死と蒼穹の腕、翔ける君へ。



<オープニング>


●2019年の世界
 インフィニティマインドが星の世界への旅から帰還して4年が過ぎた。
 世界は相変わらず平和で、冒険者達は変異動物や怪獣と戦ったり、人助けをしたり、旅に出たり、第二の人生を歩み始めたりと、思い思いに暮らしている。
 そんな中、誰かが言った。
 魔石のグリモアとの最終決戦から10年。世界が平和になって10年。
 この節目の年に、久しぶりにみんなで集まるのはどうだろうか。
 互いの近況や思い出話など、話題には事欠かないはずだ。
 さあ、冒険者達の同窓会へ出かけよう!

 そこは雪に閉ざされた山だった。
 しん、しん、と堆積するのを、雪狼の瞳は追いかけているのか、いないのか。雪の影に、ウサギでもかくれていやしないかと、枯れた涎を飲み込んで、じっと待つ。
 豪雪に埋もれたような洞窟で、彼はじっと待ち、そのうちに眠ってしまった。過去には大きく立派な牡鹿が寝床にしていた洞窟は、今は彼の夢をつつみこむ天蓋だった。
 しん、しん、と堆積する白。
 ちいさな、ざり、という足音も自然に溶け込むかのよう。
 冒険者の来訪にも狼は欠伸をひとつ返したのみ。
「狼さん、一緒に、あったまろうか」
 近隣の村で聞くところによれば、このあたりの動物はとても人懐っこく大人しいという。旅のお供を見つけ、連れ立つ冒険者もいるらしい。
 干し肉と皮袋にいれた飲み物を傍らに、追憶と追想を物語りつつ。
 暖かな焚き火を囲う輪に、森の小動物達も集まってきたようだ。
 ちいさな、とても小規模な語らいの夜は暖かに更けていく。

●2109年の世界
 世界が平和になってから、100年の時が過ぎた。
 年老いた者もいれば、かつてと変わらない姿を保っている者もいるし、少しだけ年を取った者もいる。中には寿命を迎えた者も少なくない。
 そんなある日、冒険者達にある知らせが届く。
 100年前に行った、フラウウインド大陸のテラフォーミングが完了したというのだ!
 昔とは全く違う姿に生まれ変わったフラウウインドは、誰も立ち入った事の無い未知の場所。
 そうと聞いて、冒険者が黙っていられるはずがない。
 未知の大陸を冒険し、まだ何も書かれていないフラウウインドの地図を完成させよう!

 まるで宝石だ、と外貌を一見した者が言った森がある。
 朱銀や蒼石、翠氷のしたたるような葉を垂らした木々がみっしりと天を覆い、わずかな光を反射して灯となり、この世のものとも思えぬ宝石箱のような不可思議な世界を作っているという。
 その薄闇に煌く世界に、これまた妙な動物がいるのだとか。
 一見すれば小さな象にそっくり。小さいといっても身の丈は2メートルを超え、肌は真っ白。立派な牙が3対も生えていて、耳は翼のように羽根が生えている。優しげに見つめてくる眼はとても慈しみに満ちているという。
 さあ、遊びに出かけよう。
 そしてこの不思議な森と、そこに棲むこの生き物に、名を与えるために。

●3009年の世界
 世界は1000年の繁栄を極めていた。
 全てのグリモアを搭載した『世界首都インフィニティマインド』には無敵の冒険者が集い、地上の各地には英雄である冒険者によって幾百の国家が建設された。
 王や領主となって善政を敷いている者もいれば、それを支える為に力を尽くす者もいる。相変わらず世界を巡っている者もいたし、身分を隠して暮らしている者もいて、その暮らしは様々だ。
 1000年の長きを生きた英雄達は、民衆から神のように崇拝される事すらある。
 今、彼らはこの時代で、どのような暮らしを送っているのだろうか?

