最初で最後の



<オープニング>


「彼が私に残したものです」
 彼が私にくれたものは此れだけなんですよ。
 女は少し、自嘲的に笑った。
 女性が差し出したのは縁がセピア色に染まった一枚の封筒。封を切った跡は無く、中身の手紙――恐らくは手紙だろう。触れてみても紙以外の何かが入っているとは思えなかった――と思われるものは未だ差出人以外の目に触れていないに違いなかった。
 手紙を受け取った女性は、「何故開かないのか」と問うた霊査士に向けて、何処か寂しげに微笑んで見せる。
 あの人はいつも私を確り見てくれなくて、自分のことばかりで。
 其れでも傍に居ることが幸せだったのに、ずっと傍に置いていてくれると思っていたのに、彼から初めて渡されたものは、終わりの証。
「封を切れば、きっと、それで『おしまい』になってしまうから」
 彼と私を繋ぐものは、これで、全部無くなってしまうから。

 霊査を終えると、荊棘の霊査士・ロザリー(a90151)は長い長い沈黙を落とした。
 閉じた瞳に伏せた顔。寝ているのではと見紛う程の長い沈黙の後、霊査士は顔を上げる。
「……今回の依頼の趣旨は、此方の女性を……この、手紙の差出人のところまで、案内することなの。手紙の差出人は、彼女の……恋仲であった人、で……」
 女はルビィと名乗った。
「……彼は、彼女に別れを告げて……」
「ローズだかローザだか、他の女のところへ行ったのよ」
 向かった先は大体だけれど判っているの、と女は意気込んで言う。
 ただ、最近茶色い野犬が其の辺りをうろついていると言う噂があるらしい。
 霊査士が言うには噂は確かで、しかも野犬はただの野犬では無く変異を起こしているようだとのこと。具体的には牙と爪とが鋭く伸び、更に爪を一閃させることで衝撃波に似たものを飛ばすことが出来るようになっているのだと言う。

 如何して今まで追わなかったのか。
 其れを問うことは傷に刃を抉り込むに似ていた。ルビィが今まで男を追うことが出来なかった理由は、彼のことを愛していたから。追い駆ければ「認める」ことになってしまうから。彼女にはその勇気が無かったから、意地を張り続けてしまった。
 ルビィは自分に言い訳をして、此処に立っている。
「女の顔を見てやりたいの。そしてあの男の顔を、一発思い切り殴ってやるわ」
 勝気に笑う彼女の姿は、悴んだ冬の指先に似ている。
 かさかさと冷えて、罅割れて血が溢れ出しそうな、精一杯の虚勢だ。

 ロザリーは彼女が席を離れるのを待って、冒険者に向き直る。
「……彼が彼女に告げた言葉は『ローザリア』……」
 珍しく傷みを想うように、少しばかり眉根を寄せた。
「野薔薇に囲まれた……小さな、墓地の名前よ」
 墓に手向ける薔薇の花、か。
 毀れる紅涙・ティアレス(a90167)が微かな声音で呟いた。

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参加者
蒼の閃剣・シュウ(a00014)
想いの歌い手・ラジスラヴァ(a00451)
竜翼の聖女・シノーディア(a00874)
朱陰の皓月・カガリ(a01401)
桃華相靠・リャオタン(a21574)
清閑たる紅玉の獣・レーダ(a21626)
黒き薔薇・ローズマリー(a30319)
花篝・コスズ(a31296)
鈴鳴姫・リィリ(a31959)
白群荊棘・ヴェロ(a35215)
NPC:毀れる紅涙・ティアレス(a90167)



<リプレイ>

●女
 ルビィはかりかりとした女性だった。
 不安を押し隠すかのように、冒険者へ当り散らすような言葉も吐いた。碧き耀夜の旋律・コスズ(a31296)が気遣って世間話を持ち掛けるも、ルビィは頑ななままである。急く彼女を見て、コスズは少しばかり悲しい気持ちにもなった。
 薔薇のお嬢様・ローズマリー(a30319)には、誰かを恋い慕う経験が無い。だが、擦れ違っている彼女らの想いを思えば、辛くもなった。出来ることはしてあげたい、と胸のうちで決意する。
「ルビィ様……彼は、どんな方だったのでしょう?」
 心を少しでも軽くする為に、愚痴でも良い、彼女の話を聞こうとローズマリーは話しかけた。ルビィは少し面食らってから、記憶を探るような素振りも無く、まるで昨日のことを話すかのようにして男のことを話し始める。まるで毎日思い返しているかのように、痞えること無くさらさらと語った。
 常に薄い笑みを浮かべ、人が話しても相槌を打たぬ。愛想はないものの、見目は麗しく取り巻く女は後を絶たず、けれど浮気らしい浮気もせず。料理を作れども服を縫えども笑わぬ代わり、ルビィが何かへまをすると、不思議なくらい喜んだと言う。偏屈者なのだ、と彼女は吐いた。実際、其の通りなのだろうと聞いていたローズマリーも思う。唯、結局は彼女の傍に居てくれた、其れが「其れまで」だったのだろう。
 周囲への警戒を忘れずに先頭を歩く清閑たる紅玉の獣・レーダ(a21626)は、後ろで交わされる言葉に思い巡らせていた。恐らく、彼は自身の死期を悟っていたのだろうと思う。ルビィの心を落ち着かせて遣りたくも思い、気付かれぬよう歩調を緩めて道を進んだ。
 彼女に向けて「ローザリアへ行く」と伝えた彼の気持ちを慮って、想いの歌い手・ラジスラヴァ(a00451)は曇り空を見上げる。ルビィが早く出発したいのだと急かした為に、彼らが住んでいた場所へ出向き情報収集をする時間は無かった。無論、ルビィに同行せず情報を集めに行くことは出来たのだろうが、ルビィが墓に辿り着く前に言葉を掛けれねば本末転倒になる。
 しかし、やはり。男は自らの命が最早無いことを知り、女へ別れを告げたのだろう。
 手紙が示す意味は未だ判らず、封は閉じられたまま、女の手の内にある。

