|
●トツカサの城で 「リョクバからの使者殿は、そのような文を……」 ジリュウ王サダツナ公による『楓華列島共通の仇敵』を討ち果たす為に集った者達。 ジリュウはそれが相互の理解の不足による誤りであったと言葉巧みにリョクバへの返答と成し、それを受けたリョクバ州の国々が返した答えは 『ジリュウ王には此度の勇み足によるリョクバの民への負担を考え、以後充分に猛省を促すものなり。セイカグドにおいては以後も国々が天子様の御心のままに良く国を治める事を望む』 と言う、非常に対外的には半端なもので終わっていた。 更には、トツカサ王ライオウにセイカグドでの平穏なる明日を託し、戦による乱れなど無きようにと言う通り一辺倒な、形式だけの文で全てが終わっていた。 「我はこれを受け、ジリュウ、マウサツ、トツカサはこれより10年の間互いに侵さず、自国を富むように成すべしとの誓約を定める為に使者を出すものと考えておる。武士による無用の争いは、悪戯に民を疲れさせるだけであるからな」 初老の筈だが、まだまだ青年に負けぬ輝きを持つライオウ公の瞳。 その瞳に映されるのを感じながら、イズミは新たな部隊の設立と、その名をライオウに認めて貰う為にと会見の席で公が名を与えるよりも早くに告げていた。 「楓華の風……カザクラ……」 「はい、我等が想いを名に込めております」 トツカサ王ライオウ公の居城、トツカサ城に招かれた冒険者達の中でイズミが頭を下げて先手を取っていた。 「想いとな? 面を上げ、申してみよ」 「有り難うございます」 正面を向く許可を得てイズミが身を起こす。 「我等の思いは常に一つ、この地に訪れた時より変わっておりません。鬼という脅威に晒される人の涙を止める為の努力を惜しまず、和をもって楓華列島の皆さまと知己となりたいと、そして我等は皆さまにあるがままに、風のように吹くままに感じて頂ければと。そして風は徒にその身を残すことは致しません」 「……大儀である。その名、天子様の元にも吹く風となることをこのライオウ、願う物ぞ」 どのような思いがあって、ライオウが彼らをリョクバへと進めさせるのか、それは語られることは無かった。 「殿、彼の者達の旅立ちに重ねて、某よりもお願いしたき事が……」 「……何用じゃ将軍。先の会戦での不手際、あれ程の兵を配してトキタダを逃し、傷を負うなどとは開闢以来のトツカサの名を汚す敗戦に等しき失態ぞ」 静かにチオウの言葉を止めるライオウの瞳には、明らかな怒りがある。 「お言葉深くこの胸に。某の愚行により我等が民に深き傷を与えてしまったのは、某の目が曇っていたことと、今更に己の不徳、未熟を恥じるばかりでございます」 深く、額を地に擦るようにしてチオウはライオウの前に膝を屈している。 「殿の御代に犯した某の不徳は何物にも換えがたく、しかし戦馬鹿と言われた某に出来ることは少のうござります。此度、マウサツが姫領主ツバキ様が天子様の御許に向かうという危険極まりなき旅に出るに当たり、某、彼の姫の道添えとなりてお仕えしとうございます」 「……そうか……では、貴様、名を捨てよ。最早貴様にトツカサの姓を名乗ることは能わず」 「……ははっ」 深く、地べたに額を打ち付けたチオウが復唱の意を唱え、やがて静かに顔を上げ、地面を見つめたままで続ける。 「某、これよりは天子様の元に向かわれるツバキ姫を御守りするカザハヤ殿を部隊の母、父としてお仕えし、必ずやツバキ様を御守りして参りますれば」 「……」 父母という言葉で、イズミの肩が揺れた。 「今より我、チオウ・カザハヤとして天子様の都まで参じるべく、一介の武士として旅立つ所存であります」 チオウ・トツカサの名は消え、そして一人の男が楓華の風に加わることになった。 部隊に名を連ねる彼の名はチオウ・カザハヤ。 訳ありの為に団を束ねるイズミの『義弟』として、トツカサの都を去る船に乗り込むことになった。
●港 「宜しいのですか? 名を捨てると言うことは、楓華列島ではもしや血を断つという意味になるのではありませんか?」 船上の人と成る前に、イズミが最後ですよと大剣を背にした武士に尋ねる。 「義姉上殿にも申し上げた通り、拙者はもう只のチオウ。未練は無いと言えるには刻を頂きたいが……」 港に集った兵士達に無言で頷いてみせると、彼らもそれだけで通じるものがあるのだろう、船に乗る若き将軍であった男と、彼らと共に同じ釜の飯を食い、村を護り、野を駆け、そして悪王を除する為に闘った者達との別れを惜しむように誰もその場を去ろうとしない。 「行こう。セリカ姫が待っているぜ。リョクバのセイリンを越えるには時間が要りそうだからな」 背で未練を断ち切るように歩き出す。 船に乗る者が50を越え、60を過ぎ、70を数えた頃にはライオウ公の前であるにも関わらず泣く者も居た。 「ではイズミ、健勝でな。……万が一という時は、貴殿と貴殿の友に我は声をかけよう。それで、良いのであるな?」 真っ向からイズミを見、周囲にいる者にも聞こえるように、波の音にも負けぬ声でライオウは告げる。 「……はい。ライオウ様もどうぞセイカクドにその御威光を。天子様にこのご恩、確かにお伝えいたします」 ストライダーの瞳に宿る炎の如き思いを受けて、イズミは頭を下げる。 船に向かう者達を見送るライオウ・トツカサの目は油断無く彼ら【楓華の風】の面々を見つめていた。 遠く、遠く船が港を離れ、リョクバに向かうのを見送ったトツカサの兵達が港を去り、やがて親と子、ただ二人きりになった城の一室で、ジンオウはライオウに暇を告げ、歩み出す。 「殿、それではジリュウとマウサツに使者を出し、リョクバからの文と今後のことについてを通達いたします」 「む。滞りなく、励めよジンオウ」 将軍から時期国王への抜擢。 それは図らずも、外来の冒険者達に肩入れしすぎた兄、チオウの身から出た錆ではあるのだが、ジンオウはまだそれでは納得がいかないものがあった。 【勝ちを譲られた】という、その一点で勝敗全てが決してしまったような、そんな歯がゆさがあったのだ。 だが、兄は名を捨て、トツカサを捨てて行く。 それが彼には判らなかった。
【幕間・1】 |