老婆の棲む家

<老婆の棲む家>

マスター:カヒラススム


(「なんで……なんで無視をする……」)
 月の光が小窓から差し込んでいる。台所の床に、水を溜めた金ダライを置いて、老婆が座っている。老婆はタライの水をすくって砥石にかけた。ぬるりと、水が月を映す。
 老婆は包丁を手に取り、丁寧に研ぎはじめる。水がちらちらと輝く。
 老婆の顔は怒りに歪んでいる。腹立たしい毎日が、老婆の心を泡立てる。
 何度言ってもテレビの音量を落とす気のない孫、話を聞こうともしない息子、入る前に風呂の湯を抜いてしまう嫁、眠ろうとしても電気を消しても、消しても、消してもつけるいやがらせ。家族全員が老婆を無視して生活している。
 あろうことか、今朝は老婆を一人置いて家族で旅行に出てしまった。
(「なんで、わたしが、何をした……」)
 老婆は呟きながら包丁を研ぎ続ける。しかし実際、一家に罪はない。彼らには老婆が見えていない。
 ――――老婆は、既に自分が死んでいることに気づいていない。
 家族がなかったことも覚えていない。
 老婆が孤独の果てに死んだこの家に、新しく越して来た一家。彼らを自分の家族と思い込み恨んでいるのだ。
 古い包丁から錆が落ちて行くのと同時に、老婆から人間性がこぼれ落ちていく。
(「さびしい……」)
 それが最後の呟きだった。老婆の中で何かが弾け、代わりに邪悪で巨大な力が全身を満たした。
 老婆は研ぎ上がった包丁を月にかざして微笑んだ。今や老婆の心にあるのは、彼女を無視し続けた家族を、どれほど残虐に捌いてやるかということだけだ。

「よく来てくれました、こちらです」
 と言って、藤崎・志穂(高校生運命予報士)は能力者たちを招いた。
「今回倒して欲しいのは、ある一軒家に出現する地縛霊です。彼女は一家の団らん中に必ず出現します。
 そこで皆さんには、仲のいい家族のふりをして地縛霊を出現させて倒して欲しいんです。正常な認識力はありませんので、それっぽくふるまえば家族の団らんだと思ってくれるでしょう。……生前には、四世代で暮らすお友達を、とても羨ましがっていたようです」
 鍵は玄関脇の植木鉢の下にあると言う。一家はまだ越して来て日が浅く、留守を頼めるご近所がないのだ。
「彼女はとても素早く、家の中の小物も自由に操ってくるので注意してください。家中の電気が消えたら……来ます」
 家族の団らん中にふいと電気が消え、暗闇に白髪を振り乱した老婆が立っている――――これは立派な怪談だ。
「間取りは、和室が三つ、台所にお風呂とトイレ。それに収納が二つあります。ひとさまの家ですから、出来るだけ物を壊さないよう工夫してください」
 確かに、狭い人家での戦闘では気を使う面もありそうだ。
「早く倒してあげることが、唯一の親切じゃないかって思うんです。皆さん、宜しくお願いします」
 志穂は深々と頭を下げた。


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
我妻・未誓(高校生ゾンビハンター・b05807)
鷺坂・旭(高校生魔剣士・b05180)
獅竜・瑠姫(中学生魔弾術士・b00740)
初谷・嘉(高校生ゾンビハンター・b05407)
石動・春都(中学生青龍拳士・b02194)
大空・越詩(高校生白燐蟲使い・b05129)
藤原・玲(高校生白燐蟲使い・b02395)
朧・雀(高校生ゾンビハンター・b00340)




<リプレイ>


●その、家。
 件の家は、ごく普通の住宅街の中にあった。
 少し古びた、昭和の香りを残す一軒家。
「植木鉢の下に鍵……ベタだな」
 古い木製のドアの前。鷺坂・旭(高校生魔剣士・b05180)がしゃがんで植木鉢を動かすと、小さな銀色の鍵が現れた。
「まあわかりやすいところの方がこっちは楽だけどね」
 大空・越詩(高校生白燐蟲使い・b05129)が肩を竦めてみせる。
「人に見られないうちに、入ろう」
 と、回りを気にしながら石動・春都(中学生青龍拳士・b02194)が言った。

