結果を告げてるだけなんですが……」
 事象計測、とでも言うべきか。本人の周辺環境等を整理、それらを算術式に置き換えて色々と『計算』し、或いは、得られた『解』から逆算して解決に近付くために必要な要素を提示する……無論、不確定要素の多い方程式はちょっとやそっとでは解けないので、悩み相談で得られる解や要素の範囲はある程度限られてはいるのだけれど。あとはそれを再び状況に置き換えて、悩みを持ってきた本人にわかる言葉で説明すればいいだけだ。
 しかし、悩みを抱える人々には、リューシャの『計算』は恐るべき精度を持っていたらしく。評判は評判を、噂は噂を呼び、いつの間にやら信者じみた者まで出てくる始末。掘っ立て小屋の前に自称弟子やら何やらが出てきて勝手に人員整備を始めたりしたときにはもうどうしようかと。
「はは、随分繁盛しているじゃないか」
「いやこれが、結構笑い事じゃないんですよ……ってヤバ、見つかった!」
「先生ー!」
「待ってくださいー!」
「ではご縁がありましたらまたー!」
 聞こえてくる声を振り払うように、それはもう一目散という表現が似合う様子で脱兎していくリューシャ。一行はそんな様子に――本人は必死かも知れないが――思わず吹き出しながら、またどこへともなく続く道程を進み始めた。
 やがてそんな一行が辿り着いたのは――入り口に、『ノソリン牧場』と書かれた立て札も古めかしい、広大な敷地の牧場。
 なぁ〜んなぁ〜んとどこからともなく聞こえてくる声に無意識に和みつつ、ここで合っているかな? とそんな表情を浮かべる。素朴に作られた木の門をそっと潜ると、直ぐに明るい声が出迎えてくれた。
「初めまして旅の人、牧場へいらっしゃいませなぁ〜ん」
 二十一歳になるというその人こそが、このノソリン牧場の今の主。
 ここは実は、自身にも縁のある場所であると聞いている……そんなクィエの言葉に、チェリカと名乗った牧場主は、絞りたてノソリンミルクで淹れたふわふわカプチーノを振る舞いながら「はいな」と頷いて見せる。
「今は大陸北部最大のノソリン牧場……この牧場を興した初代は冒険者だったなぁ〜ん」
 そしてそれこそが、ナオその人である。
「生涯独身だったから弟子の子孫、つまりチェリカが今は牧場主なぁ〜ん?」
 そういえばそんな事を言っていた……と、当時の彼を知る者が居れば、軒並みに頷いたに違いない。帰巣本能の強いノソリン達。数少ない現地住まいのノソリンを見つけ、それをこんなに沢山にまでするのは、並大抵の努力ではなかっただろう。
 チェリカは他にも色々ありますなぁ〜んと、チーズやヨーグルトなどの乳製品を紹介し……何よりも、自由奔放に牧場を闊歩するノソリンの愛らしさを紹介する。
「ゆっくりしていってくださいなぁ〜ん」
 なぁ〜んなぁ〜んと、のどかな鳴き声を聞きながら飲む美味しいカプチーノは、なんだか幸せの味がする。
「……そういえば、君自身の話を聞いて居なかったね」
「俺の方は……まぁスゴイ事があった」
 ノソリンの姿をスケッチしながら、そんな風に答えるアフタッド。
「う〜ん、色々あったけど簡単に言えないな。全部楽かったし」
「そうか」
 きっと、そんな数々の出来事も、アフタッドのスケッチブックの中にスケッチとして収められているに違いない。
 チェリカのノソリン牧場でノソリンを借り、次の街までと気侭に進んでいた時のこと。
「今度……は、本物のツァド君かな」
「どうもお久しゅう。お元気そうで何よりです。……本物ってなんでしょうか?」
「なんでもなーい」
 ロアもぶんぶんと首を振る。なんだか大変なことになっているハルトについては、あえて触れないでおくことにする。
 立ち話も難だからと、牧場へ帰っていくノソリンを見送り、手近な店へと身を寄せてお茶を頂く一行。此処で使われているケーキのバターも、チェリカのノソリン牧場産なのだろうか。ふとそんな事を考える。そうこうしているうちにも始まる、ツァドの身の上話。
「親に『早く結婚して孫の顔を見せてくれ。お前の代で家を潰す気か?』と言われたのですけれど」
 結婚というものは、相手がいてこそ出来る物。当時全くなんの当てもなかったツァドは、ここで一計を案じた。
 とりあえず不老不死になってロスタイムを捻出しよう、と。
 その結果は……今だ独身を延長中の現状から推して知るべしといった所であろうか。
「無論、ただ延長して何もせずにいた、というわけではないですよ」
「というと?」
「結婚にはやはり定職について安定した収入を得れている方が良いかと思い、とある伯爵の下に仕えようと思ったのですが、うっかり試験当日に寝過ごしてしまいまして……」
 参ったものです、と。どうやら、色々やるにはやっているが、うっかりしたり相性が悪かったりとで、中々予定の通りには上手く行っていないようである。
「そんな訳で、この通り今でも自由気ままな冒険者稼業です」
「ままならないものだね」
 とはいえ、ロスタイムは生きることを諦めるか、耐えられないほど精神が老けない限りは一先ず半永久的に有効だ。それはそれでいいのかも知れないと、そんな事を思った矢先。
「ありがとうございました」
「いや、こちらこそ」
 妙に丁寧に礼を言うツァドに、クィエも吊られるようにして互いに一礼。そんな様子に、何故か見合い風景を連想する一行なのであった。

