湖に沈んだ思い出
 

<湖に沈んだ思い出>

マスター:矢神かほる


 短い洞窟を抜けると視界が開ける。岩山を丸く切り抜いたような地形の中央に、鏡面のように美しく輝く湖がある。洞窟を抜けるというちょっとした冒険と、その結果得られる美しい風景という報酬に、その場所――ミラルカの湖は隠れた名所として知られていた。
 その洞窟で落盤事故があった。

「お願いします……私をミラルカの湖へ連れて行ってください」
 ティラと名乗ったその少女は深く頭を下げた。
 その事故でティラは恋人を失ったという。
 既に遺体は運び出され、事故の痕跡も綺麗に片付けられている。今更そこへ何をしに行きたいのかと問うても、ティラは首を振るばかりで答えない。
「私の、せいなんです。……どうしても、取り戻したいものがあるんです……」
 と繰り返すばかりだ。
 酒場のマスターはティラから離れた場所で冒険者達に向かい声を潜めた。
「行くだけならピクニックコースみたいなもんで問題はないんだが……どうも事故以来寂れちまったみたいでな、そこにグドンが住み着いちまってるみたいなんだよ」
 霊査士の情報によると、大した数の集団ではないようだが、少女一人を向かわせるには余りにも危険だということ。
 それに、と、マスターはティラを盗み見て言った。ティラは蒼白の顔でカウンター席に座り、出されたカップを握り締めて身を震わせている。
「あの様子だ。グドンの事がなくても一人で行かせるのは、なあ?」
 何か早まったことをするのではないか。
 グドンから彼女を守り、そして彼女の心痛を少しでも軽くしてやって欲しい。
 マスターは真剣な声でそう言った。


参加者: ストライダーの武道家・マオ(a00257)  ヒトの邪竜導士・ミコト(a00450)
ストライダーの紋章術士・サルヴィナ(a00591)  ヒトの医術士・ザイン(a00835)
エルフの邪竜導士・レイル(a00842)  エルフの翔剣士・ノエル(a01372)
ヒトの紋章術士・セティ(a01375)  ストライダーの吟遊詩人・フロル(a01622)

 

<リプレイ>


●誰もが
 幸いにも道中の陽気には恵まれていた。寧ろ恵まれ過ぎていたと言ってもいい。じりじりと照りつける陽光が汗を誘い、体力をじわじわと削っていく。
 冒険者としては何ほどのことでもないが、気力体力共に減退しているティラには酷だろう。一行はヒトの紋章術士・セティ(a01375)の主張に従い街で借り受けたノリソンにティラを乗せ、ミラルカの湖を目指していた。
 ティラは思いつめた様子は変わらぬまでも、何やかやと気遣い、話し掛けてくる冒険者達に必死に応じている。気遣いが伝わる為だろう、いくらか気持ちも持ち直しているようだ。
「いい天気だねー楽しみー泳がせてくれないなんて言ったら暴れるからねー」
 だからこそストライダーの武道家・マオ(a00257)の放ったその言葉に、一堂はギクリと身を強張らせた。
 どうやら新しい水着で泳ぎたくてたまらないらしいマオは無邪気にただ『湖』へ行ける事を喜んでいる。無論依頼である以上ある程度の真剣味はあるが、それよりも欲求が優先するようだ。
「……そう、ですね」
 ティラはきゅっと下唇を噛み俯く。彼女にとってミラルカの湖は決して『楽しみ』な場所ではない。恋人が失われた地だ。
 恋人を失った場所へ赴く少女に対して、マオの態度は無神経に過ぎた。
 重くなりかけた空気を取り繕うようにストライダーの吟遊詩人・フロル(a01622)がティラに問い掛ける。
「ティラさんの探し物は泉の中に沈んでるの?」
「はい」
 ティラはこくりと頷いた。
「ご迷惑をかけて申し訳ありません。だけど……どうしても探しに行きたいんです」
「迷惑なんかじゃないが……」
 エルフの邪竜導士・レイル(a00842)がティラを見上げる。ティラの思いつめたような表情に、レイルは覚えがあった。
「私も過去に、大切な人を失ったから……気持ちはわかる気がする」
 はっと一堂の視線がレイルに集まった。エルフの翔剣士・ノエル(a01372)もまた深く頷く。
「私にも、心を伏せてベットから窓の外をぼーっと見つめる日々があった」
 その声に同情とそして鼓舞するような強い響きがある。
 ヒトの邪竜導士・ミコト(a00450)が、膝に置かれているティラの手に、己のそれをそっと重ねる。
「僕も恋人を亡くしたのでその気持ちは解るから懸命に探しますけれど、あなた自身が湖で溺れてしまわないように」
 声をかけてきた一堂を、ティラは驚いたように見つめた。
 誰しもが何かを抱えて生きている。何かの痛みに耐えながら、それでも生きていこうとしている。一堂の言葉はそれをティラに強く教える。
 ティラは数瞬の沈思の後、きっと面を上げた。
「……ありがとう、ございます」
 儚いながらも心からの笑みが、その顔に浮かんでいた。

