黒桔梗の森 願いの泉



<オープニング>


 彼女は逝ってしまった。
 あの眩しい笑顔も、柔らかな温もりも、2度とこの手には戻らない。
 病を前にあまりにも無力だった冒険者は、ある日、奇妙な噂を耳にした。
 人を拒む深い森の奥に、訪れた者の願いを叶える神秘の泉がある、と。
 出所すら判然としない噂だ。常識のある人間なら信じる事も無いような。
 だが、喪失感に打ちひしがれた青年は、孤独を供に森へと向かった。
 人を拒む深い森――黒桔梗という名で呼ばれる森へと。


 賑やかな喧騒に満ちた酒場の片隅で、紫剣の舞姫・サーラ(a09005)と暗闇を駆け抜ける風・キース(a06464)は久しぶりに恋人同士の時間を過ごしていた。
 軽い飲み物を前にした彼等の話題は、会えない間に起こった出来事や家族の話が殆んどで、そんな初々しい2人の姿を、カウンターに陣取った不動なるは・サフル(a90129)が微笑ましげに見守っている。
 バンッ!
 大きな音を立てて酒場の扉が開かれたのは、彼等の会話が間近に迫ったフォーナ感謝祭の事へ移ろうとした時であった。
 客達の視線が集中したその先に、痛々しい姿の青年がある。包帯から滲んだ血が腕を伝い落ちるのを目にし、サーラは思わず立ち上がっていた。
 サーラの手で傷に新しい包帯を巻かれた青年は、スハイルと名乗った。全身に刻まれた無数の傷は、3日程前に黒桔梗の森で受けたものだという。
「……俺も信じてた訳じゃなかったが、噂通りに泉はあった。だが、泉に近寄ろうとした途端にモンスターが……」
 青年の前に姿を現したのは、体長5メートルはあろうかという大蜘蛛であった。自分の行動が如何に無謀であったかを悟った青年は、即座に撤退にかかったが、大蜘蛛の体の陰から湧き出した体長1メートル程の蜘蛛の群れに追い回され、負傷して死に掛けているところを偶然遭遇した冒険者達に救われたのだ。
「けど、大蜘蛛の前から逃げ出す際に指輪を落としちまって……」
「指輪を無くしただけで済んだのは幸運でしたよ。その方達に会わなければ、確実に死んでいたんですから」
 慰めの言葉をかけたキースに、しかし青年は激しく首を横に振った。
「唯の指輪じゃないんだ……先月死んじまったアイツの……婚約者の形見なんだよ! なぁ、頼む! あんた等、俺の代わりに……黒桔梗の森に行ってくれ!」
 血を吐くような声音とは、このような声を表すのだろうか。青年の悲痛な叫びに、サーラの心は揺れた。
 婚約者の指輪、願いを叶える泉。自らの危険を冒してまで、スハイルが何を願おうとしたのか――彼女には判るような気がしたのだ。
「キースさん、サフルさん……」
 少女の視線を正面から受け止め、2人の男はそれぞれの表情で頷く。
「もう少し同行者を増やしましょう。黒桔梗のモンスターは、俺達だけでどうにか出来る相手じゃないですから」

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参加者
蒼の閃剣・シュウ(a00014)
聖天の派遣執行官・セラ(a00120)
蒼天繚乱・クレウ(a05563)
鎧牛・ハヌマニオン(a05875)
暗闇を駆け抜ける風・キース(a06464)
狂乱の貴公子・マイアー(a07741)
紫剣の舞姫・サーラ(a09005)
となりの・トトギ(a10087)
NPC:不動なるは・サフル(a90129)