 海沿いの街。港から北の海へ漕ぎ出す、幾つもの商船。
 コルドフリード艦が交易の一環として就航してからはや千年。それでも今も変わらず海を渡り岸辺と岸辺を繋ぐ船。
 潮風も厳しい、北のセイレーン領。そこを初めて離れたのは――いつのことだったか。
 冬の海のように灰色掛かった黒髪。旧知の知人に誘われて幾度目かの旅に赴く最中、漆黒の瞳に色鮮やかな人影を捉えたのは……海沿いの街を出て、三日目のこと。
 二十四という年にしては、何処か落ち着いた渋い雰囲気を纏ったその黒髪の青年の名は、レファと言った。
 出会ったのは偶然だ。見聞のためにと世界を回るクィエ一行。そして、レファもまた新たな旅路へと出かける道すがら。旅人同士が言葉を交わし、身の上を語るのは、そう珍しいことでもない。
「よければ、聞かせてくれないか」
 そんな言葉に応じ、レファが静かに紡ぎ出すのは。
 かつて、三人で訪れた、楓華列島の出来事――。
 ――気紛れな旅を続けて早幾年。
 幾つもの国と街を歩き見て、時折気紛れにそこに留まり暮らすヴァイス。そんな彼がレファと出会ったのも、気紛れな旅の途中だっただろうか。
 北海を行き交う商船。骨董を積荷に扱うその船の護衛をする冒険者として過ごしていたレファの姿に……普通ならば、あぁ、冒険者がいるなと、その程度で通り過ぎるだけの、旅には付き物のよくある風景の一つに過ぎない。けれど、その姿を捉えたヴァイスの瞳は、彼の姿をただの旅の景色の一つでなく、心の奥に眠る別の男の姿と重ね視る。
 漆黒の髪と、漆黒の瞳の――黎燿・ロー(a13882)。レファはその名を知らない。だが、彼が真にその血を受け継ぐ者であったことは、彼らを結ぶ見えない縁の成せる業か。
 足を止め、声を掛けた。
 祖先のことを全く知らぬ全くの別人ではあったけれど、妙に気が合った。ヴァイスは旅に巡り北の街へ足を運ぶたびにレファの元を訪ね。そうしているうちに、彼らは次第に心を通わす友となる。
「楓華列島へ行こうと思うんだが」
 あるとき、ヴァイスは東の果てにある大陸へ旅すると告げた。レファにとって、ヴァイスからいつも聴く旅の話には興味がある。海から離れたことのない彼にとって、遠く離れた異国の大陸はとても魅力的だ。そして、何よりも、ヴァイスと一緒に旅ができるのなら。
「一緒にどうだろう」
「勿論」
 そんな誘いを、レファが断る理由など、どこにもありはしない。
 転送のためにとドラゴンズゲートへ向かう道中すら、心躍るのを抑えられない。もうそんなはしゃぐ年でも無いのにと我が身を振り返ってみるものの、やはり、楽しいものは楽しい。普段は落ち着いた様子のレファの表情が確かに緩んでいることに気付いて、ヴァイスも何度微笑んだことか。
 そんなヴァイスにもう一人道連れが居ると聞いたのは、楓華列島への転送間近のこと。
「今回はもう一人、一緒に誘った奴が居るんだ」
 突然の顔合わせには少し戸惑いもしたが「きっと気が合うと思う」とヴァイスがそう言ったから、レファには不思議と不安はなかった。
 ……楓華列島のドラゴンズゲートに到着して暫く。
「遅いな」
 予定の時刻を過ぎても現れない人影。まさか忘れているのでは……そう思い始め頃になってようやく。
「おっ、みーっけ!」
 なにやら騒々しくも陽気な雰囲気を持ったリザードマンが、悪びれる様子もなくあーやれやれと近付いてくる。
「遅刻の罰は昼飯ご馳走な」
 そんなヴァイスの言葉には、口を尖らせ。
「だってお前の描いた地図意味不明だったし〜」
「俺の描いた地図に文句を言うな」
「裏に楓華DG入口って書いてたから良かったけどよ〜」
 自分の方向音痴を棚に上げて、そんな小言を洩らしていたその視線が……ふいと、レファを見て止まる。
 途端に、ひくひくと鼻先を動かし、にかっと笑うと。
「おッニオイで判った♪ 会いたかったぜ、ローちび!」
「……ローちびではなく、レファという」
「クケケッ♪ 似てねぇけど似てるな〜」
 細かいことは全く気にせず、突然レファの頭をわっしと掴むと、そままわしわし撫で回す。髪はくしゃくしゃで振り回されるような形にはなったけれど、悪い気はしない。そしてそれが、晴天戴風・マルクドゥ(a66351)とレファの初めての出会いだった。
 そして、そんな遣り取りにヴァイスは何か確信めいた風に頷く。
「マルクドゥが言うなら、やっぱり間違いないんだな」
「うんうん、間違いねぇぞ。ローの匂いがすっからなっ♪」
 相変わらずわしわしする手は止めず、再び何かを確かめるように鼻をひくつかせるマルクドゥ。
 三人揃ったところで、早速繰り出した街並。
 行き交う人々の衣装の違いもさること、何よりも目を惹くのは木と紙でできた素朴でありながら味わい深い建物。様々な素材を活かし見た目麗しく造られた北方セイレーンの街に馴染み深いレファにとって、がらりと違う生活様式はそれだけで興味をそそる。
 最初に三人が立ち寄ったのは、武器屋。
「楓華で作られる剣は形が独特で好きなんだ」
 ヴァイスはそんな事をいいながら、棚に飾られた刀剣をゆっくりと見て回る。時折、同じ冒険者の持ち物の中に見かけることはあったけれど……これほど沢山の異国情緒溢れる武具に囲まれて、レファはなんだかいつもの自分らしくないなと思うくらいに、それはもう楽しい気分で店内をうろついている。
 一方でマルクドゥも店内をきょろきょろ。
「やっぱ永く使えるのがいいよな」
 普段使う獲物に合わせて大剣の置かれた一角で足を止めると、それはもう……マルクドゥらしくないとさえ表現したくなるような様子で、真剣にじっくりと品定め……する、その頭に。
「おおぅっ?」
 何かを乗せられた感触に、なんだこれ、と被せられたものを両手でぺたぺた触りながら首を傾げるマルクドゥ。いつの間にか隣にやってきていたヴァイスの仕業だというのはわかるが……そうして暫くぺたぺたしていると、その形から楓華風の鎧兜であることが段々判ってきた。
「なんだ、兜か」
「くふっ……似合わないな」
 被ったまま振り向くマルクドゥに思わず吹き出す二人。すると、マルクドゥは今度はそれをレファにすぽっ。
「クケケッ♪ 意外と似合わねぇな〜!」
「意外とか言うな」
 とりあえず、今此処にいるメンツだと誰も似合わないっぽい。
 結局皆して吹き出しながら……自身は赤黒の装飾が施された剣をしっかりと手に収めつつ、ヴァイスは目に止まった護身用の短剣――脇差を、レファへと勧めてみる。
「冒険者たるもの、武器選びは重要だよ?」
 なにやら先ほどの兜祭りが相当ツボに入ったのか、ヴァイスはまだ笑いをこらえている。
 レファは一先ず深呼吸で笑いの波から抜け出すと、進められた短刀を手に取った。
 ……不思議な感覚。
 何故かしっくりと手に馴染む。まるで昔からずっと使っていたかのような錯覚にすら陥るほどに。それは――俄に甦るものに、レファの脳裏から掘り出されてくる微かな記憶。そう、あれは、盾だ。何故か骨董に混じっていた盾を手にしたときの、あの感触に似ている。
 そうして逡巡する姿を見つめるヴァイスの脳裏には、ローへと贈った盾のことが過ぎる。あの盾は、今もレファが持っているのだろうか……奇しくも、そのときに二人の思い浮かべた盾が同じ物であることを、当の本人達は知らない。
 ……と、そんな二人の耳に。
 店主とマルクドゥの遣り取りする声が聞こえてきたのはその時。
「もう一声!」
「いや、それは酷いよ流石にと」
「じゃあ中とってこれでどーだっ!」
「中取れてない中取れてない!」
 どうやら、激しく値切っているようだ。そんなマルクドゥの手には、青色をした巨大剣がしっかりと握られている。
 暫しその遣り取りを見守る二人。やがて根負けしたのか値下げ交渉はマルクドゥの圧倒的勝利に終わり、マルクドゥはほくほくで店を出ることができた。
 武器屋を出た三人が次に向かったのは飯屋。
 値切ったときの遣り取りを武勇伝ちっくに話すマルクドゥの話を聞きながら、美味そうな匂いを辿って街並みを行く三人。小さな川に渡された美しい曲線を描く朱塗りの木造の橋を渡り、生垣の向うに見える素朴でありながら味わい深い庭の趣きに眼を凝らす。細い川には小舟が行き交い、荷積みや荷卸しの人々が小さな桟橋を行ったりきたりしている。楓華の人々にとっては何気ない日常の光景。けれどレファにとっては、そんな僅かな移動の間すらもがとても楽しい。
 昼時、やや混雑する店内に三人して腰を下ろせば……ようやく落ち着けたとばかりに始まる近況報告やら四方山話。勿論、美味い飯もたらふく頂く。そういえば千年だかなんだか前に食った蟹鍋も美味かったなーと、まんまと不老不死になったいきさつを思い出してみたりもするマルクドゥ。
「レファは海ばっかなのか。なら今度は山だな、山!」
「うんと暑い所に行くのもいいかも知れないな」
「クケケッ、レファ絶対びっくりすんぞ〜」
 そんな二人の話は幾ら聞いていても飽きない。マルクドゥがこの千年の間してきた放浪の旅のこと……平和な世の中には最早数少ないとさえいっていい荒事仕事の体験談は、中々に興味深い。その間にも、出される食事はガンガンマルクドゥの胃袋に吸い込まれている。
「ん〜楓華飯って見た目キレイでいくらでも腹に入るなぁ」
 ご満悦な様子に、向かい合う二人もまた、思わず笑みを溢す――。
「――では、今日もまた三人で旅に?」
「ああ、三人で」
 頷きながら、少しだけ緩むレファの表情。
 そんな様子に、クィエもまた、そうかと淡い微笑みを浮かべる。
「良い旅を。またもう一度出会ったら、その時はこれから行く旅の話を聞かせてくれると嬉しいな」
「次に会う時は、そうしよう」
 向かう先の違う別れ道。軽く会釈して遠ざかる互いの姿に思う。
 ……ヴァイスとマルクドゥがよく口にする名を、レファ自身は知らない。根堀葉堀説明するような野暮なことは二人共しなかったし、レファ自身も特に問うことはなかったから、その名のことは、今もよく解らない。
 けれど、もしも。
 その名が長い時を経て縁となり、繋がったのが今だとしたならば、それはとても面白いことだと思う。
 同時に……友となった二人に巡り合わせてくれたことを、少しだけ感謝している。
 クィエはそんな光景を、幾つ見てきたのだろう。
 離れ行くステンドグラスのような翅を遠く見て、レファはふいと、そんな事を考えた。

 ――その男は。
 『生命の書』より滴る生命の雫を口にしたものの、永遠を願ったわけではなかった。
 さりとて、うっかりしてしまったのか、人よりは少し長く生き、重ねた齢を察することができぬほどに、若いままの姿容であったという。
「彼はかつて、この屋敷に住んでいた」
 淡く眼を緩め、クィエは今は主無き門柱を潜る。
 彼はこの屋敷を拠点にして、各地を巡る旅人や商人との交流と商取引に心を注いだ。彼が何よりも好んだのは、ヒト生み出したきらめきたる品々。縁を得た旅人・商人から、時には交流の証に、時には正当な取引で。そうして得た品々を、また旅人を通じて世に流す。
 品々は巡る。ヒトからヒトの手へ。
 大地を周り、街で眠り、海を渡り、延々と。
 彼が視ていたのは、『世界』。
 ヒトからヒトへ流れ行く品々を通し視た、世界の姿。
「そうして彼の視た『世界』の断片が、此処に残された沢山の記録」
 今も尚残る、集められた品々。きらめくそれらが厳かに飾られた部屋を抜けた先に――無限とも思える程に書き留められた『記録』が、整然と居並んでいた。
 そうして、『世界』の記録を取り続けながら。
 ――今は主のない椅子と、それに向かい合う客人の為の席。
 封をしたまま……恐らくは何年も前から置き去りにされている酒瓶と、空のまま椅子と同じ数だけ卓に置かれたグラス。窓から差す陽を浴びたそれは、クィエが背に負う翅と同じく光を蓄え、ただ白く、無垢な程に真白く煌いていた。
「彼は屋敷を訪れた人々と酒を交わし、楽しく語り合っていたそうだよ」
 グラスの一つに指先を這わせ、クィエは薄く琥珀色の紋様を刻む。
 時が経ち。
 いつしか彼は、屋敷から居なくなった。
「でも、取引は今も誰かが受け継いで、集められた品々と残された記録は後々まで、屋敷を訪れる人を楽しませた、らしい」
 そこまで言って、クィエはふっと、仄かな笑みを浮かべた。
「らしい、というのは可笑しいかも知れないな」
 長い睫を緩慢に瞬いて。クィエは未だに埃一つなく在り続ける室内をくるりと見回す。
「今も尚、訪れる人々を楽しませている、が正解だ」
 その男の名は――アレクサンドラ。
 彼の残した品々と記録を目にして。
 クィエは『今』とても、楽しげに微笑んでいた。