 家に入ればまずイグニッション、それぞれの掲げ方に個性が出る。
 我妻・未誓(高校生ゾンビハンター・b05807)の死人嗅ぎがゴーストの気配を嗅ぎ付ける。確かにこの家にゴーストがいることは間違いない。けれど近すぎて、家のどの方向にいるのか、どこに潜んでいるのかまではわからない。やはり老婆が出現した後、目視で確認するしかないらしい。
「ここが一番広いんじゃないかな」
 春都が言って、皆が頷いた。3つある和室のうち、2つが続き部屋になっている。襖を取り去れば、戦闘にも向くだろう。
「じゃあ、片付けてしまいましょうか」
 初谷・嘉(高校生ゾンビハンター・b05407)は腕まくりをしながら、にっこりと微笑んだ。

「そっち持ってー」
 獅竜・瑠姫(中学生魔弾術士・b00740)が言って、はいはいと朧・雀(高校生ゾンビハンター・b00340)が襖の反対側を持つ。うんしょっと持ち上げて斜めにずらせば、襖は綺麗に敷居から外れた。そして持ったものの、
「これ、どこ置いとこうか」
 と顔を見合わせる。襖って、結構大きい。相談して台所に運ぶことにする。
 越詩が和室にあったハサミや、爪切り、東京タワーの置物や先の尖ったペンなど、壊れ物や飛んで来たら痛そうな物を片付ける。
「あっ」
 ついでにとハタキをかけながら、壁のパネルを外していた藤原・玲(高校生白燐蟲使い・b02395)が小さく声を上げた。足元にひらひらと茶封筒が落ちてきた。へそくりだ。ベタすぎる。何にしてもそれも拾って台所へ。
「ねーあれはどうするー」
「こっちはー?」
 声を掛け合いながら荷物の移動をする。
「ちゃぶ台があったよ」
 と春都が大きなちゃぶ台を抱えて来た。丸くて、足を折り畳むことのできる、とってもオーソドックスなちゃぶ台だ。昭和だ。
「まるで、もう家族団らんみたいだね」
 嬉しそうに瑠姫が言うと、全員の手が止まった。
 ハッと家の様子を伺う。一瞬の間があった。でもまだ何も起きていかなった。よかった。

「これ、収納にあったから」
 と、未誓がふっくらとした客用のザブトンを持って来た。そして和室がだいたい片付いたのを見てから、一人分開いた収納にぱたんと収まった。団らんは苦手らしい。
 もうひとつの収納を開いて、旭と雀は首を捻っていた。中には箱ティッシュやトイレットペーパー、箱入の飲み物などがどどどんと積み上げてある。
 2人は黙って軽い物を上へと積み上げ、ペットボトルのお茶の箱の上に並んで座った。ぴったりだった。

●『家族ごっこ』
 (「家族をゴーストに殺された私が、ゴースト退治のために母親の真似事をする。これは何の因果でしょう?」)
 ちゃぶ台の前に座った嘉は、自分の失った家族のことを考えていた。玲がフキンでちゃぶ台を綺麗に拭いてくれた。見ると、艶めいた茶色い天板に自分が映っている。
(「できるわ、そのくらいの冷静さは持ち合わせていますもの」)
 そして決心したように、自分に向かってにっこりと微笑んだ。

 しかし何を話せばいいのだろうか。戸惑う間に、越詩がちゃぶ台に身を乗り出して言った。長男役にすっかりはまっている。
「今日学校で、体育祭の種目が決まったんだよね。リレーのアンカーになっちゃったんだ。参るよー」
 持ち出された話題に、ちゃぶ台を囲んでいた嘉、春都、玲がほっとする。話題を何も考えていなかった。越詩が提示してくれたきっかけのおかげで、団らんがその場に出来上がり始める。
「わーすごいじゃん、花形だよ? 大丈夫なの?」
 玲が大人びた姉を選び取った。髪をさらりとなびかせ、からかうように笑む。
大丈夫さーと答える越詩もすっかり弟だ。
 新聞を捲っていた春都が微笑みながら顔を上げた。自分の家族のことを思い出しながらそれっぽく頑張っている。なんとはなしに威厳が漂ってくるから、不思議だ。
「へえ、すごいじゃないか。やっぱりお父さんの息子だなあ」
 にこにこしながら嘉が後をつぐ。
「お父さんも昔はとっても足が速かったのよ。陸上部のエースだったんだから」
「えー?」
 なぜか越詩は身を引いて疑うそぶりを見せる。
 玲も乗って来て、
「だってお父さんあんまり早そうじゃないよー?」
 と笑う。
「そんなことあるもんか」
 談笑する家族の合間を抜けながら、猫に変身した瑠姫はちらちらと辺りを警戒していた。