<リプレイ>


「大切な、本当に大切な指輪だったんですね……」
 ぽつりと呟いた暗闇を駆け抜ける風・キース(a06464)の視線は、己の右手に向けられていた。
 薬指にはめられた、小さな指輪。もし、自分がこれを失くしてしまったとしたら――
 婚約者を失ったという男の顔が、刹那、脳裏をよぎる。
(「なんとしてでも見つけ出してみせます……絶対に」)
 静かな誓いと共に、拳を握る。少年の心に、迷いは無い。
 紫剣の舞姫・サーラ(a09005)もまた、自分の指に光る指輪を見つめていた。
「きっとスハイルさんは、亡くなった彼女の安らかな眠りを願いに、泉を探していたんだろうね」
 或いは、もっと別な何かを願うつもりだったのだろうか。ふとそんな事を考えるが、今は彼が落としたという指輪を取り戻す事が先決だ。
 恋人との思い出の指輪。それがどんなに大切な物かは、判っているつもりだから。
「自らの危険を冒してまで願いを叶えようとしたスハイルどのの気持ちを考えると、少し切なくなるのぅ」
 サーラの声を耳にした破道の夢見師・トトギ(a10087)が、そっと瞳を伏せる。亡くなった恋人の形見――その小さな指輪に、どれほどの想いが込められているのだろうか。
「その人の為にも……頑張って見つけないとね」
 医療庁派遣執行官・セラ(a00120)の決意も、固い。大切な人を想う気持ちは、きっと誰もが同じ筈だから。
 それに。
(「医術士に似た能力を使う蜘蛛……負けられないね」)
 冒険者として、医術士として。
 同じような力を持つモンスターに遅れを取る訳にはいかない。
「やれやれ、この広大な森の中から指輪を探すのか……まぁ、その巨大蜘蛛の居る近辺を探せば見つかるんだろうけど、案外、蜘蛛が飲み込んでいたりして」
 森の中を往く一世風靡・マイアー(a07741)の溜息の理由は、もう1つあった。蜘蛛の糸に対抗する為に装備品に塗った油が、ベタベタして気持ち悪いのだ。早く事を片付けて、装備を外してしまいたい。それが、今のマイアーの本音である。
「脚多い相手って嫌いなんだよねぇ。実は」
「奇遇だね。私も蜘蛛って大嫌いなんだよ。おまけに、他人を困らせるってんだから始末に終えないね」
 蒼の閃剣・シュウ(a00014)の何気ない一言に、艶笑する奏燐の蒼き彗星・クレウ(a05563)が反応し、2人の間で蜘蛛談義が始まった。自分が如何に蜘蛛を嫌っているか、内容はそれに尽きる。
 いつまでも続くかに思われた彼等の会話を中断させたのは、鎧牛・ハヌマニオン(a05875)の声であった。
「そろそろ蜘蛛の縄張りに入ったようでおじゃる。いきなり襲われたりせぬよう、注意した方が良いぞよ」
 兜の隙間から覗くハヌマニオンの灰色の瞳は、前方の木の枝に絡んだ、銀糸の切れ端を見つめていた。

「スハイルだと断言は出来んが、誰かここを通ったようだな」
 不動なるは・サフル(a90129)の深みのある声を聴き、サーラは青い瞳を大きく見開いた。
「どうして判るの?」
「ここを見てみろ……折れた枝に、血が付いている」
 言われるままに近付けば、獣道を塞ぐ形で横から伸びた枝の一部が、確かに折れていた。よくよく見れば、こびり付いて乾いた血の中に、糸くずらしきものまで貼り付いているようだ。
「スハイルさんが逃げる時に通った道を逆に辿って来たんですから、それは彼の血だと思いますよ」
 指輪を落としたと思われる場所を絞り込む為に、キースは男から詳しい話を聞き出していた。ここに至るまでも足元には注意してきたのだが、今のところ指輪らしきものは見かけていない。
(「スハイルさんの代理で来ました……指輪さん……どこ〜?」)
 心の中で語り掛けながら、セラは落ち葉に覆われた地面に目を凝らす。戦闘になれば、落ちている指輪が何処かに行ってしまうかも知れない。可能であれば、大蜘蛛と接触するよりも早く、指輪を発見したいところなのだが。
「何やら水の音が聞こえぬかえ?」
 セラと共に指輪を探していたトトギが、ふと、顔をあげた。風に舞う落ち葉の音に混じり、微かに水の流れる音が聞こえたのだ。
「泉が近いのかも知れないねぇ」
 邪魔な枝を避け、クレウは先頭に立って先へ進み――藪を潜り抜けたところで表情を強張らせた。
 泉は確かにあった。
 そして、泉を背に、巨大な蜘蛛がその姿を現したのだ。


「……帰っても良いかな?」
「駄目でおじゃる」
 大蜘蛛を前にしたマイアーとハヌマニオンの会話である。マイアーは今まで、蜘蛛を苦手だと思った事は無かった。しかし、相手が体長5メートルの大蜘蛛となれば話は別だ。
 人の太腿よりも太い4対の足には剛毛が密生し、大小合わせて8個の瞳がこちらの様子を窺っている。2本の牙をギチギチ鳴らしているのは、狩るべき獲物を前にした悦びの表現だろうか。
「帰りたいと言っても、向こうに帰すつもりは無いようだな」
 背後へと振り向いたサフルが、仲間に注意を促した。帰路を阻み、藪の中から1メートル程もある蜘蛛が次々と現れたのだ。
「挟み撃ちとは上等じゃないか。……丁重に地獄に送ってやるよ!」
 握ったB.A.Dを大蜘蛛に向かって突きつけ、クレウは鋭い視線で相手を睨み据えた。