 王国の長に貴き名を連ね、棺に身を埋めた者たち。誰に知られることもなく、終わることを選んだ者たち。心の中に死を積み重ねながら、生き永らえる者たち――。
 そこは誰かの墓標。
 思い思いの形を成した、軌跡の終焉。誰かの生の終着点がそこにある。
 途方もない時間を経て――風化した誰かの墓標。
 幼い字で綴られた死者への手紙が置かれた、誰かの墓標。
 仲睦まじく隣設された、新しい墓標と朽ちかけの墓標。
 遥か世界を望む海原に聳え立つ断崖に、ひっそりと供えられた一輪の菫。
 いつか、生ある誰かが血の涙を流した、氷柱のヴェールでかたくなに閉ざされた雪原。
 陽光降り注ぐ遺跡に突き立つ、朽ち果てた一振りの剣にとまった小鳥。
 血の荒野は花畑へと姿を変えた。
 死沼の樹海は恵みの森へ。
 薄暗い路地は小さな子供たちの遊び場になった。
 あなたは、なぜこの墓標を訪れたのだろう。この墓標の主はいったいどんな人物だったのだろう。どうか語ってくれないか。
 愛する誰かの墓標の前で、過ぎ行く時の重さをあなたは噛み締めているのだろうから。

●数万年後の世界
 永遠に続くかと思われた平和は、唐突に終わりを迎えた。
「あれ、海の向こうが消えた?」
 異変に驚いてインフィニティマインドに集まった冒険者達に、ストライダーの霊査士・ルラルは言った。
「あのね、これは過去で起こった異変のせいなの。過去の世界で……希望のグリモアが破壊されちゃったんだよ!」

 とある冒険者がキマイラになり、同盟諸国への復讐を試みた。
 彼は長い時間をかけて、かつて地獄と呼ばれた場所にある『絶望』の力を取り込むと、宇宙を目指した。
「えっと、これ見てくれる?」
 ルラルは星の世界を旅した時の記録を取り出した。
『2009年12月10日、奇妙な青い光に満ちた空間を発見。後日再訪したその場所で過去の光景を目撃。詳細は不明』
「この記録を利用できるかもって思ったみたいだね。そして、実際にできちゃったの」
 どうやら、この空間は過去に繋がっていたらしい。男はここから過去に向かい、希望のグリモアを破壊してしまったのだ!
「世界が平和になったのは、希望のグリモアがあったからだよね。だから希望のグリモアが無かったら、今の世界は存在しないって事になっちゃう。ルラル達、消えかかってるの!」
 今の世界は、希望のグリモアが存在しなければ有り得なかった。
 だから希望のグリモアが消えた事によって、今の世界も消えて無くなろうとしているのだ。
「これは世界の、ううん、宇宙の危機だよ! だって、みんながいなかったら、宇宙はプラネットブレイカーに破壊されてたはずだもん! だからね、絶対に何とかしなくちゃいけないんだよ!」
 ルラルにも方法は分からないが、事態を解決する鍵は、きっとこの場所にある。
「でも、この空間……えっと、タイムゲートって呼ぼうか。このタイムゲートの周囲には、絶望の影響で出現した敵がいるの。これはね、全部『この宇宙で絶望しながら死んでいった存在』なの」
 彼らが立ちはだかる限り、タイムゲートに近付く事は出来ない。
 彼らを倒し、タイムゲートへの道を切り開くのだ!

「あなたたちに倒してもらいたいのは、子供達なの」
 何、と聞き返す冒険者にルラルがぷんぷんと首を振った。
「子供達っていうか、たくさんの子供がくっついて、もやもやの煙をまとった泥団子みたいな、とても大きな塊になってるの」
 空恐ろしい数の泥人形を集めて少しずつ球に叩きつけるように潰していったら、このような姿になるだろうか。異様な灰色の塊がゆっくりと宙をただよっている。
 その表面には夥しい数の子供の姿が浮かび、虚無そのもののような眼窩と口腔をこちらに向け、怨嗟の呻き声とともに無数の長い腕でこちらを掴もうとしてくるという。
 もはや意思も感じられない、意味の薄れた言葉を叫ぶ声は様々な状態異常を引き起こし、纏う瘴気は触れるものに激痛を与え、防具を腐らせる。腕に捕らえられれば内側に引きずり込まれ、その質量に圧殺されてしまうかもしれない。
「あるていどダメージを負わせれば、泥団子が開いて中の核があらわれるはず。核はすっごいビームを撃ってくるから、近づくと余計危ないかもしれないけど、そこがチャンスだよっ」
 絶望して死んでいった子供達。
 モンスターの犠牲となった子供達。村を焼かれた子供達。奉仕種族として使い潰された子供達。それとも、親に捨てられたか、あるいは生まれる前に。
「お願いっ! 子供達を倒してあげて。もう絶望は終わったんだって、希望のあふれる世界なんだって、子供達を止めてあげることが、それを伝えることにきっとなるはずだから」
 ルラルの言葉に、冒険者達は力強く、応と頷いた。


