■クロノス大祭『桜見丘』
こんなにゆったりとした時間を、二人きりで過ごすのは久しぶりだった。雲間から零れる光が、葉を落した桜の大樹を柔らかく照らしている。
あちこちの時計塔が奏でる音楽も、大祭を楽しむ人々の賑やかな喧噪も、ここでは微かな囁きのようにしか聞こえない。
リクとドゥンストは、大樹の根元に並んで腰を下ろし、ごつごつした幹に背を預けていた。
不意に吹いた風の冷たさに、ドゥンストが上着を押さえると、目の前にすっと白いカップが差し出される。暖かな湯気と甘い香りが、ふわりと漂った。
「ココアでもおひとついかが?」
リクはいつでも準備がいい。寒いなと思った瞬間、こうして暖かい飲み物を渡してくれる。ドゥンストは笑顔を浮かべてカップを受け取り、ふと、リクの手袋に目を吸い寄せられた。
夜空を思わせる濃紺に、流星を模した意匠。自分が贈った物だ。
「嬉しいな、付けていてくれたんだ」
するとリクも嬉しそうに、手袋をした手をドゥンストに向けてかざし……不意に表情を引き締めた。自分の分のココアが入ったカップを、胸元にぎゅっと寄せて、
――実は……忘れていたと思っていた記憶、思い出してしまったんだ。
わずかな逡巡の後、ぽつりと零した。
とつとつと、リクは語り始める。何を忘れていたのか。その理由。怖くて恐ろしくて、同時に怒りも覚えた事。
「受け止めなければいけないのに、僕は逃げちゃったんだよ」
カップを抱えるように、手袋を強く抱くように、腕に力を込めてリクは続けた。
罪の意識は、手に埋まった賢者の石に込められているのだと。
そしてそれを、そっと守ってくれているのが――。
「そうか……僕は君を守れたんだね」
リクの告白を聞き終えた時、ドゥンストの胸に満ちていたのは、純粋な喜びだった。
今度はこちらの番だというように、「僕も思い出した事があるよ」と、ドゥンストはゆっくりと語り出す。昔リクと出会った事、リクを守れなかった事、それを全て忘れてしまった自分の愚かしさ。
だから今、自分の手袋がリクを守れているという事実が、たまらなく嬉しくて。
――やっと会えた。
最後に想うのは、再び会おうと交わしていた約束の事。
身じろぎもせず聞いていたリクはやがて、
「この桜の大樹の下で、再度、君との出会いに感謝するよ」
いつもの彼のような快活な口調で答えたけれど、その瞳の端には涙が溜まってしまっていて。皮肉にも、ごまかそうと笑みを深くした拍子に、雫が頬を伝った。
「手袋、ずっと大切にするよ。ありがとう」
リクの礼には、万感の想いが籠っていた。
――君が僕を人間にしてくれた。
ドゥンストも答えるように想う。
――君への罪は消えないけれど、償いは今始まったばかり。これから僕は君に沢山、昔できなかった事をしてあげたい。
「ほら、泣かないで」
その第一歩として、リクの涙をそっと拭った。