今宵のワインは血のように赤く


<オープニング>


「桜も終わりか……」
 ベランダから見える隣家の桜の木は、薄桃色の花弁より、若々しい緑の葉が目立っていた。
 ワイングラスを片手にした男は、妻が差し出したチーズを摘む。
「この間買ったアレ、開けちゃう?」
 悪戯っぽそうな笑みを浮かべ、妻は仄かに上気した顔を夫に向ける。
「そうだな」
「それじゃ、取ってくるわね」
 妻は家の中に引っ込んだ。程なくして、短い悲鳴が聞こえた。
「どうした?」
 夫は慌てて家の中に入った。妻の姿を捜す。どこにも見当たらない。
 古びたワインセラーの前にきた。妻は、この中に収められているワインを取りに戻ったはずだ。
「見ーつけた」
 おどけた調子で、夫はワインセラーの扉を開けた。悲鳴を上げておいて自分を誘い、どこかに潜んで驚かすつもりなのだろう。ならば、自分もその遊びに付き合ってやろう。
 夫はそう考えていた。
 扉を開けて中を覗き込む。
「ホラいた!」
 夫はその中に妻の顔を見つけ、楽しげに笑った。しかし、直ぐに真顔に戻った。そんなはずはない。このワインセラーは、人間が隠れられるほど大きくない。
「お、おい!」
 手を伸ばした。その瞬間、夫も中に飲み込まれた。
 バタンと音を立てて、扉が閉まった。
 数分後、ゆっくりと扉が開く。
 夫婦がのそりと、中から這い出できた。

「桜も終わりか……」
 ベランダから隣家の桜の木を見やり、男は呟く。
 はて。昨日も同じような言葉を発したような気がするがと、一瞬だけ考えたが、直ぐにその思考は消え去った。
「おまちどうさま」
 妻が新しいワインを持ってくる。いつものワインとは赤みの加減が違うなと思いながらも、夫は微笑してグラスを受け取る。
 何もかも些細なことだ。
 毎日が同じように感じられるのは、刺激が足りないからなのだと、夫は自分に言い聞かせる。
 しかし、確実に変化は訪れていた。
 桜の木は日々緑が増え、ワインの味が次第に曖昧になっている。
「乾杯」
 だが、今が楽しければいい。グラスが軽やかな音を奏でた。


「わたし、ホラー映画って苦手なのよね……」
 予報した内容を能力者たちに伝えた後、幹島・やなせ(高校生運命予報士・bn0249)は小さく身震いした。
「そのご家庭のワインセラーが、『竜宮の玉手箱のメガリスゴースト』よ。ワイン好きのご夫婦で、ワインセラーも本格的で立派なものよ」
 2階建ての一軒家で、1階は広いリビングとキッチン。2階は寝室とそれぞれの部屋がある。
「ワインセラーはリビングにあるわ。戦闘になれば、ベランダでワインを楽しんでいるご夫婦のリビングデッドも加勢にくるわよ。自分たちの意志とは無関係に戦闘に加わるの。これはメガリスゴーストの能力だから、残念ながら2人を助けることはできないわ」
 夫婦のリビングデッドは、メガリスゴーストを守るように戦うという。
「メガリスゴーストの戦闘能力について説明するわね」
 やなせは、能力者たちを見回す。
「ドアを開けて、ワインボトルをミサイルのように飛ばしてくるわ。着弾したら破裂するので、固まっていると数人が巻き込まれちゃうわよ。混乱の効果があるみたい。あとは体当たりね。角を使って体当たりしてくるから、ちょっと痛いと思うわ。リビングデッドは噛み付きと引っ掻きの2種類ね。旦那さんの方が腕力も強めで、体力も高いわ。奥さんの方は動きが素早いわよ」
 メガリスゴーストは浮遊しており、移動も可能だということだ。
「ご夫婦は、もうリビングデッドになってしまってるから救ってあげることはできないわ。せめて、心安らかに倒してあげてね」
 やなせはそっと目を伏せた。

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参加者
神代・望月(黒き焔の巫師・b04741)
水無月・亜理沙(メイドちょ〜・b25690)
菰野・蒼十郎(小者で弱くてヘタレな三拍子・b30005)
由比崎・六連(掠縹牙士・b37086)
皆月・弥生(夜叉公主・b43022)
水無瀬・忍(水が無くても水練忍者・b54513)
御剣・火影(ディアボロス・b58052)
リリーア・オルトランド(小さな小さな吸血姫・b62339)



