深緋


<オープニング>


 あぁ。
 あぁ。
 赤に染まる。
 あぁ。
 この赤はなんて罪深いのだろう。
 そして私はなんて事をお願いしてしまったのだろう。
 こちらに伸びてくる手。
 その手を取りたいのに、取ることができない。
 体が動かない。
 指先から血が滴り落ちる。
 あぁ、私が起こした罪の色。
 助けてくれ。と、唇が動いているのが分かる。
 力なく揺らめく体を抱きしめようと思うのに、体が動かない。
 一緒に二人で桜を見に、子どもができたときもここに桜を見に来た。今も週末には3人で遊びに来るこの公園で、桜吹雪が舞うように永遠の愛を誓った相手の血飛沫が舞った。
「やめてっ!!!」
 そう叫んだ時には遅かった。
 ぱたりと彼の体は倒れてしまったから。
 もう唇も動かなければ、優しくお腹を撫でてくれることもない。
 彼女は声にならない悲鳴を上げた。
 
 
「オツカレサマ。早速だけど依頼の説明に入るわね」
 能力者が集まったことを確認すると、樟高・匡(運命予報士・bn0029)は急いで欲しい依頼だからと、早速説明を始めた。
「地縛霊がいる公園に一組の夫婦がいるの。夫の方は地縛霊に殺され、妻の方はまだ無事よ。だけれどもこのままではすぐに地縛霊の餌食になるわね」
 野球場やテニスコートが併設された大きな公園の芝生広場。
 昼間ならのどかな風景なのだけれども、今は血に濡れたその場所。
 地縛霊は妻に見せ付けるように、夫をゆっくりと切り裂いていく。
 その光景を呆然と眺めているのはその妻。

 なぜ夫婦が夜にこの公園にやってきたのか。
「それは妻が夫を呼び出したから」
 簡潔に言葉を述べる匡。
「そして妻がこの公園にいる地縛霊に、夫を殺してくれと頼んだから」
 とても悲しい事なのに、匡は普段と変わらず淡々とあまり抑揚のない口調で説明を続けていく。
 なぜ妻が夫に殺意を抱いたのか。
 それは半年前に遡る。
 順調だった夫の会社の経営が傾き、会社は経費削減とリストラをすることにした。
 そのリストラ名簿の中に夫の名前があり、他にリストラされた人と同じく夫もリストラされた。
 働き盛りの33歳才ということもありすぐに次の仕事が見つかるだろうと思い、妻もしょげていても仕方ない一緒に頑張ろうと夫を励ました。
 今まで専業主婦だった妻も少しでも足しになればと、4歳になる小さい娘を家に残してパートにでたりもした。
 家族で頑張ってるのに夫の再就職先は一向に決まりそうになかった。
 そのうち妻の妊娠が分かったものの、妻の稼ぎだけが頼りになっていたので、辞めるに辞めれずパートを続けている。
 外で仕事をしている上に、家でも妻として嫁として家事をこなさなければならなかった。
 夫は家事は苦手で、今まで妻に頼りぱなしだっただけに、今からやれといってもできるわけではない。
 妻の負担が増えた。
 そのうち妻は「なんで私ばっかり……」と、思う様になった。
 そのうち妻は「夫がいなくなれば、買ったばかりの家のローンがなくなるのに」と、思う様になった。
 そろそろお腹も目立つ頃になってきた。もしかするとパート先から仕事を控えたほうがいいとか理由をつけられて、やめなければならないかもしれない。
 夫の再就職は決まらないのに、長女は4月から入園が控え。お腹にはもう一人子どもがいる。
 そんな時、帰りに寄ったこの公園で声が聞こえた。
「じゃぁ、殺しちゃえばいいんだよ」
 楽しげにくすくすと笑う声に妻は振り返った。
「貴方が無理なら、私がやってあげるよ。だからいなくなっちゃえばいい人をここに連れてきてよ」
 疲れた妻は言葉なく頷いた。

 それがこの事件の切欠。 
 今まだ妻は生きているが、自分の起こした状況に錯乱し、その場から動けなくなっている。地縛霊はもちろん妻のことも狙っている。
「戦闘になれば地縛霊につかまっている妻を解放し助けるというのは、無理になるかもしれないわ。だけれども地縛霊はしっかりと倒してきて欲しいの」
 非情だけれども、仕方ないこと。
 匡はそっとため息をひとつ吐き出した。
 
