■クロノス大祭『Fortune comes in by a merry gate.☆ 』
ホットミルクのカップに寄せた手が、指先から凍っていくように思える。冬の夜空はどこまでも冷たくて、アトラはその温度に切ない拒絶を感じた。閉めたカーテンの向こうでは、誰かの為のクロノス大祭が繰り広げられている。手を繋ぐのに遠慮のいらない誰かと誰かが、見せたい自分を見せあって、それぞれに受け入れて、……それを、どうして恐れずにいられるのだろう。
「……くすん」
伝えてしまう、ただそれだけの結果として、全てが壊れるかもしれない。その一瞬に与えられる衝撃は、遠慮なく心という硝子細工を砕いてしまうだろう。
踏み出す一歩も、告げる勇気も、未来への希望にも、その裏返しの場所に怪物を潜ませている。カードを切らなければ決して出てこない、ジョーカーの怪物を。
「こんな、きっと素敵な夜なのに」
アトラは見えもしない夜空に思いをはせた。金砂と白雪の舞踏に祝福されているのは、そんな不安を乗り越え、自分を運命に投げ出せた英雄達だ。同じ場所に立つには、恐れを抱えた自分はあまりに弱すぎて、並ぶ資格もないという事がひどく悲しい。
「……傷つけ合いたくは、ないから……」
だから、誰もいない所へ逃げようと思う。器をテーブルに置いて、立ち上がろうとするアトラの肩を、ふと誰かが留めた。
「眠れませんか、アトラさん」
「え。……カノン、さん?」
「はい。ご気分が優れないようでしたので、僭越ながらお声を。どうされたか、話してみては頂けませんか?」
カノンの穏やかな声が、アトラの心に抵抗なく沈んでいく。混じりけのない優しさがそこから伝わってきて、アトラは表情が歪み、視界に涙がにじむのを、抑えることはできなくなった。
「無理は……ダメですよ」
一瞬だけ驚くが、でもすぐに平時の微笑を浮かべて、カノンはアトラの隣に座る。
「何が悲しいのかは、伝えることはできないのかもしれません。ですが、アトラさんが悲しんでいるという事は、遠慮なく誰かに伝えてしまっていいのですよ」
「いいんです、か? 私は、勇気がなくて、怖がるだけで英雄なんかじゃなくて……。それでも私は」
「ええ。そうでもして頂けなければ、私は取っておきの楽しいお話をする口実を得られませんので。こんな日は楽しい事をして遊んで、ね」
悲しいことは一時忘れましょう、とカノンは目をぬぐうアトラに伝えた。
時間にすれば数十分も経っていないだろう。カノンが音を立てないようにカーテンを開けると、大祭の砂と雪は今も降り続いていた。
アトラは泣き疲れたか、あるいは喋り疲れたのか、今はもう眠っている。その頬にはまだ涙の跡が残っていて、夢の中でもまだ、何かを悲しんでいるように見えた。
「おやすみなさい、アトラさん……。貴女の夢にも、いつか祝福が降りますように」
アトラの肩に、カノンはそっと毛布を掛けた。そして、夢越しには届かない言葉を紡ぐ。
「弱さを見つめることのできる貴女も、きっと英雄なのですから」