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参加者
月笛の音色・エィリス(a26682)
蒼翠弓・ハジ(a26881)
朱の蛇・アトリ(a29374)
金鵄・ギルベルト(a52326)
護風桂花・ティーシャ(a64602)
琥珀と鈍色の調べ・イアナ(a73966)
NPC:深淵樹海・ザキ(a90254)



<リプレイ>

●10年後
 冷たい、白い世界だった。舞い落ちるものはぼたん雪に近く、雪面に着地する音さえ聞こえそうな大片を成している。日暮れも近いというのに茜の光が差し込む気配はなく、空さえも厚い白で覆われていた。
 点々とつく獣達の足跡とは別に、つらつら続く軌跡が雪原の黒い林を縫っている。新鮮な断面を覗かせる跡も、その主から離れれば急速に新雪に包まれ表面をなだらかにしていく。
 雪にすべての音を吸着されたような空間にあって、なぜかドリアッドの牙狩人は後ろを振り向いた。
 静謐の祈りが聞こえた、と思った。視界は白く、音もしない。ただ風が吹いていた。こんな場所だから聞こえた幻聴なのかもしれない。
「暖かい春が来た、ですね?」
 蒼翠弓・ハジ(a26881)の返答は一体誰に向けられたのか。その言の葉を風だけが聞いた。

 長靴をはめた足が、こつ、と入り口を跨ぐ。
 羽織るムートンに纏わる雪を払い、「ひさしぶりね」と遅れてきた女性は言った。
 洞窟の内部は暖かい。雪の侵襲もなく、冷え冷えとした黒い壁面は橙に照らされていた。よく乾いた木切れを持ち込んで点けられた火を囲んでいたのは二人のドリアッドの少年と、一匹の雪狼。
「あのとき、依頼に応じた冒険者ね」
「ええ、こんにちは」
 顔を向けて応じたのはハジ。火に足をむけてくつろぎ、先ほどまで何事か深淵樹海・ザキ(a90254)と喋っていたようだった。
「なつかしいわ。憶えてるわよ」
 そういって微笑んだ。子供じみた上目遣いではなく、上品なひとりの女性として。
「……変わりましたね」
「そう?」
 古城の霊査士・トート(a90294)はくるっと回って見せた。高い背。長めに切りそろえた黒髪が舞った。うれしい気持ちをうれしいと表現する大切さを、10年の間に彼女は学んでいたらしかった。
「その言葉知ってる。加齢変化」
「……大人びたっていうのよ」
 茶々を入れたわけではなく真面目に言っている。とわかっているので、トートはザキを横目で見るだけだった。それから笑った。
 震える空気に誘われてハジは少しだけ懐古する。自分はこういうとき、積極的に楽しみにいく方ではない。盛り上がっている仲間を見たり、ときには混じったり、ときには世話したりする。楽しむ人の、傍にいる。それが好きだった。
 ふと、雪狼がこちらに視線を向けているのに気づいた。
 干し肉を一片手に取り、鼻先に持っていくと、ふんふん鼻を動かしてからまたハジの方を見た。
 察して、干し肉を足元に落としてやる。また匂いを嗅いで、ハジを見、それからようやっと奥歯で干し肉を噛みしめた。
 優しげな瞳を向けるハジに問いが降った。
「何の話をしていたの?」
 入り口に近い火の傍へ座ろうとするトートに、視線を向けると自然、外の風景が目に飛び込んだ。いつもは空の蒼を映す翠の瞳が、このときばかりは焔の赤と夜の黒、雪の白に染まる。
 しん、しん、と雪が積もる。
「楽しいこと、いっぱいありましたよ。って、話していたんです」
「冒険のはなし、とか、仲間と過ごしたり、いろんなところを旅したはなし」
 興味を引く内容だったのか、トートはあら、と残念そうな声をあげた。
「遅刻なんてするもんじゃないわね」
 また笑った。
「もう一度お話ししてもいいですよ」
「お願いするわ。飲み物を頂いてもいいかしら?」
 言ってから、冷たさを堆積し続ける背景を振り返った。
 雪片はいつしか密度を減らしていた。相変わらず洞窟の中は暖かく、雪狼はまたうとうとと夢を見始める。遠くから雪おこじょが興味深げにこちらを見ていた。

