■リヴァイアサン大祭『煌詠』
大祭の喧騒より遠く離れた夜の森は鬱蒼として、今宵は月明かりもまばらだ。しめやかな静寂と共に深々と雪が降る小道は、今日という日にはあまり似つかわしくない孤独で閉ざされている。
フィルの身に纏った青いドレスはその下でも上品な光沢を放ち、彼女の長い髪によく似合っていた。合わせてアクセサリーも付け、今日はリヴァイアサン大祭を楽しもうと思っていたのだ。けれどいざ人前に出んとなると何だか気恥ずかしく、フィルの足が向かった先はというとこの森だった。
「オニクスはん。今日何の日か知ってるやろか?」
いくばくかの期待を込めて問うフィルに対し、隣を歩くオニクスはさらりとこう返す。
「リヴァイアサン大祭だろ。めんどいからパスしたんだよ」
星霊のもたらした雪にあてられ冷たくなった森の土を一歩一歩踏みしめる度、オニクスの身体は鈍く痛む。彼女には先日の王宮攻略戦で敵から受けた傷がまだ残っていた。
フィルとは対照的に飾り気の無いいつもの黒服に、いつもと変わらぬどこか棘のある態度。真実の理由をそこに巧妙に隠して、彼女もまた喧騒を避け森へと向かう。そして二人はいつものように些細な話を交わすのだ。
ムードも何もない返事にフィルは項垂れるのも束の間、
(「め、めげない…!」)
せめてお洒落して気分ぐらいは、そう気合いを入れ直す。
「じゃあお洒落……」
「絶対ぇ却下。面倒なんだよそう言うの」
言葉を遮る程の即答に流石のフィルも今度は心が折れたらしく、しょんぼりと落胆の表情を浮かべる。
「……予想済みやから良いけどね」
「懲りないよな、アンタ」
口では無愛想にそう言いながらも内心そんなに落ち込むなよ……とオニクスは思ったが、嫌なものは嫌だ。葛藤する彼女に向かってフィルはずい、と手にしたケースを差し出す。中に入っていたのは一見オニクスには似つかわしくないヴィオラだった。
――少し弾いてみない? フィルの眼差しはそう訴えるかのようだ。
「この手のは高いだろ……まぁ折角だ、仕方ねぇ」
オニクスは少々呆れながらもそれを手に取ると、音程を合わせるように弦を軽く鳴らし始めた。先程までの攻撃的な雰囲気が消え、どこか凛としたその横顔。渡したばかりのヴィオラを見事に弾きこなす姿にフィルは思わず見惚れ、ふわりと笑顔がこぼれる。
聞こえてきた前奏は二人には馴染みのフレーズだ。自然とメロディーを紡ぎだしたフィルの声がヴィオラの音色に寄り添い、森の静寂に煌くような色彩を与える。二人の詠う見事なハーモニーは演奏会のステージさながらだった。
やがて曲が終わると、オニクスはぶっきらぼうに楽器を置く。
「喉の調子整えとけ、途中怪しいトコあったぞ。それに音の乗せ方がだな……」
すっかり元の調子に戻った彼女はまるで小姑のようで。けれどフィルは嬉しそうに顔をほころばせると、
「ありがとう」
そう言って微笑んだ。特別な今日と、そしてそれをくれた大切な人へ。