<リプレイ>
●眠りの洞 雪に適応した特殊な形の靴が、独特の跡を残しながら前進する。 吸い込めば胸を貫くような清涼とした空気に結露した息が上がり、生命の死に絶えたような黒い林を生物の痕跡が横切っていく。澄み渡る朝だ。 想いの歌い手・ラジスラヴァ(a00451)が最後尾で歌っている。一小節ごとにじっくり吟味して、最良の音を選択する。彼女は今まさに、歌を作っている最中なのだった。歌詞はまだなくて、傍目には何の歌だか分からない。 誰もそれを疎ましく感じないのは、ラジスラヴァの心地良い声音のせいだけではあるまい。一体何のため――誰のための歌なのか、誰もが知っているのだ。 「そろそろ、やめた方がいいぞ」 貪欲ナル闇・ショウ(a27215)が列の頭から声をかける。黒手袋が先を指差し、 「あれじゃないか?」 こんもり積もった雪を内側から押し退けるように、その洞は口を開けていた。 朝日と雪に反射して輝く金色の枝角を庇うように、洞の主がその太い首を折りながら姿を現し、短い身震いで佇まいを正したのは、それから間もなくのことだった。
半円状に展開した形に布陣し、死角からの絶え間ない攻撃と万全の回復を期する作戦。 「ここまでだ。逃しはしない」 鷹の鋭さを持つ眼で獲物を睨み付け、拳を片腕ごと真っ直ぐ向けて荒野の黒鷹・グリット(a00160)が宣言する。 蒼翠弓・ハジ(a26881)の鎧聖を受けた、碧緑に燃え上がる剛拳士・ガルティア(a19713)がいち早くモンスターに猛攻を仕掛ける。 鎧聖を纏った、流離う風影・カイサ(a23700)の斬鉄蹴がモンスターの身体を鋭く抉りにかかった。 予定していた分の鎧聖降臨が終わるまで、まだ少しかかる。 ざわ、と空気が揺れた。 来る。 漠然と感じ取ったカイサの感覚は、間違っていなかった。 大きな波が押し寄せてきたと思うと、一瞬で身体がズタズタになる。 後衛より金の杯銀の眼鏡・キニーネ(a13906)、夢見ぬ唄歌い・メイム(a13542)、リングスラッシャーを操るラジスラヴァの三人の吟遊詩人が奏でる凱歌が、同様に一瞬で仲間達の傷を癒した。ダメージ量と回復量。現時点ではどちらも拮抗しているように思えた。 さらに後方へ下がって、弓手のハジと深淵樹海・ザキ(a90254)。万一のため静謐の祈りを捧げる、桃戒克己・リャオタン(a21574)が配備されている。 輝く角から発せられる力は血反吐を吐かせ、心を掻き乱し、硬い蹄は骨すら砕く。さりとてその程度の負傷ならば、徹底した前衛への鎧聖降臨と充実した回復要員で、そのまま押し切ることも難しくはないはずだった。 鎧聖降臨をかけ終えた蒼幻葬送・クロノ(a07763)のバッドラックシュートを避け、牡鹿のモンスターは大きく跳躍した。 着地するや、耳をつんざくような音を響かせ始めた。 そこは前衛を乗り越えた、吟遊詩人の傍だった。 握った拳を胸に当て、リャオタンは祈りを続けていた。 身体を捩じ切られるような感覚に襲われて、顎を上げたハジの目に天が飛び込む。 他に方法――なかったから、吹雪の中、洞に行ったですよね。 ハジは上がった顎を無理矢理戻し、敵を見据えた。視界が赤い。 鹿を討てば、家族の気持ち、少し楽になるのかな。 メイムの歌う高らかな凱歌が聞こえる。儚げな歌声は癒しの力に変わり、戦う者達を支える大きな力となる。 弓を構えたハジの目は、力強く跳躍する鹿を追った。 その先は。
●金色の枝角 かんじきという靴は、素早さを必要とする行動には全く向いていない。 チェインシュートを手近な木に飛ばしても、上手く引っかかってなおかつ強く固定されてくれる望みは、眩暈がするほど薄い。 リャオタンの灰色の瞳に映るのは、一歩先の未来。 振り上がる蹄。衝撃で一瞬、意識が朦朧となる。 「やめろ」 低い声と共に黒い影が躍る。ショウがリャオタンを抱え、鹿から離れようと一歩を踏み出した。 深い傷を負い、血反吐を滴らせてなお、リャオタンの瞳は曇らない。 「揺れない」 俺は俺の出来ることを。祈りを。 幾人も残っていた癒え切らぬ異常を受けた者が、ほとんど消え去る。 ショウの背を衝撃波が襲う。彼の召喚獣を以ってしても、その手に抱えた者まで護ることは出来ない。リャオタンの傷は致命傷になる。 「させるか!」 僅かに遅れてグリットが飛び出し、モンスターの横っ面に破鎧掌を叩き込む。 身を覆う厚く硬い毛を通り越して衝撃が伝わる。しかし、動じる様子は見られない。 「ファイヤアアアアァァァァッ!!」 ガルティアが血に染まった歯を剥き出して咆哮する。両の腕に力を込め、何度も何度も叩き斬り続ける。 ショウから負傷したリャオタンをラジスラヴァが受け取り、ショウは再び戦線に復帰する。 一体、何がいけなかったのか? そこにいたのは、子供思いの老夫婦と、親思いの子供と、自分の巣を守ろうとしただけの一匹の化物。一体、どこに悪意が存在したのか。クロノには分からない。 「次はない。貴様に、不幸を届けてやろう」 波打つ闇の影からクロノの不幸のカードが飛来し、牡鹿の横腹を黒く染めた。 大上段からの護りの力を込めた一撃を見舞うショウ。 鋭い音を纏って、血反吐の滲むザキの逆棘の矢がモンスターの身体を貫く。