≪風のとおりみち≫北国漫遊記


<オープニング>


 茹だるような暑さから逃れるかのように、やや遅く沈む夕陽を眺めながら人々は支度や冷房の効いた施設へと身を移す。
 学食もまた例外ではないのだが、今日は珍しく人が殆どいなかった。能力者であれば、イグニッションをしてゴーストタウンで戦っている方が涼しいのだろう。一般人であれば、図書館で勉強に勤しむか、アルバイトで時間を忘れる方が、より涼を感じるのかもしれない。
 そんな静けさの中、ひとりの少女が学食のテーブルに突っ伏していた。
「……まったく、この季節になんでこんな暑いのよ」
 三年住めば慣れるだの、住めば都だのという言葉がこの世には存在するが、神居坂・縫(碧き風炎・b67463)にとって三年程度で馴染めるものではなかった。何せ人生の基盤を成した故郷と、ここでの生活はあまりに違いすぎる。
 傍から見れば、暑さに疲れて伸びた犬か猫のように、手足もだらけさせて季節に対する愚痴をつらつらと紡ぐ。
「あー、もうすぐ梅雨じゃない。毎日毎日雨。湿気とか信じらんない」
 じとじとと迫り来る湿気と、溜息さえも湿って落ちそうな暑さ。梅雨は憂鬱になるという人の気持ちもわかる気はするが、他人に同情する余裕すら抱けないほど、縫は北の環境を恋しがっていた。
 周りに人がいないことを良いことに、だらけ放題である。
「梅雨が明けたらすぐ真夏でしょ。こっちの暑さ絶対普通じゃないから!」
 喩えるなら灼熱地獄。そう口にした言葉にさえ猛烈な暑さを感じて、縫は頭を抱え込んだ。
 小さく笑う息が聞こえたのは、そのときだ。
 恐る恐る縫が顔をあげると、いつから居たのだろう。神谷・轟(真ゴーストチェイサー・bn0264)が近くに立っていて、少女の全身が石化したかのように固まった。
「……キイテマシタ?」
 声は平静さを装っているが、瞳の揺れは隠し切れない。
 ひとりヒートアップしていたところへ、冷や水を頭からかけられたかのようだ。そんな縫がおかしかったのか、轟は僅かに表情を綻ばせた。
「声をかけるタイミングに迷ってな」
 そりゃこんな状態でいれば迷うわ、と縫は頭痛を覚える。
「涼みに行くか?」
 そして唐突にかけられた声で、頭の痛さも吹き飛んだ。
「……え?」
「神居坂の故郷、今の時期はこっちほど暑くないのだろう?」
 故郷の話が持ち出されたことで、縫にもやや元気が戻る。
「は、はい。実家のほう、一番いい頃なんです。山の方なら、桜が残ってるところだってありますよ」
 北海道の田舎ですけど、と頬を掻いて笑った縫へ、彼はそうかと短く答える。そして。
「なら、行ってみるか、北海道。神居坂には案内を頼みたい」
 パシンと何かが走る音を縫は自分の中で聞いた。
「え、え? ほんとにですか? ほんとですか?」
「ああ。前から話していただろう。俺も行ってみたいと」
 確かに何度かそういった発言を受けてはいたが、それでも驚きは隠せず縫は勢いよく席を立つ。彼女の勢いに負けた椅子が、盛大な音を立てて背中を打ち付けた。
「じ、時間下さい行きたいところありますかプラン練ります!」
「まだ雪が残っているなら、大雪山を眺めてゆっくりするのも良いな。涼しそうだ」
「じゃ、じゃあそうしましょう! それで! 他には……!?」
「せっかくだからラーメンもいいな。おすすめがあれば、教えてほしい」
「はい、もちろんです!」
 暑さそのものを掻き消すような賑やかさを、倒れた椅子がじっと黙ったまま見守っていた。

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参加者
神居坂・縫(碧き風炎・b67463)

NPC:神谷・轟(真ゴーストチェイサー・bn0264)




