老廟の夢



<オープニング>


 あなたと出会えて、私は幸せでした、と女は言った。
 こちらこそ、暖かくて素晴らしい日々をありがとう、と男は言った。
 しわしわになった手を握り、二人は歩いていった。
 この50年間、ずっとそうしてきたように。

「ある豪雪地帯で、老夫婦が亡くなったわ。これはその息子さん達からの依頼。要するに仇討ちよ」
 古城の霊査士・トート(a90294)は人を集めるとそう切り出した。
 老夫婦は吹雪の中を歩いて、村から徒歩一時間程も離れた洞に入った。そこで眠っていたモンスターに襲われたらしい。
 モンスターは美しく立派な牡鹿の姿をしており、幾重にも分かれ大きく枝の張った角はまるで黄金で出来ているかのようだと云う。眠っていただけで洞に近付きさえしなければ特に害はなかったので、今まで放置されてきたらしいのだが。
「モンスターの体高は角を入れず2mくらい。輝く両角から全周囲に迸る衝撃波は身体を内側から破壊し、耳鳴りのような音が全身から血を噴出させ心を掻き乱す。もちろん蹄は強力な武器よ、蹴られたらただじゃ済まないから。モンスターの使ってくる能力はどれも武道家と吟遊詩人の持つアビリティに似ているわ。戦闘は洞穴の外になるでしょうけど、相手は力相応の体躯を持つ強敵。油断しないことね。死んでも責任取れないから」
 モンスターに関する情報は以上よ。
 切り上げようとした霊査士に、一人の冒険者が問うた。

 なぜ老夫婦はわざわざそのような場所へ?

 霊査士は依頼状に落としていた目を上げた。数瞬の空白。
「雪に降り込められた豪雪地帯の小さな村」
 重い沈黙を引きずり、一呼吸置いて言葉を続ける。
 トートは小さな硬い靴音を響かせて、居並ぶ冒険者達に小さな背を向けた。
 最後の問いかけをその無感情な薄い唇に乗せたことを少しだけ後悔しながら。
 深淵樹海・ザキ(a90254)は何も言わず、少し離れた場所からそれをじっと見つめていた。
 その問いかけとは、こうだ。

「わずかな冬の蓄えも底を尽き、年老いてただ養われることしか出来なくなった夫婦が、飢えに苦しもうとする自分の子や孫の姿を見て、どう思ったか想像が付く?」

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参加者
荒野の黒鷹・グリット(a00160)
想いの歌い手・ラジスラヴァ(a00451)
蒼銀葬華・クロノ(a07763)
日付の無い墓標・メイム(a13542)
コンサーティナの・キニーネ(a13906)
碧緑に燃え上がる剛拳士・ガルティア(a19713)
桃華相靠・リャオタン(a21574)
揺蕩う蛾影・カイサ(a23700)
蒼翠弓・ハジ(a26881)
貪欲ナル闇・ショウ(a27215)
NPC:深淵樹海・ザキ(a90254)



<リプレイ>

●眠りの洞
 雪に適応した特殊な形の靴が、独特の跡を残しながら前進する。
 吸い込めば胸を貫くような清涼とした空気に結露した息が上がり、生命の死に絶えたような黒い林を生物の痕跡が横切っていく。澄み渡る朝だ。
 想いの歌い手・ラジスラヴァ(a00451)が最後尾で歌っている。一小節ごとにじっくり吟味して、最良の音を選択する。彼女は今まさに、歌を作っている最中なのだった。歌詞はまだなくて、傍目には何の歌だか分からない。
 誰もそれを疎ましく感じないのは、ラジスラヴァの心地良い声音のせいだけではあるまい。一体何のため――誰のための歌なのか、誰もが知っているのだ。
「そろそろ、やめた方がいいぞ」
 貪欲ナル闇・ショウ(a27215)が列の頭から声をかける。黒手袋が先を指差し、
「あれじゃないか?」
 こんもり積もった雪を内側から押し退けるように、その洞は口を開けていた。
 朝日と雪に反射して輝く金色の枝角を庇うように、洞の主がその太い首を折りながら姿を現し、短い身震いで佇まいを正したのは、それから間もなくのことだった。