 ――冬の終わりはすぐそこに。暖かな春は一足早く。

 チョコレートを山羊乳によく溶かした、黒褐色の液体を火からおろす。
「ハジも、飲む?」
 めったに見せない笑みをハジに向け、ザキが熱いカップを差し出した。
 芳ばしいホットチョコレートの香りに、
「せっかくですから、少しいただきましょうか」
 口元をほんのわずか綻ばせて、カップへ指を伸ばした。

●100年後
 森の入り口をくぐると、わぁ、と声が上がった。
「随分と様変わりしたのですね」
 護風桂花・ティーシャ(a64602)はしばし見上げ、それから足元を見て歩き出した。
 空から注ぐ光は宝石のような葉を通過し、天といわず樹や土までもが煌びやかな模様を描き出している。
 フラウウインドに来るのは久しぶりだが、このような地が生まれていたとは。美しく常軌を逸した森の姿にティーシャは高揚を隠せなかった。
 しばらくも行かぬうちに、樹の後ろからのっそりと現れた影がある。
「ぞう、さん?」
 小さく問いかけた。
 ふわ、と影が広がる。耳を広げたのだとわかった。
 ゆっくり歩み出てくるのを、ティーシャはじっと見守る。
 光の下に晒された姿は噂に違わず、牙は三対、羽根のように変化した耳があった。照らされた光の中で体が朱銀色に染まっている。
 目は優しげな光を湛え、それは許容を示すものに思われた。
 近づき、手を触れてみる。背中に触れると案外ざらざらしていて心地よい。突然ぷん、と羽根耳を振ったので、ティーシャは申し訳なさそうに手を離した。
「魅了の歌があれば、お話できたでしょうか……」
 少し残念そうに言うと、聞きとめた月笛の音色・エィリス(a26682)が、
「よろしければ、ここで歌いますわ」
 微笑み、一曲申し出た。

「うわ〜、うわあ、すごく綺麗だよ!」
 小さな手に指を掴まれて、ぐいと引っ張られる。子供の手は熱い。はしゃぎまわっているなら尚更。
 歩を合わせて進むハジを先導する幼子から視線をはずし、その天蓋を見上げればそこはまさに幻想の世界。
 色とりどりの葉がひしめき、輝き、小さな世界をあまねく照らしていた。
 きゃあと上がった歓声に、はっと視線を戻す。
「あの耳すごいね、ふわふわだよ!」
 小山のような影を発見したのか、指を離し、体当たりせんばかりの勢いで小さな姿が遠ざかる。
 ハジー! 手を振られた。
 彼女のことは彼女が生まれる前から知っている。盟友である朱の蛇・アトリ(a29374)に所縁のある小さな冒険者だ。
 赤いおさげ。黒いリボン。今はまだ半人前の邪竜導士だが、どこか、自分の親戚のように感じていた。
「俺はここで見てるから、いっぱい遊んでいいですよ」
 そのとき、歌が聞こえた。
 エィリスの、繊細な喉から溢れる旋律が、辺りを満たしていく。
 アビリティの力は動物に言葉を与え、僅かな時間の共有を許す。歌に誘われてか白い象は幾頭も姿をあらわし、冒険者達を喜ばせた。
 ティーシャが先ほど耳を振った象へ近づくと、「さわって」と聞こえた。
「触っていいの?」
「みみのうしろがいい」
 ティーシャは思わず、ぷっとふきだした。嫌がっているのではなく、掻いてほしかったのだ。
 かしかしと指を立てると象は気持ちよさげに鼻を揺らしている。なんだかこちらも嬉しくなってきて、ついつい羽根の方もわしゃわしゃと触ったが、象はやっぱり悦に入ったような顔をしている……気がする。
 あとで散策にも付き合ってもらえるかお願いしてみよう、と思った。
 別の一角では、
「ふわふわー!」
 赤毛の女の子がじゃれついていて、羽根がばさばさ飛び散っている。
「あの、あんまり」
「ふわっふわー!」
「ぬかないでね……」
 象の哀願も空しく、周囲に止められるまで脱羽は続くのだった。