<リプレイ>


 予てから北海道をゆっくり周りたいと考えていた神谷・轟(真ゴーストチェイサー・bn0264)へ、神居坂・縫(碧き風炎・b67463)の誘いはすんなりと受け入れられた。
 そうして二人が訪れたのは北海道。縫の故郷でもある。
 縫が時折口にしていた故郷の話を、轟は気に入ってくれていた。だから行ってみたいと、迷わず話してくれたのだろう。故郷を離れ鎌倉の地で奔走する縫にとって、それは嬉しい反応でもある。
 旅のガイドは縫が担っていた。地元ゆえの知識や土地勘は旅をする側にとって貴重で、頼もしいと轟も称賛してくれている。
「おすすめの店があると言っていたが、なるほど、趣があるな」
 腹ごしらえに縫が案内したのは、彼に食べて欲しいと常々思っていたラーメン屋。決して大きいとは言えず、派手からも程遠い内装だが、味は保証できる。
 心なしか嬉しそうな轟の言葉に、聞いている縫もぱっと表情を明るくさせた。
「はいっ、何度か来たことがあって……轟さん何にしますか?」
 店主が待つカウンターに腰掛けると、椅子が軋んで音をたてる。湯やスープの匂いと、奏でられる店の音。縫は帰ってきたのだと実感しながら、店内上部に掲げられたメニューを目で示す。
 メニュー数も限られているためか、縫と並んで腰掛けた轟も、対して悩まず口を開いた。
「そうだな……俺は醤油を」
「じゃあ、あたし辛味噌!」
「はいよ! いつものだね!」
 店主の生きの良い返事が響く。覚えててくれたんだー、と嬉々として身体を揺らす縫に、轟も頬をゆるめる。
 まろい眼差しをサングラス越しでも感じられ、無難に塩とかのほうが印象よかっただろうかと、今更ながら縫は不安を抱き、彼を一瞥する。
「か、辛いの好きで……」
 色気がない。そう残念がって肩を落とすと、言い訳めいた呟きにも轟は小さく笑う。
「ああ、俺も好きだ。鎌倉に戻ったら、辛いもんを一緒に食べに行くか?」
「は、はい、喜んで!」
 約束をまた一つ取り付けることが叶って、少女の声がぽんと弾んだ。


 もう少し経てば目の前に広がる丘陵地帯も、紫の絨毯で一面華やかになるだろう。ラベンダーが見頃を迎える時期が迫ってきていた。
 過ぎ行く時間の早さを体感しつつも、時間に追われることがないよう、縫は時計の類をすべて鞄にしまっていた。
 ――もったいないし。
 遠路遥々やってきて、時間を気にしながら旅をするのは避けたい。そう考えていたのはどうやら轟も同じだったようで、彼は携帯の電源を切り、腕時計は置いてきている。些細なことではあるが、縫にはそれが嬉しかった。
 湿気を孕まない風が、さらさらと髪を弄んでいく。鎌倉では感じられないものだ。からっとした風が雲を流し、残雪深い大雪山から、冷たい風を運んできてくれているようにも思える。春から初夏への移り変わりを、北国では遅く知る。
「山越えたら帯広ですね。豚丼が有名なんですよ」
 食べ物の話ばかりですみません、と苦く笑った縫に、耳を傾けていた轟は口端を僅かに上げた。
「美味いもんの話ができるのは、健康な証拠だ。他にもあるなら聞かせてくれ」
「はい。じゃあ、機会があれば。……あ、あった、桜!」
 ほらほらと縫が指差したのは、大雪山連峰に薄っすらと浮かぶ優しい白。一足後に訪れる北国の桜は、二人を待ちわびたかのようだ。
「残っているもんだな」
 ほうと吐いた轟の息に感心が乗る。
「この時期でも桜が楽しめるって、ちょっと嬉しかったりするんです」
 小さく肩を震わせて縫が笑った。本州で春を過ごし、休日北へ戻ってみれば、まだ桜が待っていてくれている。優越感にも似た喜びを、縫は唇へ刷く。
 そんな彼女を見たからだろうか、轟は持参したカメラを取り出して、暫し撮影に明け暮れた。