●無彩
 暗黒の中を往くインフィニティマインド。
「宇宙戦艦で星の海を航海するのは漢の以下略なぁ〜ん」
 今も尚、変わらぬ『漢の浪漫』と共に。
 マサラはめくるめく星の世界へと視線を投げる。
 デッキから見つめる幾多もの眼差しの先、蒼白く輝くタイムゲート――を遮るように灯る、深淵。
 それを、黒の長襦袢を翻す人影が、眼光鋭く見据えていた。
 佇むのは、和装の腰に二本挿しの刃を携える、老いたる武者。
 老武者へと巡る幾つもの眼差しは、さしたる感慨もなく通り過ぎて行く。そこに在るその姿に、記憶にある面影は何も、重なりはしないのだろう。
 ただ静かに。
 さりとて、星の海を見遣る紫眼の奥に滾り揺らめく想いは、時を経るごとに強く、激しく。
 ――嘗て。
 安寧に浸る耄碌よりも遠く霞の戦を望み、看取った愛する女と何時かを心の支えに生きてきた。
 待つこと数万年。
 永い時を経てやっとの邂逅――。
 そこに見ゆるは、長い首。
 鋭く強靭な爪を供えた手足。
 硬い骨格に皮膜の翼。
 刺々しい鱗を供えた長い尾。
 そして――漆黒の。
 ぐらぐらと定まらず揺らめく輪郭から、千切れ飛ぶ憎悪の破片。霧を凝り固めたようでいて、べたりと塗りこめた凹凸のない絵の具のようでもあり。それは、空間にぽっかりと開いた穴……覗けど底のないただの黒。明暗の妙すらも飲み込む暗黒は、何の立体感もなくそこに浮かんで見える。
 今はそれすらも、眩しく見える。
 ――今、今日この日、俺はやっと報われる。
「気ままに行けど、永い旅路だったぜ……」
 しゃがれた声が喉の奥から零れ出る。
 その折にようやく、幾人かが、彼の姿を意識に留めた。
 ごちた手元。襦袢の裾より覗く骨ばった皺だらけの手の中で、古びた銀隼模様の方位磁石が、鈍く光を返した。
 乾いた指先と掌に、確かにその感触を握り締めて。老いたる腕は握る磁石を懐へと仕舞う……何気なくすらあるその仕草を見遣る複数の眼差しが見開かれたのは、刹那。
 白髪に戻る艶。黒へと立ち返るその貌から、手から、瞬く間に消え失せる年輪の痕跡。
 今一度、羽織る黒襦袢が翻る。
 千切れ色褪せる襦袢は――和装からは想像もつかぬ薄色のジャケットへ。一度は引き千切れたかに見えた裾はその襟元へと巻き付いて色を得て、擦り切れた朱の襟巻へと変わる。
 腰に据えた二振りはいつしか消え失せ。指抜きの皮手袋に包まれた若々しい腕が代わって握るのは朽ちかけた戦斧。
 かつての姿を取り戻し、そこに立つ姿は、紛れもなく、金鵄・ギルベルト(a52326)その人であった。
 まるで呼応するかのように、黒きドラゴンの形をしたものが暗黒の空に吼える。
「ドラゴンのかたちの敵ですか……」
 齢は五十。まだまだ若造には負けぬとロドリーゴ。
 一方のガマレイは、いかんともし難い表情で。
「うあ、無念さを形にしたような敵ね……」
「絶望ねぇ……死んだ後でもウダウダと……」
 何処か呆れた様さえ覗かせて、サンは揺らめく絶望の塊を見遣る。歳は三十二になろうかというチキンレッグの男。弓を携えたその姿は、何処かラニーを彷彿とする。
 俄に、その弓が姿を変え始めた。弓は盾に、弦は剣に。肉厚のサーベルと丸盾へと変わった得物を両の手に、サンは空へ。
「ま、世界がなくなって困るのは皆同じか」
「すっげ、アレがご先祖たちが戦った敵かぁ」
 漆黒の瞳に映る、それよりもなお深い絶望の黒。絵本で昔読んだきりだけどと胸の内で呟く十八になるその青年の名は、ナオ。かつて居た、彼と同じ名を持つ冒険者の……弟子の子孫。
「でもって、超悪いヤツなんだな」
 了解了解と唱えながら舞い上がったナオの赤い髪を、ないはずの風が撫でる。
 その傍らを、赤蜻蛉の翅をもつインセクテアの少女が舞う。
「皆さんに同じく、初めて見ますよ」
 薄い金の髪を靡かせて舞う少女の名は、アーケィ。十七歳。見た目も名も……数万年前に居たアーケィその人にそっくりではあるが、彼女が直系であるのか、そっくりなだけの――遺志を継ぐ別の誰かであるのか、それは彼女自身も知らない。
 アルムの子孫に当たる、狐尻尾の少女アルールもまた、初めて見る敵影に小さく溢す。
「……これが……ドラゴン?」
「成る程。あれが伝説のドラゴンか」
 ただひたすらに禍々しい絶望の気配。ギーと同じ姿で……しかし、ギーよりも明らかに若い二十歳前後のその青年は、眼鏡を指先でくいと持ち上げる。
「先祖の時代は苦難続きだと言うのもアレを見れば肯ける」
 紛れも泣く、ギーの血脈を受け継ぐ青年は、血の覚醒に猛る血潮を引き連れて、天地のない星の空へと舞い上がる。
「詠唱修士、背は預ける。吶喊致す故、フォローを頼む」
「心得えて候」
 かつりと。背丈ほどもある煙管を叩き灰を落とす修士の姿に……正直、デューンは驚いた。
 トロウルが冒険者を持てる程に復興して、共に戦える日が来たことに。
「長生きはするものだな」
 そう言って、暗黒の星空へ飛び上がる脳裏に、かつてトロウルの列強グリモアがあったトロウル王国の首都『オグヴ』。そこに残されたトロウル一般人を同盟の仲間とするために尽力していた有志が居たことを、デューンは憶えている。そして、その中の一人……今は帰らぬ者となった彼が今この時に生きていたならばきっと喜んだだろうと。
 蜜蜂の翅で風を斬り、シュゼットは真新しい赤茶の弓を握る。
「実戦なんて何千年振りでしょうか……気を引き締めねば」
 『バーントシェンナ』と名付けられた強弓を携え、舞い上がるは星の海。
 そしてまた、数万と数千年ほど前に見た十七歳のまま。ミカモもまた怨嗟の息を吐き零す敵影を見上げ、空へ飛び立つ。
「世界の危機なんて物語の中みたいな出来事がホントに起こるなんて信じられんなぁ〜ん」
「……宇宙の危機、かぁ」
 天を望むデッキで、マルクドゥはいつだか振りに鱗がざわめくのを感じる。
「おれ、生きてて良かったゼッ」
 希望のグリモアがある限り、自分は同盟の狂戦士であり続ける。その表情は嬉々として、共に敵へと向かおうという者達をぐるりと見回す。
「見渡せば新顔も懐かしい顔も……どれも頼もしいじゃん」
 そんな眼差しに映る、見慣れた姿。
「来たかヴァイス!」
 応じて頷くヴァイスが……俄に、別の人影を捉える。
 そこに立つのは、狼色の髪と尻尾の青年。十八頃のストライダーの青年今はただ真っ直ぐに深淵に浮ぶ敵を捉える。得物は細身剣、手首には銀環――その両腕と両脚に、変化の証である朱の鎖が音もなく絡みついてゆく。
 その漆黒の瞳がくるりと巡り、二人の姿を映したのは、マルクドゥがヴァイスの視線を追って青年を見遣ったと同時だった。
「お? そっちはローのちびすけかッ」
 誰のことだ、と。初対面の相手からいきなり知らぬ名を告げられ、やや憮然と返す。
 ……本当なら、そこで捨て置くつもりだった。だが。
「よっしゃーーッオレの背中は任せた! 最前衛での攻撃は任せろッ」
 マルクドゥの黄鱗が赤く変わり、めきめき生え揃う金の棘。荒々しく虚無の空へ舞い上がるその姿を見送って――いつしか銀から黒へとまるっきり色彩を転じた髪をさらりと揺らし、ヴァイスは金に染まった瞳を青年へと向ける。
「行こう」
 それは些か、強引な流れであったろうか。
 まだ名すら告げていないというのに。青年は――ロマは、けれど、何故か不快感のようなものは何も、感じなかった。
「ああ」
 応じて、共に舞い上がる。
 傍目にはまるで、旧知の三人の再会と共闘。けれど、ロマと二人が出会ったのはが今この戦場が初めてであったと、果たして何人が信じるだろうか。
 そう。
 時は巡る。
 ――VIIの意志は、受け継がれ。
 XIIを数え、Iへと戻る。
 VII(ズィヴェン)。
 かつて居た者と同じ名を持つそのヒトノソリンの末裔は、隣に佇むエルフの少女へにィと笑い掛ける。
「巡り巡っテ来タな、コノ時がなぁ〜ん」
「ああ、ジーベ。敵が伝説の『ドラゴン』とは、楽しみだね」
 邪竜にすら似た姿の少女――ナディアの名を継ぐ彼女もまた、大剣を握り笑む。
「鍛錬の甲斐があったってもんだ? ねぇ、相棒!」
「行くか相棒、ドラゴンなンざ俺の黒弓デ撃ちぬいてヤルぜなぁ〜ん!」
 エルフはヒトノソリンに、ヒトノソリンはエルフに。
 伝え聞く数万年前の『相棒』とは逆になっても。繋がり受け継がれる意志は変わらない。
 そうして、固い絆で結ばれた仲間達が集う一方。次々に戦場へ経つ人影の中でまごまごしているのは、黒髪に緑の耳と尻尾のヒトノソリンの少女・サリア。サーリアの子孫だ。
「はわわ、サレナお兄さんはどこなぁ〜んっ!?」
 どうやら共に戦いに赴いたはずの兄と逸れてしまったらしく、暫くの間艦内をまごまご。しかし直ぐに、兄はタイムゲートに立ち塞がる別の敵を倒しに行ったのだろうと気持ちを入れ替え、自身が倒すべき敵影を見つめる。
「伝説の噂なぶらっくドラゴン……怖いけど、まったりな平和のためなぁ〜ん」
「黒いドラゴン……のような敵か」
 サリアの呟きにごちるのはマクベス。銀髪のその容姿に残る面影に、彼の先祖を知るものはきっと一度は振り向いて、横顔をまじまじと見つめたに違いない。その身に黒い炎を纏いながら、マクベスは両腕を黒く染める術手袋に力を込める。あの黒い奴とは妙に戦ってみたい気分になる。何故だろうかと胸の内に問うても、答えは出ない。
 だが、もし。
 今ここに彼の遠い先祖――ゼナンその人が居たならば。「きっと遺伝だ」とでも冗談めかして呟いたかも知れない。
 何にせよ。
 採るべき道は一つ。戦って倒す。
 ナオは知っている。皆そうしてきた。ならば、自分達に出来ない事はない。
「何しろ、頼りになる先輩方だっているからな?」
 そんな視線を受けたから、という訳でもないが。
「……さて、現存するドラゴンズゲート日参してた成果、実戦で発揮できる日が来ようとは……未だ世界は未知と驚異に満ちている」
 数万年前と変わらぬ姿で。リューシャは左右、丸と四角で形の違う眼鏡を軽く指先で押し上げる。そんなリューシャのすぐ側には……この数万年を掛けてまた十ほどの歳を重ね、それでもいまだ変わらずメイドガイで在り続けるイズミの姿があった。
「ドラゴンとはまた、懐かしい響きですね」
 手にした得物のチェーンソーも健在だ。
「わわわっ、お家に伝わる高名な名前を幾つも聞くんよ〜……すごいすごいっ」
 何処か興奮気味にそう溢しながら、黒い狐尻尾を揺らす黒髪の少女……その姿はまるで、色違いのカガリ。名をアカリというその少女は、紛れもなくそのカガリの子孫だ。
「でも……ご先祖さまから伝え聞いたその名前、全然もふもふやないんよ〜……」
「昔はふかふかだったのに、こんなに硬くなって……」
 ヴァイスも修士の肩をぺちぺちと叩きつつ、涙ぐむ振りをして見せる。更には、自分とその周囲にとにかく手早く鎧聖降臨をばら撒きながらツァドも一言。
「ふかふかがゴツゴツになってるっ」
「デリンジャーさん……こんな変わり果てた姿になぁ〜ん……!」
 マサラにまでそんな事を言われる始末。思いのほか、かちかちは不評である。
「せめてもふもふのコートを着て欲しいなぁ〜ん」
「いやはや、よくよく言われるものよな」
 自分のコートを渡してくるマサラに加え、もふってしてみたかったん……と少々残念そうに尻尾を床に垂らすアカリ。もし今も尚ふかふかだったら斯様な女性陣に大人気だったのであろうかと、修士も遠い遠い祖先を想う。
「ボクは冒険者。世界の危機なら戦うのがボクの仕事」
 数万年の時。平和になれて緩みきった自身を目覚めさせるようにシルミールは唱える。そして、その言葉は、初めて星の空を駆ける――ドラゴンウォリアーと成る者達へ。
「さぁ、行こう! 世界の平和を守るのはボクたちだよ!」
 そんな呼びかけに深く頷くのは、年の頃は十ほどの少女、ルネ。彼女が誰の血を継いでいるのか、その祖先を知る者ならば一目で判るに違いない。その姿はルーンを……まるでそのまま小さく若返らせたかのごとくにそっくりだったからだ。
 冒険者になって一周年が過ぎるまであと二ヶ月ほどで迎えた世界の危機。
「絶対に負けないです」
 本から変じ、梟の意匠を施された杖を握り締め、ルネは真っ直ぐに空へ。
 次々と飛び立つ流星達の中。
 ――巡り巡って、回り回って。
 何かがどこかで一巡りしたのか。
 『彼』のことを、何処かの誰かは、記憶しているかも知れない。
 何処かの誰かにとてもよく似た男もまた、戦場へ飛び立つ。白金の髪と装束をなびかせて、虹色の光を纏い。
 星の瞬く暗黒の中へと、彗星のように。