「さて、戦場の三重唱といきますかね」
 シュウを先頭に小蜘蛛の群れに突っ込んで行ったのはハヌマニオンとサフルの2人。僅かな時間差を置いて、身の毛もよだつ咆哮が森の木々を震わせる。
 紅蓮の咆哮の余韻も収まらぬうちに、後方に控えたトトギがニードルスピアを放った。麻痺を受けた6匹の小蜘蛛の、体の各所から体液が噴き出したが、残る4匹は仲間を盾に、闇の針をかわしている。
「一撃で倒れる輩では無いようじゃな」
 トトギの表情が険しくなった。奥義を受けてなお、6匹の小蜘蛛は麻痺から脱しようと足掻いているのだ。
「トトギ様を頼みます! しっかりガードしてくださいね!」
 小蜘蛛との戦闘を開始した男達に叫びつつ、マイアーは鎧を強化し、防御力を上げる。
 この時点で既に、サーラとキースは大蜘蛛に向かい駆け出していた。ヴァルキュリア・ブレードの一振りがリングスラッシャーを生み出し、名も無き刃が流れる水の如く、大蜘蛛の脚を狙う。
 大蜘蛛はその場を動かなかった。前脚の1本が振り上げられ、振り下ろされ、頑丈な爪が厚みの無い円形の刃を砕く。
 そこに、冷たい刃が一閃した。
 爪の上で切断された足が、鈍い音と共に地に落ちる。痛みによる反射であろうか、緑色の体液を撒き散らして跳ね上がった脚に腹部を強打され、キースの体は後方に弾き飛ばされた。
「蜘蛛の分際でやってくれるじゃないか!」
 クレウの手から放たれた数条の刃が、また1本、脚を潰す。
「皆に届けー! 癒しの波!」
 Ain Soph Aurを翳したセラのヒーリングウェーブが、キースの受けたダメージを回復させていく。
 そして、大蜘蛛が動いた。

 麻痺の効果から脱した小蜘蛛が、次々と動き出す。ニードルスピアを回避した4匹からの攻撃を避け、シュウの流水撃が、ハヌマニオンのリングスラッシャーが、ダメージで動きを鈍らせた小蜘蛛を屠っていく。
 3匹を倒した所で、大蜘蛛の回復が来た。切断された脚からの体液の流出が治まり、小蜘蛛の傷が塞がる。
 仕返しとばかりに吹き付けられた糸は、あるものはリングスラッシャーに切断され、またあるものは装備の表面に塗られた油に防がれて、殆んどが冒険者を捕らえる事すら出来なかった。
 ――そう、殆んどは。
「ぐっ……!」
 呻いたのはサフルであった。見ればアックスの柄に銀糸が絡み付いている。その部分だけは、油を塗る訳にはいかなかったのだ。
 動きを止めた重騎士に4匹の小蜘蛛が襲い掛かっていく。
「させぬのじゃ!」
 再び放たれる、トトギのニードルスピア。次々と突き刺さる無数の闇色の針が、小蜘蛛達からスピードを奪う。
「うおぉぉぉっ!」
 駆けながらのシュウの紅蓮の咆哮は、辛うじて3匹を拘束し――残る1匹がサフルの足に牙を突き立てたのは、次の瞬間であった。
 苦痛を堪え、もう一方の足で小蜘蛛を蹴り飛ばしたサフルであったが、男に出来たのはそこまでであった。不意に体から力が抜け、その場に膝をつく。
「如何したでおじゃるか!?」
 未だ動き回る3匹を砂礫陣で吹き飛ばし、ハヌマニオンが問う。サフルの足を調べた武人が目にしたのは、破れた布地の隙間から覗く、黒紫色に腫れ上がった無残な傷口。
「トトギ! 毒消しを!」
 名を呼ばれたドリアッドの少女は、幼さを残す顔に狼狽した表情を浮かべて首を左右に振った。ギリ、と歯を噛みしめたシュウがバンダナを外し、傷口を固く縛る。
「野郎……」
「もはや容赦はしないでおじゃる!」
 負傷したサフルをトトギに託し、シュウとハヌマニオンは戦いの鬼と化す。

「動き回られちゃ、厄介なんだよ!」
 吐き捨てたクレウの飛燕刃が大蜘蛛の脚に突き刺さった。どこか重要な腱が切れたのであろうか、ダラリと力なく垂れた脚を引きずり、大蜘蛛は太い糸の束を投げて寄こす。
「蜘蛛なんかに負けてられないものね……!」
 クレウを捕まえようと伸びた糸に向け、セラのスキュラフレイムが撃ち出された。生じた爆発と魔炎は、あっという間に糸の形を崩していく。
 冒険者達の息の合った連係を前に、大蜘蛛は苦戦を強いられていた。撥ねの軽さで攻撃をかわし、懐に飛び込んだサーラのスピードラッシュが、また1本、脚を潰す。
 回復を試みようとした大蜘蛛の動きを封じたのはマイアーだった。爪の一撃を強化した鎧で受け止め、13という銘が記された長剣を突き立てる。電刃衝が命中した瞬間、ビクリとその巨体を震わせ、大蜘蛛はその動きを止めた。
「これで……終わりです!」
 跳躍したキースの電刃衝が大蜘蛛の頭部を砕いたのは、その直後の事であった。


