七星将・貪狼
〜山口県山中〜

「畜生、畜生、畜生ッ……!」
 七大ヤクザの生き残りである菱田・洋子が、汚れる着物にも構わず、転がるように山道を駆けおりていく。神戸の戦いを生き延び、沖縄の戦いでは銀誓館を退けた洋子の顔からは、今や、焦りと憔悴の色しか読み取ることはできなかった。
 彼女は、抗体ゴースト『ダブルフェイス』としての力を完全に己のものとした。同様の力を十全に得た部下達も揃っている。いかな能力者・来訪者といえども、今まさに再興せんとする「菱田組」を止めることはできまい。
 ……そんな数分前の洋子の自信は、もはやどこにも存在しなかった。

 既に、洋子の周辺は燃えさかる炎に覆われていた。
 先ほどから洋子をつかず離れず包囲している、あの巨大な妖獣の群れによるものだ。
 その数は数十体に及ぶだろうか。中国獅子舞のようなユーモラスな顔の妖獣。
 しかしその体躯は十mを越え、全身に炎を纏っている。
 最初の遭遇で、洋子の部下は全員消し炭に変えられた。
 そしてその後、獅子妖獣達は、炎に炙られながら逃げ惑う洋子を包囲し、洋子の走る方向についてくる。敵意などなく、まるで玩具にじゃれつく子供のように……。

「そろそろ限界かしら……?」
 突如、洋子の背後から、鈴の音のように美しく、それでいて冷たい声色が響く。
 思わず振り返った洋子の視線の先にいたのは、朱い衣を翻す、艶やかな女の姿。
 洋子は彼女の異様な「ドリルガントレット」に目を奪われたが、すぐにそんなものは些末事と悟る。
 この女から発せられている殺気の量……これは何だ!?
 これが、ひとりの人間の保有する『力』なのか!?

 圧倒的な力量差に戦意を喪失した洋子は、震える声で訴えかける。
「アンタ……アンタが、この獅子たちの主!?」
「そうよ。それが何?」
「……決まってるだろ! 見逃しておくれ、後生だよ! アタシがアンタに何をしたってんだい!」
「『何をしたか』……だと?」
 突如、朱い女がふわりと前進し、洋子が反応すらできぬ間に、彼女の体に静かに触れる。
 次の瞬間、凄まじい威力の「気」が洋子の体内で炸裂し、洋子は全身からあらゆる体液をまき散らしながら、地面にくずおれた。同時に洋子の武器もバラバラに分解され、地面にばらまかれる。

「今放ったのは砕甲掌(さいこうしょう)だから、死んではいないでしょう? だから、話を聞きなさい」
 そして、朱い女は話を続ける。
「あなたが沖縄で殺めたのは、金毛九尾に従う妖狐。我等が女王の所有物を殺めておいて、報いを逃れたいとは、何とも虫の良い話……」
 朱い女はおもむろに洋子の前髪を掴み、獅子妖獣達の眼前に放り投げる。
 すでに視線は洋子になく、朱い女は背を向けて、妖獣達に短く命じる。

「灯せ」

 獅子妖怪達が一斉に炎を噴き上げた。
 菱田の全身が瞬く間に黒く焦げ、炎に煽られた体が奇妙なダンスを踊る。
「他愛もない……。廉貞なら『大山鳴動して鼠一匹』とでも言って苦笑いする所ね。
 まあいいわ、妖狐七星将がひとり『貪狼』にまみえた栄誉、あの世で感謝なさい」
 朱い女……貪狼が呟くと同時に、限界に達した菱田の体が消滅する。
 それを見届けると、貪狼は焦土と化した山を後にするのであった。