●繚乱
 ノープラン・ノーパンティーのまま、ノーセンスで強化した武器と共に数万年も生きてしまった。
「イツキです」
 えっ。
 ……といった視線など……いや、やっぱりこういうの数万年経っても慣れないわ!
 だがもうここまで来たら。
「折角だからこの勢いで、世界の果てまで駆け抜けてやるぜ……!
 ……全裸で」
「えっ」
 衝撃の全裸発言に思わず振り向く複数名。だが、大丈夫。今日のイツキはちゃんとフルプレート装備してる!
 もっとも、鎧聖降臨で裸同然になった場合はその限りではないが。
 ……しかしながら、そんなノープラン・ノーパンティーな彼の行動は、意外と堅実だ。
 掻き開いた――立体感のない口腔に灯る怨嗟の気配。だが、構わずに前へ前へと飛び立つ皆へ、届く範囲でイツキがひたすらに振りまくのは鎧聖降臨。それはツァドも同じく。やや後方に位置を取る術士達への射線をなるべく塞げるようにと舞いながら、先手必勝とばかり前進していく仲間へと鎧の加護を降らせる。
 逆に、ピヨピヨは後方に布陣する術士や体力の低い者達を見定めて、そんな仲間達へと鎧聖降臨を降らせていく。その手には炎陽の羽翼が握られ、これにかけてと彼は強い眼差しを前へと投げる。
 そうして与えられた加護を信じ敵へ向かう傍らに、ふわりと白いものが浮かび上がった。
「防御は任せとけ、でも無茶すんなよ!」
 檄と共にナオの遣わせた護りの天使達が、ドラゴンウォリアー達を更に勢いづかせる。そして、その周囲にちらほらと……リューシャが出撃間際からせっせと拵えていたクリスタルインセクトと土塊の下僕達が、角度分散してのろりのろりと標的へ向かって何もない空を泳いでいく。
 舞い上がる黒と、それに向かう幾つもの流星。
「ん……不謹慎だけどスケッチしたいな」
 ドリアッド特有の緑の髪と瞳も、今は母じ赤と紫に染めて。アフタッドは大弓を目一杯に引き絞る。
 本来の姿を取り戻しても、眼光に宿す鋭き煌きは変わらずに。ギルベルトは鎌首を擡げたかのような輪郭の鼻先へと真っ直ぐに突き進む。
「宇宙より昏き深淵すら、俺にとっては希望の光」
 胸の内に抱くその言葉は、この戦場に居る誰にも届かない。だが、言葉の代わりに虚無の宇宙に生まれる、幸運の星。
 展開されたヘブンズフィールド。ギルベルトを中心に生まれる淡い光を放つ球形の領域は、遠く離れた別の場所から見れば本当に新しく星が生まれたように見えたに違いない。
 サンも鋭くも何処か無骨なサーベルを構え、揺らめきつつも塗りこめてむらのない黒い巨躯へと向き直る。
「さて、いっちょやるかね」
 それに負けてはおれぬとばかり、ロドリーゴも鎧進化で我が身を固め、先陣を切って飛ぶ皆に負けじと空を駆ける。
 先にあるのは怨嗟を固めて造られた絶望の使徒。
「再び絶望と合間見えることになるとは夢にも思いませんでしたが」
 少年から青年へ。齢二十歳ほどにまで成長を遂げたラウネンは次々と向かい行くドラゴンウォリアー達の背を明るいオレンジの瞳に映して、緩やかに瞬く。
 その中で一際。
 恐るべき……と称して相違ない的確さで、誰よりも早くに身を躍らせたのはロマ。
 ……知らない相手は、信用しない。
 彼は真っ直ぐに。互いに間合いを計り合う数十名の間をすり抜けて、チキンフォーメーションによって見つけた最も適する場所へと躍り出る。
 それでも。
 共にこの暗黒の世界へ舞い上がったマルクドゥとヴァイスだけは。
 彼らは自分を通して、自分の知らない別の誰かを見ている。だが、そんなことは関係ない。
 唯、背を預けても大丈夫だと。
 心の底で獣が、吼える。
 だからロマは行く。後に続き舞うマルクドゥの活路を開く為。
 その姿が三つに割れて、揺らめいて散る巨躯の残骸の隙間をすり抜ける。隔たる空間などものともせずに、切っ先より繰り出す鋭い一撃が、深淵のような胴を捉えた。
 ――手応えは、あるのかないのか。
 ミラージュアタックの完成とともに再び一つへと立ち戻るロマの姿。眼前の黒い塊はただ蠢いて……さりとて、効かぬなら効くまで切り裂くまでのこと。
「悪趣味にドラゴンのカッコした絶望なんか粉々にしてやるゼ」
 猛々しく凶暴な印象を受けるその姿で。マルクドゥは全身に漲る鼓動を両腕へと集める。血の覚醒に荒れ狂う力は全て握り締めた巨剣へと注ぎ込まれ、漆黒の世界を掻き乱す強大な力となって迸る。
 振り下ろした刹那に解放される破壊の力。全周囲、球形に膨張し外側へとひたすらにドラゴンの紛い物の身体を吹き飛ばそうとするデストロイブレード。
 余波の衝撃に黒く染まった髪を揺らしながら、ヴァイスはその身に纏った腕の先へと集める。
「懐かしいのは何故だろうな」
 意識が尖る。ただ前に見えるあの黒く巨大な塊へ。同時に、一度は青から金に染まった瞳が、更に赤く色を変えた。
 練り上げられていく黒炎。炎は形だけの空虚な存在を食い千切る黒蛇と化して、やがてヴァイスの指先から解き放たれる。
「久しぶりの戦闘だ、どんな敵であれ全力で挑ませて貰う!」
 吸い込まれるように黒い虚無の内側へと融けていくブラックフレイム。炎は渦を巻くようにして、僅かにその虚無の輪郭を散らす。
 だが、散ったかに見えたその残骸は再び吸い込まれるようにして巨躯へと舞い戻り――刹那灯る、邪悪な気配。
 続けとばかりに押し迫るドラゴンウォリアー達へ向けて、そのときだけは確かに、漆黒のドラゴンは圧倒的な存在感と立体感を得て、呪詛のように深淵の息を吐き散らした。今は胎内へと宿るダークネスクロークが魂を共にする者達を守らんとして見えざる胸の内で翻り、宿主らに見切りの力を与える。
 だが、絶望の吐息はそれを越えて、撫で付けるように、押し付けるように。
 ――過剰な冷たさによる痛みは、熱さに似るという。
 絶望という、希望を凍て付かせる力を具現した暗黒のブレスは、それとは逆に――過ぎたる灼熱により痛覚が押し潰され、焦がされているのに寒い――そんな訳の解らない感覚が全身に襲い掛かる。
 折角ナオの遣わせた護りの天使達が、針で突いたようにぱちりぱちりとそこかしこ弾けて消えていく。リューシャが戦場に散らせた召喚生物達も、その一度きりで文字通りに宇宙の藻屑となって、暗黒の中に消えていく……強い痛みと全身が焼ける感覚がやって来たのは、その直後。
 ちりちりと身体を焦がす魔炎。燃え上がるそれとせめぎあうように、内に融けたナインテイルがアーケィの傷を癒そうと躍動する。その間に、リューシャの脳内では薙ぎ払いに消えていった召喚生物達の位置と消滅時間の情報が、凄まじい速度で駆け巡る。正直、召喚生物はドラゴンウォリアーではないので十倍化せず、威力の計算には全く使えない。それでも。
「……最終後衛ラインまでの到達時間、瞬き一回分ですかね。拡散してこれですから、初速最大の先頭付近は閉じかけ半開きって所ですか。そして私が鎧聖降臨と護りの天使付きでぎりぎり一回耐えられる程度の威力です」
「えげつないなぁ」
 ちら、と走らせる視線。後方に多く位置を取る術士の多くがやや前へと歩を進め、ある者は祈りの構えを、ある者は歌う為に息を整え、ある者は光を放とうと力を集める。そんな姿を瞳に捉え……直ぐにやってくる仲間からの癒しの力を信じて、アーケィは前へ前へ天を駆ける。
「どれだけ怨念こもってるのか存じ上げませんけど」
 握る切っ先がすっと揺れ……その軌跡はやがて輝き、無数の薔薇の花を夜しかない世界へと撒き散らす。
「怨嗟の念如きに、血肉と希望ある我々が破れる訳にはいかないのですよ」
 繰り出される一撃。持てる力の全て。最大火力で以って色のない相手へと見舞う薔薇の剣戟の艶やかさ。
 やがて散り消えてくその花弁を花道に。
 いや、その陰をするりと潜り抜けるようにして、猛りうねる鼓動を携えたる斧の刃へと注ぎ込むギー。飛び込むその体に纏わりつこうとしていた魔炎はダークネスクロークの見えざる閃きが虚空へと吹き散らす。代わりに彼の体を迸るのは猛る血潮。巡り巡って握る腕へと辿り着く力の脈流はその一撃をパワーブレードへと換える。
 巨躯の脇腹へと叩きつけられる一打。途端に黒い輪郭の一部がぱちりと弾け――だが、どこからともなく湧き出す深い虚無の黒に覆われ、巨躯は瞬く間に元の輪郭を取り戻していた。
 そして、真っ向から噴き付けられた漆黒の吐息を……盾を掲げ耐え凌ぎ、燻る魔炎になど構わずに前へと進むサン。
「ハッ、この程度でドラゴンとな」
 強気に告げるその腕の先、携えた刃に灯る赤い輝き。
 押し込むように叩き付けるナパームアロー。切っ先を使い押し込まれる矢とその炸裂はまるで、振るい落としたサーベルから迸る炎が敵を包み込んだかのようだった。
「ブラックさん、君と戦った事ないねなぁ〜ん?」
 黒い空の中で燃え盛る炎を鎮めるように静謐の祈りを捧げて、ニンフは首を傾げる。
「何で今更に来るなぁ〜ん?」
 問いかけてみても、縦横無尽に舞う皆の向こう、黒く蟠る存在からの答えはない。いや、もしかしたら、あれは特定の誰かではなくて……今まで戦ってきた『何か達』の想念が、絶望を介して一つに凝り固まったものなのかも知れない。
「打ち滅ぼしたはずの存在が……それほど怨念が強かったのでしょうか」
 イズミもまたチェーンソーを手にヒーリングウェーブの光を解き放ち、皆の痛みを掻き消さんと光を放つ。
「でもそんなものにこの平和な未来を消されてはたまりません」
 誰でもあって、誰でもない。怨嗟と怨念と呪念の塊。
 絶望の生んだ、黒。
 だが、アカリは怯まずに進む。
 希望のグリモアの冒険者であるならば。これしきの絶望などに、負けてなど居られない!
 ぐっと強く握った拳。それが握り締めた巨大剣の切っ先に満ちていく、希望の力。今胸に秘める思いを闘気にに換えて、アカリの繰り出すデストロイブレードが黒い空を舞う黒の塊の肩口を思う様に弾き飛ばす。
 怨恨を凝り固めた光のない黒。一度弾けても内から際限ないかと思われるほどに湧き出る邪悪な気配に、瞬く間に元へと戻る輪郭。
 ひょっとしたら自分達は、手応えのない深い沼の底に、小石を投げつけているようなものなのかも知れない。
 だが、本当に底のない沼などありはしない。
 こんな巨大な敵だからこそ。
「確りこの手で打つ感触を感じたいのなぁ〜ん!!」
 手にした斧に注ぎ込まれた力。この無限の空に瞬く星の戦場へと飛び立つと同時に施したウェポン・オーバードライブが、ヴィカルの握る両手の中にある斧に、漆黒を打ち砕く銀の色彩を与え……今、それは、より一層に輝く。
 灯る雷光。光り輝くサンダークラッシュからの放電が、宇宙空間を眩く照らし闇を貫く。それはまるで、暗黒に聳える巨大な銀の剣。
 そんな光の周囲を、体が燃えるのも構わずに一直線に飛んでいく五つの光……いや、よくよく見ればそれは、青い髪に白い耳と尻尾の、似たような顔立ちをしたヒトノソリンの五人組。その似通った容貌に、永年を経てなおこの戦場に身を置く者達のうちの幾人かは一様に同じ人物を思い浮かべた……ジオだ。間違いなくジオの一族だ。
「デストロイなぁ〜ん」
「デストローイなぁ〜ん」
「なぁ〜ん」
「デーストロイなぁ〜ん」
「デストロイーなぁ〜ん!」
 思い思い、それぞれの気に入った巨大武器を手に、五人はこれまた思い思いの軌道で空を舞い、思い思いにデストロイを叫んで後先考えずに特攻していく。
「散り過ぎなぁ〜ん、回復から漏れちゃうなぁ〜んよ!!」
 見かねて檄を飛ばすのはメルルゥ。白い耳と尻尾を揺らし、海の怪獣の骨より削り出したという巨大な鉈を手にしたその姿は、一万年の時を経ても変わらぬ……ように見えるが、彼女は実は皆の知るメルルゥその人ではない。
 よくよく見れば、数万年前に見たメルルゥよりもまだ少し若く、より溌剌としていることが判るだろう。ヒトノソリンの狂戦士・メルルゥ。十七歳の彼女は、先祖と同じ名を受け継ぐ、メルルゥの子孫なのだ。
