■クロノス大祭『あの空の向こう』
幼い頃、空のもっともっと上には本当の空があるのだと、最下層で生まれたニーナは父親から幾度も幾度も聞かされたものだった。それ故だろう、彼女が空に強い思い入れを抱くようになったのは。今、街中から見上げる金色の空を満たすのは、金銀二色が入り混じった雪と無数の時計台から流れ出す楽しげなメロディー。
ラッドシティに年に一度だけ現れるこの雪空を仰ぎ、ニーナは深い吐息と共にただ一言を呟く。
「……綺麗」
すっと差し伸べた掌に落ちた雪はすぐに融け去り、後には小さな水滴が後に遺るだけ。
「今日は特別な日なんだって、ニーナ」
その名残を惜しむように自身の手を見つめていた彼女の傍ら、ブランクもまた妹と同じように雪を掌に受けながら口にした。
寒さに冷えた彼の手も、雪が留まるには暖かすぎる。瞬く間に融けて消えた掌中の雪、そして周囲に積もりつつあるそれを見交わし、ブランクはふと不思議に思った。
(「雪に触れるとさらり融け消えて……こんなに儚い存在なのに、世界は一面、覆われる。不思議だな」)
開いたままの掌に更に二つ、三つと舞い降りた雪は、何れも僅かの間に微かな水滴へと変じてしまう。だが空から無数に舞い降りる雪は、既に薄っすらとこの時計塔広場に降り積もりつつあった。
そしてやがて融けながら降り、降りながら融ける雪はまるで最初からそうであったように金銀に世界を塗り替えてしまうのだろう。その軌跡を辿り、ブランクは空を見上げる。
「……ねえ、見に行ってみない?」
その始まりは、どうなってるんだろう。そんな純粋な疑問が胸中に宿った時、ブランクの口からそんな言葉が衝いて出た。
「あの、空の向こう」
遠く、遙かな時計台の頂上。そこより先、眩い黄金色の世界を指差してブランクはニーナを誘う。
「行きましょう。この街で一番、空に近い場所へ」
理由を告げない兄のその誘いにニーナは僅かに小首を傾げたけれど、すぐに何も聞かずにただ微笑んで受け入れた。
そうして、すっと兄から妹に差し出される手。それが重なり、しっかりと繋がれ、そしてタンッと軽やかな足音が二つ、広場に響く。
金銀に塗り潰されてゆく町並みが、広場に集う人々が、二人の足がステップを踏む様に壁を蹴るたびどんどん遠ざかってゆく。
びゅうびゅうと吹き上げてくる風も頬に触れる雪もそれはそれは冷たいけれど、二人の顔に浮かぶのは暖かい笑顔で。
「寒くない? ニーナ」
「寒くないよ、お兄ちゃん」
だって、大好きな人と一緒だから。今この時は、この風景の中で二人だけでいられるんだから。続く想いは口には出さず、兄の気遣いにニーナは手を握る力を強くすることで返す。
ブランクもまたその手を強く握り返し、力強く二人合わせて壁を蹴った。
そうして二つの影は高く高く跳んでゆく。柔らかい金色と銀色の光が照らし出す世界の中を。
二人が住まう世界、それを眼下に一望する二人だけのまだ見ぬ景色を求めて。