穿たれた傷口からの出血が止まる様子を見せないのは、クロノのバッドラックシュートの効果によるところが大きい。 押し寄せる衝撃波を弾く闇のマントに包まれ、カイサは精神を充実する。 前衛に出続けるということは並大抵のことではない。ガルティアはほんの一時的にせよ、戦線から下がることを余儀なくされている。 「取って置きだ。食らいな」 先に出したジャブ・フック・ブローと続く連撃から、グリットは破鎧掌をモンスターの体にねじ込む。 そのとき、鋼鉄の蹄がキニーネを向いた。 射程外へと下がる暇は、ない。このモンスターの蹄に晒されるには、キニーネの体力は余りに心許なかった。 一撃で、沈められる。 金木犀が仄かに香ったような気がした。 一気に削られた命がザキの口から溢れ、純白の雪を染める。 「ザキさん!」 ぐったりして動かないザキを、 「任せて」 ラジスラヴァが受け取り、戦場の外へ運び出す。 カイサの脚が欠けた月のごとき弧を描き、モンスターに深い裂傷を与える。 青白い雷を纏ったシュウの居合い抜きが首元を大きく切り裂いた。 勝てる。 ハジの矢が突き立った所から一気に薄氷が広がり、焔が牡鹿の姿を舐め尽くす。 「今です!」 ハジの声に身体ごと反応して、グリットが強く踏み込む。 完全に動きを止めて雄々しい姿のまま立ち竦んだモンスターに、護りの力を乗せた重い衝撃が残らず吸い込まれた。
●老廟の夢 洞では黙々と作業が進んでいた。 老夫婦の亡骸を布で包むキニーネは、祈らないと決めていた。ただ死に行く者への親愛だけを込めて、かじかんだその手は休めなかった。 血まみれの老夫婦の表情は余りに幸せそうで、暖かな安らぎに満ちていて。 手伝う者は幾人もいたが、口を開くものは、ついぞなかった。 即席の小さな墓標を振り返り、メイムは思う。 (「この人達は幸せだったのかも知れないけど……」) 愛する人と共に逝けて。愛する者を守って死んで。 (「気にかけてくれる人がいる以上、不要な人なんて事はないのに……」) 銀と虹の髪をたなびかせる召喚獣を連れて、メイムは無言で洞を後にした。 ただ残ったのは、洞を満たしている肌を刺すような冷厳な空気に漂う、暖かな無数の想いだった。
火照った頬に一点の冷たさを感じ、天を仰ぐ。 「雪だ……」 血のこびり付いた頬のまま、ハジが呟く。 を、とガルティアは漏らし、 「……降ってきたか」 老夫婦がここに来なければ、あるいは―― 「いや」 黙ってかぶりを振ったガルティアの傍らで、 「……少し、期が早まっただけの話」 誰に言うでもなく、カイサはただ雪の沈む空を見上げていた。 戦いの間は忘れていた息の白さが今更になって認識される。あのときは滴った血が湯気を上らせる程だったというのに。 モンスターから折り取られた金色の枝角を、ガルティアは手に取った。しばらくそれを眺め、それから無造作に雪の小山に放り投げた。 冒険者の手で雪に埋められたモンスターの亡骸は急速に熱を失い、雪の上で輝く角だけが、その存在を哀しく誇示している。それもやがて雪に薄く覆われ、光が埋められていく。 交差する三つの想いの間に招かれた冒険者は、やはり雇われ人でしかないのか。誰も答えてはくれない問いを、もう動かないモンスターの墓標に向かって投げかける。 「この雪が、貴様へのせめてもの手向けとならんことを」 消えゆく光を漆黒の瞳に映し、クロノは踵を返す。 静やかに、たおやかに落下して、ふんわりと積もっていく雪。 空を見上げ、グリットが囁くように呟いた。 「美しい雪だ……」 ポケットに手を突っ込み、グリットは肩をすくめる。 でも、この悲しみまでは埋めてはくれないのだろう。そう思うと、空しさを感じないと言えば嘘になる。 「きっと」 不意に聞こえた声に、グリットは振り返った。 「じきに、暖かい春が来る」 深手を負って安静にしていたリャオタンが、力なく微笑んだ。また頭をことんと木にもたせかけると帽子が少しズレて、それだけは慌てて元に戻した。 氷の結晶はひとつひとつに淡い光を封じ込め、人の肌に甘く溶ける。 「……そうか」 何となくリャオタンの言いたいことを理解して、グリットの表情も少しだけ和らいだ。 ショウも見上げ、溜息をついて鞘に収めた剣を肩に乗せた。 俺達の想いも、力を得た者達の業も、この白い雪は全て。覆い隠してしまうだろうから。 冷たく暖かな空気に溶け込んで、歌は昇っていく。 想いの歌い手を名乗るラジスラヴァ。 その美しい歌声は、高く遠く、人の想いを、心を。届けるため。伝えるため。 とわに、響かせるため――

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参加者:10人
作成日:2006/02/03
得票数:冒険活劇7
戦闘11
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冒険結果:成功!
重傷者:深淵樹海・ザキ(a90254)(NPC)
桃華相靠・リャオタン(a21574)
死亡者:なし
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