 ……何にせよ、ジオ一族は相変わらず、後先考えずに特攻してる気がする。忠告を無視しているというよりは、五人が五人なりに解釈して動いているように見える。
 本当にうまい具合に範囲から外れるものだと逆に感心するインセクテアの女性。エルノアーレの子孫だというその女性は、どこかしら魅惑的な歌声で高らかな凱歌を響かせる。その仕草はどこかエルノアーレに似ているような、似ていないような。
「あんなに似てるのに連帯してないのはある意味奇跡な気すらしてきたなぁ〜ん。でももうついでだからこのままデストロイブレード波状攻撃なぁ〜ん!」
「よっしゃ混ぜろー!」
 メルルゥのそんな声に真っ先に反応したのはミズチ。きっと弟子も今頃どっかでこうやって戦ってんだろな……そんなことを考えるミズチの巨大剣には、既に爆発寸前にまで闘気が溜め込まれている。
 慣れていないのか妙な姿勢と軌道で飛び回るシュゼットも『バーントシェンナ』を引き絞り、その弦に明るく輝く稲妻の光を宿す。
「ジーベ、負けてられないよ」
「判っテら。行ってコイ相棒、なぁ〜ん!」
 呼びかけに応じて少しずつタイミングをずらし翻る巨躯へと迫る前衛陣。その先陣を切るようにして、ズィヴェンが引き絞った黒弓から鋭く風を切る一矢を解き放つ。
 そして、矢の真後ろを追う様に。ナディアは片耳で光る赤いピアス――かつてドラゴンの爪から作られたというそれに軽く触れて笑むと、先祖より受け継がれた『不死者の大剣』にありったけの闘気を込めて真っ直ぐに敵へと肉薄する!
 そんな皆の背面から、散弾のように降り注ぐ矢の嵐。
「負ける訳にはいかないからね!」
 次々に射放たれる矢に紛れロアの打ち放ったガトリングアローが、丁度肉薄し穿たれた巨躯の傷口を広げるように、次々と突き刺さる。
 そんな皆の視界の先で……黒く浮ぶ何かの塊。
「ブラック……何か懐かしい響きでござる」
 そこに居たのは……真っ黒地に所々星を散りばめたような明るいラメ模様を施した……まるで周囲の光景に溶け込むような彩色を施し、宇宙空間に浮ぶインセクテアの男。
「だがこのセスキュー容赦せん!」
 そのセリフに、皆は彼がラスキューの子孫であるらしいと知る。
 そして、その体はまるで星の夜空に……確かに、一般人や遠巻きにであれば、一体化して見えたに違いない。だが、激しく動き回る戦場で、しかも、百やそこいらの距離では、完全に気配を消すのは流石に難しい。だが、彼はこの戦場に措いて限界まで景色に紛れられる位置で、紛れる彩色をその身に施して、翻る巨躯が背を向ける瞬間を待つ。
 そんな視界の先を、呼びかけに応じ真っ向、猪突猛進で挑み掛かるのはリュリュ。
 強い意志と力は握る武器へと注ぎ込んだ。ウェポン・オーバードライブは手にした大棍棒をより力強く野生的に変貌させ、身構え力を蓄えるその一呼吸のうちに、ありったけの加護を授ける。
「リュリュは、リュリュはまだ満足してないなぁ〜んよー!」
 腹の底から吐き出す主張と共に、居合い斬りによって真一文字に薙ぎ払われる大棍棒。その刹那の衝撃は暗闇の空を渡る恐るべき斬撃と化し、かわそうと身を翻した巨躯の翼の根元を一瞬断ち切った。
 だが、それはほんの瞬き一つの間に互いに引き合い、繋がろうとする。
 絶望の権化。
 希望の全てを無に帰すために。ただそれだけを望み、寄り合い形を成す怨嗟の権化。
 見据える眼差しはただ鋭く。ギルベルトは全身に脈打つ血の力を朽ちかけた斧へと注ぎ込む。万感の、待ち望んだ全ての想いを、今は闘気に換えて――。
 ――耐えに耐え忍んだ魂の一撃。
 お前の絶望と果たしてどちらが重いだろうか?
 ……数多浮ぶ星達が死に絶える時、こんな風に弾け散るのだろうか。
 内に融けたるグランスティードは、彼の抱く想いを更に強く、激しく、膨らませる。振り落とした刹那に解放された弾ける闘気と血潮が、黒く蟠る絶望の塊を、外へ外へと押し広げる。
 続けとばかりに、さっと振り上げたマサラの腕の先へと、うねる様に集う黒炎。揺らめく炎が次第に蛇の形を成すのを待って、再び晴れ始めた視界の先をきっと見据える。
「砲撃用意……発射なぁ〜ん!」
 号令一過、巨躯の喉元に食らいつこうとするブラックフレイムすら飲み込んで、幾つもの炸裂が波のように巨大な黒を包み爆音を轟かせる。音の無いはずの虚無の空で、だが、その理を越えて縦横無尽に舞うドラゴンウォリアーは、波打つ幾重もの爆風を越えて、更に巨躯へ迫る。
 迫りながら、ハルトは首を傾げた。
「なんでだ?」
 あんなにも。
 あんなにも時を掛け手に入れた沢山の筋肉。
 それが凝縮されれば……そんな期待に大胸筋を膨らませていたというのに。
 ドラゴンウォリアーとなった彼の体は、以前の……それは、丁度、一万年前ごろの姿に似ていた。
「ってか、これじゃ昔のままじゃないか、ちくしょ〜」
 怒りは血の覚醒に。そして、溢れる思いはレイジングサイクロンに。八つ当たりで解き放った巨大な嵐が、爆煙に煙る巨躯へと叩きつけられる。
 そして、その嵐をもってしても吹き消えぬまばゆい煌きが、彗星となって黒き星へ墜ちた。
 誰かの記憶の中にあるその姿。
 纏う白金の装束は煌びやかに、彼が舞う度煌びやかに。瞬く様は天に散らせた星々にも似る。たゆたう白金の髪の陰で、黒を見据えるその口元に刻むのは不敵な笑み。
 その指先が虚空をなぞり描き出すのは――彼よりもなお眩くきらめく巨大な紋。それはほんの数秒の間に、くしゃりと丸めた紙屑のように融けて崩れて、一つの小さな灯火となる。
 刹那のうちに、白金の髪の男が纏う虹色の光が輝きを増した。
 かの男の内に融けたるはミレナリィドール。さりとて、白金の着衣を照らし揺らめくその光は、彼自身が放つもの。呼応するように、脈動するように。眼前に揺らめく灯火は篝火に、篝火は業火に、業火は燃え盛る虹色の星に!
 巨大な虹色の彗星と化したエンブレムノヴァが暗黒の空を渡り、星はその力を全て燃やし尽くして、立ち塞がる深淵の中で激しい火の粉を散らせる。
 だが、その輝きすらをも飲み込む巨大な邪悪の権化は、周囲を舞うドラゴンウォリアー達へと、虚無を凝り固めたような鋭い爪を音もなく振り翳した。
 刹那揺れる、デューンの身体。
 内に融けたダークネスクロークと、そして、イリュージョンステップの軽やかな足取りが、体を引き裂かんと迫る鈎の先を、紙一重で遠ざける。
 それはロマも同じく。
 チキンフォーメーションによって得た的確な位置取りと、内よりもたらされる魂の力。それ無数に散って瞬く遠い星の光を足場にして軽やかに黒をいなすロマの動きを、更に確実なものとする。
 そのすぐ先で、掠る爪の先に軽く表情をゆがめるマルクドゥ。
「ひゅう、危なかったゼ」
 確かに痛みはあったものの、ロマを狙う軌道を取ったお陰が禍々しい爪の痕跡が呪痕を刻むことはなく。マルクドゥはむしろ痛む体をこれ幸いと、振り被って歪む巨躯へ向け、再び舞った。これくらいの傷、ヴァイスならば直ぐに治してくれる。
 だが、一部は助かれども。その鋭い怨嗟の爪は、次々にドラゴンウォリアー達を引き裂いていく。
 前のめりに身体を突き出し、目に映る全てをその爪の餌食にしようかと迫る巨躯。届かせはすまいと、透かさずに進路を塞ぐようにただ黒いばかりの深淵の前へ身を躍らせるツァド。メルルゥも巨大鉈の刀身を平たく構えて盾代わりに、その場から動かずに防御の構えを取る。
「後ろには抜かせないなぁ〜ん!」
「希望はこれしきでくじけたりせんもん!」
 肉を削ぎ落とされるような痛みがアカリを襲ったかと思えば、再びに、ぱちんぱちんと弾けるように消えていく護りの天使達。そして、不快な傷口から瞬く間に全身に広がっていく毒と呪痕が、ドラゴンウォリアー達を苛む。
「何があったか知らないが、こいつは怨嗟の塊だな……」
 引かぬ仲間達に救われる形で爪の攻撃から逃れたマクベスが、纏う黒炎を練り上げながらごちる。そこからさほど離れていない……やや、右上方で。
「先ほどの威力測定なんですが」
 立ち昇る魔力を紋章へと換え、同じように練りながらリューシャがごちる。
「……あくまで推定ですからね?」
「つまり下手をこくと一撃で終わりか」
 嘆息交じりに告げるマクベスに、大体そんなところですと返すリューシャ。
 だが、そんな脅威を前にしても。
 ギルベルトは――笑っていた。
 確かに浮ぶ笑顔。
 ――渇き。
 妄執にも、数万年の、甚だしきそれがそうさせるのか。
 次の挙動へ移ろうかという深淵の立体感のない顔の前。居並ぶ癒し手らから意識を逸らそうと鼻先を縦横に舞う様は……ここだ、俺はここに居ると、言葉なく呼びかけているかのようにも見える。
 それは、肉を引き裂き、血飛沫迸る有様であっても変わらずに。
 真に傷ついた身を癒す凱歌の歌声よりも。
 この全てが――飛ぶ血も裂ける肉も、全てに癒される。
 だから、ギルベルトは笑っていた。否、笑っている。
 俄に揺らぐ黒。
 望むならばそうしよう。
 ……まるで応じるように、ドラゴンの形をしたものは凹凸なく見える口を大きく掻き開く。
 煌々と灯る深淵。ただひたすらに深く深く、底の見えぬ暗黒の塊が生まれ行く感覚。
 だが、それを打ち消すかの如くに。
「未来も喜びも、ずっと繋いでいくんです」
 ルネの手にした杖の先、施された梟の意匠の瞳が輝く。その嘴の先で描き出した紋章もまた虚空に眩い光となって留まり……やがて魂を繋ぐミレナリィドールの力を帯びて、七色に色を変えていく。
 ……そのルネから少しは離れたところに、もう二つ。
 一つはリューシャの上に。
 もう一つを頭上に掲げるのはマクベス。相対する深淵の権化にも勝るかと思しき黒い術手袋の指先で、生み出した火炎の星が七色の複雑な色彩を目まぐるしく変化させる。今、そこに見えなくとも。こうして輝く光の中に、魂を別けた七色の髪の少女の力が注がれていることを、確かに感じる。
 三つ子のように灯ったエンブレムノヴァの光。
 恒星たちは吐き溢される暗黒の河を越え、その奥に聳える黒の巨星へと突き抜ける。
 だが、それをしても留まらず迫る絶望の吐息。
 だからどうしたというのだ。
 そんなものに怯みはしない。
 吹き出される口腔の動きを追い掛けて、アーケィはくるりと身を翻す。好き好んであんなものに当たりたくなんてないけれど……でも、恐れることは何もない。何度でも、共にある仲間が癒してくれると、信じているから。
 剣戟が、風を切る。
 光の如く星の海を渡る一閃。ソニックを越え、タキオンに。それは全てを貫いて深淵の最奥へと達する衝撃派。
 引き換えにして、全身を包む魔炎に鼻先をつく、我が身の焼ける匂い。
 刹那、サンの体内で魂を共にするタイラントピラーの炎が一際に大きく揺らめくのを感じる。もたらされるのは幸運。それは瞬く間に、羽毛を焦がそうと揺らめいていた邪悪な残り火を消し飛ばした。
「ご先祖様が何度も丸焼けになったのに比べりゃ、ねぇ」
 どうってことはないさと涼しい顔で、サンは再び暗黒を舞う巨躯を見据える。
 その耳に響くのは、叫び。
 ガマレイは魂の赴くままに、手にしたギターの弦を掻き鳴らす。
「こんな残念出遅れ野郎に未来を奪わせないわよ!」
 あらん限りの声を張り上げ、高らかな凱歌を――叫ぶ。最早、歌の体裁をとってすら居ないが、ガマレイの解き放つ想いは、傷を癒す光となって確かに皆の元へと届く。
 その叫びに呼応するようにして――ガマレイの声の届かぬその場所で、ミカモもまた、全身全霊をこめて声を張り上げる。
「ヴィンとーちゃんやウラかーちゃんが守ってた物、そう簡単には無くさせないんじゃなぁ〜ん!」
 漆黒の空に響き渡る、幾つもの高らかな凱歌。
 深淵を取り巻いて舞い踊るドラゴンウォリアー達を余す事無く包むように、響き、輝く。
 幾度も、幾度も。