 じっと立ち尽くし、キャンパスの奥からこちらを見つめてくる姿を、エィリスはなめらかに写し取っていく。
 翼のように広がる耳、6本の牙、宝石の葉に照らされた白い肌。降り注ぐ色とりどりの光と森の姿。
 不思議な題材を心ゆくまでキャンパスに収め、それからお礼のつもりで話しかけた。
「素敵な絵が描けましたわ。よろしければ、好物を教えてくださらない? 一緒に探しに行きましょう」
 微笑みかけると、象は足をかがめて促した。
 意を察し、牙の中段に足をかけて、ふわ、と飛び乗ると象はゆっくりと歩きだしした。器用にエィリスの高さの梢を避けて森の奥へと進んでいく。
 揺られながら、エィリスは首をめぐらした。宝石箱の中にいるような錯覚に、ほう、と感嘆のため息をつく。
 目で楽しんだ後は瞳を伏せ、葉擦れの音や、動物達の息遣いに耳を傾けた。
 そうして堪能した頃、穏やかに揺れが止まった。
 目を開くと、顔を上げた視線の先に何かが成っているのがわかる。
「あれですの?」
「うん」
 くくっと鼻を伸ばして見せるが、届かない。
 どうするのかと見ていると、象は長い鼻を回してエィリスを抱き上げてしまった。
 なるほど、と思いながら腕を伸ばすと、熟れた実は簡単に手の中に落ちた。葉と同じように煌めいてはいるが、こちらは蜜が詰まっているようだ。
 地面に降りて手渡すと、象はさもおいしそうにそれを平らげたのだった。

 しなやかな指が宙を惑い、落ちた羽根の中から小ぶりで形のよいものを選び出す。
「牙が多くて耳に羽が生えてるなんて、不思議ないきものです」
 象の方を見やりながら、琥珀と鈍色の調べ・イアナ(a73966)がぽつりとつぶやく。
 羽根と、既に摘んである葉とをあわせ、具合を確かめた。
 すこし切なげに微笑み、
「……良い、栞になりそうです」
 光に透かしてみた。これから幾千年、幾万年を共にするであろう栞は、主の顔に美しい翳りを落とした。

 ぽく、ぽく、と靴を鳴らし、ザキは周囲をおもうさま散策していたが、ふと何か思い出したように皆を見た。
「………」
 ――なまえ、誰も決めてない。
 ならば、と。
 聞こえてきた単語をあつめ、名前にすることにした。たぶん、これで大丈夫。
 ――『輝石の森』と『はねみみの象』、と。

●1000年後
 そこは、誰かの墓標。

 白が吹雪く山を、歩いていた。
 何もない。白く塗りつぶされた視界だけが、金鵄・ギルベルト(a52326)を追憶へと誘った。
 耳がじんわりと痛む。厚い外套とマフラーは風に煽られ、覆いきれぬ頭部が熱を集めはじめていた。
 全てが凍てついた地に足を運んだのは、気まぐれ、だろうか。
 ギルベルトは『墓』をよくしっている。
 奉仕を強いられた時代に掘った穴の数は憶えていない。ただ、そこに運び込まれる小さな労働者達の死顔は、よく憶えていた。
 ギルベルトは『墓』をしらない。
 遥か昔に看取った、一人の女性がいた。好きだった。叶わなかった。
 彼女の墓を、ギルベルトはしらない。ただ、この白く凍てついた世界とよく似た故郷へと還ったのだと伝え聞いた。
 追憶の糸をたぐる。
 手を伸ばした、手を取ってくれた、そのやわらかな感覚を、彼はいつでも思い出せた。
 その手は故郷の氷の下に、今も眠っているのだろうか。
 かつて己も故郷へ焦がれたことがある。重ねる。重ならない。この手とは既に交われぬ。
 奉仕時代に思ったことがある。小さな碑は、想いを受ける器にはとても足りぬと。足りずに、溢れてしまう。ギルベルトは一度だけ空を見た。何もないと知って、また赤いマフラーに顎をうずめた。
 ならばあいつの墓標は、この雪か。
 ギルベルトは暫く、物言わぬ彫像のごとく佇立していた。