 収納の中で膝を抱えていた未誓だが、団らんの声を聞いているとどうしても家族のことを考えない訳にはいかなかった。
(「家族……そこには、老婆の孤独を狂気に変えてしまうほどの、何かがあるのだろうな。だがゴーストと成り下がった老婆に同情など要らぬ。素早く消してやろう……それがお互いのため……」)
 そして至った考えに苦笑する。戦闘までの時間が長いのも考えものだ。
(「無駄なことを考えてしまう……『家族』とは……なんて……私には到底わかり得ぬことなのに……」)

●孤独とは、家族とは。
 その時、和室の灯りが瞬いた。頭上の蛍光灯が蝋燭の炎のように揺れ、あっと思った時には消えた。家中の電気が消える。
「来た」
 越詩は立ち上がり、白燐光で部屋の中を照らした。続いて玲が背中合わせに立つ。ゴーストに隙は見せない。
「――――どこ?」
 しかし老婆の姿は見えない。嘉の背をスケルトンが守る。家の中は静まり返っている。
「別の部屋かな?」
 次の間を覗こうとする春都。彼の背を目で追って、猫変身を解いた瑠姫が、真っ先にゴーストを見つけた。
「あぶない、春都先輩!」
 鴨居の上に、老婆がいた。白髪を振り乱し、深い皺の中、目は白く輝いている。老婆は包丁を振りかざし、春都の背へと飛びかかった。
「わっ」
 転がって避ける。ドスン、脇腹をかすめて包丁は畳へと突き刺さる。老婆が舌打ちする。春都は畳に手をついたまま、和室を後ずさる。
 老婆は包丁を振りかざしたまま、腰を落としついて行く。その怯えた様子に、老婆は嬉しそうに顔を歪めた。ひび割れた顔。ひび割れてしまった老婆の心。
 嘉が春都の思惑に気づき、心の中で歩数を数える。あと3歩。そう、春都は後ずさりしながら、老婆を収納へと誘導しているのだった。奇襲班の潜む場所へと。
 あと2歩。しかし老婆の動きの規則性を計ろうとしていた玲は、先に危険に気づいた。老婆は包丁を振り回しすぎる。そして、まるで家のことなど、眼中にない。
 あと1歩。老婆が踏み込む。包丁を振り回す。
「危ない!」
 玲が叫んだ。バリバリ、とひどい音がして収納の襖が破れた。大きく開いたかぎ裂きの向こうに、雀の驚いた顔が見える。
 老婆は奇声を上げながら、両手の包丁を振り上げ春都に襲いかかった。飛び退って避ける。