 身を焦がす絶望の吐息。
 肉を抉る怨嗟の鈎。
 ――停止した数万年の時を経て。
 やっと今戦が。
 己に生を実感させてくれる。
 充足感と渇望と。ギルベルトは内より湧き上がるものを戦斧に詰め込んで、身を捩る黒き塊の鼻先へと突きつける。デストロイブレードの炸裂の向こう、その口腔に灯る禍々しい気配を見るのは、最早、幾度目なのか。
 撹乱するようにその正面を一気に駆け抜けて、
「これで売り切れだ!」
 叫ぶナオの声と共に、ぽつりぽつりと浮かび上がる護りの天使達。
 その後ろで、遣わされたばかりの、護りの天使を引き連れ射線を塞ぐように飛んで舞うイツキが握る刃に、今まさに吹き付けられようというブレスとは間逆の氷の力が注ぎ込まれる。
「……そういえば実は全裸だったりするのでござるか」
 氷河衝を繰り出す折の斯様な呟きは聞こえなかったことにして。ピヨピヨもまた兜割りを仕掛ける。
 なんだか少し、輪郭がぼやけてきたような気がする。
「効いてるなぁ〜ん……少しずつだけど、ちゃんと効いてるなぁ〜ん」
 力増した斧をしっかりと握り締めて、ヴィカルが切っ先を繰り出す。斧へと備えられた力は鎧砕きと化し、衝撃は眉間を割らんとして黒い輪郭を歪ませる。
 それに続けと、一斉に身構える……その耳元に、俄に届くのはタスクリーダー。
『狙いどころはわかるけど、ちょっと固まり過ぎ。ブレスで一網打尽にされちゃうよ』
「四方八方から波状攻撃なぁ〜ん!」
 弓を引き絞りつつ告げるロアの言葉に応じるように、自ら率先して脇へと散会してデストロイブレードを叩き込むメルルゥ。ほんの僅か一瞬といえども、抉り取れた巨躯の脇へ目掛け、刹那の閃光と共に、暗闇に灯る雷電の権化。
「絶望に染まりし魂に幾千万の試練あれ」
 真横からの吶喊し唱えるギーから迸り、巨躯の胴をより深く抉り取るサンダークラッシュ。
 脇腹から肩口へ、突き上げるように斜めに迸る裁きの雷。
 ――その雷光の裏で。
 黒い巨躯の真後ろへと回りこんだ影が、動いた。
「祖先より伝わりし奥義を喰らうでござるよ!」
 言うや急接近、闇の翼翻る背へと飛び出したのはセスキュー。
 背面より肉薄する勢いはそのままに、飛び上がるその体がスパイラルジェイドによって高速回転する。掘削機さながらに回転し、一路暗闇へと潜り込んでゆくその姿勢はまるで……匍匐前進。
 瞬間、幾人かの脳裏に過ぎる単語。
 『月刊都市伝説・3009年8月号』……。
 ……だが。
 若干名が何故か残念な気持ちになるのとは裏腹に。
 その時初めて。
 空中匍匐前進姿で回転するセスキューの一撃が、深淵のような胴を『貫いた』。
 ぷつりと、一瞬途切れ……また、元の黒きドラゴンの輪郭を取り戻す邪悪の権化。されどそれは――如何な攻撃をも『飲み込む』ばかりであった黒に訪れた変化。底無き深淵に相対し付けていたドラゴンウォリアー達にとっては、遂に訪れた絶望の終焉、その証!
 途端に、長引く戦に疲弊し始めていた精神に戻る活力。
 代々伝わるというまんもー革の儀礼盾を掲げ、サリアは祈る。邪悪な呪痕と、仲間の身を蝕む毒とが、一瞬でも早く消え去るように。ひたすらに静謐の祈りを捧げ続ける。そして、その恩恵が届かぬところにはアルールが、同じ清らかな祈りを捧げていた。
 そうして辺りを包む清浄な空気の中を、些かに不安定な軌道を描き舞いながら、シュゼットは引き絞った弓に眩く輝く稲妻を番える。
 空を渡り、星の海にライトニングアローの軌跡が舞う。本来ならば空制動で雷光を模して飛ぶ雷の矢は、真っ直ぐに黒く沈む眉間へと突き刺さる。
「これぞ、蜂の一刺し……まぁ倒れるまで何度でも刺しますがね」
 だが、吐き掛けられる漆黒の吐息は未だ衰えを見せない。ようやく見えた希望の灯を吹き消さんとするように、虚無の星空を駆けるドラゴンウォリアー達へ絶望の片鱗を押し付ける。
「ならば歌いましょうか」
 決して諦めず立ち上がり続ける皆をオレンジの瞳に映して、ラウネンは紡ぐ。
 数万年前と同じ歌を。
 ……あの歌を。
「かつて絶望の中より脱出する時に歌った、希望の歌を」
 楽器に比べると、歌は余り得意ではないけれど。
 手にした短剣の装飾を煌かせ、ラウネンはそれをタクトのように揺らし歌う。腕を振るたびに、その身に繋がりそよぐ幾重もの布が、五線譜のように揺らめく。
 響き渡る、高らかな凱歌。
 絶望を抜け。
 愛しき故郷へ。
 ――『凱旋せよ』と。
 吐き掛けられた絶望の河を踊るように飛び越えて、シルミールは虹色に光る細身剣に、薔薇の輝きを宿す。自らの撒き散らした花弁をイリュージョンステップの軽やかな身のこなしで飛び石のように渡り、遂に達した巨躯の喉元へと、薔薇香る七色の刃を鋭く突き立てる。
 途端に揺らぐ輪郭の懐へ……三人のデューンが潜り込んでゆく。鋭く繰り出されるミラージュアタック。最早底の知れた深淵を貫くような一刺しに、千切れた輪郭の破片は暗黒の夜空に散る。
 その破片を、まるで足場にするかのように。
 振るわれる尾と翼の合間を縫って、軽やかに天を駆けるロマ。その背から、眩く光る雨が降る。
「行って!」
 ヴァイスの撃ち放ったエンブレムシャワーの中を潜り抜けて、マルクドゥとロマは進む。
 濃淡も起伏もなく見えた黒の中――うっすらと、だが確かにロマの瞳に映る、ドラゴン本来の輪郭と……浮かび上がる、禍々しい双眸。
「海を返せ」
 その邪魔をするならば、容赦はしない。
 睨めつけるようにそれを捉えて。ロマの振るう細剣の軌跡に、無数の薔薇が散る。そして、繰り出された薔薇の剣戟に抉り千切れ飛ぶ、深淵の破片。
 それを踏み台にするようにして飛び上がるロマ……の、抉った傷口へ向けて、巨剣を携えマルクドゥが飛翔する。
「平和な世界に戻して、ロマをお姫様抱っこすっぞ!!」
「却下」
「エエーッ!?」
 豪速での却下に至極残念そうな声を洩らし、だが、言動とは裏腹に。血に猛る全ての力と闘気と想いを注ぎ込んだマルクドゥのデストロイブレードはロマの穿った傷口を抉り、その爆発によって大きく押し広げる。
 その瞬間、ジオ一族五人組は、今しかないとばかりに……この時だけはまるで以心伝心したかのように、一斉に千切れかけた傷口に向かって飛翔した。
「「「「「ここで勝って姉ちゃん達見返すなぁ〜ん!」」」」」
 思い思いの武器、思い思いの角度で繰り出すデストロイ!
 途端に、引き千切れる片翼。だが、それはそのまま戻らずに、星の瞬く宇宙の暗黒の中へと、溶けるように消えていく。
 それでもなお、振るわれる爪も牙も、衰えない。
 掬い上げるように足元から襲ってくる漆黒に、ヴィカルは咄嗟に斧を繰り出した。
「なぁんっ!」
 力任せな薙ぎ払いによる回避。それによって何とか直撃は免れたものの、殺しきれなかった勢いに握る斧ごと両腕を弾き上げられ関節がどうにかなってしまったか、まるで千切れてしまったかと思うような痛みが両肩に走る。
 それを消し去るように高らかな凱歌――エルノアーレにそっくりな歌声。
 もう少し。
 もう少し……。
「痛いの痛いの飛んでけなぁ〜ん」
 僅かに残った痛みすら、その言葉通りに吹き飛ばしていくニンフのヒーリングウェーブ。
 だが同時に、欠けながらも揺らめく深淵は――浮かび上がった双眸に衰えぬ憎悪を宿し、ドラゴンウォリアー達を映し込む。だが、そんな威圧感すらも消し飛ばすように、ガマレイのシャウトが、凱歌が。その音圧でもって仲間の背をまた強く押し出す。
「オゥゥゥライトッ! もうブラック野郎に用はないわよ!」
「まだ終わりじゃないです」
 ルネは杖を握り締め、きっと前を見据える。
「皆がいるから負ける気はしないし、負けません!」
「今のうちなぁ〜ん、次の攻撃までに皆で一斉攻撃なぁ〜ん!」
「砲撃用意なぁ〜ん!」
 メルルゥの言葉を継ぐように、煌々と立ち昇る黒炎覚醒の黒を練り上げてマサラが再び号令を掛ければ、あちこちで灯る命の煌き。
 嬉々として、ナオは携えてきた鍔の無い漆黒の長剣を構える。
「やっと! これを使う時が来たか!」
 刀身に宿るは稲妻。雷管のように放電を繰り返す刀身に、まだだ、まだもうすこし、もっとだと、限界にまで力を注ぎ込む。
 だが、その間にも、怨嗟の化身の爪と口腔は、ドラゴンウォリアー達を絶望の淵に撃ち堕とさんとして蠢く。それが繰り出されるのを、一秒でも遅らせるために。ロドリーゴは携えた刃を大上段に構え、そのまま真っ直ぐに黒の頭上へと飛翔した。
「立つ鳥跡を濁さず。往生際が悪いですぞ」
 説教じみたことを溢しながらも、真っ直ぐに、垂直に――真に黒の兜を捉え打ち落とされる兜割り。そんなロドリーゴの背面、彼を支援するようにして降り注ぐ、無数の光と矢の雨。
「ばっらばらにしてやんよ〜♪」
 チェーンソーを振り翳しイズミの描き出した紋章から流星群のように振るエンブレムシャワー。その合間を縫うようにして、アフタッドが素早く繰り出したガトリングアローが次々に黒を打ち据えて、引き伸ばすようにして綻びを生じさせる。
 その継ぎ目を、数百の距離を越え、綺麗な曲線を描き黒の背景を越えてやってくるホーミングアロー。ロアの弾いた弦から打ち出されたその矢は、アフタッドの作り出した黒の綻びの継ぎ目を打ち砕き、怨嗟に塗れた片腕をその胴から引き離す。
 そしてその矢を追って一気に間合いを詰めたサンの腕で、握るサーベルが残像を生む。
「邪魔臭ぇ、往生しろや!」
 切っ先に携えられていたのはガトリングアロー。だが、それは弦を爪弾く代わりにサンが振るい、生み出す斬撃に乗って打ち出され……切り刻むように突き刺さっていく矢の衝撃が、揺らぐ黒の表皮に不可思議な滅多切りの傷跡を拵える。
 その傷跡を照らし出すのは、眩い光。
「こんなに続いた世界を、沢山の生命が紡いできた世界を全部否定するなんて間違ってるなぁ〜ん!」
 掲げ揚げたリュリュの大棍棒に宿るサンダークラッシュの光が、果てない筈の星の世界を眩く照らす。
「そんなの自分勝手な奴の言い分なぁ〜ん!!」
「あたし達は何度でも絶望を切り裂いて、希望と共に進むのなぁ〜ん!!」
 健勝さを取り戻した両腕。ヴィカルも残り僅かとなった稲妻の力を、握り締めた切っ先へ宿らせる。そして、揺れ動く黒の横合いへと身を滑らせるギーの身体を包み込むのもまた稲妻の気配。血の覚醒により高められた裁きの雷は……宇宙を渡る電磁の裁きと化して解き放たれる。
 網膜を焼くかと思うほどに激しく煌いて、深淵を貫く四本のサンダークラッシュ。
 激しい光の明滅に網膜が焼け付くのも構わずに――白金の髪の男は、その煌きの中に何かを視る。
 くるくると巡る色彩。彼を包む七色に呼応して、黒い空をなぞる指先から零れる光もまた虹の色彩を織り成しながら、漆黒の星空に輝く紋章を描き出していく。
 その前方で。消え行く雷の残光と引き換えに、溢れる闘気を携えた者達が黒へと迫り行く。
「めいっぱい想いを乗せた剣やからこそ重たい一撃がつんといくんよ!」
 ぐらぐらと揺れる景色。切っ先から零れるアカリの注いだ闘気の断片が、瞬く星の光を一層にちらちらと明滅させる。
 吹き荒ぶ爆風。掻き混ぜるように放たれたハルトのレイジングサイクロンと合わさって、完全な球体を描いて弾ける力に吹き飛ばされた絶望の破片は、次第に宇宙の海の藻屑となっていく。
 薄れ、欠けてなお。強い絶望に結び付いた黒は僅かに残る深淵を集めて、揺らぎながらもくっきりとしたドラゴンの……頭部と、片腕を形作る。
「……お前が刻み付けるのが怨嗟の傷跡なら」
 未だ鋭く在り続ける黒く禍々しい爪を見据え、マクベスは虚空に眩い紋を描く。
 紋章はくしゃりと縮み、やがて燃え上がるエンブレムノヴァ。
「俺達が刻み付けるのは、希望の欠片だ」
 瞬間。
 虹色に輝き燃ゆる彗星に……白金の髪の男は。
「深淵の闇よ、形なき黒よ! 来るがよい!」
 たゆたい、なびく白金の装束を翻し、彼はもう一つの大きな煌きを造り出す。
 纏う虹色の光は星へと伝播し。
 だが、昂るその輝きは――虹を越えて白へ近付く。
 そして、彼は叫ぶ。
 黒き竜を見据え、不敵な笑みを浮かべて。
「我らの世界の輝きを、しかとその身に受けるのだ!」
 それは、きらめき。
 刹那のうちに、暗黒を照らし出す、まばゆきもの。
 そうして彼は。
 自らが作り出したきらめきの中に身を躍らせた。
 遂に深淵を飲み込み、輝き砕け散る光。
 ――だが、その中に。
 僅かな邪悪な気配と、指先一つ分の形が残っていることに気がついた。
 恐らくは、最後の。
 残骸は弾け飛んだその先で形を成し……だから彼は舞った。
 ――この痛みこそが真に。変わらずに笑顔を湛えたままで、ギルベルトは振るわれた暗黒の爪を我が身に受ける。
 堪え、足場のない星の世界に踏み止まって。肩越しの背にちらりと投げた視線の先。危うく薙ぎ払われようとしていた癒し手達がこの隙に距離を置くのをしっかりと確認し、再び眼前にぽっかりと開く黒の塊を見遣る。
「絶望になんか負けないなぁ〜ん。『希望』をサリアは信じますなぁ〜ん!」
 今、庇い助けた癒し手の一人――サリアから届けられる、暖かな光。
 深く身体を抉る傷と、刻み付けられた怨恨の証たちはその一度きりで身体から消え去ることはないが……手にした朽ちかけた戦斧が――柄でもねぇ、なんて思う程に変貌していくのをギルベルトは見た。
 ディバインヒールの力を帯びて、今、この一瞬だけは真新しく天より遣わされた聖なる武具の如く神々しい戦斧へ、猛る鼓動と渇望から生まれる闘気をありったけに注ぎ込む。
 所詮戦場でしか息出来ぬ肉斬り包丁だが。
 未来を切り拓く為に振るえるなら――。
「――それも良し」