「そして肝心な地縛霊の能力ね」
 夫を殺した地縛霊は20歳前後の若い女性。
 長い爪を武器として切り裂き攻撃をしてくる。
 気をつけないといけないのは、爪には毒があるということ。
 そしてその爪で黒影剣に似た攻撃もしてくる。
 戦闘になるとどこからともなく3体の男性地縛霊が現れる。
 男性3人は力技しかないが、獣撃拳に似たパンチは大変重く、威力もある。
 普段なら普通に戦って勝てる相手だとは思うが、今回は状況が状況だけに難しい戦いになるかもしれない。

「そして戦闘が終わった後だけれども、もしも奥さんを助けることができたのなら、表ざたになるようなことは避けてあげて」
 彼女もきっとつらかったのだ。
 どこでボタンを掛け違ってしまったのだろう。
 辛かったといって一時の感情に任せて、彼女がしたことは許されることではない。
 けどここで彼女もいなくなってしまえば、まだ4歳の子どもはどうなるのだろう。
「大変な依頼をお願いすることになるけれども、何か解決策はあると思うから」
 かつて愛を誓い、その愛のまま子どもを授かり、幸せだったはずなのに。
 どうしてこうなってしまったのか。
 最後に匡は深く頭を下げた。

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参加者
雨乃森・珪(太陽小町・b02687)
玖堂・統夜(黒の確約者・b05760)
犀遠寺・限(黄泉津の楔・b26238)
月乃・星(永遠の欠食児童かも・b33543)
皆月・弥生(夜叉公主・b43022)
四道・浅葱(魔導の申し子・b55060)
全道・善路(流離番長・b67438)
蔵石・恭介(甦る陽・b70689)



<リプレイ>

●愛ゆえの過ち
 利用時間の最終案内のアナウンスが公園内に流れる。
 そしてその後、すぐに公園内の灯りがすべて消えた。
 今、公園で起こっていることなど関係ないような、いつもと変わらない日常。

 だけど、そこはもう日常ではなかった。
 公園には一人の妊婦とその夫。そしてもう一人うすら笑う若い女の地縛霊がいた。
 夫はあちこちを切り刻まれて、芝生の青を赤に染めて倒れていく。
 飛び散った血飛沫が女の頬を汚す。
 なぜだろう、涙は流れない。
 ただ妊婦は無意識にお腹を抱えた。
 声にならない声。
 悲鳴にならない悲鳴を上げた。
 女の地縛霊はいやらしく口角を上げて笑い、長い爪を見せ付けるように振り上げた。
「つぎは、アナタ」
 女の地縛霊の低い声が聞こえて、妊婦はお腹を抱えたまましゃがみ込み、きつく目を瞑った。
 自分は罪を犯した、だからこれはその罰だと。
 だけれども、妊婦が考える罰が下されることはなかった。
 閉じた目をゆっくりとあけると、それほど背の高くない女性の背中と、黒く長い髪の毛がなびいている。そして血が飛び散っていた。
「あぁ……」
 ため息にも似た吐息が漏れ出した。

 女性地縛霊と妊婦の間に勢い良く割って入った雨乃森・珪(太陽小町・b02687)の頬を地縛霊の長い爪が薄く切り裂き、赤が舞った。それと同時に珪の蟲達が辺りを照らし、これから戦うのには支障がなくなった。
「それ以上はさせない」
 唇をかみ締め珪が、きつい視線で女性の地縛霊を見据えるや否や、気を溜め込んだ指先で女性地縛霊の体に触れた。
 夜空に響く女性地縛霊の低い声。
 ただ触れただけなのに、珪の指先から放たれた気が女性地縛霊の体の中で暴れだす。
 皆月・弥生(夜叉公主・b43022)が女の地縛霊を射程内にまで詰め寄った時、どこからともなくガタイの良い男の地縛霊が3体、能力者達と、蹲ったまま震えて叫びを上げる妊婦を見据えた。
 地縛霊たちに容赦などない。
 現れた男の地縛霊たちは大きな拳を振り上げる。