 そして老婆が気を取られた隙に、真正面から飛び出した雀が呪殺符を放った。禍々しい呪符が老婆の額を焼き焦がす。
「!」
 突然の攻撃に、老婆はもんどり打って倒れる。老婆の顔からしゅうしゅうと湯気が上がる。顔が爛れる。老婆の喉から血とともに咆哮が漏れる。野獣のようなそれ。
 雀はゆっくりと影から身を乗り出す。既に切り結ぶ準備はできている。
「如何なる理由があろうとも、人に危害を加えることを許せはしない……」
 老婆は吠え猛りながら、和室の中央へと突っ込んで来た。呼応するように座布団が宙を舞う。旭が避ける。
「こいつらにも傷をつけると拙いか、やっかいなことだ」
 春都は飛び退る老婆を追った。
(「誰にも看取られることなく亡くなって、寂しさのあまり家に縛られて……他人の家族にぬくもりを求めても……気づいてもらうこともできなくて……」)
 春都は老婆の寂しさを想像する。それだけで胸が痛む。気持ちが苦しくなる。でもきっと老婆の人生とは、そんなものではなくて。
(「僕に出来るのはせめて……その苦しい気持ちから早く解放してあげることだけ……」)
 老婆は嘉へと切り掛かった。庇うようにスケルトンが、嘉の前に回る。骸骨と老婆。切り結んで飛び退る。早い。しかし、背後にひとつの扉。
「未誓!」
 玲が呼ぶ。細く開いた収納の扉から、美しい歌声が聞こえてくる。未誓のブラストヴォイスだ。老婆は叫びながら家の中を走り続ける。見えるすべての人間を切り裂こうとして。しかし連携が見事だ。声を掛け合い、背中を護り合う。老婆は、一人だ。
「ごめんね、おばーちゃん」
 今できることは早く楽にしてあげることだけ、瑠姫は踏み込んで至近距離から炎の魔弾を撃ち込んだ。腹から広がった魔炎が、めらめらと老婆の肌を舐める。老婆が包丁を取り落とした。
「あなたの家族はもう、ここにはないんですよ……」
 玲のつぶやきが聞こえたか、否か。
 越詩の魂を込めたブラストヴォイスがレクイエムのように響く。
 旭が長剣で老婆を貫く。手応えが最期の時を伝えてくる。
(「婆様は一人で死んだのか……最期の時に傍らにいる存在があれば、こんなことにもならなかったんだろうか」)
 そんな詮無いことを考えながら。
 老婆が膝を折り、崩れ落ちる。彼女をつなぎ止めていた鎖が割れた。キラキラと砂粒のように、落ちて行く。
 旭は気がつけば老婆に向かって手を差し伸べていた。だってこれは最期、そう彼女の二度目の最期なのだから。せめて今だけ。消え去る寸前の絹糸のような髪に手を当て、微笑んでやった。
「……早くいっちまえ、婆様。此処より楽しいことが、待っているだろうさ」

 老婆は微笑んだか、それとも崩れ去る前の幻か。もしも老婆に心があって、今、彼女を囲んでいる者たちの、孫ともいえる年頃の子たちの、優しい心を知ることができたならどんなに良かっただろう。看取られて、二度目の死。求めれば、答える声もあるのだ。時には。
 ゴーストは消滅し、何事もなかったかのように、部屋の電気がついた。
 部屋を満たすのは祈り。そして鎮魂。
 優しい子供たちを見渡すように、嘉が再びきりりとした母親役を引き受けた。
「さあ、じゃあ片づけを始めましょうか」
 その声が震えるのは、どうしようもない共感のせい。けれど彼らは生き、やらねばならぬことがある。使命と幸福とを追って。

●そして、あるべき場所へ。
 皆きちんと、元あった場所を覚えていたので片付けは簡単だった。
 スケルトンが嘉を手伝って、壁に時計をかけているのは微笑ましい。
 玲は茶封筒をパズルの裏に戻した。
「あーっ」
 そろそろ片付けも終わろうという頃、雀が悲鳴を上げた。なんだなんだと皆で覗く。
「あっ」
 忘れていた。老婆がザックリと斬りつけた収納の襖だ。皆、家の中を傷つけまいと頑張ったおかげで、他には目立つ傷もなかったのだが……。さあどうしようと互いに目配せするも、いい案が浮かばない。
 すると瑠姫がぽんっと手を打って、たちまち猫変身。玄関の植木鉢の土をつけて、とことこと戻って来た。そして軽く猫ジャンプ。ストトン!
 破れた襖の側に猫の足跡をスタンプした。これで家人は野良猫の仕業と思うに違いない。
「おおー」
 これには全員拍手。瑠姫は人間の姿に戻ってにこっと微笑んだ。
「泥棒さんは入っていませんからね〜」

「お疲れ様」
 と言葉を残し、未誓が先に家を出る。大団円が苦手らしい。
「だいたいこれでいいかな?」
 皆で部屋見渡して確認する。イグニッションを解いて、家には鍵をかけて。
 鍵は元の植木鉢の下へ。泥棒が入りやしないかと、旭は未だ気にしている。
 帰り道、それぞれが空を見上げ、思っているのは家族のこと。今ある家族、亡くした家族、これから持つ家族、それから誰かの、持てなかった家族。
 墓参りくらいは許されるのだろうかと嘉は考えている。
 雀は天を見上げて呟く。
「もしも来世があるならば……次こそ、あの人が生涯にわたり、仲のいい明るい家庭を持てますように」
 その時星が流れたが、誰か見ていたか、どうか。