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2人でクロノス大祭

黄龍に近づきし者・ヘカテイレス
純真無垢程怖いものは無い・マリナ

■クロノス大祭『祭りの後の親子』

 祭の喧騒は扉を開くと余計に酷くなった。
 慣れない者にはきついばかりの熱気だが、祭の日、恋人との逢瀬を終えて一人帰ったマリナにはその熱気が心地よく感じられた。ほっと息をつく。
 カウンターの後ろから、義理の父親が小さな娘を見つけて手をあげる。客の間を縫うようにして駆け寄ると、マリナのそれよりも大きな手が優しく頭を撫でた。
「おかえり。楽しかったか?」
 銀色の頭が小さく頷く。
 周辺を見渡し、心配そうにこちらを見上げる表情の意味を汲み取り、ヘカテイレスは悪戯っぽく笑って見せた。
「あぁ、繁盛してるだろう。祭で浮かれて酒も進むんだろうが……」
 聞こえてるぞ、と野次が飛ぶ。店のあちこちからも楽しそうな笑いが響いた。
 マリナが照れたようにはにかんで告げる。
「手伝うよ」
「もう遅いだろう。それに、疲れてるんじゃないか?」
 マリナが首を振ってヘカテイレスを見上げた。こんな忙しい日に、一人先には眠れないと、雄弁に青い瞳が語る。
 困ったように……楽しんでいない事はない微笑を浮かべて、マリナを見下ろしたヘカテイレスが頷く。
「わかった。今日は本当に忙しいし頼む。でも、いいか? 変なおじさんに変な事をされそうになったら、すぐに言うんだぞ」
 真面目な顔で義理の娘を心配する様子がおかしかったのか、それとも聞き様によってはあまりに失礼な言葉にふざけ半分腹を立てたのか、もう一度、聞こえてるぞと野次が飛んだ。
 マリナが小さく笑う。今度は笑いが、マリナから店中に広がった。
 その後は、楽しくも忙しい時間が過ぎた。
 白いエプロンをつけて、酒器を下げ、または酒を運び、酒肴を並べ、その皿を下げる。
 よく動くその様子に相好を崩した客達は大いに盛り上がり、やがて祭の終わりの空気が夜風に乗って流れてくれば、一人、また一人と席を立つ。
 気づけば店の隅で静かに酒杯を傾ける数人の客を残すだけとなった。
「片付けようか」
 疲れを感じさせない声でヘカテイレスが言う。
 スツールに座って少しうとうととしていたマリナだが、眠い目を擦りながら水場へ向かった。
 布巾を濡らして空いた席から丁寧に拭いていく。
 一生懸命で微笑ましいその様子に目を細めて、ヘカテイレスは山と積まれた洗い物へと意識を集中した。
「ごちそうさん」
「ありがとう。また頼むよ」
 最後の客に声をかけられて顔を上げたが、マリナの姿が見えない。
「マリナ……?」
 呼びかけても応えない。
 ふとカウンターへ視線を下げると、疲れて寝入ってしまったらしい、愛らしい背中が規則正しく上下に揺れている。手には布巾を握ったままだ。
 安堵に顔を緩めて、ヘカテイレスがカウンターの向こうへと回る。
「……お疲れ様」
 小さく呼びかけて上着をかけてやると、安心したようにマリナが笑った。
「俺はもう少し、頑張ろうかね」
 カウンターの火を落として、ヘカテイレスは再び洗い場という『戦場』へと向かって行った。
イラストレーター名:藤科遥市