<リプレイ>
小雪が舞い散るなか、白の帳に覆われたあたりを、足早に駆け進む幾人かの人影があった。彼らが目指すは、もうもうと湯気が立ち昇る場所。視界はいっそう不確かなものとなりそうだった。 無限扉・ドア(a39624)ははかすかに口元を尖らせたが、それは不平を感じたせいではない。雪がもたらす、世界を作り替える面白さを、彼は楽しんでいたのである。 腰の裏側から鱗に包まれた長い尾を垂らして、黒龍炎奏・ギ(a33429)は身を左右に震わせるように、一面の雪の野を馳せていた。 「……あー、相も変わらず寒いなこの季節は本当に。こういうときは敵を倒していい汗かいたあとに温泉に入る。これに限る」 「温泉ー。最近寒いから温泉いいよねぇ」 緋色の炎・ローズウッド(a13735)がそう呟きながら空を見上げる。雲はそれほど分厚くはなく、黄色い光を放つ陽の所在はわかりやすかった。光とともに降る雪のつぶては、不思議と白ではなく、黒に近い灰色として瞳に映った。だがそれも、視線を落として掌で受け止めれば、純白に変わる。 「猿は操られてるだけじゃし、なるべくなら傷つけたくないのぅっていうか……その剣は何故に温泉占拠……」 立ち止まり、仲間たちに置いてゆかれそうになった闇翳る月明・ルーシェン(a16220)は、ぼんやりと半ばまで見開かれた瞳のまま、駆ける冒険者の背を追った。長いエルフの耳は、銀や透けた石の装飾が縁取り、垂れて、また、雪を輪郭に含んで輝きを湛えている。 「不思議不思議厄介……でも温泉かぁ、いいのぅ」遅れた仲間を少し待ってやりつつ、雪が積もるままにしていた紫の髪から、首を振ってつぶてを落とす。「猿はともかく、剣はこんなところで暴れて、温泉に入りたいのかねぇ? あ、錆びるか」 ぽふ、と手を打って、砂漠に降りつもる・ユギ(a04644)は納得の表情を浮かべる。 「錆びちゃうと駄目だと思う」 そうユギに言ったのは、天水の清かなる伴侶・ヴィルジニーだった。 「ヴィルジニー殿はお久しぶりで、元気そうで何より」 突然に聞こえた声に、ヴィルジニーは振り返った。声の主は胴体をくすんだ風合いの黒い革鎧でまもり、肩からは藍色の羽織をひっかけた姿で、樹木の枝から飛び降りてきた。月無き夜の白光・スルク(a11408)だ。 丸く整形された木の板を足の裏に固定して、光の粒をちりばめて表面もなめらかな雪面に、ぼこぼことなんとも心地よさげに丸い穴を穿っていた青い髪の女が、立ち止まって背後に続く仲間たちを制するべく手をかざした。 「さあ、そろそろ近いわよ」 恋愛獲得者・アテムト(a00130)は榛色の虹彩を瞬かせた。頬へと伸ばされていた指先が、回れ右すると同時に足下へと垂らされ、夜明けを思わせる黒みを帯びた鋼糸がたなびく。 息を吹きだすたびに、眼鏡に付着した雪が解けて、視界がじわじわと滲みながら澄んだものへと変わってゆく。雪の積もったあたりの景に、多くの冒険者たちが愉しみを見いだしていたが、彼女ほど浮かれていた者は他にない。 「雪は白いな〜冷たい〜な〜」 殺戮のチェスゲーム・ウズラ(a21300)であった。 足首までを包み込んだ黒革の長靴を一瞥すると、深淵に臨む者・フィード(a29126)は雪に濡れた尖った前髪を柔らかな笑みを湛える面から払いのけ、皆に告げた。 「五匹の猿武人ですか。って、猿は剣に操られているんでしたね。猿たちを救出して、剣は撃破……参りましょう」 目をこらすと、舞いあがる湯気の内奥に黒い影が潜むのが見え、耳を澄ますと、弱々しい鳴き声と剣戟の音が入り交じったものが聞こえてきた。 凛と背を張り、痩せた身体を包み込む、黄色がかった上質な白絹の地に仄かな赤い蝶が含まれた衣の裾を翻し、ルーシェンは白銀の手套を宙へとかざす……その前に、足下へと小さな包みを置いた。