 一時の感情に流されて、取り返しのつかない結末を迎える。
 それが今。
 玖堂・統夜(黒の確約者・b05760)が、もう動かなくなってしまった血に濡れた妊婦の夫の姿を見止める。
 愛する人に刃を向けてしまう。
 人の心とはこんなにも脆く、そして果てしなく愚か。
 しかし夫へと向けた感情全てが憎悪ではない、もしも憎悪だけならこんなにも妊婦は取り乱す事はないだろう。
 愛していたからこその愚行。
 その気持ちだけは失わせるわけにはいかない。
 妊婦を無事に救出するための足止め役だが、足止めなどとは考えず、最初から叩き潰す勢いで女の地地縛霊の攻撃範囲内に飛び込む。
 やるせない。
 お腹を抱えて座り込んだまま、ガタガタ震え、血に濡れた夫の姿を見ては、涙をぼろぼろこぼし、ワケの分からない言葉を叫ぶ妊婦を見て犀遠寺・限(黄泉津の楔・b26238)が思う。
 男の自分には身重というのが、どれほど大変なものかはわからない。けど男性だからこそわかる事もある。夫は妻の重荷を取り除いてやりたい。そう考えていたのではないだろうか。そう思うのは自分も男で、もしも夫の立場になったらそう考えると思うから。これ以上悲しい出来事増やしたくはない。限は着ていた上着を脱ぎ、蹲ったままの妊婦の頭の上から被せる。これ以上の惨劇を見なくても良いように。これで少しでも落ち着いてくれればいいと。
 男の地縛霊が詰め寄ってくる。
 妊婦でも、妊婦を守るように立ちはだかる能力者でもいいと言う様に、鈍色のオーラが纏われた拳を振り上げ、振り落とされる。
「……―――ッ!!」
 妊婦に向かって振り落とされた拳が、それに気がつき妊婦の前に立ちはだかった四道・浅葱(魔導の申し子・b55060)に命中し、重いパンチに顔を歪める。
 仕方ない面も確かにある。だけれども疲れたからといって、妊婦のしたことは許されることではない。
 もしかすると、この場で横たわる彼と同じように彼女も横たわってしまえば、いいのかもしれないが、彼女にはまだ娘がいるしこれから生まれてくる命もある。そう思えば生きてもらわないといけない。
 コンビにおにぎりの最後の一口を口の中に放り込んだ月乃・星(永遠の欠食児童かも・b33543)が、上着を頭から被った妊婦に寄り添った。
 ぶっちゃけ、良くわからないし、どうでもいい。
 多分この人も、その夫も沢山悩んで、沢山苦労してきたのはなんとなくわかる。けれども自分には家族との生活もなければ思い出もない。だからその辛い事はもちろん、楽しい事さえもしらない。ただ食べられればそれでいい。だから自分はここにいて、戦う。
 口の中のおにぎりを咀嚼して飲み込む頃には、そんな思いもたち消えて、星は妊婦の顔を覗き込んだ。
「……静かに。助かりたいなら落ち着いて言う事聞いて、家で待つ娘さんの為にも」
 小柄な星が両腕を伸ばし、きつく妊婦を抱きしめた。
 妊婦もお腹の中の子供も無事に助けるのなら、お腹をどこかにぶつけたりしないように、拘束してしまうのが一番いい。
 静かな星の声は、しっかりと妊婦の耳に届く。
 その言葉の内容に、俯いていた妊婦の顔はあがり、すぐそばにある星の青をじっとみつめる。
 家で待つ娘。
「百花!?」
 『娘』という言葉に反応した妊婦は、俯いていた顔を勢い良くあげて辺りを見渡す。この場に娘はいないというのに。
「事情はどうでもいい。俺は、あの地縛霊を倒すだけだ」
 言葉は冷たさを感じるかもしれないがそうではない。それは目の前にいる元凶となった地縛霊を倒すのみという、強い決意が現れた全道・善路(流離番長・b67438)の言葉。
 善路は妊婦の傍らにいる星の近くを位置取った。
「由美さんやんな。百花ちゃんに頼まれて探しとってん」
 蔵石・恭介(甦る陽・b70689)が、星と対になるように妊婦の傍に駆け寄った。
 ここにはいない娘を探す妊婦の視線が、柔らかい笑顔で自分を見つめる恭介の視線とかち合った。自分を見て笑う少年。
 そして大事な名前。
 妊婦は身を乗り出す。
 もしかしたら、あの子がここに来たんじゃないだろうかと。
「モモちゃん?百花ちゃん!? だめ、ここに来ちゃだめーっ!!」
 ここにはいない娘に向かって、妊婦の声がむなしい公園に響く。