<リプレイ>


 月の綺麗な静かな晩だった。
 閑静な住宅街の一角に、問題の家はあった。
「(突然死んで、生きた死体になって、日々繰り返して……おかしいとかって思わねーんだろーな……)」
 玄関の前に立ち、2階を仰ぎ見る神代・望月(黒き焔の巫師・b04741)。リビングデッドとなってしまった夫婦は、自分たちの異常な行動に気付いていないのだろうと思う。いや、気付いていないのではなく、そう判断することが既にできなくなってしまっているのだろう。
「(……死んでるって、ちゃんと教えてやらねーと)」
 本人たちからは、理不尽だと文句を言われるかもしれないけどと、望月は苦笑いする。抱っこされている真ケルベロスベビーのアルが、円らな瞳を向けてきた。望月は右の頬でアルの頭を撫でてやった。
「……今日も、頑張っていこう」
 イグニッションし、相棒のケットシーガンナーのとしまるを呼び出した水無瀬・忍(水が無くても水練忍者・b54513)は、やけに元気良く声を掛ける。無理をするな、という少し心配げな視線をとしまるは向けてくる。忍の空元気などお見通しの相棒は、目線で彼女を励ます。
「……大丈夫、としまるが支えてくれるから、……終わるまで泣かない」
 言葉はなくとも、意志は通じる。としまるの心遣いに感謝しつつ、忍はドアの前に歩を進めた。
「夫婦そろってリビングデッドとは、幸せか不幸か良く分からん」
 由比崎・六連(掠縹牙士・b37086)が吐き捨てるように言う。メガリスを破壊する度にこんなゴーストが出るくらいなら、いっそのこと壊さない方が良いんじゃないかと考えてしまう。2年半程前、六甲アイランドで展開された人狼騎士たちとの戦いの際に破壊されたメガリス『竜宮の玉手箱』。その『竜宮の玉手箱』が、自己修復の過程で生み出されるゴースト。それがメガリスゴーストだ。
「……皮肉極まりないな 」
 そう呟くと、六連は唇を噛んだ。
「何の罪も無い夫婦には気の毒ですが、せめて安らかに眠って頂きましょう」
 リリーア・オルトランド(小さな小さな吸血姫・b62339)のその声に後押しされるように、一同はドアを開けた。

「ちゃーっす、三河屋でーっす……いやホンマはちゃうけど」
 元気良く家に踏み込み、てへへと舌を出して笑う菰野・蒼十郎(小者で弱くてヘタレな三拍子・b30005)に、
「頼んでませんよー」
 家の奥から女性の声が返ってきた。恐らく奥さんだろう。
「やべっ」
 蒼十郎はギクリとして、足を止めた。まさか返事が返ってくるとは思わなかったので、一瞬慌てた。もちろん、慌てたのは蒼十郎だけではない。様子を見に奥さんが玄関に来てしまったら、作戦を変更しなければならなくなる。
 まだ全員が家の中に入っていない。皆月・弥生(夜叉公主・b43022)は玄関に右足を踏み入れた状態で、固まってしまった。
 全員が固唾を飲んで様子を窺う。奥さんが玄関に向かってくる気配はない。
「ふぅ……。びびったぁ……」
 蒼十郎がホッと胸を撫で下ろす。仲間たちも安堵の吐息を漏らした。
 室内には灯りが灯っていた。暗ければ蒼十郎が白燐光で照らすことも予定していたが、どうやらその必要はなさそうだ。
 六連も念の為にと懐中電灯を用意してきたが、出番はなさそうだ。
「黒燐は何故光れないのか……」
 試しに1匹を呼び出してみたが、白燐蟲とは違い、黒燐蟲は発光をしない。蛍のように淡い光でも放ってくれれば、「G」などと揶揄されないのだろうが、できないものは仕方がない。
 全員が家に上がり込み、抜き足差し足でリビングへ向かう。そこに、ワインセラーに取り憑いたメガリスゴーストがいるはずだった。
 ちょっと危なかったが、幸い、夫婦はまだ自分たちの侵入に気付いていない。
 リビングに到着すると、ワインレッドをしたワインセラーが目に入った。なかなか見事な作りで、少し小さめの冷蔵庫並みの大きさがあった。
「完膚無きまでに叩き壊してあげましょう……!」
 水無月・亜理沙(メイドちょ〜・b25690)が、自らの武器に黒燐奏甲を施す。
 戦闘開始だ。