石の上に置かれたものは、木の桶や櫛といった類がひとまとめとなったもの。彼女が『お風呂セット』と呼ぶ品々であった。 スルクは、猫の尾が枝垂れた先、自らの影が薄く滲む足下を見つめた。黒金のごとき頭部が浮かび上がり、胴があるべき場所に翻される闇色の外套が、そのすべてを露わとした。 そのときだった。湯がかきわけられる音に続き、白の帳を突き破るようにして、赤黒い毛並みをした猿が飛びだす。叫声をあげた猿の瞳には、涙のような奇妙な液体が滲み出ていた。 刃の形を象ったギター『カナ・ガ公爵の微笑み』を構えて、ギは猿が放った青い光を帯びた斬撃を受け止めた。閃光が散るも、彼の身体に痺れは残らない。リザードマンの鱗は伊達ではない。 闇により近い深緑の術士服をまとうしなやかな体躯を、湯の湛えられた淵の縁へと歩ませて、翠玉の残光・カイン(a07393)は口にしていた煙管を小箱に横たえた。留めていた最後の紫煙を吹きだすと、彼はその唇から歌を紡いだ。深い眠りへと誘う、あやかしの旋律――次いで、何かが湯のなかに落ちる音がした。木の枝が跳ねて、雪をあたりに散らしながら、なおもバネのように揺れている。魔剣ごと、猿が落下したのだ。 姿を見せた敵はまだ二体、残るは三――。 爪先を湯のなかへ浸すと、心地よさよりも先に痛みが襲ってきた。血が管の先々にまで通う際の、あの通過儀礼である。青色がかった光沢のある湯の表面が、突然に丸く膨れあがった。温かな飛沫でずぶ濡れになりながらも、ユギは指先から念の糸を放っていた。 「猿と温泉の為におとなしくしなさーいっ!」 刃を構えたままの姿で、猿の身体が雁字搦めとなった。だが、湯に沈むことなく、宙に浮かんでいる。伸びきった腕の先には、漆黒の刀身の片刃で、ギザギザと波打った姿が禍々しい、魔剣が全体を痙攣させる姿がある。 空間に固定された敵へ、白亜の手套で護られた指先で空をなぞり、描きだした黄金の紋章から耀う光弾を発したのはフィードだった。煌めく糸の束に含まれたままの魔剣が、側面に光を浴びる。だが、その刀身は欠けず、散ったのは光の方。 ローズウッドは黒いウールの外套を脱ぎ、『幻青の湯』へと足を踏み入れた。靴のまま踏み込むのは気が引けたが、退治を行うには致し方ない。アスクレピオスの杖を手に、敵の動きを待つ。 腰までを湯に浸からせたスルクの身体が素早く反転する。楯だけが正面に残され、突然に現れた二組の魔剣が次々と放った、水面に波紋を広げる斬撃を受け止める。飛沫をあびてそぼ濡れる髪から水気を払い、スルクは頭上を見上げた。最後の魔剣は、まだ宙に浮いていた。 背後に何かが降り立つ気配に、ウズラは指先に力を含んだまま振り返り、敵の体躯を扇状に広がる糸で捕らえようとした。だが、黒い刀身に走った青い衝撃が、彼女の肩に浅くはない傷を開き、全身が鉄に変わったかのような感覚をもたらしてしまう。 湯の表面を朧な光が広がってゆく。その中央にはアスクレピオスの杖を天へと突き立てるローズウッドの姿が、周縁には傷を負ったスルクやウズラの姿が見られる。さらにウズラへは、魔導書を広げるヴィルジニーが、清冽な風を届けて麻痺状態を吹き飛ばした。 びりびりと大気が震えるような和音をかき鳴らし、ギは七色の光に湯気のなかを突っ切らせた。宙に制止した魔剣から、打って変わって整えられた和音のファンファーレが鳴り響く。ぎりぎりと奥歯を噛みしめて、居丈だかなリザードマンが胸を張る。そこへ、眠ったままの猿を引きずるように、水面を飛んだ黒の魔剣が迫り、ギの大きな背へ青い光を撒き散らす斬撃を見舞ってきた。 煌めく衣の裾の湯に触れさせて浮遊する聖女が、傾いたギの巨躯を支えるよう寄り添う。