●罪と罰の間
 妊婦の前に立ちはだかる能力者たちが物凄く目障り。
 女の地縛霊は長い爪を振り回し、男の地縛霊たちは拳を振り上げて殴りかかってくる。
「……させるかっ!」
 妊婦に向かって伸びる女の爪を珪が阻止する。
 判断力が落ちるほどに疲れていた妊婦。それ故に起こった悲劇。
 止める事はできなかったのだろうか。
 悔やんでも、もう悲劇は起きた後、だからこれ以上の悲劇は起こさせない。
 妊婦を無事な場所に移動させるまでは自分達が壁になると、能力者達が地縛霊に向かう。
 女の地縛霊の長い爪が時には能力者たちを切り裂き血が飛び散り、時折毒が能力者たちを苦しめる。
 男の地縛霊の重いパンチが能力者たちを襲う。
 だがやられてばかりの彼らではない。
 目に見えない愛。支えあって、時には傷付け合って、そうして育んでいくもの。
 今回の事だって、この女の地縛霊が唆さなければ、こんな事にならなかったと、弥生は強く思う。どれほど強く思っても悔やんでも、既に起きてしまったことを元に戻すことはできない。
「下衆が…人の心を踏みにじるのがそんなに楽しいかっ!」
 肌に虎模様が浮かび上がっている弥生が唇を噛み締め、女の地縛霊に拳を叩き込むと同時に隠れていた刃が地縛霊にダメージを与える。
 弥生の攻撃のタイミングにあわせて、限が蜘蛛の糸を投げ飛ばす。
 間に合わなかった自分達にも責任があると思ってしまう。
 もしも間に合っていたのなら。
 けれどもそれは叶わなかった。
 ならば倒すのみ。
「人の心の闇に付け込み、人の人生すら弄ぶ諸行…。最早、冥府にて閻魔に裁かれるまでもない」
 統夜の足元から腕の形をした影が伸びる。それは真っ直ぐに女の地縛霊に向かい、地縛霊の足を掴むと容赦なく引き裂く。
「その罪に塗れた魂、最後の一片までも残さず絶滅し、愛する者を奪われた者への手向けとしてやろう」
 毒には毒をと、女の地縛霊の体を毒が蝕む。
 妊婦の悲鳴は聞こえなくなった代わりに、地縛霊の悲鳴がこだまする。
「悪いが、仲間の希望は尊重したいんでね。邪魔しないで貰おうか!」
 妊婦に襲い掛かろうとしていた、男の地縛霊の腕に善路の闘気が形になったチェーンが絡みつく。善路をじろりと見た男の地縛霊は、怒りで我を忘れている。

 頭から掛けられた上着のおかげで、妊婦の視界は大分と狭く、地縛霊と能力者達の戦いはあまり見えない。
 ぎゅっと星に抱きしめられた腕が娘を思い出させる。
 寝ていた娘が起きて、ここに来てはないだろうか。
 もうこれ以上、過ちを犯したくはない。妊婦は抱きしめる星の手を思いっきり振り払う。
「……きっと娘さんも家でお腹空かせて待ってる。しっかりして」
「待ってる? あの子ちゃんと家で待ってる?」
 立ち上がろうとした妊婦の動きが、星の言葉で止まった。妊婦がじっと星の顔を見つめると彼女は無言のまま頷いた。
「自分でしでかした事分かってるようやな。でもな、ここでもしあんたまでどうにかなったら、百花ちゃんや、ここで生まれてくることを待ってる子ぉはどないすんねんな!」
「あんたまで死んだら、娘さんはどうなる!今はとにかく逃げろ!」
 そして自分を叱咤する恭介と浅葱の言葉。
 妊婦は泣きはらした目を手の甲で拭い、何度も何度も頷いた。
 星と恭介が妊婦を安全な場所まで連れて行く。大きな桜の木の下に妊婦を座らせた。
「ここから先は俺らの仕事や。あんたは見たらアカン…」
 恭介が少し離れた仲間達の傷を癒すために舞う。