 コポコポと気泡と共に湧き上がる澄んだ水が、泉のあちらこちらに波紋を広げている。清冽なる水はやがて小さな流れとなって森を潤し、そこに住む小さな生き物達の命を繋いでいくのだろう。
「あった! あったよー!」
 指輪を探していたサーラが喜びの声を上げたのは、傾き始めた太陽の光が、森の木々を紅色に染め始めた頃の事であった。
 地面を覆う枯葉に、半ば隠れるように埋まっていたそれが、斜めに差し込む陽光を反射して少女の注意をひいたのだ。
「泉の水で洗いましょう。スハイルさんには、やはり綺麗な状態でお返ししたいですから」
「うん、そうだね」
 差し出されたキースの手に指輪を載せて、サーラは服に付いた枯葉を払い落とす。
「こっちも終わった。奴が卵を抱えていたとしても心配は無いと思うよ」
 モンスターの骸を焼いていたシュウとハヌマニオンが戻ってきて報告する。
「具合の程は如何でおじゃるか?」
 ハヌマニオンの問いは、サフルに向けられたものであった。問われた男は、大丈夫だと頷いて立ち上がる。顔色はすぐれぬものの、命に別状は無さそうだ。
「さてと……せっかく来たんだし、何か願掛けでもしようかねぇ」
 大きく伸びをしたクレウがサフルの前を通り過ぎ、泉へと歩み寄っていく。
「願い事か。何を願うつもりだ?」
「ん〜、これからも楽しく過ごせますように、ってところかな? こんなご時世だしね。サフル殿こそどうなんだい?」
「さてな……考えてはみたが、正直、何も浮かばん」
「願う必要が無いという事でおじゃるかの。余も、願いは自分で掴めるだけで充分でおじゃるよ」
 拾った枝を竿代わりに釣り糸を水面に垂らし、ハヌマニオンが笑う。糸は、その辺に引っ掛かっていた蜘蛛の糸を使っているらしい。
(「スハイルさんがこの泉で願おうとしたのは、恐らく叶う事の無い願い。せめて、その方の魂が彷徨う事の無いよう、この指輪が繋いでくれれば…… 」)
 冷たい水で指輪を洗浄したキースは、清潔な布でそれを包み、大切に仕舞い込んで立ち上がった。彼の動く気配を感じ、隣で祈りを捧げていたサーラも立ち上がる。
「何をお願いしたんですか?」
「……内緒♪」
 自分に向けられた、恋人のどこか照れたような笑顔。それだけで、キースは彼女が何を願ったのか、判ったような気がした。
 2人の姿をやや離れた場所から見守りつつ、セラは大切な人へと思いを馳せる。あの人がここに居たら、泉に何を願うのだろう?
 マイアーは、無言で泉を眺めていた。
 決して叶う事の無い願い。
 叶えてはいけない願い。
 でも、何時かは来るであろうその時。
 僕は泉に何を願う? そして、貴女は?
「フフッ……全く、らしくないね」
 苦笑して泉に背を向けた青年の瞳が、恋人の緑色の瞳と出会う。
「……どうかしたのかえ?」
「いえ、別に何も……トトギ様は何をお願いしたのかな?」
「この場に居る仲間に祝福が舞い降りますように……いつまでも一緒に居られますように、じゃな」
 この場に居る仲間と、『大切な恋人』に。
 あえて口にしなくとも、その想いは伝わる。
「……トトギ様らしいね」
 微笑したマイアーを見上げる少女の頬が、夕日の色に染まった。

「……つまらない感傷か、らしくも無い」
 仲間達から離れた場所で、シュウもまた、自嘲気味に呟いていた。
 過分な願いなどは叶うべくも無い。
 それでも望んでしまうのは、人として生まれたが故の性であろうか。
「アスティル……お前ん所の子供たちは元気でやってるよ。これからも見守ってやってな」
 髪をそよがせる風が、男の声をさらっていく。
 風に乗った願いは、どこまで運ばれていくのだろうか?
 静かに佇むシュウの視線の先にあるのは、紫雲なびく空に瞬くひとつの星。
 星は何も応えようとせず――男はやがて、踵を返した。

 もうじき、日が暮れる。


マスター:夕霧 紹介ページ
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