 陽の傾きに伴い、影を生んでいた人の数も疎らになっていく。
 家路へ急ぐ者、宿へ戻り羽を休める者、そういった人々の営みが感じられる時間帯だ。連なる山々の輪郭が朱を帯びている。山が燃えるようだと昔の人は言っていたことを、縫は思い出した。実際、澄み切った夕空で沈んでいく陽の色にあてられて、確かに昔日の人が話したように映っている。
 縫は眩しげに目を細めた後、くるりと首を巡らせて人がいないのを確認し、イグニッションカードを取り出した。
 どうした、と尋ねた轟へ吐息だけで得意げに笑い、縫はカードで留守番をしていた真ケルベロスベビーのラメトクを呼び出した。一際元気良く鳴いたラメトクが、すんすんと鼻を轟へ寄せる。
「一番いい顔でご挨拶ね」
 相棒に促され、窺うような素振りだったラメトクが轟の顔を覗きこんだ。ケルベロスベビーらしいあどけない顔つきに、夕陽の淡い光が鏤められている。ラメトクも轟も、そして縫も、まるで盛る薪の横にいるかのように、片頬にばかり光を受けていた。
 だからだろうか。一層勇猛さを兼ね備えた表情をラメトクは浮かべている。
 ――使役連れのGCってどう思うだろう。
 そういえば、とふと抱いた疑問を縫は眼差しに乗せた。彼女の視線に気付いた轟も、そこへ含まれた意図までは解らず、ただじゃれてくるラメトクに触れている。柔らかなラメトクの毛並みの隙間を、骨ばった手が思いのほか優しい手つきで撫でていた。無意識に縫も笑みを零す。抱いた疑問の答えは、聞かずとも既に知れている。
 ラメトクが轟と触れ合う間、縫は心地よさに目を細め、しばし口を休めることにした。
 静かな時間が続く。
 日常の中では、人々によって多くの色と音が作り出されている。それは店に流れる音楽であったり、お喋りであったり、雑踏の賑わいであったりと様々だ。しかし声帯を休めたままの世界では、大自然の音しか聞こえてこない。風の囁き、鳥の羽音、草花の擦れる音。
 静寂に浸ったまま縫はうっかり眠ってしまいそうになり、少し掠れた声で言葉を綴る。
「……轟さん」
 胸に痞えて取れなかったものを、縫は今になって理解した。大いなる災いとの戦いを経て、ゴーストチェイサーと銀誓館学園が運命の糸で繋がったと人伝に聞いた日から、ずっと痞えていたものだ。
 ――あたしはたぶん、一緒に戦いたかったんだ。
 縫は大いなる災い戦の一部始終を、自分の目で見たわけではなかった。当時そこで戦っていた仲間たちの話を耳にする度、或いは当時を彷彿とさせる単語や事件を知る度に、少女の胸は縮こまるような感覚に苛まれた。
 上手く合致する言葉が見つからない。ただそれを言葉に嵌めるとすれば、疎外感と喩えるのが近いだろうか。しかし当てはめてみても尚、複雑な心持ちに変わりは無く。
 ――我ながら呆れる理由。
 縫はどこか消沈したように項垂れた。
 平時なら繕える笑み。このときばかりは、笑顔を作る術を忘れてしまっていた。
「一つ、お願いしていいですか」