 妊婦が安全な場所に移動さえしてしまえば、後は目の前の敵に攻撃を繰り出すだけ。
 畳み掛けるような能力者たちの反撃が始まった。
 統夜の両手に持った長剣が闇のオーラを纏い、男の地縛霊を切り裂く。
 縛ったりせずに妊婦を移動することができて、ほっと息を吐き出す限も、傷ついた仲間のために白燐蟲を飛ばし、傷を癒す。
「生前、相当嫌な奴だったんだろうな」
 浅葱が自分に襲い掛かってくる女の地縛霊を一瞥して、ぼそりと呟く。人の心を弄んで、楽しんでいる。生前はもしかしたら良い人だったのかもしれないが、今はそんな気配さえない。浅葱の持つ魔氷が宿った獣の牙を思い起こさせる長剣と無銘の剣に、男の地縛霊の体が切りつけられる。氷に囚われた地縛霊はほどなく、その姿を消した。
「人の弱さに付け込みやがって。…お前を追跡する事は無い。今ここで、この俺が倒すからだ!」
「地獄に落ちろ!」
 妊婦が大丈夫なら、こちらもフルスロットルと善路と弥生の容赦のない攻撃に1体の男の地縛霊が消えていく。
 統夜も両手に握る長剣を握り締めなおすと、狙いを定めて思いっきり男の地縛霊に叩き込めば、その姿は溶けるように消えていった。
 残ったのは女の地縛霊だけ。
 長い爪の毒は厄介だったが、こうなってしまえば楽なもの。
 断末魔の声を上げて消えていくのに、時間はかからなかった。
 公園が再び静寂に包まれた。

●いつかの桜
 残ったのは血に濡れた妊婦の夫の遺体だけ。
 戦い終わった能力者たちも、妊婦の周りに集まっていた。
 限が自分の分かる範囲で妊婦の様子を確認する。
 素人目だが、妊婦お腹の中の子も大丈夫そうで、限は安堵のため息を吐き出した。
「…これからが大変だが、子供を守ってちゃんと生きろよ」
 夫を殺す切欠は妊婦だったかもしれない、けれども今、それを責めて悔やんでも、時間が戻って夫が生き返るわけでもない。誰もそれを望みはしない。ただ彼女にできるのは……。
「これから彼の分まで生きて、彼の子ども達を立派に育てて欲しい」
 簡潔だけれども、想いが篭った統夜の言葉に、俯いていた妊婦の顔が上がり、視界に捉えたのはどう見ても学生といった年代の少年少女たち。
 妊婦も何か言葉を返そうとするけれども、その何かがみつからない。
 珪も何か言葉を見つけたいのに、中々言葉は見つからない。
「…後悔ばかりだろうけれど、振り返っても夫は戻らぬのだから。残された娘を、お腹の子を、夫の分まで慈しんで欲しい。きっと…夫もそう望むだろう」
「…貴方の隣を歩いてきた人はもういない。でも、それでも生きなさい。貴方の命は貴方だけのものではないわ」
 彼女が手を差し伸べなければ、生きていけない人たちがいる。弥生のその言葉に妊婦は目を瞬かせ、ゆっくりと自分のお腹を擦った。何度も何度も。まるで何かを確かめるように。
 その様子に善路が軽く目を伏せる。
 今は何を言っても彼女の救いにはならない。
 人は脆く弱い。どんなに幸せであっても、辛い記憶が容易く幸せを侵食させていく。そう考えても、彼自信に、幸せな記憶も、辛い記憶もなにも持ち合わせてはいない。けど、彼女のお腹の中にいてこれから生まれてくる命と、彼女を慕う娘の幸せを願わずにはいられない。
「何したかは、あえて聞かん。その罪、一生背負って生きていき。2人の子供を立派に育てるんがその償いや」
 きつい言葉。だけど恭介は柔らかく笑って妊婦を見つめる。自分達にできるのはココまで。これから先は、親子で作っていかなければならない。
「……娘さんに」
 妊婦の護衛中に「……お腹空いた」と、言っていた星が彼女にコンビニおにぎりを妊婦に差し出す。普段22時に寝ている彼女は少しうとうとしながら。
「さっきは、ごめんなさいね」
 痛かったでしょう?と、おにぎりを受け取った星の手を擦って、涙をこぼす。
 自分よりもはるかに若い彼らの言葉が胸を打つ。
 自分のしてしまった罪は消えることはない。
「自分がしたことをあなたは忘れてはいけない。ただ生きろ。あなたまで死んだら子供はどうなる。子供を立派に育てることこそが旦那さんにできることなんじゃないかな」
 浅葱の言葉に深く頷いた妊婦はゆっくりと立ち上がる。その傍らでは芝生の上で星が寝息を立てるから、限が起こさないように負ぶる。
 妊婦が桜の木を見上げる。
 季節が巡ってこの桜の樹に花が咲いたとしても、もう一緒に見ることはできない。そう思うとまた涙がこぼれた。
 公園を後にする妊婦は家に帰ったら眠っている娘を抱きしめるのだろう。
 泣きながら。


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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:8人
作成日:2010/03/07
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