●織色
 炸裂する爆風に、跡形もなく消し飛んだ黒は。
 やがて、無限に広がる宇宙の黒に溶けて消える。
 ようやくか、と大きく息を溢すマクベス。
「今度こそ、大人しく眠っててくれよ」
「……新たな解こそが美しい」
 そして、リューシャはその両の眼でしっかりと、消え行く事象の中に、算式を視る。
「証明終了、と」

 ――露払いを終えて、帰還したインフィニティマインド。
「さて、ゲートへ、発進なぁ〜ん」
 前方、遮るものの失せたタイムゲートへと突き進んでいく景色に、ニンフは冒険はまだまだ続くなぁ〜んとピンクの尻尾を揺らす。
「時に、修士」
 煙管から煙を燻らせるその姿に歩み寄り、ロマは問う。
「この世界の色は貴方にはどう見える?」
「望みの織り成す彩模様。濃しも淡しも御心一つ。さりとて今は……未だ晴れやぬ灰の色」
 そして修士は煙管を返し、かつりと打って灰を落とし、まだ仄かに赤く灯る残骸を見遣る。
 それは未来に掛かったままの、灰色の靄。
「曇りなき彩を取り戻しに。いざ往かぬ黒の海、哉」
 そう、冒険はまだまだ続く。
 メルルゥも近付く青をじっと見つめる。
「さあ、冒険に出かけようなぁ〜ん」
 青く輝くタイムゲート、その向こう。
 世界を救う為の、冒険に。