白い指先を宙へと差しのべ、仲間の無事に胸を撫で下ろしたのはフィードだった。 白鞘から黒曜石を思わせる直刀を引き抜き、緋色の装束が濡れて色味を深めるのも構わずに、邪竜の巫女・カムナ(a27763)は冷ややかに言いはなった。 「……焼け落ちなさい」 宵鴉の漆黒の刀身が空を断ち、現れた魔炎は震えるようにしてその体躯を膨れあがらせ、憎悪に満ちた貌をもたげると、凄まじい渦となって魔剣を撃ち抜いた。折れ曲がった切っ先が湯に落ち、力なく手足を垂らしていた猿が続き、最後に柄の部分がすうと浮き上がり、そのまま湯のなかに消えた。 残された四本の魔剣たちは、身を傾けて心の糸を断ち切り、湯気の立ち込める空中へと浮き上がった。すでに、猿の体躯は水面に残したままの魔物もある。 地と水平を保った魔剣が、一斉に空から飛来する。動いたのは、アテムトとスルクだった。水飛沫をあげながら右手を振り抜いたアテムトは、指先から葉を濡らす朝露を思わせる輝きを放射した。スルクもまた、力が篭められた強張った褐色の指先から、同様の輝きを拡散させている。絡み合う糸の束によって、魔剣は宙に留められた。だが、一本は――。 手套の端を手首に馴染ませ、ルーシェンは顔をあげた。遥か彼方を見はるかすかのような朱色の双眸で、傾いた魔剣の怪しく煌めく切っ先を見つめる。手套に包まれた指先が空を彷徨う。すると、渦巻くようにして緑の風が彼女の目前から舞いあがり、黒い魔剣をたちまちのうちに覆ってしまった。 セイレーンの紋章騎士・ジェイド(a36595)はこの瞬間の到来を待ちかねていた。白絹の手套、その縁に施された細緻を極める刺繍から、毒々しいまでの紅が薄れ、瑞々しい青紫へと移り変わる。連なる紋章文字を胎内に封じ、その輝きを神々しいまでに高めた光球が、すでに魔剣のみとなっていた標的へと、淡い光の粉を撒き散らしながら迫った――。黒い刀身は微塵に砕かれ、水面に次々と小さな飛沫をあげた。 残された魔剣はあと三。そのとき、ドアは戦う仲間たちから少し離れた位置にあり、獣たちへと呼びかける歌声を紡いでいた。魔剣の呪縛から心身を解き放たれた猿たちに、ここから離れるよう伝えていたのである。彼は憔悴しきった小さな肩に、こう歌いかけた。 「終わったら一緒に温泉に入ろう」 申し訳ないけど、これも運命とあきらめて――。鉄の糸を指先からたなびかせて、ウズラは宙を飛び交う魔剣を追う。このままでは、猿の身体をも傷つけてしまうかもしれない。 だが、青と赤が入り交じった衝撃が彼女の目前を過ぎり、魔剣を打ち据え、魔炎と魔氷にまみれさせてしまった。召喚獣と一体となり、また、アスクレピオスの杖にも神々しいまでの光を宿した、ローズウッドの一撃だった。 ウズラは凍りついた柄から猿を落下させた魔剣へと、水柱をたてる跳躍で迫り、高さをほぼ同じとした瞬間、指先に精製した薄刃を投擲した。刀身に三連の穴を穿たれた魔剣は、そのままの姿で湯へと落ちた。 フィードの胴から漂う柔らかな光が、湯面に漂っていた白い薄膜を払うように広がってゆく。足に蜘蛛糸を絡ませて、アテムトは温泉の縁を駆け抜けた。滑りやすい石の上であるにも関わらず、その足の運びは驚くほど確か。整えられた指先から離れた飛燕は、立て続けに黒金の刀身を貫いた。さらに、スルクが放った紫の靄のようなものが表面に立ち込めるカードが、ぎざぎざと禍々しい魔物の身体に亀裂を生じさせる。 そこへ、カインの足下から立ち上がった、四方へと赤黒い焔の舌先を這わせる魔炎の塊が向かう。口を開いて醜い息を吹きだした異形は、黒い刀身にぶちあたり、木っ端のごとくそのすべてを打ち砕いた。 痛んじゃうかな?――口元に笑みを漂わせ、ユギが掌中に精製した念の刃を投げ放つ。宙に留められた魔剣は数度の痙攣を繰り返した。