 半円状に展開した形に布陣し、死角からの絶え間ない攻撃と万全の回復を期する作戦。
「ここまでだ。逃しはしない」
 鷹の鋭さを持つ眼で獲物を睨み付け、拳を片腕ごと真っ直ぐ向けて荒野の黒鷹・グリット(a00160)が宣言する。
 蒼翠弓・ハジ(a26881)の鎧聖を受けた、碧緑に燃え上がる剛拳士・ガルティア(a19713)がいち早くモンスターに猛攻を仕掛ける。
 鎧聖を纏った、流離う風影・カイサ(a23700)の斬鉄蹴がモンスターの身体を鋭く抉りにかかった。
 予定していた分の鎧聖降臨が終わるまで、まだ少しかかる。
 ざわ、と空気が揺れた。
 来る。
 漠然と感じ取ったカイサの感覚は、間違っていなかった。
 大きな波が押し寄せてきたと思うと、一瞬で身体がズタズタになる。
 後衛より金の杯銀の眼鏡・キニーネ(a13906)、夢見ぬ唄歌い・メイム(a13542)、リングスラッシャーを操るラジスラヴァの三人の吟遊詩人が奏でる凱歌が、同様に一瞬で仲間達の傷を癒した。ダメージ量と回復量。現時点ではどちらも拮抗しているように思えた。
 さらに後方へ下がって、弓手のハジと深淵樹海・ザキ(a90254)。万一のため静謐の祈りを捧げる、桃戒克己・リャオタン(a21574)が配備されている。
 輝く角から発せられる力は血反吐を吐かせ、心を掻き乱し、硬い蹄は骨すら砕く。さりとてその程度の負傷ならば、徹底した前衛への鎧聖降臨と充実した回復要員で、そのまま押し切ることも難しくはないはずだった。
 鎧聖降臨をかけ終えた蒼幻葬送・クロノ(a07763)のバッドラックシュートを避け、牡鹿のモンスターは大きく跳躍した。
 着地するや、耳をつんざくような音を響かせ始めた。
 そこは前衛を乗り越えた、吟遊詩人の傍だった。
 握った拳を胸に当て、リャオタンは祈りを続けていた。
 身体を捩じ切られるような感覚に襲われて、顎を上げたハジの目に天が飛び込む。
 他に方法――なかったから、吹雪の中、洞に行ったですよね。
 ハジは上がった顎を無理矢理戻し、敵を見据えた。視界が赤い。
 鹿を討てば、家族の気持ち、少し楽になるのかな。
 メイムの歌う高らかな凱歌が聞こえる。儚げな歌声は癒しの力に変わり、戦う者達を支える大きな力となる。
 弓を構えたハジの目は、力強く跳躍する鹿を追った。
 その先は。

●金色の枝角
 かんじきという靴は、素早さを必要とする行動には全く向いていない。
 チェインシュートを手近な木に飛ばしても、上手く引っかかってなおかつ強く固定されてくれる望みは、眩暈がするほど薄い。
 リャオタンの灰色の瞳に映るのは、一歩先の未来。
 振り上がる蹄。衝撃で一瞬、意識が朦朧となる。
「やめろ」
 低い声と共に黒い影が躍る。ショウがリャオタンを抱え、鹿から離れようと一歩を踏み出した。
 深い傷を負い、血反吐を滴らせてなお、リャオタンの瞳は曇らない。
「揺れない」
 俺は俺の出来ることを。祈りを。
 幾人も残っていた癒え切らぬ異常を受けた者が、ほとんど消え去る。
 ショウの背を衝撃波が襲う。彼の召喚獣を以ってしても、その手に抱えた者まで護ることは出来ない。リャオタンの傷は致命傷になる。
「させるか!」
 僅かに遅れてグリットが飛び出し、モンスターの横っ面に破鎧掌を叩き込む。
 身を覆う厚く硬い毛を通り越して衝撃が伝わる。しかし、動じる様子は見られない。
「ファイヤアアアアァァァァッ!!」
 ガルティアが血に染まった歯を剥き出して咆哮する。両の腕に力を込め、何度も何度も叩き斬り続ける。
 ショウから負傷したリャオタンをラジスラヴァが受け取り、ショウは再び戦線に復帰する。
 一体、何がいけなかったのか? そこにいたのは、子供思いの老夫婦と、親思いの子供と、自分の巣を守ろうとしただけの一匹の化物。一体、どこに悪意が存在したのか。クロノには分からない。
「次はない。貴様に、不幸を届けてやろう」
 波打つ闇の影からクロノの不幸のカードが飛来し、牡鹿の横腹を黒く染めた。
 大上段からの護りの力を込めた一撃を見舞うショウ。
 鋭い音を纏って、血反吐の滲むザキの逆棘の矢がモンスターの身体を貫く。穿たれた傷口からの出血が止まる様子を見せないのは、クロノのバッドラックシュートの効果によるところが大きい。
 押し寄せる衝撃波を弾く闇のマントに包まれ、カイサは精神を充実する。
 前衛に出続けるということは並大抵のことではない。ガルティアはほんの一時的にせよ、戦線から下がることを余儀なくされている。
「取って置きだ。食らいな」
 先に出したジャブ・フック・ブローと続く連撃から、グリットは破鎧掌をモンスターの体にねじ込む。
 そのとき、鋼鉄の蹄がキニーネを向いた。
 射程外へと下がる暇は、ない。このモンスターの蹄に晒されるには、キニーネの体力は余りに心許なかった。
 一撃で、沈められる。
 金木犀が仄かに香ったような気がした。
 一気に削られた命がザキの口から溢れ、純白の雪を染める。
「ザキさん!」
 ぐったりして動かないザキを、
「任せて」
 ラジスラヴァが受け取り、戦場の外へ運び出す。
 カイサの脚が欠けた月のごとき弧を描き、モンスターに深い裂傷を与える。
 青白い雷を纏ったシュウの居合い抜きが首元を大きく切り裂いた。
 勝てる。
 ハジの矢が突き立った所から一気に薄氷が広がり、焔が牡鹿の姿を舐め尽くす。
「今です!」
 ハジの声に身体ごと反応して、グリットが強く踏み込む。
 完全に動きを止めて雄々しい姿のまま立ち竦んだモンスターに、護りの力を乗せた重い衝撃が残らず吸い込まれた。