●男
「ルビィしゃんは、やっぱり、彼の事が誰よりも愛しいの……そうでしょ?」
 ちっちゃな鈴鳴姫・リィリ(a31959)の呟きに返された女の眼差しは酷く冷たかった。
「でも、彼の存在が遠くなりすぎた。だから追えなかった……」
 言い募るリィリを見る瞳は、益々鋭くなるばかり。しかし、リィリが自分にも好きな人が居るから、何と無く判るのだと告げると、赤い瞳は僅かに緩んだ。リリには遠過ぎて追いつけないのよぅ、と哀しそうな顔をした少女の頭を撫でてやる。
 女は答えず、けれど否定もしなかった。
 道行きも半ばを過ぎると、少しずつでもルビィに話さねばならぬことが増える。はっきりと告げるほど無神経にもなれず、かと言って何と告げれば良いのかも漠然としたまま胸に抱いた。ラジスラヴァは何気無い口調で、別れの日について尋ね始める。
 彼の表情や顔色、急に痩せたりなどしなかったか。ルビィは記憶を探ったようだが、酷く曖昧なものしか浮かばぬ様子だ。普段通りと言えばそうだろうし、別れ話の際に平常と言うのもまた可笑しい。ルビィが何より訝しく思ったのは、質問の意図だ。何故そのようなことを聞くのか、瞳に過ぎるのは不安ばかり。落ち着く気配すら無いままだった。
 レーダは思う。その男は態と突き放した言い方をして、彼女が追い掛けて来ることの出来ないようにした。自分が弱っていく姿を見せたく無かったのか、それとも、そうすれば彼女が自分のことを忘れてくれると思ったのか。
「……彼は、確かに『自分のことばかり』だ」
 認めるように呟いた。向けられる目に視線は返せぬまま、彼は何もかも自分だけで考えて、自分だけで決めてしまったんだろう、とレーダは言う。彼に独り善がりなところがあったのは事実だろう。
「でも、彼なりに貴女のことを想ってだと、思う」
 歯切れ悪く、レーダは俯くように地面を見た。木枯らしが哀しげな音を立てる。何が真実かは判らないのだ。けれど、レーダはもう一言だけ付け足した。ルビィには、彼へ文句を言う権利はあると思う、と。
 女は、冒険者たちの言葉の意味を探るようにして口を噤んだ。

●獣
「墓守になるためなんやったら別れの手紙は……いらんわな」
 濁った空を見上げて、朱陰の皓月・カガリ(a01401)は溜息を吐く。如何考えれば良い予想が出来るのだろう。自らを意地と勝気で誤魔化し騙し、そして漸く進み始めた彼女は一体何を如何思うのか。カガリはもう一度、深く溜息を吐いた。
 先行し野犬を退治しておく旨を女性に伝えた際、カガリはこうも告げていた。
 依頼通りに道を整えはするが、最後に何を選ぶかは彼女次第であるのだと言うこと。そして、男が残した手紙を指して、それは唯一目に見える形で彼が残してくれたものなのだから、思い切り殴ってやるのならばその気持ちを確かめてからでも良いのでは無いか、と。
 告げればルビィは、顔を真っ赤にして怒ったのだ。
 彼女のプライドに触れたのだろう。彼女は怒った理由は言わなかった。彼女は随分意地っ張りで、だからこそ「知ったようなこと言わないで」と短く低く言葉を返した。
 動揺しながらもカガリは言葉を選ぶ。今まで辛かった分、悩んだ分だけ好きだったのだと言う気持ちを大事にして欲しいのだ。そんな風に言った筈だ。何故か彼女は、余計に怒ったようだった。ルビィは冷えた眼差しで「私は辛くなんて無かったし、悩みもしてない。好い加減にして頂戴」と怒鳴るのだった。