マスター:BOSS 紹介ページ
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冒険結果:成功!
重傷者:なし
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   あなたが購入した「2、3、4人ピンナップ」あるいは「2、3、4バトルピンナップ」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 マスターより許可を得たピンナップ作品は、このページのトップに展示されます。
   シナリオの参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
 
空游・ユーティス(a46504)  2024年05月07日 06時  通報
置いてかないよ。永遠をくれたあなたの、いつも、ずっとお傍に。

ガラクタ製作者・ルーン(a49313)  2011年11月22日 22時  通報
さすがBOSSMS……とうっかり呟いてしまったり。

10年後はあまり変わらず、でもちょっと成長。
100年後はチキンレッグの職人気質な女の子。夢は叶ったらしいです。
1000年後は他人と関わるのが苦手なインセクテアの青年。
数万年後は僕そっくり、でも女の子。

どの子もキャラを上手く掴んでもらえてて嬉しかったです。
もう心からGOOD JOB!と叫びたい位です。

最後に。
BOSSMSに巡りあう事ができて本当によかったです。有難うございました!

神を斬り竜をも屠るメイドガイ・イズミ(a36220)  2010年07月01日 00時  通報
さすがBO(以下同文過ぎるので略/何)

楽園の大地に生きる・サーリア(a18537)  2010年06月30日 22時  通報
さすがBOSSマスターはグッジョブでしたなぁ〜んっ。私たちのむげふぁんはこれからですなぁ〜んっ(夕日に向かってダッシュ)

神術数奇・リューシャ(a57430)  2010年06月30日 00時  通報
……ぐっじょぶ。BOSSマスターふぉーえばー。

バナナん王子・ロア(a59124)  2010年06月18日 22時  通報
GOOD JOB

若緑樹へ寄り添う紫眼竜・シェルディン(a49340)  2010年05月27日 04時  通報
更に便乗しましてBOSS MSは(以下省略)だけでなく、うちのアッシュ(=息子)の描写も的を得ていてとても嬉しかったです。未だその技術には足元にも及びませんが、これからも最も尊敬するMSとして、TW3で頑張って下さいね。そして今までありがとうございました

異風の叫奏者・ガマレイ(a46694)  2010年01月10日 04時  通報
同じく、BOSS MSは(以下同文)
というわけで、ロック・フォーエバァァァ!

星薙ギノ剣・ミズチ(a46091)  2009年12月25日 17時  通報
BOSSMSは、俺の事解りつくしちゃって困ります(超褒め言葉)。
どうもお疲れさん&ありがとうございましたー!