●老廟の夢
 洞では黙々と作業が進んでいた。
 老夫婦の亡骸を布で包むキニーネは、祈らないと決めていた。ただ死に行く者への親愛だけを込めて、かじかんだその手は休めなかった。
 血まみれの老夫婦の表情は余りに幸せそうで、暖かな安らぎに満ちていて。
 手伝う者は幾人もいたが、口を開くものは、ついぞなかった。
 即席の小さな墓標を振り返り、メイムは思う。
(「この人達は幸せだったのかも知れないけど……」)
 愛する人と共に逝けて。愛する者を守って死んで。
(「気にかけてくれる人がいる以上、不要な人なんて事はないのに……」)
 銀と虹の髪をたなびかせる召喚獣を連れて、メイムは無言で洞を後にした。
 ただ残ったのは、洞を満たしている肌を刺すような冷厳な空気に漂う、暖かな無数の想いだった。

 火照った頬に一点の冷たさを感じ、天を仰ぐ。
「雪だ……」
 血のこびり付いた頬のまま、ハジが呟く。
 を、とガルティアは漏らし、
「……降ってきたか」
 老夫婦がここに来なければ、あるいは――
「いや」
 黙ってかぶりを振ったガルティアの傍らで、
「……少し、期が早まっただけの話」
 誰に言うでもなく、カイサはただ雪の沈む空を見上げていた。
 戦いの間は忘れていた息の白さが今更になって認識される。あのときは滴った血が湯気を上らせる程だったというのに。
 モンスターから折り取られた金色の枝角を、ガルティアは手に取った。しばらくそれを眺め、それから無造作に雪の小山に放り投げた。
 冒険者の手で雪に埋められたモンスターの亡骸は急速に熱を失い、雪の上で輝く角だけが、その存在を哀しく誇示している。それもやがて雪に薄く覆われ、光が埋められていく。
 交差する三つの想いの間に招かれた冒険者は、やはり雇われ人でしかないのか。誰も答えてはくれない問いを、もう動かないモンスターの墓標に向かって投げかける。
「この雪が、貴様へのせめてもの手向けとならんことを」
 消えゆく光を漆黒の瞳に映し、クロノは踵を返す。
 静やかに、たおやかに落下して、ふんわりと積もっていく雪。
 空を見上げ、グリットが囁くように呟いた。
「美しい雪だ……」
 ポケットに手を突っ込み、グリットは肩をすくめる。
 でも、この悲しみまでは埋めてはくれないのだろう。そう思うと、空しさを感じないと言えば嘘になる。
「きっと」
 不意に聞こえた声に、グリットは振り返った。
「じきに、暖かい春が来る」
 深手を負って安静にしていたリャオタンが、力なく微笑んだ。また頭をことんと木にもたせかけると帽子が少しズレて、それだけは慌てて元に戻した。
 氷の結晶はひとつひとつに淡い光を封じ込め、人の肌に甘く溶ける。
「……そうか」
 何となくリャオタンの言いたいことを理解して、グリットの表情も少しだけ和らいだ。
 ショウも見上げ、溜息をついて鞘に収めた剣を肩に乗せた。
 俺達の想いも、力を得た者達の業も、この白い雪は全て。覆い隠してしまうだろうから。
 冷たく暖かな空気に溶け込んで、歌は昇っていく。
 想いの歌い手を名乗るラジスラヴァ。
 その美しい歌声は、高く遠く、人の想いを、心を。届けるため。伝えるため。
 とわに、響かせるため――


マスター:紫蟷螂 紹介ページ
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死亡者:なし
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