 変異した野犬を探しつつ街道を進んでいた闇に閉ざされた深淵・ヴェロ(a35215)は、唐突に気付く。いざとなれば気配を消して依頼主を護るつもりで居た。しかし、ヴェロは気配を消せるだろうが、ルビィは一般人だ。気配を消せるわけも無い。どちらにせよ彼女は後発組と共に進んでいるのだから、先行している面々で戦闘を終えてしまえば問題は無いと気を取り直す。
 程無くし、黒い毛皮の犬を見つけた。血走った瞳には侠気が映る。
 唸り声を上げる犬へ向けて、カガリは素早く矢を放った。爆音が響き、地面が抉れる。桃源旁魄・リャオタン(a21574)が飛び出し、雷の闘気を込めた一撃を天へ振り翳す。
「邪魔モンは失せろ……!」
 何故自分が此処に居るのか、胸のうちで渦巻くものがある。不安に近く、恐怖に近く、希望に近い何か。忘れてしまいたい筈なのに、何故。自問を抱きながらも、剣を振るう。彼の纏う銀の鎧は、単調でありながらも込められた力の程を示し輝いていた。
 獣が爪を振り被るような仕草を見、リャオタンは退るように後ろへと跳ぶ。
「ソニックウェーブだったら嫌だよなぁ……」
 恐らくはそうなのだろう、と言う諦めに似た予測をしながら敢えて蒼の閃剣・シュウ(a00014)は前に出た。無論、敢えて受けるべく、である。彼の鎧もまた、リャオタンの鎧と同様にシュウが齎した力によって煌いていた。
 放たれた衝撃波は重たく、けれど決して受け切れぬものでも無い。重心を落とし上体を低く保ち、穿つような衝撃を狭めた範囲で確りと止める。傍目には膝を突き体勢を崩したかに見えるシュウに向けて、黒の獣が飛び掛った。黄色く濁った牙が覗く。彼の振るう蛮刀が、ごぅん、と爆音を響かせた。

●墓
 ルビィを気遣って、リャオタンは野犬の死体を地に埋める。遺された言葉がある彼女のことを、少しだけ羨みながら、自身が答えを見つけることの出来る日が来るのだろうかと自問した。
 彼らが戦闘で負った傷を癒して遣りながら、天翼の聖女・シノーディア(a00874)は思い馳せるように目を伏せた。戦闘自体は恙無く、けれど胸の傷みは勝利によって癒されるもので無い。男性と言うのは幾つになっても子供だ、と子供のような心境で思う。我儘で、勝手で、ずるいのだ。
「……ねぇ、ベルフェール」
 ぽつり、と誰かの名を呼んだ。
 置き去りにされることの痛みを胸に、深い谷へと消えた人の影を想う。自分を護る為の選択と知ればこそ、胸の痛みは増すばかり。依頼人の恋人とて、理由無くして彼女を突き放したのでは無いのだろう。
 彼の気持ちを知る術は、彼の残した手紙を開くことだ。
「……死者と思い出の眠る地って奴かねぇ」
 街道の先へ視線を向けて、シュウが呟く。其処には寂れた灰色の墓地があった。葡萄酒よりも尚暗い、深い真紅の薔薇。小さく可憐な、墓を護る野の花が、何故こんなにも哀しげな色に映るのか。唯の感傷であるのだろうか。今にも泣き出しそうな空が悪いのであろうか。

 辿り着いた女は、何が何だか理解出来ないと言った顔をする。
 場所が墓地だと言うことを理解し、ローザリアの名が持つ意味を理解し、彼女は視線を泳がせ、必死で彼を探している。刻まれた名を探し、探し、見つけてしまえば其処で「おしまい」だ。
 震えた声で名を呼んで、震えた指先が封を切る。
 白い便箋に目を走らせるうち、女の瞳に涙が溜まった。何度も何度も同じ箇所を読み返し、がたがたと震えながら手紙を抱く。掠れた声が、男の名前を繰り返す。ぽつ、ぽつ、と静かに雨が降り出した。

「心の傷は救い難い……」
 特に女性の心ならば尚更だ。そして、救おうと思えるほど傲慢には為り切れぬ、とシュウは雨の中に呟く。薔薇の一輪を指先で撫で、毀れる紅涙・ティアレス(a90167)が目を細めた。思う何かは口に出さずに、濡れた髪をかきあげる。
 開かれた手紙には彼の精一杯の想いが詰まっているに違いない。ローズマリーは何も言わず、静かに彼女を見守っていた。今は何も言わぬのが良い。冒険者たちは彼女から離れ、ひとりきりに――いや、ふたりきりにして遣った。
「本当に、男の人は……」
 何時だって一人で勝手に決めてしまう。
 辛い現実こそ、共に越えて行けたのなら、此処まで引き摺らずに済んだのでは無いか。シノーディアの唇から零れた吐息は白かった。嗚呼。かの男は――彼女を何時までも縛る為に、突き放したのでは無いか。彼は彼女に、忘れて欲しくは無かったのでは無いか。不器用な愛であったのか、深く身勝手な愛であったのか。
 手紙を手にした女だけが其れを知った。
 天から零れる冬の雫は、尽きること無く薔薇の褥へ降り注ぐ。


マスター:愛染りんご 紹介ページ
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わからない
参加者:10人
作成日:2005/11/19
得票数:恋愛21  ダーク15 
冒険結果:成功!
重傷者:なし
死亡者:なし
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