●洞窟
 ピクニックコースと言われるだけあって、洞窟までの道程は造作もないものだった。程なく辿り着いた洞窟を前に、マオがはしゃいだ声を上げる。
「着いた着いた着いたー!」
「馬鹿……!」
 ヒトの医術士・ザイン(a00835)が天を仰いだ。そもそも浮かれていたのは分かっていたが、だからといってここまで浮かれられては目も当てられない。この洞窟にはグドンが住み着いているのだから。
 案の定、
「きゃーっ!!!」
 制止の声などそもそも聞くはずもなく洞窟へ踏み入ろうとしたマオが猫の尻尾をパンパンに膨らませてかけ戻って来る。勿論おまけ付だ。マオの後ろからグドンがわらわらと走り出してくる。
 ティアがノソリンから下りるのを手助けしていたセティが舌打ちと共に前へと踊り出た。バランスを崩して悲鳴を上げるティラをザインが抱き取るのと同時に、セティの身体の前に紋章が現出する。発動したマリオネットコンフューズが過たず先発のグドンを混乱に陥れた。見事に術中に陥った三匹のグドンはその場で互いに襲い掛かりだす。
 その隙に一堂はティラを背後に庇いこみ身構えた。
 流石に震えるティラと、その側についたストライダーの紋章術士・サルヴィナ(a00591)、ザインに軽く頷きを返したノエルは、その混乱の隙に乗じる形で抜き放ったレイピアを手に跳躍する。
「ふん。弱いな」
 混乱し味方に襲い掛かり、また味方に襲い掛かられ二次混乱を引き起こしているグドンを、ノエルは一体、また一体と確実に仕留めていく。
 しかしそれにも限界はあった。そもそも数の上ではこちらが不利なのだ。
 ノエルの脇を回りこんだ一体のグドンがティラ目掛けて襲い掛かってくる。だがそれは『護れ』ただそれだけを命じられていたザルヴィナの土塊の下僕に阻まれる。下僕がグドンによって正しく土くれに返されたその時、追いすがってきたノエルのレイピアに、グドンは物言わぬ躯と化した。
「……っ!」
 眼前に繰り広げられる惨劇に流石にティラがすくみ上がる。だがそれでもティラは錯乱したり逃げようとしたりはしない。
 その身を盾にティラを守りながら、ザインはその事に密かに感心した。
 それが何かはまだ分からない。しかしこんな事態を目の当たりにして尚、ティラは湖に沈む何かをどうしようもなく求めているのだ。
 ミコトの、レイルのブラックフレイムがグドンの毛皮を焦がしその隙にノエルが跳躍と一撃を繰り返す。漸く己を取り戻したマオもまた戦闘に加わり、程なくしてグドンの群れは一掃された。