 敵の気配を察知したのか、ワインセラーがふわりと浮かび上がった。
 直ちに陣形を整える能力者たち。
 リリーアがサイコフィールドを展開するのとほぼ時を同じくして、リビングに人影が飛び込む。
「(幸せな家庭を壊し偽りの日常を与え続けるか……)」
 夫婦はまだベランダだろうか。御剣・火影(ディアボロス・b58052)は一気にリビングへ飛び込むと、くるりと前転しながら鎖を投げる。タイマンチェーンだ。しかし、
「ちっ」
 惜しくも外れた鎖を見やり、火影は小さく舌を打つ。
「祖霊よ、力となれ!」
 望月がその火影に、土蜘蛛の霊を降臨させる。
「開けたら襲ってくるって、確かそんな擬態をしてる怪物がとあるゲームにいたような……」
 あれは宝箱だったかと思い出しながら、弥生は体内に眠る白虎の力を覚醒させる。自分はお酒については詳しくないが、ワインボトルを飛ばすワインセラーは何か間違っているということは分かるつもりだ。
「とりあえず、物騒なメガリスゴーストには退場してもらいましょう」
 体に漲る白虎の力を感じ、弥生は気合いを入れた。室内戦は久しぶりだった。不注意で小物を踏んで足を取られないようにと、動くことになるだろう範囲の床を素早く確認する。
「……としまる、お願い」
 としまるは忍の前に位置を定めると、彼女に魔力を供給した。
「おや? お客さんかな。それじゃ、お持て成しをしないといけないね」
 呑気な声が背後から聞こえた。夫婦のリビングデッドだった。
 六連が、すうっと夫婦とリビングデッドの前に立ちはだかる。蒼十郎がその横に並ぶ。2人の役目は、メガリスゴーストにリビングデッドを近づけないことだ。2人でリビングデッドを抑え、残りのメンバーでリビングデッドを仕留める。それが彼らが選んだ戦法だった。
「……赤ワインには動物肉だな。そういうことだな。くそ。趣味の悪いメガリスゴーストだ」
 チラリとワインセラーに視線を向けてから、六連は黒き蟲の力を武器に宿し、夫婦のリビングデッドに相対する。殴り合いで、元人間に負ける気はなかった。「抑え役」とは言うものの、倒してはいけないという道理はない。
「酔っ払いは引き受けたで今の内に……!」
 蒼十郎はメガリスゴーストの攻撃に回った仲間たちに声を掛けながら、白き蟲の力を呼び出す。
 黒と白、2人の蟲使いが夫婦のリビングデッドとそれぞれ1対1の勝負を挑んだ。


「生物の形をしていないものを相手にするのは、何だか奇妙ですわね」
 白き馬を疾走させたリリーアが呟く。リビングデッドにしろ、妖獣にしろ、生き物の形をしたゴーストは多い。家庭用の電化製品と戦うのは、少しばかり勝手が違うようだ。
 ワインセラーの扉がバタリと開き、ワインボトルが撃ち出された。忍ととしまるの間に着弾すると、正しくボトルが砕けるように炸裂し、真っ赤な液体を撒き散らす。弥生も一緒に巻き込まれたが、幸いにして全員が混乱を免れた。
 その間にワインセラーの後ろに回り込んだ亜理沙が、黒影剣を叩き込む。自らの黒燐蟲の力と、望月の土蜘蛛の霊を宿した強烈な一撃は、ワインセラーに手痛いダメージを与えた。
 ワインセラーは苦し紛れに火影に体当たりを敢行するが、動きを見切っていた火影は難無く躱す。
「おっと。逃がさないぜ!」
 体当たりを躱されたワインセラーは、そのまま逃走を図ろうとしたが、火影がそれを許さなかった。
 伸ばされた鎖は今度こそワインセラーを雁字搦めにして捕らえ、その怒りの矛先を自分に向けさせることに成功する。
「(犠牲になられた夫婦のためにも、破壊させてもらおう)」
 チラリと夫婦に目を向ける。メガリスゴーストの影響で我を失っている夫婦のリビングデッドが、同時に六連と蒼十郎に噛み付いた様子が目に映る。見るに堪えない光景だ。こんな悲劇は終わらせなければならない。
「やれ! 一気にトドメだ!!」
 ワインセラーの突進をガードしつつ、火影は叫んだ。
「アル、行くぜー!」
 望月の声を耳にすると、アルは一声啼いてそれに答えた。
「吾に魔を滅する矢を与え給え!」
 息の合ったコンビネーション攻撃が、ワインセラーの側面を大きく破損させた。リリーアが再び白き馬を走らせる。
「……はやく壊れてよ!」
 自分の背後では、仲間たちが夫婦のリビングデッドと戦っている。忍はここまでの戦いの最中、まだ一度も振り返っていない。見たくはなかった。無惨にも変わり果てた「人」の姿など。
 水の力で生み出された手裏剣が、ワインセラーに突き刺さる。
「終わり、ね」
 弥生の呪いの魔眼を浴びて、ついにワインセラーはその機能を完全に停止した。