 懐かしい丘があった。大樹の傍にあって陰らず、思うさま陽光を受ける墓標を見て、ハジは「らしいですね」とひとり微笑み、零した。
 千年経った。齢を重ねることなく、止まったように生き続ける自分を。死ななかった自分を、この騒がしい友人はどう思うだろう。
 哀しい、目をするだろうか。
 もういいじゃねえか、しつけーんだよ、って怒るだろうか。
 時間に削られてしまった記憶は墓標の主の声さえ忘却へ追いやった。
 手にした花を供える。このひとにもらった種から咲いた花を。
 石造りの墓標はもう崩れかけている。忘れない。共に過ごした時は、いまでもすぐ傍にある。

 大きな慰霊碑はよく手入れされているようだった。
 交通の要として発展した、賑やかな街の静かな片隅で、イアナは透き通るような蜜色の髪を深く垂らしていた。
 これ以上失いたくないからと、冒険者の道を歩んできた。正解だったのか、それとも、他に私の道があったのか。いつか、答えが見つかるのだろうか。見つけたい。そう願いながら、ここへ来た。世界が終わるまで、今のまま、私は見守ろう、と。
 この街は、元は小さな村だった。イアナが連れ合いや子供達と過ごした村。
 ――いちどだけ、消えてしまったけれど。
 あの日、イアナはちょうど外へ買出しに出ていたのだ。
 村は何も残らなかった。イアナの知っている人はみんな消えてしまった。蹂躪されたのだ、ドラグナーに。
 千年ぶりにこうして祈りを捧げる。復興をとげた、とは聞いていた。どんどん賑やかになっているんだ、と。慰霊碑が残っていたのを知ったのは、千年を経て訪れたイアナに、街人が教えてくれたときだった。
 刻まれた文字を指でたどった。
 知っている名前があった。
 熱い何かが胸を駆け上り、結んだ口元が、僅かに震えた。
 灰の瞳がゆっくりと伏せられ、イアナは、慰霊碑から指を離した。
 ――涙なんて、もう数百年流してないのにね。
 端正な眉が寄る。ぎこちない微笑を浮かべて、また、深くこうべを垂れる――。

●Dona nobis pacem
 蒼い光が満ち満ちた空間で、その幕は落とされた。
 集う冒険者には生きた伝説、その当人やその子孫達も見受けられる。
 古の英雄、エィリスを映したような姿の医術士が、蠢く塊を静かに見下ろしていた。本人なのか、はたまた縁の者か、語る口は持たない。
「……すまないね、もっと優しい方法で救えれば良かったんだが」
 表情に乏しくも穏やかな横顔に、悲しみの色が吹き抜けた。
 ルラルは、希望を伝えて、といっていた。
 絶望にとらわれた子供達を解き放ってほしいと。
 エンジェルの医術士はそれを信じようと決めた。
 一秒でも早く苦しみを終わらせることが、その救いになると。
 小さな羽根を背にした冒険者は、蒼い空間へと飛び込んだ。

「どうして、不老を選んだんですか?」
 問いがあった。
 向けたのは普段と違う蒼を瞳に映した牙狩人。向けられたのは白髪の翁である。
 歳月を刻んだ目元に埋まった、もう薄くなった紫の瞳は遥かを見つめ、動かない。
「ここには惚れた女がいるんだ」
 僅かに笑み、問いに答えた。見た目に反して口の回り方は若々しい。だのに、どこか、疲れていた。
「そういうおまえはどうして?」
 問いが交差した。
 迷ったように口をつぐむ。
 返らない答えさえ返答と見て、得物を二本差した翁武者は目を細めた。それすらもなつかしい、と言うように。
「んあれ? なんか……」
 後ろから聞こえた声に振り返るや、黒髪の邪竜導士が視界に飛び込んできた。
 あ、と声をあげる。
 おや、こりゃあ縁か。微笑む。
 反応もむべなるかな、かつての仲間とよく似た雰囲気の少年がそこにいた。
「初めて会った気がしねーなー。どっかで会った?」
 まァよろしくな! と笑う。笑顔が特にそっくりだった。

