■クロノス大祭『1日だけのお姫様』
遠い空に広がる夜の色を染み込ませたような黒いヴェールに、長い金糸の髪がクロノス大祭の街にふわりと揺れる。細やかな刺繍が施されたレース、赤い花飾りの可憐なチョーカー。
身長2メートル近くはあろうかという、見るからに屈強な男性に抱えられたその少女は、大祭の喧騒を行き交う雑多な人々の中にあっても特に注目を集めるものだった。
「うわー!」
そんな事も、やはり素知らぬ顔。
マイペースな彼女は、はらはら舞い落ちる雪と黄金の砂――その美しさに夢中な様子。
「どうだ。其処からだと良く見えるかいね、街の景色は」
「うん、すっごく綺麗!」
瞳をきらきらと輝かせ、フェリスはこくこくと頷く。
彼女の身体を下から支えているのは、ネイムの逞しく暖かな腕だった。
「私は、ファーザーにお姫様だっこしてもらいたいなー」
「では、私は……お前の笑顔が見たい、と望ませて貰おうかね」
この日は、互いのお願いをなんでも一つだけ聞く日にしようと。
来るべきクロノス大祭のまえに、ふたりはささやかな約束を交わし合った。
「手に取れるかな、これ」
ネイムの中から身を乗り出し、雪を掴もうとフェリスが手を伸ばす。
お姫様抱っこのお願いを聞けば、ネイムの願ったことは自然と叶えられた。
手のひらに掴んだ雪は、一瞬ですぐに溶けて消えてしまう。
けれど、こんなに美しい景色の中、大切な人と一緒に過ごす特別な時間は格別。笑顔にならないはずがない。
ネイムも今日は、いつもの法衣ではなく彼女のドレスに合わせた黒のスーツ姿だ。
次から次へと降りそそぐ雪を追いかけるフェリスの楽しそうな表情。
その顔を一番間近で眺めていられる事は、なんと幸せなのだろう。
せっかくだからと不意に頭をよぎった台詞。
「おいおい、あんまり暴れると落ちてしまうぜ。お姫様」
こう見えて意外と純情なのだ。口に出してみるとほんの少し気恥かしかったが、彼女がもっと喜ぶならば、今日はとことんやってやろうと決めた。
その言葉を耳にした『お姫様』は、今日一番の笑顔を浮かべたから。
もっともっと、一番の笑顔を探して――さて、次はどちらへ向かおうか。
今日だけは、お姫様の仰せのままに。