かき鳴らされた弦から、ギは瑠璃色に輝く光の筋を伸ばした。束縛から抜けだし宙を舞う魔物へ、ドアが紋章の扉から呼びだした銀狼を向かわせる。 わずかな差違のみで、ほぼ同時に放たれた光球が、魔物の左右から迫った。光がかち合い、黒い刀身が滅されてゆくのを、ルーシェンとカムナは互いの顔を見合わせるようにして眺めたのだった。 「ふー冷えた体に染み渡る……はっはっは、やですよおじいちゃん、私に見とれて溺れちゃぁ、見とれて溺れちゃぁ、見とれて溺れちゃぁ……」 ようやくひとりの老人が見とれてくれるまで、涙ぐみながら台詞を続けたウズラ。まったりと湯に浸かるルーシェンが、そんな仲間の様子を穏やかな眼差しで見つめている。もっとも、彼女は夕飯を楽しみにしている自分にも、そのような瞳となるのだが……。 最初は、しぶしぶといった様子で老人の語りに耳を傾けていたアテムトだったが、今や引き込まれてしまっているようだ。革細工の話となると目がないのである。相手は元職人らしかった。 カインは湯をかけて雪を解かした石の上に、湯気のあがる身体を腰掛けさせて、ふうと長い息を吐いた。濡れた髪の桜が主の頬と同様に、ほんのり紅潮している。 その隣に腰掛けたのはジェイクだった。厚くなった頬を掌で仰ぎながら、空を見上げる。いつの間にか雪はやんでいた。 薄紫色の水着をまとうカムナは、ヴィルジニーに手を引かれて、ようやくと『幻青の湯』に姿を現したところ。巫女の装束以外は着慣れず、気恥ずかしかったのだ。俯いていても、顔が赤く染まっているのがわかった。 そこへ、湯の飛沫をまきあげ、ふたりの少女を濡れ細らせてしまったのは、ユギだった。髪が濡れて目を瞑ってしまったカムナとヴィルジニーを抱きかかえ、彼女は湯へと飛び込む。盛大な飛沫の後、顔を水面に突きだして視線を交わすなり、彼女たちは声をだして笑った。 楽しげに指先を振り、癒しの光を広げたローズウッド。そして、その傍らで朗々と歌うのはギである。ふたりは周りを、赤黒い毛並みで覆われた猿たちに囲まれていた。獣たちも「ギギギ」と楽しげな声を洩らし、秘湯のぬくもりを愉しんでいるようだ。 湯に浮かんだ猿たちの黒い頭を、スルクは爪先だけを湯に浸して眺めていた。首に巻きつけた襟巻きを外すのが恥ずかしく、水着姿とはなれないことは、誰にも秘密だ。 「むっつりすけべ……」 「ええ、何、私?」 慌てて振り向いたヴィルジニーに、妙な言葉を呟いたフィードが、自身も慌てて否定の言葉を口にする。言葉を濁すように、彼は湯へと沈み込み、瞳だけを少女に向けて、沈み込んだ口元からは泡をたてた。 翼の先まで暖まって、ドアはややぼんやりと視線を、湯煙の向こうに連なる人々の背や顔に向けていた。そこには、騒ぎすぎるユギへと注意を行うべく、立ち上がり、翼から滴を垂らす、ヴィルジニーの姿もある。これまでに数々の家事をこなしてきた彼女について、彼はこう思うのだった。 「ヴィルジニーは結局『多才』なんじゃないかな。とてもいい子だな、って思うし……羨ましいよ」 少しのぼせた顔の冒険者たちが、『幻青の湯』を後にしたのは、それからもうしばらく経ってからのこと。 天賦の才を探した少女と、その友人たちの冒険譚は、こうして幕を降ろしたのであった。

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参加者:12人
作成日:2006/01/26
得票数:戦闘2
ほのぼの10
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冒険結果:成功!
重傷者:なし
死亡者:なし
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