 ――助けられなくて、ごめんなさい。
 森緑愛する少女が立つ、戦いの場。
 蒼い光と鈍色の球がざわめく光景は殺風景に過ぎ、自然の守り人たるティーシャは寒気を覚えた。
 そして悲しき呪縛への哀悼も。
 かつて、同盟の冒険者として戦っていた頃。
 自分は、彼らの姿を見たことがあっただろうか。救えたことがあっただろうか。
 自分の視線よりも遥かに背の低い子供達が、不気味に手足を揺らしながら、囚われて漂っている。
 ――怖い事も、辛い事も、もう終わりました。安らかに、眠ってください。
 ぎゅっと口を結ぶ。心の中で語りかける。刃でなくとも、心は届くと信じて。

 空を蹴って、冒険者はドラゴンウォリアーへと転じる。
 魂を映す姿を顕した戦士達は、彼方にある敵へと瞬く間に翔け着いた。

 その直前に。
 牙狩人は翠の瞳をおもわず一つ瞬いた。ずいと進む、黒い斬髪、張りの有る背中、傷跡で覆われたたくましい腕。在りし日へと舞い上がった魂。
 違えようもない、それは彼の黄金時代。
「ギルベルト・アイスナー」
 思いもかけず、再び呼んでいた。金色のハルバードを担ぐ狂戦士を。

 瘴気の層に被覆された『子供達』は、ドラゴンウォリアー達から見ればまるで静止しているかのように動きが鈍い。
 良く見れば表面に張り付いた無数の顔がこちらを向き、しかし虚ろな眼窩はどこをも見ていない。でたらめに生えた腕はゆらゆらと漂っているかのようだ。
 最後位の牙狩人がまず先手を奪った。
 ガトリングアローの矢が吸い込まれ、球の表面が苦悶に波打つ。
 続いて黒髪の邪竜導士。
「いー子だ、ちゃーんといかせてやっから、安心してくらいな!」
 粗暴な言い様に垣間見える優しさに照れもなく、黒炎を纏う足元から影が生えるや、衝撃と共に粘土のような外殻に深い傷をつける。耳をつんざく悲鳴が漏れた。
 悲鳴が頭の中で木霊し――輝く乙女がそれを消し去る。エンジェルの医術士が放った癒しの聖女であった。
 と、タイムゲートとは違う光が地を覆う。ギルベルトの用意したヘブンズフィールドが瘴気から皆を守らんと効果を発揮する。
 光条が駆け抜けた。ザキの放つ矢も、着実にダメージを蓄積させていく。
 緒戦は順調に思えた。
 子供の短い腕では後方からアビリティを飛ばす者達に届かず、殻に穴を開けては腕に囚われる前衛もまた、静謐の祈りや癒しの聖女によって都度振りほどき、逆に潰滅させていく。
 憎悪とも憤怒ともつかぬ叫びが溢れ、『子供達』の苦悶が絶頂に達したとき。
 それはゆっくりと、開き始めた。

「核……あれが?」
 小さな羽根をもつ少女は思わず見入った。
 めくれあがる外殻の内から不穏な気配が迸り、極彩色の絵の具を水筆で塗り広げたような、奇怪な真球が現れたのである。
 命そのもののような色を燃やしてぼんやりと光る核は、煌びやかな硝子玉のようにも見える――子供が、喜んで遊ぶような。
「!!」
 咄嗟に回避した。
 閃光と轟音が空気を灼いて過ぎ去り、彼方へと流れ去る。
「無事ですか!?」
 叫ぶティーシャに、
「え、ええ――」
 応答を送り、体勢を立て直す。
 再び光が迸る。邪竜導士の苦鳴が聞こえ、イアナはすぐさまヒーリングウェーブを唱える。ぶすぶすと沸騰する皮膚がみるまに治癒していった。
 遠目に見れば存外に細い光線だが、ヒト一人の重要器官を根こそぎ吹き飛ばすにはおそらく充分。冒険者達が一撃にも辛うじて倒れないのは彼らがドラゴンウォリアーだからこそ。
 閃光がふたすじ。苦鳴がふたつ。
 おお! と唸りが聞こえる。邪竜導士の凱歌だろうか。
 デストロイブレードが舞った。
 泥団子の外殻を剥がしてなおも覆う瘴気と悲鳴のために、祈りは続けられねばならぬ。
 戦闘は苛烈を極め、無視できない消耗をアビリティの力で補い、彼らは立ち続けた。