 六連の獣撃拳が、ご主人の脇腹を大きく抉った。既に右足は折られ、左肩も粉砕されていた。腕は辛うじてぶら下がっている程度でしかない。それでもまだ動けるのか、虚ろな瞳で前方を凝視し、ノソリ、ノソリと前へ移動する。
「何で、そんなんなってまで生きたいんだよ!」
 堪えきれずに、望月が叫び訊いた。
「……死んでる? わたしたちは、既に死んでいる?」
 望月の口から告げられた事実を耳にすると、ご主人は背後を振り返る。そこには、自分の妻がいるはずだった。しかし、彼の眼に映ったのは、「かつて妻だったもの」。
 口を大きく開き、蒼十郎に噛み付いたものは、もう既に彼の愛した妻ではなくなっていた。
「わたしたちの身に、何が起こった……? わたしたちは、ただ、ワインを楽しみながら、のんびりと暮らしていければ、それだけで充分だったのに……」
「悪酔いしてもーとるで……安らかに眠ってや」
 反撃の呪詛呪言を食らった彼の妻は、バタリと床に倒れて動かなくなった。仮初めの命が、とうとう尽きてしまったのだ。
「早く眠るがいい」
 ご主人の仮初めの命も間もなく尽きようとしていると感じた六連は、哀れみの視線を向けたまま、そっと拳を納めた。次の瞬間、ご主人の胸に水の刃が突き刺さった。
「……ごめんなさい……、でも!」
 忍は嗚咽混じりにそう口にすると、そのまま俯いた。一粒の涙が、リビングの床に落ちると、儚げに弾けた。


 何と虚しい勝利だろうか。
 夫婦の遺体を眺めて、彼らは一様に押し黙った。
 念の為ワインセラーの様子を確認していた弥生とリリーアが、小さく肯き合った。メガリスゴーストは完全に打ち倒した。任務、完了だ。
「……お疲れ」
 望月は仲間たちに声を掛けると、アルを抱き上げた。
「どんなに幸せでも死は訪れる。……ずーっと生きてるなんて、無理なんだぜ?」
 その言葉は、誰に向けたものだったのだろうか。その小さな呟きを残し、望月は一足早くその場から立ち去る。
 火影が黙祷していた。一般人が犠牲になる前に、どうにかできないものかと思う。何か対策が見付かれば、被害が出る前にメガリスゴーストを退治できるかもしれないのにと、常に後手に回るしかない心苦しさに、胸が締め付けられる思いだ。
「犠牲者出る前に、竜宮の玉手箱のメガリスゴーストて発見出来ひんのやろかなぁ……」
 蒼十郎も同じ想いだった。用意してきた弔いの花束は、そのまま持ち帰ることにした。さすがに、この場に花が供えられていたら不自然だろうと思ったからだ。
 亜理沙は無事だったワインボトルを見付けると、夫婦の遺体の前に供えて手を合わせる。
「天国でも、お二人でお幸せに……」
 添い遂げる、という言葉があるならば、ご夫婦はきっと幸せであったのだろう。2人で、文字通り生涯を共にしたこの家で、安らかに眠って欲しいと亜理沙は願った。
 自分たちが立ち回った影響で、家の中は乱れてしまっていた。室内を見回していた忍が、小さく息を飲む。
 リビングに置かれたテーブルの前に、ご夫婦のポートレートを発見してしまったからだ。
 そこには、幸せだった頃の2人の笑顔があった。堪えきれずに、忍はぽろぽろと大粒の涙を零す。としまるは、ただ黙って忍に寄り添う。
 六連は彼女の肩を労るように叩いてから、そのポートレートをそっと伏せた。


マスター:日向環 紹介ページ
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いまいち
参加者:8人
作成日:2010/05/04
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