●ミラルカの湖
「うわぁ……!」
 マオでなくとも歓声を上げたくなるような光景だった。
 岩山を丸く切り抜いたような地形の中央に、鏡面のように美しく輝く湖がある。天の青を映したその鏡面は青く澄み渡り、微かな風に吹かれて立つ小波が陽の光を受けて白銀の煌きを見せていた。下草の緑と、湖面の青は目に眩しいほどだ。
 さっさと服を脱ぎ捨て新しい水着とやらで湖に飛び込んだマオを余所に、一堂は洞窟の中で使っていた松明を元に湖面の直ぐ側に起こした焚き火を囲み、ティラの告白に耳を傾けていた。
 例え夏の最中とは言え焚き火の炎というものは人の気を落ち着かせる。ティラはじっと炎を見つめながら、ポツリ、ポツリと語り出した。
「指輪を……無くしてしまったんです」
「それは……もしかして……?」
 はきとは口にせずに問い掛けるミコトに、ティラはこくりと頷いた。
「あの人から貰った指輪です」
 その日ティラはちょうど今のマオのように湖で水遊びをしていた。どうやらその時に落としてしまったらしい。
「……あの人はそれを探しにきて、事故にあったんです」
 遺体からも、取り除いた瓦礫の下からも、指輪は発見されなかった。まだそれはこの湖の下に沈んでいるのだ。
「私が……私が指輪を落としたりしなければあの人は……」
 それ以上を口にする事が出来ず、俯いてしまったティラの肩をザインがそっと撫でる。
 漸くわかった。怖い思いをしながらもティラが逃げようともしなかったその理由。グドンが出ると知っていながらどうしてもこの湖に来ると言い張った理由。
 俯いたティラの顔を覗き込みながら、フロルが問い掛ける。
「だから……どうしても指輪を取り戻したかったの?」
 せめて指輪だけは。
 ティラがこくりと頷いた、その時だった。
「あれぇ? これ何?」
 マオの能天気な声が一堂の耳朶を打った。
 湖に潜って遊んでいた時に偶然拾い上げたそれを手にマオは首をかしげている。
 小さな輪状の金属。遠目から見ようと間違いなくそれは。
「……っ!」
 声にならない叫びを上げてティラが立ち上がる。
「マオ! それは!」
 ザインの叫びは、一瞬、ほんの一瞬だけ遅かった。
 そもそも話も聞いていない、聞く気さえなかったマオにその輪状の金属の価値は分からない。
「なんにせよマオたちにとってあまり価値のある物じゃないよね」
 あっさりと容易く。その金属はマオの手を離れる。
 放物線を描きその金属は再び湖面へと落下する。
「あ!」
 止める間さえなかった。小さな金属――指輪を追って、ティラは湖へと飛び込んだ。

●沈んだ思い出
 ティラをどうにか湖畔へと引きずり上げて落ち着かせ、再び一堂は指輪の探索を始めた。
 しかし指輪はどれだけ探そうとも最早影も形も分からなくなってしまっていた。
 日はどんどん傾き、日が暮れかけても。
 指輪は最早冒険者達の前に姿を現してはくれなかった。
「……もう、いいんです」
 そうティラが言い出したのは、冒険者達の歯の根がガチガチとかみ合わされるようになったころの事だった。
 一縷の望みも最早見出せない。
 絶望に近いその声に、フロルは必死で首を振った。
「きっと見つかるよ。見つけて見せるから……そんな顔しないで?」
「いいえ」
 これ以上迷惑はかけられないとティラは首を振る。
「迷惑なんかじゃないといわなかったか?」
 レイルの言葉にも、ティラは頑強に首を振った。
「いいのか?」
 髪から滴る雫を払い、ノエルはティラの顔を覗き込む。ティラは大きく頷いた。
 いいわけなどない。ノエルにも、他の一堂にもそれは良くわかった。だが、現実に指輪は探せど探せど見つからない。このまま探索を続けても、日の光があっても見つからなかったものが見つかるとも思えない。
 現実に、指輪は見つからないのだ。
「……見つからないんです指輪は。……きっと、そういう事なんです」
 恋人が帰らないように指輪もまた帰らない。
 哀しげに、しかし何かを吹っ切ったようにティラは言う。
「……そうですね」
 水を打ったような沈黙の果てに、ミコトがポツリとそう言った。
「指輪は見つからなかったけど、思い出が消えたわけじゃない」
「はい……」
「それじゃ、帰りましょう」
 ティラと皆を促し、ミコトはにっこりと笑う。
「貴方がそんな顔色では――彼も安心して眠れませんよ? 僕でよければいつでも話は伺いますから…元気、だしましょうね」
 その言葉に、ティラの瞳から大粒の涙が一筋、流れ落ちた。

 その湖に思い出は眠る。
 拾い上げる事は出来なくとも。

 この出来事が彼女にとって立ち直る景気になることを、冒険者たちは祈らずにはいられなかった。