 静謐を祈り続ける者。治癒を唱える者。核への攻勢を崩さない者。
 三者があって成り立っていたこの戦場に、不安の要素が差していた。
 かぼそい指をしなやかに伸ばし、ティーシャは癒しの力を両手に込めた。広大な空間を一気に広がる波動が仲間達の傷を拭い去る。にも関わらず、癒しを操る指は硬く握られ、新緑の瞳には不安の翳りが色濃い。
「このままじゃ……」
 唇をかんだ。戦況は行き詰っていた。
 もう回復アビリティが尽きてしまう。
 回復力が足りない、のではない。長引く戦闘で繰り返しアビリティを放ち続けたため、残回数が尽きかけている。
 『撤退』の二文字が頭をよぎった、刹那。
「攻撃に回れ!!」
 血を吐くような叫びが空間を渡った。
「この端命、繋ぐより、全部ぶちこんでやれ!」
 発したのは狂戦士。
 一瞬の停滞。
「撤退は、ありません。退けないのです」
 イアナが厳かに同意した。祈り続ける指が、伏せた睫が震えている。
 癒し手を担っていたティーシャが。語らぬ小さな翼の医術士が。
 手に紋章を。手に焔を。
 掲げて、撃った。

 光線が閃く。ギルベルトが受けた。
 吹き飛んだそれは背骨の一部か。
 舞う血に一瞬目を奪われ、それでも翠の瞳の牙狩人は矢を以って貫き続ける。
 黒炎が舞う。ヴォイドスクラッチはとうに使えず、ひたすらに焔で殴った。
 守り人の紋章が強打する。合間を縫っては静謐を祈り、前衛を窮地から救い出す。
 小さな翼が翔く。焔が一直線に球を襲う。凱歌は、もう使えない。
 木漏れ日の住人が鮫牙の矢を放った。流れ出す命は子供達のものか。
 回復アビリティが尽きた、と誰かが言った。
 光が、三条。イアナが倒れる。次の放射でザキ、ティーシャも。
 ハルバードを核に突き立てる。刃の生えた裂け目からどす黒い彩が球面を苦悶のように広がっていく。
 牙狩人からの問いの答えを想起した。
 惚れた女――幾つ傷と血を貢いでも靡かぬ戦の女神。
 再度逢瀬を夢見、幾千幾万もの年月を、其の腕に抱かれる日を、ずっと、待ち焦がれていたと。彼方へ――。

 やっと会えた、と思った。なぜかはわからない。
 なのに、また別れようとしている。手を伸ばせば届く距離で、消えようとしている。
 それを力づくに止めようとは思わない。わかっていたから。
 タイムゲートの蒼い光がまぶしい。
 絶え間ない攻撃の最中、アトリに似た邪竜導士は精一杯笑顔を作った。
「一緒に帰るんだろ?」
 彼は振り返らない。ハルバードを突き立てる後姿は半分足りない。
「ああ、帰るさ」
 最後まで――最後まで、この親父は。

 ――連れて行け。

 亀裂が走った。
 真球の色が一瞬、めまぐるしく変化する。
「希望の世界に、送ります」
 貫く光条が交差した。
 球が砕け散る。流れ出した色彩が霧散する。

 悲鳴が終わる。
 苦痛が、絶望が終わる。

 最後に零された言の葉が、蒼い空間に雫のように落ちていった。
「汝が魂に祝福を。……安らかに」
 賑やかな、子供の笑う声が聞こえた気がした。


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