 詰められた距離を認めるより先に、眼前に伸びてきたのは轟の手。遠慮なく固めた拳を喰らう寸前、乾いた音と共に掌で縫は拳を打ち返した。
 回避の流れを殺さぬうちに縫は身を屈め、轟の懐へ踏み込む。下から顎を狙い掌打を放てば、まるで彼の輪郭を沿うように一撃が滑った。上空へ空振りした腕は、そのまま轟の手首で弾かれる。
「ふっ、さすがだな」
 跳ねて後方へ下がった轟が不敵な笑みを浮かべる。
 手合わせをと願った縫自身、滾る情熱と興奮に笑わずにいられない。
 ――真剣なのに変わりはないけど、でも。
 楽しい。
 心の底から湧き上がる情に、少女は嘘を吐けなかった。
「まだまだ、いきますよッ!」
 瑞々しい草をも爪先で弾き、後退したばかりの轟へ縫は突進する。蹴りを見舞うには体勢が心許なく、筋は柔らかくも捩れぬよう固定した手首を武器として、叩く。
 叩くと言えど、相手も立派な体格を有している。縫の掌がびりりと撓んだ。打った重みで衝撃を成すよりも、速度に任せて威力を上げる方が。縫の性に合っているのだろうか。少なくともこの手合わせでは。
 お互い本気で当て合う気など毛頭無い。しかし、余力を残して戦えるほど器用でもなかった。轟の拳が迫ったため身を屈めやり過す。
 ふ、と息を吐いて肘を引いた轟の呼気は、乱れつつある。それを縫は、音ではなく感覚で知った。無論、彼女自身も同じだ。これだけ激しく動けば、多少なりとも呼吸のペースは崩れる。
 呼気が乱れれば五感も乱れる。そして、五感が乱れれば反応が遅れる。
 息継ぐ間もない連撃を繰り出されれば、轟とて総ては防ぎ切れないだろう。
「はぁっ!」
 だから気の流れを掻き乱すべく、縫は掛け声に合わせて拳を突きつけた。掛け声と同時に繰り出される拳へ、轟の意識が外れた瞬間を狙い定め、彼の視界の外から、尖らせた膝を入れる。脇腹めがけて、容赦なく。
 突きこまれた膝の直撃を避けようと、やや身体の位置を変えていた轟だったが、その一蹴は案外ずっしりと彼をえぐった。衝撃に竦む彼の首筋へ手刀を差し込むと同時、縫は自らの腹部に同じように手を突き立てられ、ぴたりと止まる。
「……やはり、強いな。神居坂」
 あっさりと負けを認めた轟に、縫は手を引き、深々と頭を下げた。


「確かめたかったんです。ずっと、知りたかった」
 真っ直ぐにしか突き進まない自らの拳は、力任せのものだと縫は告げる。だから、数々のものを背負った拳のすべてを、受けきることはできない。それが悔しくもあった。
 それでも、何も知らずにいるよりかは、重みがどれほどのものなのかを理解していたかったと。
 罪の意識や喪失の痛みは、心を死に追いやる凶器だ。それらも背負った拳を、しかと目に焼き付ける。
「いつか同じ戦場に立つ時、背中、預けてもらえますか」
 続けて綴った縫の想いもまた、彼女の拳と同じように曲がらず轟へと届けられた。
「俺はとっくに、背中を預けている。たとえ同じ戦場に居なくてもだ」
 返った答えに縫の瞳が揺れる。
 轟にとって信頼できる仲間が多い学園だ。戦場が異なろうと、背中を預けることに、もしかしたら躊躇いを見せないのかもしれない。それほどまでに信頼していることは、確かに喜ばしいことでもあるが、僅かに寂しい。
 けれど胸が透くというのは、こういう感覚を指すのだろう。すっきりした余波か、縫がのびのびと背を伸ばす。
 轟も小さく笑んだ。何処か充足した笑みで。だから縫も、これ以上は望まない。
「……へへ。ラメ、もふもふアタック!」
 それまで暇を持て余していたであろうラメトクを、再び轟へ突進させる。
 考え込むのは向かない。最終的に至った縫の結論はそこだ。彼女はそれで十分だった。
 ――真っ直ぐに戦おう、これからもずっと。
 北国で咲いた少女の願いを祝うかのように、轟が握った拳を突き出してくる。
 だから縫は、その拳へ自らの拳をこつんと押し当てた。


マスター:鏑木凛 紹介ページ
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いまいち
参加者:1人
作成日:2012/06/18
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